私と君の愛情のカタチ
僕には、「愛しい」と「寂しい」の区別がつかないんだ。
だから、僕を好きになっても虚しいだけだよ?
抜けるような青空と、爽やかな風が酷く安っぽい青春を演出していて。
私の初恋の人は暗い瞳を伏せ、囁いた。
「おっ!零央君が迎えに来たみたいだね~」
友達がニヤニヤしながら戸口を指し示す。
いい加減、周りの目や冷やかしにも慣れた。これくらい何でもない。
……何でもない。
「はいはい。じゃあね、また明日」
「バイバ~イ!王子様によろしく!」
……でもやっぱりうざいな。
私は友達を睨みつけ、鞄を肩にかけると少年の元へ駆け寄った。
「今日は早いわね。何かあった?」
「ううん、何もないよ。しいて言うなら、早く涼香に会いたかった……かな?」
冗談めかして笑う瞳に光はない。
常によどんだ、闇の色。
「ほら、帰るんでしょ。早くしないと置いていくわよ」
「うん」
頷き、私の指に自分の指をからめてくる。甘えるように。
これで同い年だとは思えない。いつまで子供なんだろう。
無邪気なのに歪な微笑を見て、自然と溜息がこぼれた。
藍咲零央。それが私の恋人の名だ。
一見陰りのある大人びた容姿で、整った顔立ちなのでかなりモテる。
しかし、それは上辺だけ。中身はどこまでも未成熟で、危うい。
こんな奴を恋人と呼んでいいのか、いつも迷うところだ。
そうして、いつも通り手を繋いで夕暮れの帰り道を歩く。
今日は地獄的に暑い。もうすぐ夏休みだから、それも当然か。
「暑いね。アイス食べたいなあ」
「暑いなら手を離して。鬱陶しい」
「嫌だ」
睨みつけてもさらりとかわしてくる。憎たらしい奴。
「涼香は涼しい香りなんでしょう?じゃあ、きっと手を繋いでる方が涼しい」
「わけわからないこと言わないで」
「じゃあ、繋ごうよ」
「何がじゃあよ。理解不能」
そう言いつつ手を振り払わない私は、甘すぎるんだろう。
横目で零央をちらりと見ると、毒々しいほど真っ赤な夕日が当たり、いつも以上に綺麗だった。
さらりとした色素の薄い髪に、陶器のように白くなめらかな肌、少女めいた甘く綺麗な顔立ち。全体的に色素が薄いため、まるで天使だ。
真っ暗な瞳を除けば。
「そんなにじっと見ないでよ。恥ずかしいから」
「だったら、あんたこそ私の方見ないでよね。気持ち悪いから」
「酷いなあ」
口ではぶつぶつ言いつつも、どこか嬉しそうな零央にまた溜息が出る。
「ねえ、涼香。何でそんなに溜息ついてるの?」
「あんたのせいだから」
「僕?」
零央はちょっと首を傾げ、ふわりと微笑んだ。
「涼香は優しいね」
「はあ?何、あんたマゾなの?」
「そんなわけないじゃん。僕が言いたいのは、僕なんかのために悩んで、溜息ついてくれるなんて……だよ。涼香は鈍感だなあ」
「馬鹿じゃない。あんたがガキで面倒だって言ってんのよ」
「そうだね。でも、やっぱり優しいよ」
甘い言葉に、どうしようもない痛みと切なさが込み上げてくる。
そんな淀んだ目で、優しい笑顔なんか浮かべないでよ。優しい言い方しないでよ。
胸が苦しい。くらくらするのは、暑さのせいじゃない。
唇を噛みしめ、いつものように正面を睨む。零央の目を見ないように。
「あんた、本当に馬鹿よね。イライラする」
「う~ん?そうなのかな。別に、とろい方じゃないんだけど」
「私に比べればとろいでしょ」
呟いた言葉は、本心じゃない。
本当は。
でも、それを言うのは私が恥ずかしいし、零央も未熟だから。
「……馬鹿」
つっけんどんに言うと、零央は淀んだ目を僅かに和ませて、甘く笑った。
「じゃあ、私はこっちだから」
零央の手を振りほどき、さっさと歩きだす。しかし、三歩以上進めなかった。
零央に腕を強く掴まれていたから。
「離しなさいよ」
振りほどこうともがく。が、逆に強く引っ張られて抱きしめられた。
ドキッとする。
同時に、ほろ苦さも感じた。
「ちょ……暑いんだけど!私は帰りたいの!毎日毎日馬鹿みたいにベタベタする必要ないじゃない」
「馬鹿馬鹿って、涼香は酷いね。もうちょっと一緒にいようよ」
「はあ!?気持ち悪いやめて!あんたそう言って昨日も私を連れまわして……」
急に力が緩み解放される。と思ったら、顔をのぞきこまれた。
心臓がうるさい。顔が熱い。
……でも、体はひどく冷たい。
至近距離で見る零央の目は黒い水のようで、底なし沼のように深く暗い。そんな目で寂しそうに見つめてくるのだから、たちが悪い。
「ねえ……駄目?」
少し掠れた甘い声に、胸が苦しくなっていく。
ああ、駄目だ。
やっぱり私は、甘いし馬鹿だ。
「……しょうがない。ちょっとだけだから」
ぼそっと言うと、零央は光のない目を細めた。
夕日は半分くらい地平線に隠れ、空は燃えるような紅から薄紫、深い藍色へと鮮やかなグラデーションを描いていた。猫の目のような細い三日月と、小さな星が冷たく輝く。
日は暮れてきたというのに外はまだまだ蒸し暑く、私は零央についてきたことを後悔し始めていた。
「……零央。ここ、どこ?」
感情を抑えて低い声で尋ねる。冷静になれ。なるんだ私。
「さあ?僕も初めて来るところだから」
「ふざけんなあああああああああああああああああっっっ!!」
ぬるい空気に私の絶叫が響き渡る。
「来たことない場所に彼女連れまわすとか有り得ないんですけど何!?あんたホント頭大丈夫なの!?一回撲殺して目を覚ましてあげようか?」
「撲殺したら、一生目が覚めないと思うんだけど……。でも、涼香に殺されるなら本望かな?」
何でもなさそうに漏らした言葉にギクリとする。
迂闊だった。冷や汗が流れていく。
「何で私があんたを殺さなきゃいけないわけ?面倒くさい。ていうか、今はそんなのどうでもいいのよ!」
現在の最優先事項は、ここがどこかを確認することと、家へ帰ることだ。
ここが住宅街からかなり離れているのはわかる。近くにはさびれた公園と、神社しかない。どちらも雑草が好き放題伸びていて、めったに人が来ないことが容易に想像できた。
暗くなってきたところに女がいるのは危ない。いくら彼氏と一緒だからといって、零央じゃ仕方ないし。というか、そこら辺の不審者より、こいつの方が危ないかもしれない。
全く、何故あのとき零央を振り切らなかったんだろう。自分への恨めしさと苛立ちに唇を噛む。
「とりあえず、明かりのありそうな場所に移動するわよ。交番があったらそこで道を聞いて……」
「待って」
掠れた甘い声に遮られる。
軽く睨むと、零央はふわりと微笑んで公園を指さした。
「あそこに行こうよ」
「はぁ!?ふざけてる場合じゃ……」
「行こう」
零央の虚ろな瞳に宿った感情に、ゾクリと肌が泡立った。
黒い水がたぷんと揺れ、波紋を残す。
逃げたい。苦しい。……もどかしい。
「……ったく。すぐ出るからね」
結局零央の我儘を許してしまう自分に呆れながら、公園に入っていく。
そこには砂場とブランコしかなく、人間どころか野良猫一匹見当たらない。公園と呼んでいいのだろうか。
零央はふらふらと危なっかしい足取りでブランコまでたどり着くと、座った。そして子供のように漕ぎだした。
「何やってんのよあんた!」
「ブランコで遊んでるよ?」
そりゃ見ればわかるっつーの!
最後に使われたのはいつだったのか、古びたブランコはギーギーと不快な音を立てる。今にも壊れそうで、こっちが不安になってくる。
私は腕を組み、零央がブランコに飽きるまで睨みながら待つことにした。
「涼香は遊ばないの?」
「遊ぶわけないでしょ!ったく、いつまでガキやってるんだか」
「ブランコで子供と遊んでる男の人も見かけたよ」
「それ、父親だから!」
「そうなんだ」
……本当にどうしようもない馬鹿だな。
この暑さの中連れまわされて疲れていたので、近くの電柱に寄り掛かる。
零央は相変わらず、口元には笑顔を浮かべ、目は淀んだままブランコをこぎ続ける。
ふと空を見上げると、すっかり紅が消えて夜空になっていた。墨をこぼしたような空に、星や月が輝く様子に目を奪われる。
私は昼間より夜が好きだ。それから、太陽よりも月が。
吸い込まれるような闇色の空は、零央の目と同じ色で、少し辛いけど。
「……綺麗」
どこまでも綺麗な、夜空。
じっと見上げていると、ポンと肩をたたかれた。いつの間にかブランコを漕ぐのをやめた零央が、隣に立っていた。
「ん、飽きた?」
答えはない。
「ちょっと、答えなさ……」
「僕は寂しい」
ドクンと心臓が音を立てる。
色素の薄い髪と白い肌が月光を浴びて輝き、非現実的なほど綺麗で神秘的な分、虚ろな目が際立っていた。表情もない。
闇色の目が、満たされないとでも言うように見開かれる。
「寂しい。寂しいよ、涼香。涼香と出逢って、ずっと一緒にいるのに、どんどん心が空っぽになって、寂しくなっていくんだ」
奇妙なほど淡々と、寂しいと繰り返す。
「ううん、涼香と一緒にいて、優しくしてもらって、そのたびに寂しさが募っていく。ずっと、ずっと」
「零央」
「いつも一緒にいれば、いつかはこの病気も治るかと思ったけど、違った。余計悪化しちゃった。もう僕は、限界だ」
「零央っ!」
私が怒鳴ると、零央はくつくつと喉の奥で笑い、真っ暗な目を伏せた。
「このままだと僕は、寂しさに溺れて死んでしまう。今だって、苦しい。これ以上は無理なんだ。……だから、お願い」
蒸し暑い空気が、急にスーッと冷えていく。
「僕を、殺して」
零央の手が私の手に触れる。氷のように冷たい手が、熱を奪う。
淀んだ目に射抜かれて、私は身動きが取れないまま、零央の手に引かれていく。
細い、華奢な首。強く締めれば、簡単に折れてしまいそうな。
自分の真っ白な首に私の手をかけて、零央は甘い笑みを浮かべた。
「このまま、終わらせて」
くらりとした。
暑さと冷たさと、甘い声。黒い水。歪んだ愛情。正解。
色々なものが入り乱れ、脳の奥が焼き切れそうになる。
それでも私は、優しくないから。
「ふざけんじゃないわよっ!」
全身全霊で手を払い、零央の肩を掴んで揺さぶる。
「何であんたのためにあんたを殺さなきゃいけないの!?ふざけんな!私は人を殺すなんてまっぴらごめんだし、優しくもないのよ!いい加減にしろ!」
カッとなって叫ぶと、零央は驚いたように目を見張る。そして、心底嬉しそうに微笑んだ。
「な……何笑ってんのよ」
「嬉しくて。やっぱり、涼香は優しいね」
「はあ?」
わけがわからない。何言ってんだこいつ?
キッと睨むと、零央はとろけるような甘い笑みのまま、微かに目を輝かせた。
思わず息を飲む。
ほんの一瞬のこと。
でも、零央の目に光が見えたことは、今まで一度もなかった。
「……涼香と付き合う前に、付き合ってた女の子が何人かいたんだけど」
「へー以外。あんたなんかとわざわざ付き合うなんて、物好きね」
嘘。零央のことを好きな女子は腐るほどいる。
「でもね、すぐ別れちゃったんだ」
「え?」
「僕の本性知ったら、みんな逃げちゃった」
何て言ったらいいかわからなかった。
だからせめて、零央の目は真っ直ぐに見つめた。再び光の消えた、黒い水から目を逸らさずに。
零央はゆっくり瞬きをして、へらっと笑った。
「だから、涼香だけだよ。僕の本性を知っても、ずっと傍にいてくれたのは」
はにかむように頬を染めて、暗い目を伏せる。
想いが溢れて、でも喉でつっかえて上手く言葉にできない。
「別に。あんたのためじゃないし。私の勝手よ」
ぶっきらぼうに返しながら、あの日のことを思い出す。
爽やかな初夏の風が吹く、屋上。明るい青空の下、綺麗な男の子と向き合う。
「ずっと、好き……でした。だから、私と付き合って」
つい、つっけどんな言い方になってしまって、ものすごく後悔した。
そんな私に、少年はうっすらと笑みを浮かべる。
「僕には、「愛しい」と「寂しい」の区別がつかないんだ」
甘く掠れた、何かを求める孤独な声だった。
「だから、僕を好きになっても虚しいだけだよ?」
暗い、暗い目。真っ黒に淀んだ水のような瞳。
その瞬間私は、その目に全てを奪われた。
「そ、そんなのわからないじゃない!虚しいなんて決めないで!」
思わず叫ぶ。すると、零央は諦めたような笑顔で、
「……じゃあ、付き合おうか。すぐに別れるだろうけど」
甘く囁いた。
今まで零央を好きになった女は、多分零央の綺麗な顔や、甘く掠れた声や、優しげな雰囲気に惹かれたんだろう。だから、すぐに離れていった。
でも、私は違う。
私は零央の、あの闇を抱えた瞳に、壊れた性質に恋した。
あのどうしようもない寂しがり屋の馬鹿が、愛しくてしょうがなかった。
自分でも相当な馬鹿だと思う。駄目な男に引っ掛かるなんて。
でも、零央を守りたいと、慈しみたいと心の底から願ってしまった。
だから、私は君の傍にいる。
「……あーあ、私もあんたも、本当に馬鹿よね」
零央はきょとんと首を傾げ、クスリと笑った。
「そうかもね」
その笑顔に、胸が酷く苦しくなる。
それでも。
私は君を、愛してしまったから。
だからずっと、傍にいる。君が「寂しい」と「愛しい」の違いがわからなくても、愛してる。
例え永遠に理解できなくても、私が守るから。
「……ねえ、涼香?」
「何よ」
「傍にいてくれるよね?」
零央が甘く笑うたびに、胸の奥に傷が刻まれる。
それでも、そんな傷でさえ愛しく思えてしまうから。
私は零央を引き寄せ、抱きしめた。
「……当たり前でしょ、馬鹿」