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不可視の境界線(六野薫)

「──っていう話なんだ」


「……はぁ」


 目の前の女性が口にしたそれに、私──高坂紫乃は、なんとも言えない微妙な顔で声を漏らした。

 いったん頭の中を整理するために、私は辺りをぐるりと見回す。

 物が散らかっている事務所。

 今自分がいる場所を一言で表せ、なんて問題が出れば、私はそう答えるだろう。

 そして、それは百点満点。文句なしの正解である。

 だって、この事務所は、私と机を挟んでふんぞり返るように椅子に座っている女性・如月飛鳥の探偵事務所なのだから。

 まあ、辺りの惨状からいって、人を迎えるような準備ができていないのは明らかなのだけど。

 しかし、ここはただの探偵事務所ではない。

 表向きはそうかもしれないが──正確には、裏向きには、魔術師が経営する何でも屋。この世ならざるものが出現したときに対処する組織の一つなのだ。

 この偉そうに椅子に座っている飛鳥も、魔術師でしかもかなりの高名らしい。


 ……私には、まったくそうは見えないのだけど。


 だが、それは残念ながら事実らしく、この酷い探偵事務所に足を踏み入れて、飛鳥に直接頼んでくる人たちも少なくない。結果的に、飛鳥はこの事務所が位置するマンションの一室から追い出されずに済んでいる。

 一方、私といえばただの女子高校生……というわけではなく、もちろんそちら側の人間だ。非常に遺憾ながら、飛鳥の弟子ということになっている。

 当然、飛鳥との付き合いも長い。

 が、だとしても、飛鳥が口にしたことには、眉をひそめずにはいられなかった。


「……ええと、つまりどういうことですか? まったく要点が掴めないんですが」


「そんなに難しく考える必要はないさ。君が覚えておくべきは、一人の狂った男がいること。その男がモグラのような少年にボールをぶつけてしまったこと。その後、その男が医者に介抱されたこと、それだけだよ──ああ、ちなみにこの医者は私の知人だ。この医者に関しては特に何も考えなくていい」


「いや、そこまではわかっているんですが……これって、うちで取り扱うような事件なんですか?」


 魔術師が取り仕切る事務所。

 そこが扱うのは、この世ならざる現象たちだ。

 しかし、今の話を聞く限りではまったくそうは思えない。男に精神系を専門とする病院を紹介すれば済む話ではないか。

 果たして、そんな思考を私の表情から読み取ったのか、飛鳥はニヤリと笑った。

「もちろん、ここで扱うに十分ふさわしい事件だよ。なにせ、ここ最近では似たような事件が数十件近く起きている。偶然の一言では済ませられないよ」

 言って、飛鳥がこつこつと赤色のマジックでなにやら記入した地図を突く。

 どうやら、事件が起きたところにマークしたらしい。が、その中には意味不明なものも存在した。

 駅で飛び降りはまだわかる。

 だが、深夜にスーツ姿の男がアリの巣にコーヒーを流し込むという事件は流石に別件ではないだろうか。というか、事件ですらない。ただの病んでるやつだ。


「これらの事件の共通点はわかるかい、紫乃?」


「いえ、明らかに別件なの混じってますけど。一つだけ思いっきり浮いてる事件というか、出来事が加わってるんですが」


「ああ、もしかして、このスーツ男の事件のことかい? 紫乃、君はやはり目の付け所がいいな。確かに、この男の事件は今回の一連の事件の特徴を如実に表している。浮いているとも言えるだろう」


「別に、そういう意味で言ったわけじゃないんですが……」


 が、そんな呟きは、飛鳥には届かなかったらしい。ホワイトボードをどこから持ってきて、飛鳥はマジックで追記していく。


「今回の男を仮にMとしよう。さて、このMはどうしてそんなことをしたのだと思う?」


「……さぁ? やりたかったからじゃないですか?」


 なげやりに答えるが、しかし、飛鳥はこくりと首を縦に振った。


「そう、その通り。このMはコーヒーをアリの巣に流し込みたかったんだ。だけど、ここで疑問が一つ出てくる。考えてみたまえ、いい大人が一人でコーヒーを片手にアリの巣に流し込むようなことをするかね? ほら、ノアの大洪水だ~。神の力を思いしれ~ってね」


「そんなことを言っていたんですか?」


「いや、これは私の想像だ」


 さらっと口にする飛鳥。

 だが、言われてみれば、深夜にいい大人がコーヒーをアリの巣に流し込んでいる光景は──それこそ、想像しにくい。

 もし公園でそんな光景を目にしたら、私ならすぐさまその場から離れる。見られた男の方もショックだろう。頭がおかしいと思われる可能性があるのだから。


「……まあ、考えにくいですね。誰かに見られる可能性もあるんですから。知り合いとかに見られたら、どう反応していいかわかりませんし」


 なら、どうしてそんなことをしたのだろうか。

 飛鳥に乗せられて考えていると、飛鳥は私の心中からそんな思考を把握したのか僅かに苦笑する。


「どうして、Mがそんなことをしたのか。その答えは、もう君自身が言っているよ」


「……私が?」


「ああ、さっき言っていただろう? 誰かに見られる可能性もあるのだから、普通はやらないと。じゃあ、逆に考えてみたらどうだ? 辺りを見渡しても、誰の姿も見えなかったら? 誰にも見られていないと思ったからこそ、Mはやったんじゃないのかい?」


「でも、そんなの――」


「もちろん、君が言いたいことはわかる。そんな状況になったとしても――コーヒーを片手に持ち、何となくアリの巣に流したい気持ちになり、周囲に誰もいないような状況になったとしてもやるとは限らない。常識が邪魔をして、やるのを躊躇ってしまう。でも、それをさせてしまうのが、今回の事件の本質なんだよ」


 常識や周囲の視線を無視して、コーヒーをアリの巣に流し込みたくなってしまう。

 それこそがこの事件の『核』であると、飛鳥は言っているのだ。


「……なにを馬鹿なことを言っているんですか? そんな幼稚にしか見えない事件ともいえない事件が、少年の傷害事件と繋がっているなんて――」


「繋がっているさ」


 私の声を遮って、飛鳥は断言する。


「幼稚に見えるかもしれないが、今回の事件は紛れもなく繋がっている」


「……いったい、どう繋がっているっていうんですか?」


「紫乃。君は『魔が差す』っていう言葉を知ってるかい?」


「それは……もちろん、知ってますけど」


 突然の話の変換に戸惑いながらも、私は頷く。

 魔が差す。

 その言葉の意味は、ふと邪念や出来心を起こしてしまうようなことだった気がする。


「まあ、この程度、常識に近いからいちいち説明する必要はないだろう。中学生なら誰でも知っているような言葉だからね。今回の事件は、この現象を強めたものなんだ」


「…………?」


「わからないって顔をしてるね。うん、そうだな……紫乃、君はコンビニで店員の死角に立っているとき、ふと、万引きをしたくなったことはないかい?」


「私、犯罪には絶対に手を染めないって誓っていますから」


「そうかい、それは悪かったよ。じゃあ、電車のプラットホームに立っているときに、そこから飛び降りたくなったことは?」


「……それは」


 ない、とは完全には言えなかった。

 益もない空想として。もし、を想像した妄想としてなら、一度は考えたことがあるかもしれなかった。


 …………ん?


 電車。プラットホーム。

 確か、飛鳥が広げた地図には駅での飛び降り事故が記載されていたはずだ。


「誰だって一度はあるだろうね。プラットホームに立っていれば、飛び降りたらどうなってしまうんだろう、という誘惑が襲ってくることが。他にも色々あるだろうよ。例えば、高いところに登ったとき、そこから飛び降りてみたら? 例えば、車が走っている道路に飛び出してみたら? 例えば、誰も見ていない場所でアリの巣にコーヒーを流してみたら? そして、例えば――ボールを少年に向かって思いっきり投げてみたら?」


 かちり、と。

 ようやく、私の中で何かが繋がった。

 あまりにも荒唐無稽で、けれど、確かにそれらを結び付けている細い線が見えたような気がした。


「魔が差したとしても、基本的に、私たちは馬鹿馬鹿しい空想を実行しようとはしない。何故ならば、倫理観や常識が邪魔してしまうからだ。でも、今回の現象はそれを越えさせる」


「……越えさせる」


「そう。常識と倫理観を内包する世界から解き放ち、欲望に忠実な『向こう側』へと、『境界線』を越えさせようと、それは人の背中をトンと押すんだ。一片たりともそんな考えを持たない者には、その現象は何の効力も持たない。効力を発揮するのは、『境界線』に立っている者。一度、魔が差してしまった者たちだ。そういった者には、それはとても甘美な誘惑に思えるだろうよ」


 魔が差した者たちに、甘言を囁く現象。

 もし、これをしたらどうなってしまうのだろうか?

 人として、あるいは常識人として許されないそんなことを空想する者だけに効力を発揮する現象。

 境界線に立つ者に――力を発揮する現象。

 魔が差さない者には意味がなく、ただ人の背中を押すだけ。聞く限りでは大したことには思えないが、事実として被害者が多く現れている。

 言い換えれば、それだけ多くの者が馬鹿げた空想を抱き、誘惑に屈してしまったということだ。


「……そんな現象が、今、私たちの街で起こっているというんですか?」


「ああ、その通りだ。私たちの街に、この現象を引き起こしているものが必ずいる。この世ならざる、私たちの領域に属する者たちがな。そして、今までの事件が起こった場所から割り出すと、そいつの潜伏先は――」


 言って、飛鳥は地図上のある一点をトントンと突いた。

 森林公園。

 そこは、少年の傷害事件が起こった場所だった。





以前までの話をなかったことにしました。

心から謝罪します、ごめんなさい。

……っていうか、結構枠を固定した(つもり)んですが、書いたあとにいうのもあれなんですが、リレー小説ではそれって不味いんですかね?

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