第16話 忠告、そして下校
〇〇〇
「先輩、今日の夜は空いてますか?」
今日の部活を終え、荷物をまとめて今まさに部室を出ようとしていた時、突然柊に呼び止められた。暫しの間、思考が硬直する。夜? 夜ってどういう事だ?
「……何ですか。もしかして先輩、変な事考えてません?」
僕の中の邪な考えを読み取った柊は、僕の事を嘲るような目で下から覗き込んでくる。僕は真っ直ぐ彼女の目を見る事が出来ずに思わず目を逸らしてしまう。これでは本当に変な事を考えていたと証明しているようなものでは無いか。
「で、どうなんですか? 空いてるのか、空いてないのか」
「え、ああ……今日は特に予定は無いよ」
「そですか。それじゃあ付き合ってくれますよね?」
後ろで手を組んで上目遣いで尋ねてくるという妙にあざとい仕草をしてくる。こんな頼まれ方をして断れる男が果たしているだろうか、いやいない。
「分かったよ。けど、何をするつもりなんだ?」
「ふふ、先輩の期待してるような事はしませんよ」
「な……何も期待してないって。それで、質問の答えは?」
「……降霊術の続きですよ」
「あ……」
降霊術。その言葉で、さっきの空き教室での出来事が脳裏に浮かぶ。
結局あの後、再び鏡に何かが映り込む事は無かった。僕は実際にその映った影を見たわけじゃないので柊の思い違いじゃないかと指摘したが、柊は僕のその言葉を聞き入れる事は無かった。確かに見た、絶対に何かが映った……その一点張りであった。
そして降霊術を終えてから、部室に帰っても柊は一言も口をきかなかった。そのせいで将吾からは僕が何かやらかしたのでは無いかと有らぬ疑いをかけられてしまった。柊がそんな感じだったから僕も話しかけるのを躊躇していたのだが、まさか柊から話しかけられ、しかも降霊術に誘われるなんて……。
「降霊術か……分かったよ、それでどこでやるんだ?」
「もちろん、私の家ですよ」
「は? 家?」
「学校でするのは申請が面倒ですし。ダメですか?」
「い、いや……ダメじゃない、けど」
やはり男子高校生たる者、女子の家に上がるというのには多少抵抗があるものだ。そもそも僕は女子の家と言えばトワの家にしか上がった事が無いし、最後にトワの家に入ったのも中学生の頃だ。
「けど?」
「ああいや何でも無い。分かったよ……何時に行けばいいんだ? それと住所も……」
「何言ってるんですか。一緒に行くんですよっ」
「あっ……そ、そうか」
一体僕は何故その可能性を排除していたのか。そうだ、一緒に行けば時間や場所を気にする必要は無いじゃないか。どうやら知らず知らずの内に動揺してしまっているらしい。僕は仕切り直すように眼鏡の位置を直した。
いや待てよ、もしかしてトワ以外の女子と一緒に下校するだなんてこれが初めてなんじゃないのか。もし後半女子と一緒に帰っている所なんて見られたら噂になってしまうのでは無いだろうか。参った、また動揺してきてしまった。僕は一体どうすればいいんだ。
「おい、ソラ。こいつはどういう事だ?」
突然、将吾が僕以外に聞こえないぐらい小さく、不機嫌そうな声を掛けて、僕の肩に腕を回してきた。
「どういう事って……何がだよ」
「お前……お前よォ……いつの間にそんな関係にまでなってんだ!」
将吾は怒りと悲しみが両方篭ったような声を上げながら僕を睨みつけてくる。まあ、将吾の事だからこういう事を言ってくるのだとは思っていたが。
「そんな関係って……特に何も無いって」
「馬鹿言うな! 一緒に下校デートして……あげく夜中に家に上がるだと……? これがそんな関係じゃなくてどういう関係なんだっ……!」
「だから誤解だ。僕はただ柊の降霊術の手伝いをだな」
「は? 降霊術?」
将吾はさっきまでとは打って変わった素っ頓狂な声になる。僕はその隙に、肩に置かれていた腕を振りほどいた。
「そうだよ。さっきは中途半端な所で終わったからな……家で続きをやるんだよ」
「なるほどな……そういう事だったんだな……」
「これで納得してくれたか?」
「うむ、納得納得……って、するかーい!」
将吾はさながら漫才師のように綺麗なチョップを僕の胸にクリーンヒットさせる。
「いや何でだよ!」
「降霊術だとしてもだろ! 目的が何であろうと後輩女子と一緒に帰って、しかも家に上がる! これだけでも羨ましいに決まってんだろ!」
最早、将吾は完全に怒りに我を忘れて部室中に響くような大声で喚き散らした。こうなるともう……哀れなものである。部室にはもう僕ら3人に、後は蛇塚先輩しかいなかった事が救いだろう。もし双海に聞かれでもしたら彼の将吾に対する尊敬の念も跡形と無く消え失せるに違いない。
「……正木先輩はそんなんだから誰にも誘われないんっすよ」
「な、何だとー!」
「悪いな将吾。これは僕も同意見だ」
「ち、ちくしょう……ちくしょー!」
ついに柊からも追い討ちをかけられた将吾は半狂乱状態となり、部室を凄まじい勢いで飛び出していってしまった。将吾……昔のお前は純粋に冒険だけを求めて生きていたというのに……かつてのお前はどこに行ってしまったんだ。
「永崎……ちょっといいかしら」
僕が飛び出していった将吾を見送っていると、今度は部室に残っていた蛇塚先輩が話しかけてきた。それにしても蛇塚先輩から話しかけられるのなんて滅多に無いことだ。何だか今日は色々と変わった事が起きる気がする。
「何ですか?」
「ちょっとだけ話がある。悪いけど、柊は出ていってもらえる?」
「ど、どうしてです?」
「……貴女がいると都合が悪いからに決まってるでしょう」
マズい……何だか険悪な雰囲気が漂い始めた。二人とも僕の知る限り緩い性格では無いし、この雰囲気を長引かせると面倒事が起こりそうだ。
「な、なあ柊。僕は後から行くから校門で待っといてくれないか?」
「……仕方ないですね。じゃあ待っとくんで、絶対来てくださいよ」
「ああ、もちろん」
そう言うと、柊は渋々という具合で荷物をまとめて部室を出ていった。こうして部室に残っているのは僕と蛇塚先輩の二人きり。普通なら女子と二人きりというのは喜ばしいシチュエーションだが、相手が蛇塚先輩となると話は別だ。二人きりで話がしたいとは言ったが、彼女の醸し出す雰囲気からして明らかに甘い展開が待っているようには見えなかった。
「それで……話っていうのは……」
「貴方、さっき何を視たの?」
「さっき……とは?」
「降霊術の時に決まってるでしょう?」
「ああ、なるほど……。えっと、僕は何も見ていないんですが、柊は何か人影を見たそうです」
僕が言うと、蛇塚先輩は溜息を吐くように「そう……」とだけ呟いた後は顎に手を当てて黙り込んでしまった。降霊術の時とは別の意味で空気が重い。出来れば早く話を終えて出ていきたい気分だ。
「あの……それで話というのは……」
「……貴方は幽霊の存在を信じる?」
「そりゃあ……いた方が面白いとは思います」
「……一つ忠告しておくわ」
「え?」
「これから起こる事には決して目を背けないこと……それだけよ」
「それって、どういう……」
「それ以上でも、それ以下でも無いわ。ありのままの事実を受け入れろ、それだけよ」
「……はあ」
「話はそれだけ。もう行っていいわよ。鍵閉めは私がしておく」
「え? は、はい。それじゃあ失礼します……」
蛇塚先輩はもう何も話す事は無いという風に僕に背を向けてしまった。蛇塚先輩が何を僕に伝えたかったのか、その真意は僕には分からなかった。これから起こる事実に目を背けず、ありのままを受け入れる。蛇塚先輩は、何を知っているのだろうか。
僕は蛇塚先輩に真意を尋ねようとしたが、きっともう何も答える気は無いだろう。僕は結局、蛇塚先輩の言う通り部室を後にする事しか出来なかった。
「あ、せんぱぁーい! 遅いですよー!」
僕の姿を見つけると、柊は軽く跳びはねながら大きく手を振って僕を呼んだ。幸い今は夏休みという事で周り人はほとんどいない。その事を確認し、ほっと息を吐く。あんな事を周りに沢山人がいる時にやられたら恥ずかしいなんてもんじゃない。
「そ、そんなに待たせてないだろ」
「いやあ、言ってみたかっただけっすよ」
柊は悪戯っぽく笑ってペロリと舌を出す。……さっきからやけに仕草があざといように見えるのは気のせいだろうか。
「それで、何の話をしてたんです? もしかして告白されたとか」
「部長に限ってそんな事あると思うのか?」
「ですよねー。それじゃあ、行きましょうか」
軽快な口調でそう言って、柊は先に歩き出した。トワ以外の女子と帰る……そんなシチュエーションに少しだけ心を踊らせながら僕も後を追った。