しのびよる悪意
横浜の港に面したシティホテルのバンケットルーム。
窓から見える横浜港のパノラマ。白い航跡を残す、港を行き交う船の動きは緩慢で、窓枠をフレームにした写真のように見える。
ディナースタイルに配置された純白なテーブルクロスの丸テーブルが六卓。この部屋で三十人程の男女が歓談していた。
歳は皆三十歳くらい。高校の同窓会が催されているのだ。同窓会は高校卒業後お節介なまとめ役がいなかった為、一度も開催されていなかった。
この同窓会の開催を推進したのが、当時のクラスで一番の目立ちたがり屋だった新井慎二。
風貌に個性はないが、人懐っこい笑顔が印象的なクラスのムードメーカーだった。人を笑わせることに喜びを感じる男子。いわゆる、お笑い芸人予備軍を絵に描いたような男子。今は絵に描いたようにお笑い芸人になっているが、余り売れていない。
今回率先して面倒な幹事役になり、さほどまとまりのなかったクラスでの同窓会を苦労して開催に漕ぎ着けたのは、皆の口コミを使ってでも自分の名を売るという目的が大きいのだが、誰もこの意図には気付いていない。目的はどうあれ、この手の人間がいないと、利害の関係しない同窓会のような会合の開催は難しい。
会の冒頭、当時の担任教師の挨拶と乾杯の後、目的達成の為、幹事の立場を利用し自分の現況を大いにアピールした。頼まれもしない芸も披露した。引き気味の雰囲気の中、新井の目的は達成出来るのであろうか。
「新井」
当時のリーダー的存在であった高松信也が不快そうに発言した。
「お前ばっかり目立ってねぇで、他の奴にも話をさせろよ。順番に現況報告をしようか」
品のある端正な顔立ちには似合わない、ぞんざいな話し方だ。
「現況報告はいらないんじゃないの。プライベートのことは公衆の面前で話したくない人もいるんじゃない」
出席している女達の中で、目だって垢抜けた、セレブっぽい雰囲気を漂わせる遠藤美咲が話を遮った。
いわゆる、清楚な美少女であった高校時代の印象とのはなはだしい差異が高松の記憶を混乱させたが、面影を残す顔かたちと、いつも出しゃばって来る話し方で、高松は美咲と認識した。
高松が言う。
「俺らクラスメートが公衆かよ。もっと深くねぇんか。寂しいこと言うなよ」
「私達そんなに深かった。同じ教室で勉強しただけじゃないの。プライベートでどこか遊びに行ったことあったっけ。それに結婚しているだの、独身だのってセクハラよ」
「そんなこと言えって言ってねえじゃねえか。あんたがそれを言いたくなかっただけじゃねえのか。それに、そんな深くない奴らに会いに、会費まで払ってよく出てきたもんだな」
「あなたとは全然深くなかったけど、会いたい人はたくさんいるのよ」
「遠藤も全然変わってねえな。言いたいことをずけずけ言って。わかったよ。現況は関係ない。何か言いたいことを順番に言って行こう」
「待てよ。変わっていないのは高松だろう。早速仕切りやがって。仕切るのは同窓会実行委員長の俺だろ」
「うるせ。新井が同窓会、同窓会ってしつこく言うから出て来てやったんじゃねえか。お前、お笑い芸人で売れねえから、みんなに自分のライブのチケットでも売りたかったんじゃねえのか」
新井は自分の同窓会への目的の後ろめたさからか口ごもっていると、新井を代弁するように新藤栄太が言った。新藤も高松とクラスを二分するリーダー的存在だった。
「高松、ちょっと言い過ぎじゃないか。新井はみんなに会いたくて、誰も企画する奴がいないから損得抜きで、自分が率先して、みんなの現住所を探して、名簿を作って、一生懸命やったんだ。そのお蔭でみんなと会えているんだぜ。仕切りは新井に任せよう、なあ、みんな」
新藤は同窓会の件で新井からいろいろ相談を受けていた。
「新藤、お前も相も変わらず正義の味方か? 新井みたいな、おちゃらけたお笑い芸人が、俺達の同窓会を仕切っていいのかよ。テレビのバラエティ番組じゃねえんだぜ」
「お笑い芸人がおちゃらけるのは当たり前だろ。それにお笑い芸人は頭の回転が良くないと出来ないんだよ。仕切りのプロだ。結婚式なんかの司会を頼んでも金が掛かるんだ。新井がクラスメートだったお陰で、ただでお笑い芸人に司会をしてもらえるんだぞ。逆にお礼を言っていいくらいだ」
「お前らしい滅茶苦茶な理屈だな。第一に、お笑い芸人イコール頭の回転がいいと言う前提が間違ってんだよ。それは売れてる芸人に言えることだろうが。みんな、高校ん時、新井がそうだと思ったことあったか? まあいいよ。俺も新藤と議論する為に今日来たんじゃねえからな。みんなに会えると思って来たんだ。そういう意味では、確かに新井のお蔭でみんなに会えたんだよな」
高松は矛を収めた。新藤と高松。当時、二人とも文武両道に長け、言わばクラスのライバルであり、競い合っていた。
高松は理知的で冷静な思考が行動の基準で、他人と深い感情の交わりを持たず、その分冷たさを感じさせたが、理路整然とした言動は仲間から信頼を得ていた。優秀なキャリア官僚と言ったところだ。高松は自分のそんな雰囲気を嫌い、ワルっぽい言い方や態度で偽悪者を演じていた。その演技は大根役者並だったが。
就職してから偽悪者は卒業していたが、同窓会では高校生に戻っていた。
一方、新藤も理知的ではあるが、感性が優先される性格の男だった。時に感性が理知性を駆逐し、先天的に与えられた顔貌と感性による言動が、相手の感性を大いに刺激し、相手の心にするっと入り込んでしまう。天性の人たらしと言えるのかも知れない。一つの才能である。
眉目秀麗なイケメンとは言えないが、二重の大きな眼と、吸い込まれるような、深みのある黒く大きな瞳が、新藤の顔貌印象を決定付けていた。新藤の所作・表情・会話がこの顔貌と相まって、性格の良さを窺わせ、相手の警戒心を奪う。
全ての人間ではないが、新藤の瞳に見詰められると人は、男も女も、言いようのない気恥ずかしさを感じ、どぎまぎしてしまう。感性に心のひだを振動させられ、この時人の心は無防備となり、警戒心もなく相手を受け入れてしまう。
新藤のこぼれんばかりの笑顔が、人の心を虜にする。犬好きの人がトイ・プードルに見詰められた時のように。恋愛感情とは異質な、理性を超えた心で好かれる人間は少ない。ファンの感覚に近いのかも知れない。
新藤は近しい人が苦難に遭遇したりすると、時には損得無関係で、無私と思えるような行動で援助を行う。この行動が相手に感動を与え、この時は理性的にも新藤の虜になってしまう。
だが新藤は誰にでもこのような態度で接するわけではない。好き嫌いのようなものがあるのだ。性格が麗しいひと、素直な人、裏表のない人。単純に言うと新藤の価値基準で好ましい人だけがその対象になる。新藤が好ましいと思った人が、客観的に誰にとっても好ましい人とは限らない。新藤の感性による感覚的判断だ。
勿論初対面の人の、人となりは分からない。初対面の時には人見知りの一面を見せる。相手を見詰めることもなければ、こぼれんばかりの笑顔も見せない。普通の顔の新藤だ。だが人当たりは良い為、概ね相手に好印象を与える。
新藤の基準で好ましい人でないと判断した相手への態度は峻烈を極める。議論をしても一切妥協しない。相手をとことん追い詰める。泣き出してもやめない。こんな新藤の性格が、逆に新藤に対する好き嫌いを発生させ、クラスメートの支持が二分している原因となっていた。この、人に対する好悪の激しい性格は、新藤の生い立ちに起因していた。
新井は場の沈んだ空気を払拭しようと、ことさら明るくおどけた調子で、新藤のお蔭で取り戻せた同窓会の進行を始めた。
「いや~、懐かしいね。久し振りの二人のバトル。今回は俺がテーマだったけど、当時のハイレベルな議論バトルから言えば、俺がテーマじゃレベルが低かったかな~」
高校のクラスでは高松と新藤の言い合いは日常茶飯なことだったが、十二年ぶりのやり取りに、皆懐かしさを感じた。
新井が三十代になった年相応な顔で、昔と同じようなおどける姿に、気分はその時に戻り、自分たちはクラスメートだったのだという連帯感のような感覚が醸し出されて行った。
一人ずつ全員のショートスピーチが終わり、会はそれぞれ同じテーブルに座る者同士の歓談に移って行った。
新藤と高松は隣に座っていた。
お互い言い合い、議論は当たり前のことであったので、気にも留めていなかった。だが、十二年振りの為か、多少の気まずさもあり、二人とも無言で自分のグラスを見詰めていた。このフリーズした雰囲気を解凍する言葉を探しながら。我慢弱い新藤は気まずい沈黙に耐え切れなくなり、考えもなく感性的に口を開いた。
「あ、高松は前より可愛くなったな。ぽっちゃりしたせいかな。もてるだろう」
高松の表情が一変し、怒気をあらわにして言った。
「何を、お前、喧嘩売ってるのか。男に可愛くなったはないだろうが。男にもてるっていうのか」
高松は、愛くるしい大きな目と、長い睫毛のせいか、小学生低学年まで、女の子に間違えられることが多かった。以後も周囲のそんな目がいやで、ワルぶった態度とも矛盾しないよう、高校生になってからは長い睫毛を短く切っていた。だが近頃では、強い個性として感じられ、そんな自分の眼が嫌いではなくなっている。
あの常に冷静で、クールガイで鳴らした高松が感情をあらわにして怒っている。怒らしてしまった。思わぬ展開に、新藤は混乱し、修復に必死になった。
「ごめん。そんな意味じゃないんだ。謝るよ。感じたことを口にしちゃう俺の悪い癖だ」
「女みたいに感じたってことだろうが。お前、高校の時からそう感じてたってことか。男女って」
「違うよ。お前は男の中の男だ。正義感、義侠心、腕力、どれを取っても俺が唯一認めた男だ。可愛いって、強い男という観点から見ると相容れない概念かも知れないけど、女に特定された言葉じゃなくて、愛すべき対象に使う言葉なんだよ。近頃じゃ何にでも可愛いって言って、困ったもんだけどな。俺は言葉の使い方を間違えた。変える。男として魅力的になったな」
高松は怒りの表情を残していたが、腹の内では笑っていた。論客の新藤があたふたするのを初めて見た。おかしくて大笑いしていた。これがこの男の魅力だなと感じながら。
高松は笑いそうになるのをこらえ言った。
「わかったよ。お前の真意はわかった。それにしても、新藤の困った顔を見るのも悪くないな」
ここまでが笑いをこらえる限界だった。高松の怒りの表情から、突然笑いが噴出した。
新藤は急に笑い出した高松をいぶかしく思いながら、内心ほっとして言った。
「何笑ってんだよ。何か俺がおかしいこと言ったか」
「悪い、悪い。俺もお前が可愛くなって来たよ。お前の言ういろんな意味でな」
「言ってる意味が分かんないよ。でも俺の気持ちが分かってくれて良かった」
二人の間に有った気まずさも溶け、仕事の話になり名刺を交換した。
新藤は高松の名刺を見て以外な思いがした。高松は皆がそう思うであろうキャリア官僚になったと思っていたが、芸能プロダクションで芸能界の仕事をしていると言う。
大学を卒業して大手電機メーカーに就職したお決まりコースの自分と比べ、実際のことは判らないが、面白い人生を送っていると、新藤は多少の羨ましさを感じた。
売り上げ目標に尻を叩かれる営業の仕事に、少し嫌気がさして来ていた時であったからそう感じたのかも知れない。
「高松が芸能界ね~。今頃、霞ヶ関で課長くらいになって、バリバリやっているんだろうなと思っていたよ」
その面持ちは、以外だという気持ちを隠していない。
「新藤だってそうだろう。舌鋒鋭く、主義主張を前面に押し出して人の心を掴む政治家にでもなっているんだと思っていたよ。まさかエリートサラリーマンとはな」
衆人の中での議論と違い、新藤と二人で話す時は、高松の悪ぶった話し方は影を潜める。素の自分が出る為か、無意識にそうなってしまう。
「エリートじゃなく、落ちこぼれだがな」
あの絶対的自信家の新藤が、冗談でも言わなかった自己卑下をした。十二年の歳月は、あの新藤さえも変えてしまうのかと高松は思った。
「俺も高松みたいな創造性のある仕事をしたかったんだが、許される環境になくてな。安定第一、あさっての自分の姿が見える選択しかなかったんだ」
大学当時、新藤は母一人子一人の家庭であった。母は病気がちで収入はなく、僅かの蓄えと、奨学金とアルバイトで生活を支えていた。弁護師になり、行く行くは政治家になりたいという願望はあったが在学中に司法試験をパスできず、そんな状況で望む道を進む選択肢はなかった。
「そうか。事情はわからんが、お前もいろいろあったんだな」
高松は敢えて事情を聞こうとはしなかった。そういう性格の男だ。
「自信家のお前が冗談でも落ちこぼれっていうくらいだから、今の仕事面白くないみたいだな。安定第一の環境は変わっていないのか?」
「当時おふくろと二人暮しでな。おふくろの面倒を見なきゃいけなかったんだよ。そのおふくろも二年前に死んでな。環境は変わったんだけど、この歳になると方向転換は難しいよ」
新藤が淡々と話す思いを聞き、張り合っていた高校時代にはこんなことはなかったことに高松は気付いた。
お互いにプライベートの事情など話したことはなかったし、気にもしなかった。今思えば、あの時は知人であっても友人ではなかったのかも知れない。遠藤美咲が言った、同じ教室で勉強していただけだったのか。一番気にしていた相手が友達ではなかったのか。自分が思う友達の形から言えば単なる知り合い。それも自分が新藤を議論相手としか扱っていなかったのか。
そんなことはない。いつも新藤のことが頭の中にあった。気になっていた。負けたくなかった。負けない為にいろんな努力をした。
十代の多感な自分に最も大きな影響を与えた存在が友達ではないというのか。違う。友達だ。足らないのは友達である定義の重要な部分、心の交わりが欠落していただけなのだ。それも暖かい心の交わりが。だったら今から交わりを持てばよい。そうすれば友達だ。高松は得心した。
高松は物事を突き詰めて考える性格だ。ディスカッションの時は考えがまとまっているのでそんなことはないが、他人との会話の最中に疑問に気付くと、この癖が出ることがある。心ここにあらずの状態になり、変人扱いされることもある。だが高松の頭の回転は速い。長くて数十秒だ。
話の途中で、何か考え込んでいるようで、高松の反応がなくなった。
「高松、何考えてるいんだ」
「いや何でもない。お前らしくないな。少なくとも俺の知ってるお前じゃあない。勿体ないよ。お前ほどの男がつまらん仕事をして。いろいろ言い合いをしたが、俺はお前を認めていたんだぜ。それが歳を理由にして、楽な現状に甘んじ、新藤はそんなぬるい男になったのか」
高松はちょっと変わったのかなと新藤は思った。
偽悪者を気取り、高校時代と変わらない直接的物言いは健在だ。新藤を論破する為なら言葉を選ばず攻撃した。今も言葉を選ばない所は変わっていないが、新藤の現状を心配する優しさがある。高松の優しさは生まれつきだ。齢を重ねた分だけ、若者故の青いこだわりが溶け、自分の優しさを表現できるようになったのだろう。
新藤は高松の心に秘められた優しさを知っていた。だから言い合いをしても、嫌いにはならなかったし、新藤の基準で好ましい人の部類に入っていた。高松との激烈な議論も、他の嫌いな奴を叩き潰す議論とは違っていた。議論の為の議論。勝ち負けを競うスポーツのようなものだった。
きつい言葉の中に高松の優しさを感じ、優しさを見せるようになった高松に、好い奴になったなと新藤は嬉しくなった。
「お前も相変わらずきついな。お前の言う通り今の俺はぬるい。結構いろいろ考えていたんだけどな。考えていただけだった。今日、お前と話せて良かったよ。席を隣にしてくれた新井に感謝だな」
「お前素直になったな。前のお前なら倍反論して来たぞ。もっときついことを言ってストレスを発散してやろうと思っていたのに、俺より大人になりやがった」
「俺は昔から素直だよ。お前に負けたくなかっただけだ。それにお前が俺のことを心配してくれるとは思っていなかったんでな」
「別に心配したわけじゃない。俺が唯一認めたライバルの体たらくさに腹が立っただけだ」
今まで見たことのない、新藤が見せた、新藤特有のこぼれんばかりの笑顔に、高松の理性は感性に主導権を奪われ、新藤を好きになって行く自分を止めることは出来なかった。
「何をしたいのか見つかっていないのか。今度俺の仕事を見に来ないか。自分の知らない世界を見るのもいい経験になるかも知れないぞ。気に入ったら俺の業界に来いよ。俺が責任を持って仕事の世話するよ」
「ありがとう。焦らずじっくり考えてみるよ。でも友達っていいよな。十二年会っていなくても、身の上話が出来るんだもんな。連絡するよ。ところで、お前の所に有名なタレントはいるのか。美人タレント」
ベイビューの窓の景色は宵闇が訪れ、点在する光がきらめく横浜港の夜景に変わっていた。
午後4時から始まった同窓会も終わりが近付いていたが、参加者達は皆、酔いも手伝い、懐かしさ効果か、お互いが高校時代の何年かの記憶を共有している仲間だという気分が高まり、大いに盛り上がっていた。
社会に出て、永く人間社会の厳しさ、寂しさ、疎ましさを実感して来た彼らにとって、仲間と思える者達との宴は久し振りの癒しの一時になっていた。
皆好き勝手に席を移り、当初の秩序は失われ、あちこちに人の塊が出来ていた。新藤もあちこち渡り歩き歓談をしていた。そんな中、新井は空いた席へ新藤を招き、話し始めた。
「いや~、最初はどうなるかと思っていたけれど、えらい盛り上がりようだな」
「働いてからの真の友達は出来ないって言うからな。やっぱ利害がからむし、出世の競争相手でもあるしな。みんな結構辛い思いをしているんじゃないか。学生時代の仲間はいいよ。気を遣わなくて済むもんな。気に食わなかったら言い合ってさ、次の朝おはようで終わりだ。」
「新藤もお気楽者だな。おはようで終わりはお前だけだと思うがな。そろそろ時間だ。宴もたけなわですがお開きって終了宣言するか。でも終わりたくないな。みんなからも文句が出そうな雰囲気だ」
「時間じゃしょうがないよ。今日は本当に楽しかった。新井のお蔭だ。みんなもお前に感謝しているんじゃないか」
「お前、相変わらずいい奴だな。そう言ってくれると苦労した甲斐があるよ」
意図した当初の同窓会の目的を新井自身が忘れていた。だが皮肉なことに芸以外で得た好感度が、今後皆の口コミで新井の名前を大いに売ってくれるであろう。
「二次会どこに行く?」
新井が聞いた。
「俺の行き付けの店があるんだ。みんなを誘って行こうぜ」
新井が閉会宣言しようとした立ち上がった時、男が駆け込んで来た。
サングラスを掛け、男性ファッション誌から抜け出て来たようないでたちで、私は芸能人ですと背中に張り紙を張っているような分かりやすい、軽薄そうな男だった。
男は新井を見つけ、走り寄って来た。
「新井、遅れて悪い。テレビの収録が押しちゃてさ」
「誰だっけ。サングラス取れよ。あっ、木村か。芸名、駒添翔」
「グラサンしているのに良く分かったね」
木村がサングラスを外しながら言った。一重まぶたの大きな眼に、高校時代には感じられなかった眼力を漂わせている。
「私は芸能人ですって言う格好してりゃ分かるだろう。隣のクラスの清水に会ってさ、お前のだちだったんだってな。木村が駒添翔だって聞いてびっくりしたよ。クラスでタレントになったの木村だけだ」
「タレントじゃない、個性派俳優だ」
「…………。お前も俺がよく分かったな」
「みんなそんなに変わっていないよ。それに芸能界に入ったのは新井と俺だけだよね。俺も清水から聞いて、たまにお前のライブ見に行っていたんだよ」
「気に掛けてくれてたんだ。余り売れちゃいないけどな。それより、もうお開きの時間だよ。一応、個性派俳優、駒添翔をみんなに紹介しておくか」
新井は立ち上がり、皆に向かって言った。
「皆さん、そろそろお開きの時間ですが、大遅刻で木村が来ました。知っていると思いますが、木村は我がクラスで唯一の有名人。テレビのドラマによく出ている駒添翔です」
「え~、やっぱ駒添翔って木村だったのか。似ていると思ってたんだよな」
「わ~、本物の駒添翔よ。でも木村君の印象って余りないのよね」
皆が好き勝手なことを言い合い、会場はざわめいていた。だが皆にとって十分なサプライズとなり、興味と視線は木村に集中した。
「木村、何か話せよ。時間がないから簡単にな」
新井が促した。
「みんな、久しぶり。俺、高校の時は目立たなかったから、今の俺とくっつかないかも知れないけど、正真正銘の木村隆司。高校の時から演劇部に入っていて役者になりたいと思っていたんだけど、いつのまにか有名俳優になっちまったんだよね。大した努力をしたわけじゃないんだけど、まあ俺の運命かな。今度、俺の舞台招待するから、みんな来てよね」
有名人の自分を誇示しているのか、謙遜しているのか判然としない物言いに、思慮のある者は木村に人間の薄さを感じ、テレビで見る駒添翔とのギャップに実像と虚像の存在を現実的に実感しその怖さを学ばされていた。だが多くの者達は、ミーハー的気分から、木村隆司よりも、有名芸能人、駒添翔への興味と憧れが膨らんで行った。ミーハ達が木村を取り巻き近くの椅子に座らせ、サインをねだったり、体を触ったり、混乱状態になっていた。
そんな時、バンケットルームのドアが静かに開いた。入ってきたのはホテルの接客係ではない。男は落ち着いた足取りで新井の側に歩み寄り、前に立った。
新井は木村を中心とした馬鹿騒ぎを新藤と冷ややかな眼でみていたが、突然自分の前に立った男を見て驚愕の表情を浮かべた。
がっしりとした大きな体躯。高貴さが漂う切れ長の眼。忘れようとして、忘れられない顔だった。この同窓会のクラスで起きた事件の当事者、藤木龍善。まさか藤木が来るとは。誰から同窓会のことを聞いたのか。新井は混乱していた。
「たっちゃん、どうして」
「慎、久し振りだな。同窓会盛り上がってるじゃないか。おお、懐かしい顔が揃ってる。お前が幹事なんだろう? お誘いがないのは、何かの手違いか? 新井が俺のこと忘れるはずないよな。親友の俺を」
男は懐かしさに溢れたにこやかな表情で言った。新井は怒気のない顔に安堵したが、男の切れ長な目の奥に揺らぐ青い炎に気付いてはいなかった。
新井は伏し目がちに言った。
「忘れる訳ないじゃないか。たっちゃんは一学期で転校して、俺たち疎遠になって、アメリカへ行ったって聞いていたから日本にいないと思って探さなかったんだ」
「三年前に帰って来てな。まあ俺が連絡しなかったのが悪かったんだよな。疎遠になったのも俺が悪い。いろんなことがあったけど、お前とは小学生からの付き合いだもんな。そんなお前に何も告げずアメリカへ行っちまってな。お前が俺のことを探さなかったのも無理ないか。でも一学期だけだってクラスメートに変わりはないだろう。同窓会のことを知った時は寂しかったぜ」
新井はいぶかしく思った。あれだけの事件を起こしクラスメートと完全に断絶して謝罪もなく去った藤木が、この同窓会に来れるはずがない。俺へのいやがらせか。みんなに白い目で見られて、不快な思いをすることが分かっているのに、そんな理由で来る訳がない。時の経過が藤木の心に、皆との和解を求める思いを育んだのか。新井は何の確信を得られぬまま言った。
「ごめん、俺が悪かった。でも、もう少し早く来てくれればよかったんだけど、この部屋七時までなんだ」
「どうしても抜けられない用があってな。心配するな。俺、このホテルにつてがあってな、時間延長しておいたよ」
「困るよ、そんなことされたら。費用精算しちゃたんだから」
「延長の費用は俺が持つよ」
「そうもいかないだろう」
隣に座っていた新藤は、新井の前に立った男を見て我が目を疑った。
藤木。新藤の心に憎しみと後悔をない交ぜにした、憎悪と悔恨の傷跡を残して去った男。何でここにいる。