王子。⑥
そろそろ、始業のチャイムが鳴る。
未だに他人の席でわいわいと騒ぐ梨絵に、席に戻りなさいと口を開きかけた瞬間、見慣れた影が教室の外の廊下を通り過ぎるのを見た。
揺れる逆毛の立てられた黒髪、歩くときのポケットに手を突っ込むくせ。
大好きだったあの目。
「…!」
その瞬間、ドクンと心臓が鳴って動悸へと変わる。
悪いことをした訳じゃない。
ただ、二人が互いに愛情から覚めて離れただけ。
でも、後ろめたいのは何故だろう。
―――まだ、好き?
「ちょ、麻未!?」
気がつくと、廊下に出ていた。
気付かず隣の教室へ入っていく彼氏を見送っていた。
今更、声を掛けることも出来ないというのに。
何やっているんだと麻未は、少し考えて踵を返した。
彼氏を見たからか、少し魔が差したのか……。
今日は授業を受ける気にならなかった。
ただ、少し日常から離れた場所に行きたくなった。
彼氏の事を忘れられる場所に。
気付けば屋上の前に来ていた。
人気のない階段を登り、埃の溜まった踊り場を過ぎたその向こうの扉。
その扉は施錠された様子はなく、麻未の入学した日には確かにあった鎖もなくなっていた。
だが、それはむしろ今の麻未には好都合で。
勢い良く重たい扉を開いて、目の前の手摺まで一直線に駆け出した。
「……まだ、好きなの…?」
自問自答。
自分にしか答えられない問いを、青い空に投げかけてみたが当然帰っては来ない。
空を睨み付け、手摺に足を掛けると謎の浮遊感に囚われた。
このまま力を抜けば、私は世界と無関係になれる。
―――彼氏の事なんて一生思い出せない場所に、逝くことが出来る。
「…自殺するなら他のとこでやってくんない?」
異世界への希望を見出だそうとしたとき、背後からふんわりとした柔らかい声が聞こえてきた。