第10話 夏休み、その終わり
それから……夏休みの残りの日々はあまりにも慌ただしく、あまりにも刹那に過ぎていった。
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8月27日。僕は一昨日見たことは綺麗さっぱり忘れる……と心に決めて、学園祭の準備に復帰した。双海と明里先輩は休み明けの僕を気遣ってくれて、将吾と柊は何事も無かったかのように笑いながら出迎えてくれた。幽月は僕と目を合わせると、少し居心地が悪そうな表情をして、すぐに目を逸らした。蛇塚先輩はというと、僕には軽く一瞥をくれただけで、すぐに自分のスマホに目線を落としてしまった。
案の定、といった感じだが、部新聞の進捗はまるでダメだった。やはり、ここは僕がまとめて進めなければダメなようだ。
「よし……みんな、聞いてくれ」
僕は壁に貼り付けられた白紙の模造紙の前に立って言う。蛇塚先輩以外の部員の視線がこちらに集中する。蛇塚先輩も、視線はこちらに向けていないがスマホを押す指が止まったので、一応耳だけは傾けてくれているらしい。
「一昨日の調査の結果だが……もうみんなは聞いてるのか?」
「いーや、誰も何も聞いてないね」
部員たちの声を代弁するように将吾は言う。現場を見た二人以外も同意の意を示すようにコクコクと頷く。本当に何も言ってないんだな……と少し呆れる。
「まあ、結論から言うと、収穫は……無かった」
「んだよ、やっぱ何も無ぇのかよ……」
将吾はあからさまな落胆の色を見せる。それもそうだろう、二日も引っ張っておいて結局何も無いなんて言われれば当然だ。柊と明里先輩も少し残念そうだ。
「で、でも良かったよ。学校に幽霊がいるなんて怖いし……」
唯一、双海だけは心の底から安心したように言う。仮にもオカルトを研究する部に入っているのにこの反応はいかがなものなのか……。
ちらりと蛇塚先輩の反応を窺う。彼女は僕の言葉に満足したのか何なのか……いつの間にかまたスマホに何かを高速で打ちつけていた。
「という事で、新聞の内容は予定通り今までの総集編って感じで行くつもりだ。だから、これから役割分担するから。その通りに新聞を仕上げていってほしい。いいか?」
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8月28日。ソラは今日も学校に来ていない。もう四日もソラの姿を見ていない。昔からほぼ毎日のように顔を合わせていたからか、この空白が妙に私の心を不安にさせる。でも、一昨日ヒナ先輩に言われた通り、私は頑張らなくちゃいけない。皆の協力のおかげで、白紙だった模造紙も3分の1までは埋まった。これなら、きっと心緑祭までに間に合うよね。
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8月29日。気が付けば、長かったようで短かった夏休みも残り三日となっていた。生徒会の手伝いに駆り出されたり、クラスの準備があったりなどでなかなか部員が揃わなかったものの、どうにかして模造紙を半分近くまで埋める事が出来た。
すっかり机に向かって働きっぱなしだった僕は、休息を取るために、同じく僕と一緒にずっと作業に手伝ってくれていた将吾と共に一階の自販機にジュースを買いに行った。
「か〜っ、疲れた〜っ!」
将吾はそう叫びながら炭酸ジュースの蓋を開け、一気飲みする。僕も冷えた麦茶を口に含む。蒸し暑い夏空の下は、やはりキンキンに冷えた麦茶に限るというものだ。
「重労働すぎんだろマジで……ブラックだぜブラック」
「はは、確かにそうだな」
ふいに訪れた眠気を抑えながら、僕は言った。学校どころか、家に帰っても僕は色々と細かい作業をしているからあまり眠れていないのだ。
「柊と美月はクラスの準備、明里先輩は陸上の練習、幽月はいっつも失踪するし、部長は手伝わずにスマホ弄り……まともにやってるのは俺とソラだけだぜ」
「そういうお前はクラスの出し物の準備はしなくていいのか?」
「いいんだよ、俺の準備はもう整ってるからな」
「それにしてもお前の女装姿とか……想像しただけで笑えるよ」
「おいお前、人の女装を笑うなよ。見てやがれ、とんでもなくクオリティの高い女装を見せてやるからな!」
「ああ……楽しみにしてる」
僕は薄く笑いながら、もう一口麦茶を飲んだ。喉を通り過ぎる冷ややかな感覚が心地よい。
「それにしても……随分と短い夏休みだったよな……」
「そうか?」
「だってそうだろ?折角まともに遊べる最後の夏休みだってのに浮いた話も無しに働きっぱなしなんてよ……っ」
将吾はそう言いながら、空になった缶をゴミ箱に投げ入れた。が、缶はゴミ箱の縁に当たって弾き飛ばされてしまった。缶は地面をコロコロと虚しく転がり、やがて動きを止めた。
「あ〜あ、部には女子も多いってのによぉ……」
「なんだお前、そういうのが目当てで部活してたのか……」
「いやぁ……あわよくば、って感じだけどな」
将吾は大きな溜息を吐き、空き缶を拾いに行く。確かに、言われてみれば夏休みだと言うのにこれと言った思い出も無い気がする。それに来年は受験に忙しくて夏休みに遊ぶ暇など無いだろう。何だか惜しい事をした気がする。
「まあ、別にいいんじゃないか?夏休みなんて今までずっと同じ感じだっただろ」
「はぁ、流石に人生の勝ち組は言う事は違うぜ」
「……何の事だ?」
「さあ、何の事だかな」
将吾は投げやりに言うと、もう一度缶をゴミ箱に向けて投げ捨てる。缶は小気味よい音を立てながら、ゴミ箱の中へと吸い込まれていった。
「畜生、俺は決めたぞ。過ぎちまったもんはしょうがねぇ……だから俺は心緑祭でデッカイ思い出を作る!」
「おお、そうか。頑張れよ」
「クソ、そんな余裕かましてられるのも今のうちだからな?見てやがれ!」
そう言って、将吾は「俺はやるぞ〜!」などと叫びながら部室へと走っていった。僕はただ呆然としながら、その様子を見守るしか出来なかった。
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8月30日。いよいよ新聞も完成まで後僅かという所まで来た。途中でクラスの劇の練習に駆り出されたりしてなかなか作業が出来なかった分、家で取り返そうとした為に寝不足だ。でも、そのおかげで何とか心緑祭までには間に合いそうだ。
「トワちんお疲れー」
「うん、美観ちゃんもお疲れ……きゃっ!」
突然、頬に冷たい何かが当たり、思わず飛び上がってしまった。慌てて後ろを振り向くと、そこには2つの缶を持った美観ちゃんが悪戯そうな笑顔で立っていた。
「もう……びっくりしちゃったよ」
「あはは、ごめんごめん。はい、これ」
「あ、ありがとう」
私はありがたく差し入れを受け取る。部室内はエアコンのおかげで十分に冷えているとはいえ、やはり夏はこういう冷たい飲み物が恋しくなるというものだ。
「……あんまり根詰めない方がいいと思うよー?目の下に隈出来ちゃってるし」
「えっ、ほんと?」
「ほんとほんと。家でも作業してたら身体もたないって」
「あはは……」
確かにちょっと無茶しすぎてるかもしれない。ソラがいない分、私が……と少し頑張りすぎてる気もする。それを自覚した途端に、急激に身体に疲れが押し寄せてきた。
「ん……ふわあぁ……」
「はは、凄い大欠伸だね」
「うん……急に眠気がね……」
「はあ、どうせ全然寝てないんでしょ?そんなんで心緑祭当日に体調崩したらどーすんのよ。トワちん劇の主役でしょ?」
「あ……そうだね、反省……」
「暫く昼寝しなって。その間はワタシ達が頑張っとくからさ!」
「ほんと……?ごめんね、ありがと」
「うん、後は任せてっ。おやすみ〜」
その美観ちゃんの頼もしい笑顔に見送られながら、私は部室を後にして保健室へと向かった。
保健室に着いた後は先生に一言断りを入れて、ベッドに横たわる。カーテンによって周りの世界から切り離され、たった一人だけで世界から取り残されたような感覚。校舎を満たしていた喧騒も、いつの間にか遠い世界の果てから聞こえてくるよう。
このまま眠りに入るのも何だか惜しくて、天井を見つめる。そういえば、この景色は前にも見た事があるっけ。確か……ソラと一緒に無茶をして保健室送りになった時だった。あの時はカーテン越しにソラがいて、彼の声が私をこの世界に繋ぎ止めてくれていた。でも、今は隣にソラはいない。
「……そろそろ、会いたいな」
思わず、そんな言葉が口から漏れて。そのまま私の意識は闇に吸い込まれるように薄くなり、溶けていった。




