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経営の良し悪し。そこには経営する人間の自身の能力や運不運など様々な要素が関わってくる。ここに後者の原因で首を括ろうしている家族がいた。
夜。
家は傾き、壁にはところどころに穴が空いていた。冷たい隙間風が消えかかった暖炉の火を揺らす。
「みんな、すまない。俺がしっかりしていれば……」
「お父さんのせいじゃないわ。私の病気のせいで……」
「違うわ。私が魔物に羊を食べられちゃったから……」
昨年の今頃、妻が体調を崩した。単なる風邪の症状が半月ほど続いた後、彼女はベッドから立ち上がる事が出来なくなってしまった。
夫は妻の為に献身的に看病し、生活が苦しいにもかかわらず借金までして薬を買う費用を作った。そしていつの間にか、借金の返済は見通しがつかなくなっていた。
そんな両親を少しでも助ける為に娘は働いた。家でやっていた羊の放牧だ。しかし辺境は魔物が多い。十四、五程度の娘では何の抵抗も出来なかった。やっと羊毛を刈ろうかという時期に殆どの家畜を失った。
全てが悪い方向に進んでしまった。もう後戻りも出来ない。家族全員で死を選ぶしか無かった。
「母さん、シェリー、すまないーー」
家族は抱き合って涙を流した。この人生は幸福にはほど遠い。ならば来世での幸せを祈ってーー。
「茶番はそこまでだ!」
乱暴に扉が開かれた。同時にボロボロの家が揺れた。
「な? 誰だ!? 金なら無いぞ!」
俺だよ! 金はいらねえ!
アズラザオルの話で、料理に至るまでに色々と準備をしなければならない事がわかった。手始めにやる事は食材のゲットだぜ!
それにしても家はボロボロだな。金がないにしてもこうなるまでに対処しろよな。本当に貧乏人は後先考えねえんだから……。
「ハイハイハイハイ……。私は領主の指示で来た役人だが、ここはジャンとレスタとロッカの家族で良いのかな?」
役人の格好をしているがこいつはアズラザオルだ。「領内だったら好きに振る舞って良いかよ。でも面白そうだから僕もついていくけどね!」とか何とか言いながらついてきた。邪魔をするならぶん殴ってやろうと思っている。だが、役人の格好で来たからか効果は絶大だ。夫は「あ、は、はい」と挙動不振気味に答えた。
「宜しい。借金の額は金貨十八枚と、銀貨九枚。手持ちの資金は無く、資産と呼べるものは土地と屋敷のみ。それも既に他人の手に渡っている。宜しいか?」
「その通りで……」
「はい、情報通りだね。妻は病気で働けず、家畜も魔物に襲われ死亡。これも正しいかな?」
「全く……。その通りでございます」
「はい、宜しい。で、今は一家心中の準備を?」
図星だろうな。そこに縄がぶら下がってるもんな。
案の定、夫は言葉を詰まらせた。こういう場合無言は肯定ってやつだな。
「はい、ではセト君。彼らに何をやらすのかな?」
「酪農だな」
「酪農?」
辺境領は寒い。アズラザオルの話だとこの辺りは一年を通じて気温が低く、農業よりは羊を中心とした放牧が盛んらしい。だが羊は食えるが毛は食えない。食える物を生産させようと思う。
「牛をベースにしよう。牛乳を採り、チーズ、バターを作らせる。完成したらそれらの殆どをうちで買う」
「なるほどね。だが牛乳はあまり人気があるわけではないぞ?」
何だ。牛乳は人気がないのか。この地方が羊ばかりを飼育している理由がよく分かった。だったら余計に牛乳製品だな。需要の隙間に挟まるようにニッチに攻めるんだ。
「それに君のとこが傾けば、ここはまた首を括ろうとするだろう。大丈夫か?」
確かに一理あるな。うちで賄うだけの生産じゃこの先やっていけなくなる。
「分かった。なら教えよう。人気のない牛乳にどれだけの価値があるか」
まずはポルカーナ(ニンジン)、シプリ(タマネギ)、ペルーナ(ジャガイモ)、鶏肉を一口大に刻むとそれをフライパンで炒める。どいつもこいつも形は悪いが刻んでしまえば問題ない。しかしこの家には何もないな。食材に、薪に、揃えるのに一苦労だ。
次に塩、胡椒で味付けし一旦火を止め、小麦粉をふりかけ馴染ませる。
そこにお湯を流し込み、食材に火が通り柔らかくなったら牛乳を入れ一煮立ちさせる。
後はとろみがつくまでを軽くかき混ぜれば……。
「ホワイトシチューの完成だ!」
「シチュー? 具の入ったスープだね?」
アズラザオルが食いついた。お前日本にいたなら普通に食った事あるだろう。
「た、食べて良いの?」
そう恐る恐る言った娘をよく見ると顔立ちは綺麗なのに随分と痩せこけていた。ああ、こいつろくな物食べてないな。マニアには売れるだろうがこれじゃ一般受けしないな。やっぱりもっと肉が付いてないとな。
「ああ、食べてみろ」
言った瞬間娘が一口食べた。続けて二口目。三口目。感想はない。そこからは料理を口に運ぶ動きが続くだけだった。よっぽど飢えてやがったんだな。何か娘は泣きながら食ってるし。
「おい、お前らも食べろ。無くなるぞ」
他の三人もシチューを口に運んだ。
止まらない。飢えていた両親はともかく、アズラザオルの手も止まらない。
「美味しい……」
「美味い」
「美味しい」
当たり前だ。料理は美味いものだ。例え突貫で作ったとしても、肉が入っていないとしても、俺が作る料理は普通に美味い。
最後に「美味しかった」と言ったのはアズラザオルだった。そして「そうだ。随分長い間忘れていたよ。これが『美味しい』という事なんだよね」と続けた。
「ようやく思い出したか?」
「ああ、僕はどうして白湯に具の浮いただけのスープを何も考えずに食べていたんだろうね。不思議な感じだよ」
そんなもん食ってたのか。
分からん。この世界の料理はわざと不味くなるように作っているとでもいうのか。
「分かった。僕は全面的に君に協力しよう。まずは牛乳。他に何が必要なんだ?」
「そうだな。当面は、醤油の量産の為に大豆、温かいご飯の為に米、料理のバリエーションを増やす為にジャガイモや野菜類ってとこだな」
「ふむふむ……。ならばこの辺一帯を特区の扱いにしよう。君が指示して人を動かせば良い。資金は?」
「冒険者時代の稼ぎが少々」
--とは言っても無限に大量にある訳ではないからな。どっかで融通が効かないかな。
「金貨二百枚貸し出そう。返済はある時払いで構わない」と告げた。
「良いのか!?」
マジか。二百枚もあれば器材や器具も揃えられる。
いや……。
それだけあるなら一層の事……。
「この料理にはそれだけの価値がある」
「たったこれだけのシチューにか?」
「シチューだけじゃないさ。君は今まで無価値だった牛乳に新たな価値を生み出した。大豆や米にしてもそうだ。これらは今、家畜の餌でしかない。誰も食べないし、興味もない。見向きもしなかった。きっと君はこれらにも新しい価値を生み出すだろう。そしてその新たな価値感は民を救う」
そんな先の事は分からないが自信が無いわけでもない。これが祝福の効果ってやつかな。
「僕はあのシチューの一杯から、腹が膨らめば良いだけだと思っていた料理に対しての考えを改めた。いや、むしろ思い出したと言うべきかな。料理は美味くあるべきなんだ」
そう。料理は美味くあるべきだ。
「僕は君に協力しよう。新たな価値観を世界中に広めようじゃないか。ハハハッーー。このアズラザオルの全面協力でね!」