〈理不尽を正す〉美咲
終了間近の同窓会に現れた藤木は、柔和な表情を崩してはいなかった。
皆の関心は有名人になった木村に集まり、二人以外に藤木に気付いている者はいない。自分をいぶかしげに見詰める新藤に目線を移して藤木が言った。
「新藤、元気そうだな。全然変わってないな」
「藤木、お前も変わってないよ。日本に帰って来ていたんだ」
「アメリカで苦労したせいか、帰って来たら目付きが悪くなったって言われたがな」
嫌味なのか、穏かな表情で言う藤木の真意は分からない。表情、所作からは本心の読めない、したたかなは藤木がここにいる。昔の育ちのいい藤木ではない。何より同窓会に来た意図が分からない。新藤は警戒心を強めた。
「まあ、座れよ。同窓会やるって誰から聞いたんだ」
「木村の馬鹿が有名人になって、大人気者だな。人生の絶頂だ」
藤木は新藤に返事をするでもなく、木村の方を見てひとり言のように言うと、皆の輪の中心にいる木村の側に行き言った。
「木村、たいした人気だな」
木村は数秒記憶をたどるように藤木を見詰め、眼を丸くして言った。
「藤木か。その顔、忘れもしない、藤木だよね」
皆も木村に話し掛けた男を見て藤木と気付き、十二年前の記憶が甦り、驚愕の眼で藤木を見た。
「えらい言われようだな。行方知らずの失踪者が現れたって感じか。思ったことをそのまま口にして、お気楽者の木村らしいな。そのお気楽者のお前が有名人の人気者か。世の中分からないもんだよな」
皮肉交じりの藤木の言葉に木村は反応せずに言った。
「藤木も同窓会に呼ばれたの?」
「来ちゃ悪かったか。俺もクラスメートだったろ」
「そうだよね。いやあ、懐かしいよ」
招かれざる客の出現が、刺傷事件を起こした藤木の出現が突然の寒風となり、盛り上がっていた同窓会の熱気を急速に冷ました。
当時、後悔も責任も感じず、刺傷事件が面白おかしい昔話になっていた多くの同窓会参加者達は、藤木の姿により十二年前にタイムスリップして事件現場に引きずり戻されたような感覚に陥り、事件が現実感ある映像で脳裏に甦り、事件の当事者であったことの意識と切迫感が事件の再現を予知させ、場の空気を張り詰めさせた。
藤木は、同窓会が開催されることを知って三ヶ月、自分でも信じられぬ執念でこの日の為に行動して来た。全ては今日の為、奴等の〈理不尽を正す〉為。藤木は高ぶる情念を抑え穏やかな表情を崩さず木村から眼を逸らし言った。
「みんな元気そうだな。俺のこと覚えているか。忘れちまったか。金持ちのお坊ちゃんの藤木だ」
藤木は美咲に眼を移した。
美咲は藤木を見て微笑んだ。
「藤木くん来たんだ」
「ああそうだ、忘れてた。ママ、店の人が来てて、話したいことがあるから呼んでくれって言われてたんだ。下のフロントで待ってるよ」
「なによ、携帯に電話すればいいのに」
美咲はぶつぶつ言いながら部屋を出て行った。
「今日はみんなに見てもらいたいものがあって、お邪魔虫がのこのこと出て来たって訳だ」
藤木は、接客係のバンケットスタッフを呼び耳打ちした。
皆は藤木が何をやり始めるのか、不安げな面持ちで見ていた。
バンケットスタッフは藤木が予め依頼しておいた通り、プロジェクター、スクリーンをセットし退室した。
藤木は持参したノートパソコンをバッグから出し、プロジェクターのスイッチを入れ、ノートパソコンをセットしマイクを近付け音声も流した。
ホテルと思われる部屋に遠藤美咲が入って来る姿がスクリーンに映し出された。画像のぶれから隠しカメラで撮ったものと分かる。
美咲は憎悪を隠さない夜叉を思わせる顔で、椅子に座り驚きを隠せず美咲を見詰める男に早足で近付き、いきなり男の顔面に平手打ちを食らわせ叫ぶように言った。
「この泥棒猫が。お前、八年間どこに隠れてた」
男は美咲の激しい剣幕とびんたにたじろいたように、座ったままだった。
「何で俺のことを知った」
男は一瞬の間を置いて、カメラの方に目線を向け言った。
「お前!」
「そんなことどうでもいい。私を裏切って。お前を警察に捕まえさせてやる」
美咲は警察を脅し文句に使った。
「あれはお前が俺にした仕打ちへの、慰謝料と手切れ金なんだよ」
「そんな言い草が通ると思っているの。私を油断させて騙して、黙って逃げたのが盗んだ証拠じゃない」
「騙されたお前がアホなんだよ」
「何、開き直ってんのよ。この犯罪者が」
「どっちにしたってもう時効だ。逮捕できないんだよ」
「だったら金返せ」
「金も返さなくていいんだよ」
男はあざ笑うようにそっぽを向いた。
「私を舐めるんじゃないよ。お前、クラブ始めるんだって? 私も六本木じゃ名が売れたクラブやってんのよ。他の店のママや客やホステスに、お前がこそ泥の、女を食い物にするクソ男って言い触らして商売出来ないようにしてやる」
男は顔色を変え立ち上がり脅すように美咲の首の付け根を掴み、呻くように言った。
「そんなことをしてみろ。ぶち殺してやる」
この時、突然画像が乱れスクリーンには床と壁が静止画像のように映り、他の女の声が流れた。
「何やってんのよ。高田さん、やめなさいよ」
揉み合うような不規則な足音、何かがぶつかったような鈍い音、人が倒れる音が聞こえた。
「痛え、てめえ何しやがんだ、この」
苦痛に歪む男の声。女のかん高い声が男の言葉を遮った。
「高田さん、大丈夫。ママ大変なことしちゃったよ」
「正当防衛よ。こいつが私の首を絞めた。殺人未遂で訴えてやる。知恵、あんたが証人よ」
男の喘ぎ声。
「何言ってんだ。俺は首を絞めてなんかいないぞ」
「知恵、首に痣出来ている」
「はい、首の下に」
「お前が馬鹿力で私の首を掴んだ。痣が出来る程にね。これが証拠よ」
数秒音が消えた。
「待ってくれ、謝る。金も返す。お前が俺を灰皿で殴ったことも忘れる。警察沙汰は勘弁してくれ。頼む。俺は怪我してるんだ。血が止まらない。死んじまう。俺が死んだらお前も困るだろ。医者に連れてってくれ。お願いします」
「ママ、高田さんもこう言ってるんだから、救急車呼んであげましょう」
「知恵、救急車呼んで。それから私の体の証拠が消えないうちに写真撮って。こいつに誓約書を書かせるから」
画像が動いて、血だらけの顔を手で押さえうずくまっている男と、男を睨み付けているいる美咲の姿が映った。
ここでスクリーンは一旦パソコンのウインドウズ背景画面に変わり、違う映像が映し出された。
美咲がソファに座りタバコに火を付け、正面を見据えて煙を吐き出しながら前に座って盗撮しているであろう者に話し掛けた。
「知恵、一度店を辞めといて又働かせてくれって言うの? ちょっと調子良過ぎない」
美咲を映した映像は変わらず、くぐもった女の声が流れた。
「辞めた時は済みませんでした。ママの下で又働きたいんです。お願いします」
「店の娘に聞いたんだけど、こんなやりかたの店やってられないって辞めたそうね」
「他の店に行って良く分かったんです。うんと収入が減って。子供もいるし。歳だし。この世界で生きて行くのにやり方なんて構っていられないって」
「今の店でそうすればいいでしょう」
「やってみようと思いました。ママが教えてくれたやり方。この店にいる時は脅迫みたいでいやだなって思っていたんだけど、思い切ってやろうと思いました。ママが選んだ金持ちで奥さんがいる客に、エッチした後のベッドで不自然でないようにして自分の顔は隠して携帯で写真撮って、にっこり笑って、私達の記念写真にしましょうって言うやり方。でも私馬鹿だからどの客にしたらいいか、客が怒ったらどうしたらいいか分からないんです。やっぱりママの下じゃなきゃ駄目だって思ったんです」
「そう、客を選ぶの難しいのよ。気が弱いとか、奥さんが強いとか、すけべな奴とか難しいの。それに脅迫だなんて思っていたら思い切って出来ないわよ。何度も教えたでしょう。脅迫ってのはね、害を加えることを告知することなのよ。ぶっ殺すぞとか、秘密をばらすぞとかね。ただお客さんに記念写真撮ったって言ってるだけでしょ。害を加えるって何も言ってないのよ。だから脅迫にはならないの」
「本当ですか?」
「ちゃんとネットで調べたんだから。分かったわ。やる気がありそうだから働かせてあげる」
「ありがとうございます。働かせていただくお礼にママに一つ土産話があるんです」
「何?」
「ママ、私がこの店に入った頃、人探しの写真見せられましたよね。その人に会ったんです」
「何ですって。どこで?」
「私の知り合いに紹介されて。どこかで見た顔だと思っていたら思い出したんです。ママが探していた人だって。それでママのことを思い出して。この話ママに知らせたら又雇ってくれるかなって思って」
「間違いないの。良く覚えていたわね」
「ママ言ってたでしょ。人の顔を覚えるのもホステスの大切な仕事だって」
「それで、今どこに住んでいるか聞いたの?」
「聞いていませんけど、新宿でクラブ始めるとか言っていたから近くじゃないですか。携帯の電話番号聞いているから電話してみましょうか?」
「明日ホテルで会いたいって電話して。あいつ女好きだから絶対来る。ホテルは今予約するから」
ここで又、スクリーンはパソコンのウインドウズ背景画面に変わり、静止した。
藤木は恵子に代わる証言者に山口知恵を選んだ。子持ちでまともな生活を望んでいる。自分の会社の関連会社で管理職にでもしてやろう。
恵子から美咲の恋の話は詳しく聞いていた。当時の強い憤りが記憶に留め、恵子は高田の名前と住所の町名程度までは覚えていた。高田の窃盗から七年以上が過ぎ時効が成立している。何かと不便したであろう住民票を高田が動かすのではないかと思った藤木は、いつもの探偵社に高田の実家の所在と現況確認調査の依頼した。
祖母は存命で高田は変わらず消息不明だった。手掛かりを得ることを目的と告げ、消息を知りたがる祖母から委任状をもらい、最新の住所が記載される戸籍の附票を取得した。附票で住所の移転履歴が分かる。
結果は藤木の思惑通りだった。藤木は高田に接触し知人になった。藤木が書いたシナリオを演じた知恵は名女優だった。予想を超えた好結果になった美咲と高田の再会ストーリーも秀逸だった。藤木は満足し高田の現住所を探偵社から祖母に連絡させた。
会場の皆は、驚愕の映像による衝撃と、映した藤木の意図を計り兼ね、言葉もなく静まり返っていた。
皆の気持ちを代弁するように新藤が藤木に聞いた。
「これは事実か」
「見れば分かるだろう。事実だ」
「何で同窓会で、久し振りに会ったみんなに、遠藤のこんな事実をあばこうとするんだ」
藤木は沈黙していた。
この時、美咲が戻って来た。皆は同情と蔑視の入り交じった目付きで美咲を見た。
「藤木くん。探したけどどこにもいないじゃない」
「遠藤にはちょっと席を外してもらった。当事者にも見せておかないとな」
藤木は再び映像をスクリーンに映し出した。
藤木から少し離れた椅子に座った美咲は、自分の姿がスクリーンに映っているのを見ていぶかった。
(なんなのこれは)
だがすぐに映像が過去の記憶と合致し、隠し撮りされていたと気付き、自分の秘事があらわにされて行くのやめさせようとした。
「やめろ」
と叫び、藤木に走り寄りプロジェクターの電源コードを引き抜き、睨み付けて言った。
「何するんだ藤木。何でこんなことするのよ。店に来たのもこの為か。私を騙したのね」
「途中で消したって無駄だ。さっき部屋から出て行ってもらったろう。その間にみんなは最後まで見てるんだよ。知恵との脅迫話もな」
美咲は自分の秘密が皆の前で暴露された恥辱と衝撃に我を失い、その場に泣き崩れた。
「泣くしかないよな。あの気の強かった正義の味方のお嬢様も形なしだな」
藤木は美咲を蔑むように言うと、新藤が持ち前の正義感で顔を紅潮させ反発した。
「藤木、クラスメートだった遠藤をおとしめるようなことをして、許されると思っているのか」
「許される? 誰が許して誰が許さないんだ」
「ここにいるみんなだ」
「お前等に俺をどうこう言う資格があるのか。お前等も俺をとことんおとしめてくれたよな。それでもお前等は許されたんだよな」
やはり藤木は憎しみを引きずっていたのか。復讐の二文字が脳裏をよぎった新藤は、なだめようと藤木に近寄り口調穏やかに言った。
「確かにあの時は不幸な結果になってしまった。藤木一人が悪者になってしまったようで悪かったと思っている。俺も悪かった。この通り謝る。怒りを静めてくれないか。復讐なんか考えないでくれ。頼む」
新藤は深々と頭を下げた。
「復讐だ。何馬鹿なこと言ってる。俺がそんなちんけなことすると思うか。十二年前、正義面して偉そうに俺を断罪したお前等の本性が、俺を裁くのもおこがましい小汚い偽善者だってことはっきりさせてな、誰が正義だったのか証明しに来たんだよ」
「みんな正義でみんな悪だったんだよ。人間の何たるかも解らない、考えの浅いガキの頃のことだ。勘弁してくれ」
新藤は懇願するように言った。
「考えの浅いガキの為に、俺がどんな目に遭わされたか知ってて言ってるのか。ガキだったら何でも許されるのか。ふざけるな」
「お前もガキだったから俺を刺してしまったんだろう?」
「俺もガキだったからお前は俺を許したって言いたいのか? 許さなくていいんだよ。お前だけに俺は真実を言ったよな。だからお前は自分を刺した俺が憎めなかったんだろうが。新井が幹事ってことは、お前の甘っちょろい優しさで、正義のヒーローが正義をないがしろにしたってことか。新藤、お前も浅い男だな。これからその正義を証明してやる。黙って座ってろ」
正義をないがしろにしたと言われた新藤は、自分が真実を隠し新井をかばったことが思い出され、あの時の判断は正しかったと思う反面、自分の信条にもとる行為だったと一抹の後悔の念をぬぐい去ることが出来ず、口を閉ざした。
美咲の知られざる真実の姿を見て愕然としていた皆は、数人を除き、今度は藤木が言った真実は何なのかと推理小説の謎解きのような興味を持った。
新藤だけが聞いた真実。自分達が知らない何かがある。事件の当事者であった意識はあっても、所詮その場に居合わせた程度の当事者意識しかない彼らは、十二年前の真実を知りたい欲求にあらがうことは出来なかった。藤木プロデュースのドキュメンタリーを見るような、結末への期待の視線を無意識的に藤木に向けていた。
新藤を睨み付けていた藤木は、場の微妙な空気の変化を感じ取り、新藤が視線を逸らしたのを見てイベントのMCのような口調で話始めた。
「皆さん、遠藤美咲の衝撃映像、どう思いましたか。これは隠された犯罪ですよね。暴行罪に脅迫罪。もう一つ疑惑の脅迫罪。我々善良な市民には犯罪を告発する義務があると俺は思っています。犯罪になるかどうか専門家の判断に委ねますか? 皆さんどうしますか? 告発するにしても、何の事情も知らなかったら判断できませんよね。情状酌量の余地があるかも知れない。遠藤のプライバシーに触れることになりますが、犯罪であるかないかの重要なことですから止むを得ませんね。遠藤と親しい、事情を知る人の証言があります」
「もう私の話はやめて、お願いだから」
美咲は泣きながら懇願した。
「遠藤の店はくつろげていい店だよな。ママがいい。素敵なママだ。俺はお前の店に行ってつくづくそう思ったよ。そんな素敵なママが裏でこんなことやってて、偽善者そのものだよな。俺を糾弾した時の正義感もいんちきだったんだろうな」
美咲は涙に濡れた眼で藤木を睨んだ。
藤木は美咲に対する〈理不尽を正す〉思いは果たしたと思った。美咲への正義感の刺激も忘れなかった。
「藤木、一別以来だな。お前と再会して何度も会って話しをしたが、どうしてもお前がこんなことするようには思えないんだ。そんなに俺達を恨んでるのは、俺達がお前を何か誤解してたってことか。新藤に言った真実か。藤木言えよ」
高松が率直な疑問を口にした。
「高松、あの時お前と喧嘩しそうになったけれど、俺はお前を恨んでいない。そのうち明かす。今は黙っててくれ、頼む」
藤木はICレコーダーを取り出しスイッチを入れ、内蔵スピーカーにマイクを近付た。恵子の邪気のない透き通った声が場内に流れた。
藤木は恵子に証言の文章を書かせ内容をチェックし録音していた。恵子にも隠し撮りをした映像を見せた。その時恵子は、この男見付けてくれたんですか、とぽつんと言った。後は悲しそうな顔をするだけだった。
美咲は恵子の声を聞き驚きの表情を浮かべて思わずつぶやいた。
「恵子なの」
私は樋口恵子と申します。美咲の友達です。美咲とは幼馴染で大学で再会し親しくなりました。私は引っ込み思案な性格で積極的に友達を作ることも出来ず、友達は同じ大学に入った高校の知り合いくらいしかいませんでした。
美咲は、同窓生の皆様もご存知だと思うのですが、明るくて前向きだから友達は多いようでした。ですが、ずるいことをする人には持ち前の勝気な性格で、歯に衣を着せぬ言い方をしてしまって、みんなに引かれて本当の友達は余りいないようでした。
そんな正反対な私達が親友になれたのは、今考えても不思議に思います。私は前向きで間違ったことを許さず、はっきりと物を言える美咲に憧れました。本当に美咲は正義の人だったのです。
大学に入って少しして私はある男性に恋をしました。とても優しい人でした。でも信じられない不幸が待っていました。彼が事件に巻き込まれ殺されてしまったのです。
私は絶望しました。死にたいと思いました。何も考えられずただ泣いていました。数週間は生きた屍のようでした。私が一人暮らしで美咲がいなかったら孤独死していたかも知れません。そんな私を立ち直らせてくれたのは、献身的な美咲の友情です。
美咲とは、彼の死の後から一緒に暮らし始めました。美咲は大学も休んで私の側を離れず、時にはだらしない私を叱り、時には癒し慰め、心の支えになってくれました。ありきたりの友情や心ではそこまで絶対出来ません。
美咲の心には人を大事に思う気持ち、優しさが満ち溢れているのです。私はあの時のことを心から感謝しています。
それなのに、美咲が不幸に遭った時に私は何も力になれなかったと、今でもとても悔やんでいます。
美咲のお母様が末期の癌になられました。不幸は重なるもので、事情は知りませんがお父様が職を失われました。お母様の病気の心配と、大学を続けられなくなる不安。でも前向きな美咲は負けなかった。しっかりお母様のサポートをして、学費と生活費を稼ぐ為にアルバイトを始めました。小遣い稼ぎではなく、生活していかなくてはならないので、それなりに収入のあるキャバクラで働きました。
美咲がしてくれたように、いつも美咲の側にいられるようにと思って私も一緒に働きました。逆に足手まといになって、何も役に立てませんでしたけど。
皆様の知っているあの美咲が酔っ払いの接客をする。皆様、考えられますか?
美咲は仕事と割り切り接客をしました。あでやかで、洗練された会話をする美咲に客の人気は集まりました。このことと美咲の性格が他のホステスの敵対心を生み、陰湿ないじめを受けました。辛かったと思います。辞められませんから。
私が慰めたら『恵子が側にいるから元気でいられるよ』って逆にねぎらわれました。
美咲はめげなかった。勝気な性格を閉じ込めて、美咲をいじめていたホステス達に近付いて、悩みを聞いたり助けたりして、いつの間にか彼女達の心に美咲がいました。美咲は本当に凄い人です。私になんか絶対出来ない。
今、美咲は一流有名クラブのママです。クラブと言うと男性がホステス目当てに女性と接する場所と思われるでしょうが、私達は仕事を終わって家に帰るような安らげる場所、女性に接する楽しさと、愚痴とか自慢とかを言えて、日頃のストレスを発散出来る場所を目指していましたから、ここまで来るのにとても苦労しました。
世の中不景気になりました。ありがたいことに、お店を愛して下さる常連さんは多くいらっしゃいます。でも世間にお金が回らなくなって、常連さんがお店に来て下さる回数も減りました。とても厳しいです。お店を維持する為に美咲は身を粉にして、のた打ち回るように必死に努力しています。でも辛さを私に見せません。そんな人です。
何でそんなに頑張るのかって思いますか?だってクラブは一生懸命生きて来た美咲の人生そのものなのですから。私の人生でもありますが。
私も頑張っていますが、そんな美咲の助けになれない無能な自分が恨めしいです。
美咲のやり方は決して許される物ではありません。美咲の心の迷いでした。自分の人生をなくさない為の。それ程美咲は必死でした。
今、美咲は過ちに気付き心から反省していると思います。美咲は曲がったことが大嫌いな人です。それは皆様が一番良くご存知だと思います。
それから、皆様がご覧になった男性。彼は美咲の初めての純愛を裏切った男です。美咲のひた向きな愛を踏みにじり、騙し、五百万円を持ち逃げした男です。許されてはいけない男なのです。
今日、部外者の私が勝手にお話しさせていただいたのは、高校時代の何年間か縁あってお互いを知り合われた同窓生の皆様に、美咲へ激励の一言でも掛けていただければありがたいなと思ったからです。旧友の皆様の一言にどれだけ美咲が勇気付けられるか。お願いします。
美咲、あなたの許しも得ずに余計なことを話してごめんなさい。私にとってあなたは大事な親で姉妹で親友。あなたがどう変わっても大切な大事な人。私は力がなくて頼りないから存在感は薄くなったかも知れないけど、力の限り頑張るから、前みたいに苦しくても達成感があって楽しかった毎日に戻ろう。
藤木はICレコーダーのスイッチを切った。
美咲はうつむいて聞いていた顔を上げ叫んだ。
「恵子、いるんでしょ。出て来て、お願い」
藤木は、美咲に辛い思いをさせる自分を見せたくない。来ても会場に入れない。結果はすぐに連絡すると言い恵子を来させてはいない。場所も教えなかった。自分の真の目的を恵子に知られたくなかったから。
藤木は言い聞かせるように小声で言った。
「恵子は来ていない」
美咲は聞いていない。恵子がいるのを確信しているように再び叫んだ。恵子に同窓会の場所を聞かれたのを思い出し、何故聞いたのか今思い当たった。
「恵子、出て来て、お願い」
再度、藤木が美咲に話そうとした時、バンケットルームの少し開いたドアの陰から顔を見せた恵子が美咲の前へ走り寄った。藤木は唖然とした。
「美咲、ごめんね」
美咲は走り寄った恵子に抱き付き頬を涙に濡らした。恵子の眼からも大粒の涙が落ちた、
「恵子、ありがとう。こんな冷たい私を恨まずこんなに思ってくれて。私やっと気が付いたの。恵子にどれだけ酷い仕打ちをしていたか。私が本当に馬鹿で愚かな女になっていたか。優しいお母さんに甘える我儘な子供みたいだったね。許してね、恵子」
恵子は何かを話そうとしたが言葉にならず、ただ美咲を強く抱きしめた。
皆の眼にはスポットライトを当てられて浮き上がる、再会の一シーンのように見えた。
男達は美しい二人の女の抱擁をまぶしそうに見詰め、女達は感情移入し涙ぐんだ。
藤木にとっては意外な展開であった。だが大いに満足した。
次がある。恵子を会場から出さなくてはならない。藤木は同窓会に乗り込む時間まで待つ為に取った、バンケットルームの控え室に二人を行かせることにした。
「皆さんに聞くまでもありませんね。皆さんの判断は犯罪ではない。告発はキャンセルにしましょう。二人は感情が高ぶっています。別の部屋で休んでもらいましょう」
藤木は二人の側に行き部屋番号を告げ、促すように二人を立ち上がらせた。
立ち上がった恵子は一礼して言った。
「今日は済みませんでした。美咲をよろしくお願いします」
うつむいたままで会場の雰囲気の変化を察知していない美咲は、居心地の悪い会場からら逃れられると安堵の表情を浮かべ、ドアの方へ歩いて行った。
「遠藤、今度店に行くからな。頑張れよ」
投げかけられた言葉に美咲は、はっとして振り返った。そこには刺々しさが消えた皆の笑顔があった。恵子の顔を見た。微笑んでいた。
二人が会場を出て行く姿を見ながら新藤は人間の単純さを見た。あの恵子と言う女が皆の気持ちを変えてしまった。それは好ましいと思ったが、その変化を推測出来るであろう藤木が何故恵子に証言させたのか。そこに新藤は違和感を覚えた。あれだけ憎々しげに遠藤に毒づいた藤木が、ハッピーエンドに満足した顔をしている。嬉しそうでもある。何かあるのか。藤木が読めない。高松も同じような感覚を持った。