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魔王との晩餐から数日。俺はネウ・カムリア魔都の西に位置する辺境領にいた。
辺境領とは文字通り辺境の地であり、ネウ・カムリアを占拠した魔族が人族のいない西へ西へと開拓を進めた場所でもある。しかしその開拓も滞って随分と久しい。
辺境領のすぐ側には小規模な亜人族の集落がいくつも点在している。これらが互いにぶつかり合い、稀に領内にまで進軍して来るのだから面倒臭い。この辺の問題が開拓を滞らせている原因でもある。そして仲裁や制裁の為にも辺境領の戦力は常に戦闘態勢に置かれていた。
辺境領の領主は霧の君「アズラザオル」。魔族の世界でも五人しか存在しない最高位魔族の一人だ。霧の名を持つ故か、幻術の扱いに長け、捉えどころの無い人物という評判だった。
魔王はそいつに会えと言った。
「彼はまあ、なんと言うか。変わったやつでな」
「そんなのに会えと?」
「変わってるのは性格だけだからな」
「性格に問題があるやつは大体ダメなやつだぞ?」
「だがまあ、性格と切り離せば、彼の功績は君の中でも優れた部類に入る。後、好奇心旺盛で何にでも首を突っ込みたくなるらしい」
そりゃまた話がしやすそうなやつじゃないか--。
百数十年程昔の話だった。
圧倒的な力でネウ・カムリアとその周辺を手中に納めた先代の魔王は、その後すぐにこの世を去った。悲しむ間も無く次の王を選抜する会議が行われ、王は現在の魔王を含む五人の君の投票で決まる事となった。しかし彼らは嫉妬深かった。他の君を魔王にする気などさらさら無かったのだ。
まあ、よくある話だ。せっかく目の上のたんこぶがいなくなったんだ。互いに足を引っ張りあっていればいずれ機会がやってくるかもしれない。それならやる事は決まっている。
結果、全員が自分に投票して引き分けに。それは何度やっても変わらなかった。王位が空白のまま数年の時が過ぎる事となった。その間もネウ・カムリア奪還を目指す人族の猛攻は続いていたが、人族の王が寿命で倒れると、その勢いは著しく失速した。
そんなある日、先代の霧の君を滅ぼしその座を継いだ男がいた。名を「アズラザオル」という。魔族としての能力は君を名乗るだけあって強力だったが、それよりも独特な考えをしていた。
霧の君の座に着いた彼はすぐに他の君に召集をかけた。「王選を行う」と。
他の四人の君は警戒した。君の座を継いだとはいえ、得体の知れない新参者に魔王の座を渡す訳にはいかない。だが協力という考えを持たず、ただ欲にまみれた彼らはアズラザオルの掌で転がされていただけだった。
「じゃあ、僕は氷の君に入れるよ」
その一言が場を制した。氷と霧以外の三人の君は狼狽し、驚愕した。結果、新たな魔王が誕生したのだった。
「全く、あれには驚かされたよ。考え方を変えざるを得なかった」
魔王はしみじみと呟いた。まさか自分至上主義の君の中から、他人に一票入れる者が現れるとは思ってもいなかったらしい。
「まあ、そう言う事で。君が面白いとなれば、彼ならきっと力を貸してくれるはずだ。彼の行動原理は面白いか面白くないかだからな」
「随分気分屋だな。大丈夫なのか?」
「自分の目で見て決めれば良い。私も無能と言ってはいるが、結局のところ掴み所の無いやつさ。霧の君と名乗る事はある」
そんな魔王との会話を思い出しながら、俺は辺境領の領主であり、霧の君アズラザオルの屋敷へと足を踏み入れた。
「やあ、氷の君の使徒よ。今日はどんな無理難題を持って来たのかな? 前回は三十年前。ネウ・カムリアの南に魔物の壁を作れという事だったが?」
あいつ、すげえ無茶振ったんだな。
屋敷で面会したアズラザオルは細面の気の良さそうな兄ちゃんだった。顔も細いが目も細い。会話が無ければ起きているのか寝ているのかも分からないくらいだ。
「俺はセト。あんたに会えと言われて来た」
とりあえず自己紹介だが、アズラザオルは俺の全身を値踏みするように見た後に「ふーん……。来訪者か。転生者にしては随分と臭いが濃い。転移者かな?」と呟いた。
ん!? 「分かるのか!?」
「来訪者」という言葉は魔王から聞いた事がある。こことは別の世界から来た人間という意味らしいが詳細は分からないでいた。
「大体ね。自覚は無いだろうけど結構臭うものさ。ちなみに僕は転生者だよ。この世界では二百年ほど生きている。日本出身。名前は忘れた」
「まじか!」
こんな所で異世界人と。しかも日本人と出会えるとは。少し懐かしくも感じる。まあ、転生の影響か、アズラザオルの顔つきはまるで日本人離れしているが……。
それにしてもさすがは来訪者だ。魔族の君の座を構えるだけの事はある。
「それよりも、君はどの神から祝福を授かったんだい?」
「ん? 神?」
俺は考えた。アズラザオルの言っている意味がまるで分からない。そもそも神という存在に簡単に出会えるのだろうか。
「暗い世界で神に会わなかったかい?」
「いや……。うーん……」
記憶にない。俺は前の世界で親父をかばって弾を受けて……。それからどうなったんだ?
「え? マジで言ってる? 祝福受けてないの?」
ああそう言えば「暗い世界にはいたような気がする」
「神は?」
「いやー……。何かボヤーッとした光は見たけど……」
「ああ、それが多分神だね。というか神になりたい神っぽいやつだね」
ああ、あれか。ん? 神っぽいやつ? 神じゃないのか?
「うん。この世界の神って、この世界の出来事によって力を得るのさ。だからボヤーッとしてるってのは、きっとこの世界において重要視されてない力の弱い神なんだろう。ちなみに僕を招いた神は法と秩序の神。神経質そうな男神だったよ。貰った祝福も法と秩序の絡みの代物だった」
なるほど。そんな特典があったのか。しかし俺には神と出会った記憶も、語らった記憶もない。一体自分は何の為にこの世界に来たのだろう。
今まで気にもしなかったが髪が絡むのなら少しばかり好奇心が湧いてくる。
「でもそんな神っぽいやつには君を召喚するような力は無いから……」
アズラザオルは他の同種よりも身体の小さな弱い魚がいかにして子孫を残すのかという解説をしてくれた。
何じゃい! わしゃ掠め取られたちゅう事か!?
「そういう事だねー。でも祝福は貰えてるみたいだよ。君の中に二つ? の輝きが見えるし」
つまり俺を呼び出した神と、神っぽいやつの祝福? ってやつか。どっちも恩恵を受けたように思えないんだが。あ、あれか。今まで殴る蹴るで何とかなってきたのが恩恵ってやつか?
「そんなもんか」
「で、君は何故ここに?」
「魔王にーー」
俺は簡単に今までの経緯を説明した。
この世界の料理が不味い事。
自分が作った料理は美味かった事。
これから何をするべきかはここに来れば分かると聞いた事。
アズラザオルはうんうんと頷きながら俺の話を聞いてくれた。そして最後に少しばかり難しい顔をしたがやはりうんうんと頷いた。どうやら自分の中で結論が出たようだ。
「いや、実に興味深い話だった。まず僕は転生者で、生まれた時からこの世界に存在している。その影響かどうかは分からないが料理を不味いと思った事がないんだ」
「そうなのか!?」
「ああ、事実だよ。料理なんか……。というのは少々失礼かな? 我々は料理の事を味の濃淡を問わず、ただ腹が膨らめば良いものとしか認識していない。それ故、この世界において料理人という職業の地位は低いものとなっている」
「ふむ……」
需要がないのなら立場が低くなるのも納得がいく。しかし魔王の料理人は随分と舐めた口を聞いてくれていた。地位が低いなりににも修行のようなものは必要なのだろうけどな。
「次に料理がそんな扱いだ。そこに繋がる作物であったり、食肉であったり、調理器具であったり。それらも随分とぞんざいな扱いになっている」
「なるほど」
興味がないから発達が進まない。需要がないから供給がなされない。そういう事か。
「最後に君が発見した……。思い出したという表現が正しいのかな。『美味』。それこそが君に与えられた祝福なんじゃないかと思う」
「祝福?」
「ああ、そうさ。どんな祝福なのかは分からない。でもそれは、この世界を今までとは違うものに作り変える程の力だ。もちろん腕力の、魔力の、知力の。そういった類のものではない全く違うベクトルの力だけどね」
「作り変える……か」
そう言えば、魔王も同じような事を言っていた。この世界の理がどうのこうのと。
「君が何をするべきかは僕には分からない。美味が理解できていない僕には君に助言を授ける事も出来ない。でも君が何をしたいのかは、君が理解出来るだろう?」
「俺がしたい事か……」
そうだな。せっかく美味に目覚めたんだしな。だったらやる事は一つだ。
「世界中に料理を振る舞ってやろうじゃないか!」