02/03
今日は朝から役所関連を回るつもりだ。
せっかくだから少しは印象を良くしようと思ってクッキーを作っている。煎餅は米が貴重なので大量生産がまだ出来ない。その上、大半の煎餅をアズマに食われてしまった。許さん。
ちなみに、警察と消防と兵所は同じものらしい。兵所の中に、戦闘、警備、消火の部隊があり、それぞれが指令通りに動くシステムだという。ならば衛生兵はというと、その分は病院から随時召集となる。
今回行くのは警備部と消火部だ。店のトラブルの対処と、もし火事になった場合の対処を依頼しておきたかったのだ。
それはそうとクッキー作りだ。
薄力粉……。は無いので小麦粉で代替品に。バター、タマゴ(卵黄)、砂糖、ついでに牛乳もちょっと入れてみるか。
とりあえず小麦粉はだまにならないようにふるいにかけてボウルに入れる。そこに常温でとろけさせたバター、タマゴ、砂糖を入れてかき混ぜる。
ある程度混ぜて、練りこめるようになったら手こねに切り替え、練り過ぎない程度で止める。
ここで一旦休憩。生地を軽く伸ばした状態で冷蔵庫にて一時間程寝かす。
取り出した生地をローラーで薄く伸ばして型抜きする。ハートとか花とか星の形可愛いな。
後は熱したオーブンで試し焼きだ。
まずは十分程焼いてみる。焼き色が甘い。後五分追加だ。
「お、良い感じ」
全部プレーンってのが少し気に入らないが、カカオもチョコもないから仕方ない。いつかどこかで手に入らないもんかな。
「あ、美味しそう」
どこから現れたのかアズマがクッキーを一個つまんで行った。
「うん、美味しい。クッキー? ビスケット?」
線引きがいまいち分からないので「クッキーだ」とだけ答えておく。
「これも売ってみる? 一袋、銀貨一枚とかで」
まあ、今は別に必要ないな。
アズマには「考えとく」と伝えると俺はクッキーを袋に詰めた。
「さて、行くか」
詰所に着くと随分と賑やかだった。当たり前の事だが、ここは訓練所も担っている。何やらかにやらでみんなが声を張り上げていた。
「警備と消火の部署に行きたいんだが?」
俺は門番をしている兵士に尋ねた。
兜の隙間から覗く髪の毛と、口元の髭の色は白く、彼がそれなりの年齢なのが容易に理解出来た。
「何か用かな? お若いの」
「今度定食屋をやるんだ。それで挨拶回りさ」
「定食? 料理屋かな? 挨拶回りとは良い心がけだな。わしは警備部の人間だ。話は通しておくよ」
「ああ。料理屋だな。メイン料理と、パンと、サラダと、スープをセットで売るんだ。もちろん食べて帰って良いよ」
「ほお、それは楽しみだな。値段は?」
「銀貨二枚だ。悪いけどバラ売りはしないからその辺はよろしくな」
「ふむふむ。銀貨二枚持って行けば良いんだな? 今度同僚を誘っていってみようかの」
「ありがとよ。あ、これ差し入れだ。みんなで食べてくれ」
「これは?」
「クッキーって言って……。アレだ。焼き菓子だ」
「ほお、焼き菓子か……。菓子なんかは貴族様の食べ物だからな。わしらは滅多に口に出来ん。ありがたく頂いておくよ」
「ああ、よろしくな」
「ああ、後は消火部だな。今はグラウンドで走り回っとると思うよ。行ってみな」
「ありがたい。俺はセト。あんたの名は?」
「わしゃ『ギネ』じゃ。わしが通したと言えば問題にはならんよ」
「おう、ありがとな」
良い爺さんだった。話も弾んで楽しかった。
それにしてもアズマ君、何故笑っている?
「ギネ……。ギネって」
「おいおい、人の名前を笑うなよ」
全くこいつは失礼なやつだな。
「違う、違う。あのギネって爺さん、警備部の部長さんだよ。たまにああやって外に出ては、睨みを効かしてるんだ」
は!?
「そんな偉いさんに余裕のタメ口とか、セト君やっぱり面白いわ。それにあれ賄賂じゃない? 逆に心象悪くしちゃったかもね? アッハハッーー」
「お、お前黙ってんじゃーー」
いや、間違いだ。言っても無駄だ。
こいつは面白い事が大好きだ。きっと黙って俺の様子を観察していたに違いない。やはりこいつは油断出来ないやつだ。
その頃、ギネは警備部長室にいた。
さっきセトからもらったクッキーの袋を指先で突きながら難しい表情で眺めていた。
ギネは菓子類が嫌いだった。貴族の会席などで口にする機会はあったがそれらはとにかく甘かった。砂糖だけで作ったのかというくらい甘味しか存在しなかった。それも手伝ってその後菓子類は一切口にしていない。
「ふむ……」
どうするか。ギネは考えていた。
これはいわゆる袖の下というものなのだろう。元々菓子は煙草や一級酒といった貴族の贅沢品の一つだ。売価は金貨一枚や二枚どころの騒ぎではない。それをあの男は気軽に手渡して来た。思わず受け取ってしまったがさてどうしたものかーー。
「クッキー……。と言っていたか。あまり聞かん名だな」
ギネは試しに袋を開けてみた。甘い香りが中から広がってくる。
「ふむ、なかなか良い香りではないか」
不意に腹の底から鳴き声が上がった。
そう言えば午後のティータイムがまだだったか。
「甘味だけでも小腹の足しにはなるだろう」
ギネは袋の中の一個を口の中に放り込むと、茶を入れるためにゆっくりと立ち上がった。しかし、そのまま元の椅子に座るとクッキーをもう一つ口の中に放り込んだ。
「美味い?」
軽く崩れる柔らかさ。同時に口の中に広がる程良い甘さ、バターの香り。今まで毛嫌いしてきた菓子とはまるで違う。これは美味い。
ギネは無言だった。無言のまま、袋の中身を半分程食べ進んでハッとなる。
「茶だ。これは茶に合う」
ギネは急いで熱い茶を入れると、クッキーを一個口に放り込んで、茶を口に含んだ。瞬間脳髄に衝撃が走っていた。
「これは……。フ……。フフフ……」
行かねばなるまい。セトの店に行って確かめねばなるまい。彼の料理を。そしてこのクッキーとやらを販売しているかどうかを。
いつの間にかクッキーは最後の一個になっていた。ギネの脳裏に優しい妻の姿が、力強く育った息子達の姿が、可愛らしい孫の姿が過った。
「いや、それはそれ。これはこれ」
ギネは最後の一個を口に放り込むと、味をゆっくりと楽しみ、最後に少し温くなった茶で流し込んだ。そして「すまん!」と小さく独り言ちると、部屋を出て行った。




