第1話 始まりの時、新たなる空
8月22日―
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「……朝か」
……僕……永崎ソラは予め午前7時にセットしておいた目覚まし時計のベルを止め、ベッドから起きる。そしてベッドの傍らにある丸テーブルに置いてある眼鏡を取り、掛ける。折角の夏休みではあるが、今日も朝っぱらから部活だ。僕は一通り身支度を終えると、少しずれていた眼鏡の位置を直して学校へと向かった。
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「う、う〜ん……もう朝……?」
……私……空峰トワは予め午前7時にセットしておいたスマホのアラームを止め、目を何度も擦ってからベッドを飛び起きる。そして何度か大欠伸をしながら朝食を取るためリビングに向かう。折角の夏休みだけど、今日も朝から部活。私は一通り身支度を終えると、付けていたカチューシャの位置を直して、家を飛び出した。
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夏特有のギラギラした日差しが僕の身体に容赦なく降り注ぐ中、私立心ヶ丘高校の門をくぐる。僕はその日差しから逃げるように早足で校舎に入る。
校内はクーラーによる冷気で快適な環境だった。僕は額に浮かんでいた汗を乱暴に服の袖で拭い、寄り道する事無くある目的地へと向かう。
―私立心ヶ丘高校。名前通り心ヶ丘市の高校だ。1970年に発生した『第一心ヶ丘地震』の4年後に、復興記念として開校された。更に、2016年には建て替えられて新校舎として生まれ変わった為、校舎は綺麗で設備も全国の高校の中でもトップクラスで整っている。
僕は長い階段を上って、目的地のある最上階の4階に辿り着き、目的の部屋へと真っ直ぐ向かい……そこの引き戸の前に立つ。
大きく『PP部』と書かれた貼り紙が付けられている引き戸を開くと、中からムンとした熱気が溢れ出してくる。朝早いだけあってまだ誰もいない……と思い込んでいたのだが、先客がいたようだ。
「部長、おはようございます」
「……ん、ああ……」
俺が部長と呼んだ彼女、蛇塚紅楼絵は一瞬だけ読んでいた文庫本から目を離してこちらを一瞥した後、適当な返事をしてすぐに本に目を戻した。
何故この暑い中クーラーも付けずにここにいるのか……。僕は本やら資料やらが乱雑にばら撒かれた机の上に置かれていたリモコンでクーラーのスイッチを入れる。
―蛇塚紅楼絵。高校三年生。長くて黒いロングヘアをまるで蛇のように首に巻いており、右目に眼帯を装着している……我がPP部の部長だ。部長とは言っているが、部の活動に貢献している様子は無く、ずっと何も喋らず文庫本を読み続けている。ブックカバーを付けているため、何を読んでいるのかは分からない。我が部の七不思議の一つだ。
さて、果たしてPP部とは何なのか。活動内容は『巷で流行っている超常現象と思われる事象の研究、及び発表』。言ってしまえばオカルト研究会である。それをカッコつけて超常現象の英訳である『paranormal phenomena』を略した結果が、今の部活名だ。ちなみに僕は副部長であり……部長がこんななので事実上の部長だ。
僕はパイプ椅子に座り込むと、部室を見回した。部屋の中央には長机を三つくっつけて出来た大テーブルがあり、その周辺にはパイプ椅子が8個置かれている。部屋の窓際には一丁前のデスクトップPCの置かれた長机。その机に昔から立て掛けられている謎の模造刀。北方の壁際には大量のオカルト系の分厚い本や月刊雑誌、資料、そして大量のお菓子が貯蔵されている大きな棚があり、南方の壁際には心ヶ丘市全域のマップや、過去に発表したポスターなり新聞なりが雑に貼られている。……そんな部室だ。
「おっはよーございますっ!」
僕が何となく感慨に耽っていると、やかましい声と共に凄い勢いで引き戸を開いて女の子が入ってきた。これだけで姿を見ずとも誰が入って来たのかは分かる。
「あらっ、一番乗りかと思ったんですけど、流石部長と副部長だけあって早いですねぇ」
―柊香澄。高校一年生の、同じくPP部員。動くたびにびょこびょこ動くツインテールが特徴の、この部におけるムードメーカー担当である。ムードメーカーというか、ただ騒がしいだけの気もするが。
「よっこらせっと」
柊はおよそ女子高生が発していいとは思えない言葉を漏らしながら、僕の反対側の席へと座る。そして、スカートのポケットに突っ込まれていたヤングドーナツを取り出して口に含んだ。ヤングドーナツは彼女の好物であり、常にポケットに複数突っ込んでいる他、棚にも大量に保管されており、更には机にも数個置かれている。
「おはよーっす!」
「お、おはようございます」
続いて入って来たのは、二人の男子生徒だった。
―音量の大きい挨拶と共に入って来たのは正木将吾。高校二年生。この高校の学生のほぼ全員は制服だが、彼はいつも私服登校だ。今日は眩しい赤色のTシャツを着ている。この部における第二のムードメーカーであり、ついでにセクハラ担当エロ魔人。彼とは小学生の時からの付き合いであり、僕が唯一親友と呼べる存在だ。
―恥ずかしそうなか細い声と共に入って来たのは双海美月。高校二年生。まるで女の子のように可愛らしい顔立ちをしているが、れっきとした男子高生である。オカルトの類は苦手らしいのだが、将吾に半ば強制的に部に入れられた被害者。ではあるが、こうしてちゃんと決められた日には必ず部に参加している。
将吾は俺の隣の席を陣取り、双海はその将吾の隣の席にちょこんと座る。柊の粗暴さと比べると本当に女の子らしい。
「おいソラ、お前課題終わったのか?」
椅子に思いっ切りもたれ掛かり、手で顔を扇ぎながら将吾が尋ねてくる。
「まあな。部活を暫くやってない間に9割方終わらせた」
「マジで?やっぱお前真面目だな……俺なんかまだ1割終わったか終わってないかだぞ……」
「僕が真面目なんじゃなくてお前が不真面目すぎるだけだろう」
「いやいや、絶対まだ皆そんな終わってねえって。おい、美月はどうなんだよ」
「へっ!?あ、ああ……ボクはもう全部終わってるよ。7月中に面倒なのは全部片付けたから……」
「おいおい嘘だろ?じゃ、じゃあ柊!お前どうなんだよ」
「私ですか?やだなあ先輩、私が終わらせてると思ってるんですか〜?」
「だよな〜!流石柊だぜ。俺の期待を裏切らないな!」
「なんかそれ結構ムカつきますね……言っときますけど、私だって5割は片付けてますからね」
「は?マジで?じゃあやっぱりヤバいじゃねえか……」
そうやって将吾が勝手に追い込まれて頭を抱えている時、また引き戸が開かれた。
「お、結構集まってるじゃん。おはよっ」
「あっ、ヒナ先輩!おはようございます!」
柊は訪問者の声を聞くなり、目を輝かせて勢いよく立ち上がって、ヒナ先輩と呼んだ人の胸元へとダイブした。
「あ〜もう、香澄ったら……」
―明里日菜子。高校三年生。同じくPP部員だが、陸上部と兼部している。ポニーテールとスタイルの良さが特徴的だ。学年が一番上であり、肝心の部長がアレなので部のまとめ役的な立場になっている。そして、やたらと柊に懐かれている。
「ヒナ先輩、今日は陸上部の練習は無いんですか?」
「うん。練習が本格的に始まるのは午後からだからね」
「やった、嬉しいっ」
柊は心底嬉しそうな顔をしている。明里先輩の方も満更でも無さそうな感じだ。こんな感じの女子同士のスキンシップも何度も見せられると流石に慣れてくるというものだ。まあ、約1名だけ未だに激しく興奮しちゃう奴もいるのだが……。
「うふ、ふふふ、朝から眼福……」
―何とも気味の悪い笑い方で部室に入ってきたのは幽月幽香子だ。高校一年生で同じくPP部員。三つ編みおさげでやたらと前髪が長く、常に怪しい笑みを浮かべている存在自体がオカルトな少女。ついでに季節関係なく常に冬服、黒マント、黒タイツを着用している。暑くないのだろうかと心配になってしまう。
「あ、おはよう。幽香子」
「あ……明里先輩。おはようございます……」
幽月はぺこりと礼儀正しくお辞儀する。普通にしていればまともなのだし、常にそういう状態でいてほしいものだ。
「……あと来てないのはトワだけか」
僕は右腕に付けている腕時計を眺めながら呟く。時刻はまもなく集合予定時刻である午前9時になろうとしていた。まあ、あいつが遅刻するのはいつもの事だ。大方、二度寝をきめて大寝坊したとかだろうか。
「ほんと、いつまで経っても変わんねーよな、アイツ」
将吾が呆れたような、懐かしむような、そんな口調で呟いた。トワは……空峰トワは将吾と同じく僕と小学生の時からの付き合いだ。僕たち3人は、まさに親友と呼べるような間柄だ。
「……だな」
僕はフッと苦笑しつつ、そう返す。僕たち3人は昔よく不思議なこと……すなわち超常現象を求めて色んな場所に冒険に行った。そして、その度に彼女は遅れてやってきたんだ。
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「あ〜このままじゃギリギリ間に合わな〜い!」
私は自分が今出せるすべての力を込めて、目的地のある4階までの階段を駆け上がっていた。まさかちゃんとアラームを掛けてたのに二度寝……どころか三度寝までしてしまうとは思わなかった。
「あら、空峰さん。廊下は走っちゃだめですよ〜」
「あっ、す、すみませんっ。でも今は見逃してくださ〜い!」
踊り場で鉢合わせたのは私の所属しているPP部の顧問である久遠典子だ。注意しているはずなのだが、全く迫力が無いからちっとも怖くない。きっと彼女も部室に向かっているのだろう。
「あっ……」
ようやく4階の廊下に出たところで、腕時計の針は既に9時を示していた。私は更にひとっ走りして……やっとついた目的地の引き戸を思いっ切り開けた。
「お……遅れてごめん!」
「……1分遅刻だな」
私を出迎えたのは、既に集合していた部のメンバーと……私の幼馴染である、ソラ。
「じゃあ、皆集まったことだし……そろそろ部を始めようか」
副部長であるソラの合図によって部活動が始まった。そう、私の大好きな時間が今から始まるんだ―。