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第十三話 お祭りと隠し事


 今日もまた一体、妖魔を退治した。

 大して強くはない。三本腕が特徴だったくらいの貧弱な個体だった。

 今年に入ってからの妖魔退治はこれで十体目。

 季節柄、まだ寒気は残っているが、妖魔の格にかかわらず戦闘時は嫌な汗が出る。胸元はベタついた汗のせいで小袖が張り付き、不快感が募る。



 「っ!……それはちょっと、はしたないと思います」



 「えっ? あ、そうね。ごめんなさい」



 珍しく師匠がおらず、澪花ちゃんと二人きりだったこと。近くに人の気配がないこと。それらに油断して、風を通そうと着物を緩めすぎてしまったらしい。

 慌てて襟を正し、彼女から渡された水筒を受け取る。冷ややかな目で見つめる視線から逃れるように、水を喉へと流し込んだ。



 (……そういや、はしたないとは言われたけど、汗を拭うなって話じゃないよね。失敗した)



 今更また手ぬぐいを出すのも気まずく、額に滲む雫を手で払う。



 「……にしても、弱かったですね。今回の妖魔」



 「あんまり、そういうこと言っちゃいけないよ。今回のだって、村に犠牲者が出てるんだから」



 「……そうですね。失言でした」



 誰も聞いていない場所での軽口ほど、いざという時に顔を出す。

 だから、こういう小さな失言は早めに摘んでおいた方がいい。

 特に澪花ちゃんは、敵だと認識した相手には躊躇なく毒を吐く癖がある。彼女自身もそれを自覚しているのか、私の注意を素直に受け入れてくれた。


 まぁ、妖魔と相対したにも関わらず、結局傷一つないんだから軽口叩きたくなるのも分かる。

 遠距離への攻撃手段がないことをいいことに、間合いの差を利用して圧倒していたのだから。


 それでも身のこなしは素早かった、近づきすぎれば鋭く長い凶爪の餌食になっていた。幾度もの実戦で澪花ちゃんも余裕ができていたとはいえ、ひどくハラハラした。

 仕損じて、少しでも助けが遅れれば彼女が死ぬかもしれない。

 そんな予感が常に付き纏い、お蔭で傍で見ているだけの私の方が疲れた。



 「じゃあ、そろそろ帰って早く村の人達を安心させてあげよっか」



 「はい」




 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇




 「ありがとうございます!これで亡くなった妻も報われます!」



 「いえいえ、私たちは然るべきことをしただけですから」



 感涙にむせぶ依頼主の男をなだめ、私たちは家を出た。


 これで半月くらいは何とかなるかな。

 師匠に払うお金に加えて、食費や澪花ちゃんのお小遣いも考えると、簡単にお金は消える。命を賭けているにしては少ないように感じるが、普通の侍さんを考えるとこんなもの。

 世知辛いなぁ……


 とりあえず、町に寄って買い物して帰ろう。

 そう思い、森を抜ける道中だった。


 ドンッ!


 遠くから鈍い音が響く。それも一度ではなく断続的に。

 一瞬怪訝に感じるが、すぐにその正体が思い浮かんだ。



 「太鼓の音?」



 澪花ちゃんの呟きに頷きで返す。

 確かに太鼓の音だ。そういえば、少し前から町が妙に浮き足立っていた気がする。お祭りが近いのだろう。

 心臓を揺らすようなこの衝撃は、どこか懐かしい気分になる。


 続いて、ピーヒャラと笛の音が聞こえてきた。


 その時だった。

 あの日の光景が、数珠つなぎのように脳裏で弾けた。


 ――首を切り飛ばされ血を噴き出す勝也


 ――芋虫の化け物に咀嚼される日和


 しまった。そう思ったときには遅かった。



 「……ぁ」

 


 ――ドクン、っと胸が高鳴った。



 「?……葵さん、どうかしました?」



 「……あぁ……いえ、大丈夫。何でもない」



 「……でも、顔色悪いですよ」



 「本当に、大丈夫。ちょっと目眩がしただけだから」



 そんなに酷い有様に見えるかな。……まぁ、そうだよね。今だって立った姿勢を保てず膝をついてしまった。


 不意打ちだった。

 太鼓の音に負けず、心臓の鼓動が煩い。

 胸元を触れ、荒ぶる呼吸を抑え込む。そして大きく息を吸い、吐く。


 スゥ……ハァ……


 いつもだったらあの日のことを考えても、意識的に逸らすことで決定的な瞬間は出てこなかった。かつてのように血を見ただけで倒れることも久しく無かった。だから油断した。

 まさか、太鼓の音のような祭りに関係することであの時の記憶が想起されるなんてね。


 でも、もう山は越えた。


 少しだけ疲れるけど、あの時の記憶を心の奥底の暗がりに押し込み続ける。

 あくまでイメージで、実際に記憶が消えるわけじゃない。それでも、しばらくはこれで保てる。



 「……立てますか?」



 「えぇ、心配かけてごめんなさい」


 

 あれから、二年半か。体感ではもっと時が経っているような気がしていたが、そんなものか。あぁでも、やっぱりこの鮮烈に惨酷な光景は今でもはっきり思い出せ――



 「っ……危ない危ない」



 せっかく乗り切ったというのに、自分からぶり返してどうする。



 「……どうしました?」



 「いえ、さっさと町に入ってお昼ご飯を済ませましょう。そばとかどうですか?」


 

 「……はい!私も、お腹ペコペコです」



 町の中に入ると、想像通り祭りの準備を行っていた。


 まだ人だかりは多くない。それでもこの規模の町だ。ほかの町からも来るだろうし、下手に動けば呑まれるくらい集まるだろう。

 しかしお祭りか。近頃あるとは聞いていたが、少し遠出してたのもあって忘れていた。


 えっと、この町を管轄しているのは何の神だったかな……。


 私の村のようなことは滅多にないとは思うが、それでも調べずにはいられなかった。だから、師匠に聞いてみたんだよね。

 確か……


 『この町の神様?詳しい話を聞きたいなら神社にでも行ってきたら?葵ちゃんも巫女なのに、今まで挨拶してないでしょ』


 それで神社に行ってみたんだけど、やっぱりいた私と同じ不思議な力を授かった巫女や覡(げき)。といっても、妖魔退治などを専門にしている訳ではなく、戦闘は得意ではないらしい。だから私や師匠にそこら辺を一任され、重宝されている。

 だから、事前の報せもない唐突な訪問だというのに歓迎の宴が催されるところだった。その日はそんな気分じゃなかったから、必死に止めて改めて伺うことを約束したけどね。


 一応、顔を見せたほうが良いのかな……?

 でも、お祭りということで今日は忙しそうだし、邪魔したら悪いような……。

 ……まぁ、顔を見せるくらいならいいか。難しそうならすぐ帰ればいいしね。


 そんなことを考えながら家に帰り。



 「師匠。一緒にお祭り、回りませんか?」



 私は開口一番にそう言った。



 「ごめん、無理」



 なのに、師匠から出たのは拒絶の言葉だった。



 「え、何で?」



 「だって僕、出店出す予定だから。主催者側に回るんだよ」



 「へぇー、ちなみに何を出す予定なんですか?」



 「いたって普通の串焼き屋。だから澪花ちゃんと楽しんできなよ」



 ふぅ〜ん。串焼き屋、師匠といったい何の接点があるんだろう?



 「まさか、妖獣の肉を……!痛っ!」



 「いたって普通だって言ったでしょ。急な来客でも来て耳に入ったらどうすんの」



 拳骨によって頭にたんこぶが作られる。

 実際なんかこう、呪いとか扱う変な人間に売れそうだから、つい。

 まぁ、料理として扱われないだろうなという確信はありますけどね。食ったら腹壊しそうだし。人魚の肉とかなら別だけど。



 「しかし、今日が祭り当日なのに何も準備してないように見えますけど?」



 「そりゃあ店自体は友達から借りるからね。……と、僕もそろそろ出るから戸締まりよろしく」



 「こんなところまで空き巣が来ますかね」



 「祭り時の人間は下手な妖魔より薄汚いからね。盗まれたら人死が出るような呪具もあるし、用心するに越したことはないよ。じゃあ行ってくる」



 「行ってらっしゃい」



 ……最近、師匠の様子がどうにも変だ。

 買い物以外で滅多に外に出ないのに、最近は「やっぱり人付き合いは大事だよね」などと言ってよく町に出ている。

 他には、やけに荷物を減らしている。使わない道具を人に譲ったり、古いお札を燃やしたり。

 社交的になったり掃除をするようになったのは良い傾向なのだが、少し不気味だ。


 ……まぁ、いいか。さて、私はこれからどうしようかな。



 ………


 ……


 …



 「――って事で、一緒にお祭りに行こう?」



 「お祭り……」



 もろもろを話すと、澪花ちゃんは小首を傾げた。

 この感じは……



 「澪花ちゃんって、これまでお祭り行ったことあるの?」



 「……いえ、ないです。見たこと自体はあるんですけどね」

 


 「そっか。じゃあ、行ってみたい屋台とかある?」



 「……行ってみたい、屋台?」



 ……思いつかない感じかな。

 となると何がいいかな?夕食は適当に屋台で済ませるとして、後は遊べるなら遊ぶし……

 うん。ぶっちゃけ何があるか知らないし、祭りの場で決めよう。

 百聞は一見にしかずって言うしね。


 ……って事で。



 「にしてもここまで人が集まるもんなんだね」



 「……人が、いっぱい」



 既に日は暮れた。

 夜の帳が落ちた、暗闇が世界を支配する時間。しかし、町にはぼんぼりが灯り、橙色の明かりが町々を照らす。


 人混みができるのは想像通りだけど規模は想定以上って感じ。

 

 私のところの山神祭はあくまで村だし、比較することすら烏滸がましくなるのは必然なんだけどね。



 「澪花ちゃん。はぐれないように、手を握ろっか?」



 「……は、はい」



 今も澪花ちゃんはぶつかりそうになっていた。

 しかも、今通り過ぎていった男の人、わざとだよね?

 右目を塞いでいるし、人だかりに慣れていない歩き方をしている。まるでお上りさんのようで、スリが狙いたくなるのもわかる。

 それはそれとしてハズレだと思うけど。

 流石に胸元弄ったりしたら澪花ちゃんも気づく。下手したら、そのまま腕をへし折られるでしょ。



 「とりあえず、師匠でも探しながらご飯食べよっか。気になるものがあるなら好きに買っていいからね」



 軽く頷く姿を尻目に、どんなものがあるかと辺りを見渡す。


 ……やっぱり、日常であまり食べない珍しいものがいいなー。

 となると、う〜ん……。


 焼き餅、そば、寿司、天ぷら……。天ぷら?


 端から順に見ていると、白い煙を出しながら、ぱちぱちと弾ける音を響かせる店が目に留まる。



 「おじさん、かき揚げとえびを一つずつ揚げてもらえますか?」



 「はいよ!」



 ご主人はぶっきらぼうに返すと、菜箸でタネを油の中へ滑らせる。

 黄金色の胡麻油。衣を纏った塊が落ち、ジュワァアと音を立てる。しばらくして、香ばしい匂いと共に引き上げられ、和紙に包まれて渡された。


 揚げたてのそれは熱々で、お手玉のように持ち替えないと持てないほどだ。

 だけど、その熱が冷えた手に伝わり、指先がジーンと痺れる感覚が心地よい。

 そこで、ふと気づいた。



 「あれ、澪花ちゃん?」



 妙に静かだと思えば、彼女の姿が見当たらない。

 背筋から、戦闘時とは違う嫌な汗が吹き出した。


 まさか、はぐれた?

 確かに途中手を離したけど、それは天ぷら屋に到着したあと。人混みに引っかかって私を見失ったは考えづらい。

 誘拐? あの澪花ちゃんが?

 ……いや、でも不意打ちで頭でも殴られたら――


 色々な考えで頭がぐちゃぐちゃにかき回される。

 とりあえず恥も外聞も投げ棄てて、どこにいるの!?と叫ぶべきかと考えたところだった。


 ポンッと、肩を叩かれた。



 「ひゃっ!?」



 「!?」



 意識の外からの接触に、情けない声が出てしまう。

 咄嗟に振り返ると、そこには澪花ちゃんの姿。彼女は私の反応に驚き、目をまん丸くさせていた。



 「澪花ちゃんどこ行ってたの!急にいなくなって、心配したんだからね!?」



 「ぇ……あ、ごめんなさい……」



 剣幕に押され、彼女はしゅんと小さくなってしまう。



 「あ、ごめんね。ちょっと混乱してて、つい言葉が強くなっちゃった。……でも、本当にどこ行ってたの?」



 「……えっと、隣のお寿司屋さん見てたんです」 



 彼女が指さしたのは、すぐ隣の屋台。

 木箱の中に、色とりどりのネタが乗った寿司が並んでいる。

 灯台下暗し。その言葉通り、私は自分が思っていた以上に気が動転していたらしい。

 


 「食べたいの?」



 「……はい。いい、ですか?」



 「そんなかしこまらずに、遠慮なく頼んでいいんだよ。でもこの人集りだと少し寄り道しただけで、すぐに分かんなくなっちゃうから、何かあったら声かけて。私もなるべく気をつけるようにするから」



 お金を手渡すと、澪花ちゃんはパァッと表情を輝かせ、寿司屋へと駆けていった。



 「……買ってきました。葵さんはどっちがいいですか?」



 「じゃあ、右の赤いやつにしよっかな。澪花ちゃんこそ、天ぷらどっちがいい?」



 私はどっちでもいいけど、でも多分……あぁ、



 「やっぱりそっち選ぶんだ。澪花ちゃんって、結構魚の類(たぐい)が好きだよね。なんか理由とかあったりするの?」



 「……好きな理由?」



 問うてみると、彼女は少し顔を顰めた。

 


 「ごめん、今の質問は忘れて。唐突に好きの理由なんて問われても、そう簡単には出ないよね」



 手のひらほどの寿司にかぶり付く。

 この味はマグロかな?ちょっと血生臭さが鼻を突くけど、悪くない。



 「この天ぷら、かぶり付いた瞬間に油が染み出して美味し……きゃっ!」



 澪花ちゃんが、ひょうきんな声を上げた。


 ――えっ、何?舌でも火傷した?


 そんな疑問を帯びた視線を彼女へと向ける。

 そこには、跳び上がった猫のように背筋を伸ばす、澪花ちゃんの姿。加えて、腰に抱きつく見慣れぬ童子の影があった。



 「ハハハ!面白い声ー!こんな所で会うなんて、お姉ちゃん奇遇だね!」 



 「……美里ちゃん……?」



 「知り合い?」



 「……あっ、はい……。以前に行った茶店の子です。……えっと、少し縁があって――」



 「えぇ?何で誤魔化すの?お姉ちゃん、私んとこに毎週通ってるじゃん。……あ、もしかして言っちゃいけないやつだった?」



 「えっ、その」



 澪花ちゃんは目を白黒させて慌てふためいていた。

 まだちょっと混乱しているけど、話の流れからしてこの子は以前に通った茶店の娘さんってことね。彼女自身に見覚えはないが、言われてみれば面影がある気がする。

 とりあえず――



 「澪花ちゃん、毎週通ってるんだ」



 「……ごめんなさい」



 「何で謝るの?別に家の金、勝手に使ってるわけじゃないんでしょ。……使ってないよね?」



 「……当たり前です!」



 「だったらそんな恐縮しない。ほら、悪いことをしているって思ってないんだったら、もうちょっと胸を張って。」



 「……だって、今の葵さん。怒ってるみたいな雰囲気だから」



 怒ってる?……ふーむ、怒ってる、ね。

 うん。それは否定したいんだけど、澪花ちゃんからはそう見えるんだ。



 「私は怒ってないよ。だって澪花ちゃん自身が考えて私に縛られない道を進んだんだよ?正直見くびってた。なのに私の想定をやすやすと飛び越えた。喜ぶ以外ないよ」



 「……そうですか?」



 「うん。澪花ちゃんも、自分に依存傾向があるって自覚してるでしょ。ほら、私と布団を並べないと眠れない澪花ちゃんの姿を思い返したら、ね」



 「えっ?お姉ちゃんって、一緒に添い寝してもらわないと眠れないの?」



 美里ちゃんという子もそんなことを言う。

 あっ、耳まで顔真っ赤っかになった。



 「……そんなこと、こんな所で言わないでください」



 「それはごめんね。でも、言いたいことは分かるでしょ?」



 「……。」



 コクリと頷いた。


 でも、まだ澪花の瞳に疑心が見え隠れしている。


 やっぱこの程度じゃ誤魔化されてくれないかー。

 うーん……、このまま隠して澪花ちゃんの感覚を否定しても、悪い結果にしかならないか。

 ちょっと私の沽券に関わるけど、しゃあない。



 「……そうだね。澪花ちゃんの言う通り、私は少しだけ引っかかった。だから、怒ってるように見えたなら、それは間違いじゃない」



 「……え?」



 「でも、怒ってるとは少し違う。たぶん私は、妬いたんだと思う」



 口にした瞬間、自分でも情けなくなった。



 「友達ができたなら、喜ぶべきなのにね。澪花ちゃんが、私の知らないところで誰かと仲良くなっていた。それが少しだけ寂しかった」



 「……葵さん」



 「おかしいでしょ。澪花ちゃんは何も悪くない。むしろ、ちゃんと自分の足で外に出て、私の知らない誰かと関わっていた。私はそれを喜ばなきゃいけないのに」



 そこで一度、息を吐く。


 

 「だから、ごめん。怒ってるんじゃない。ただ、私が勝手に寂しくなっただけ」



 彼女は、何を言われているのか分からないとでも言いたげに呆けていた。



 「うん。急にこんなこと言われても訳わかんないよね。ごめん。でも言わないといけないと思ったから、今言った」



 「……えっと、ごめんなさい……?」



 「だから謝んない!私が言いたいのは、さっきの澪花ちゃんの感覚は正しいから自信持って欲しいなってこと。……うん。今の私はとってもスッキリしている」




 「……そう、ですか」



 澪花ちゃんは困ったように眉を下げた。

 けれど、逃げるように目を逸らすことはなかった。



 「私には、まだ……よく分かりません」


 「でも、葵さんがそう言ってくれるなら。たぶん、それで……いいんだと思います」


 

 なんか複雑そうだけど、納得はしてくれたみたい。


 ……嘘をつくなら真実をちょっとだけ混ぜるだっけ。むかし、村の爺さんに聞いてその時はちんぷんかんぷんだったけど、今では分かる。

 これも胡散臭い師匠の影響かな?


 やっぱり、もう一つの方は言えないや。


 私に依存していた。そんな澪花ちゃんの姿が愛おしくて、離れてしまうのが恐ろしく思ってたなんて。

 ……一応、これまで良い子として生きていたつもりなのにな。私の中に、こんな醜い考えがあっただなんて驚き。



 「で、美里ちゃんは澪花ちゃんの友達なんだっけ?仲良くなったきっかけとか教えてくれる」



 「あ、えっと、それよりお姉ちゃんの名前教えてよ。お姉ちゃんのお姉ちゃん?」



 「あぁ、確かにそうだよね。私の名前は秋空葵。なんとでも好きに呼んでいいよ」



 「じゃあ、あおいお姉ちゃんでいい?」



 「うん、いいよ。それじゃあ、まず美里ちゃんの歳っていくつなの?」



 「えっとね、八才!」



 あれ?十くらいかと思ってたけどそんなもんなんだ。

 となると、気になるのが一つ。



 「貴方って、誰かと一緒じゃないの?」



 「?……そうだよ?お母さんと一緒に来たの。……あれ?そういやいない」



 「……もしかして」



 なんか、嫌な予感。



 「私、迷子になっちゃった?」



 最悪の予感が、見事に的中してしまった。美里ちゃんの顔がみるみるうちに歪み、大きな瞳に涙が溜まっていく。



 「あ――」


 

 止める間もなかった。次の瞬間、楽しげな喧騒を切り裂くような泣き声が爆発した。

 楽しげな祭りの空気が一変し、通りすがりの人々が「なんだ?」と顔を顰めて足を止める。このままでは注目の的だ。



 「こっち来て」



 私はそう声をかけて二人の手を握ると、少し端っこの暗がりへと引いていく。



 「ほら、もう泣きやまない。お母さんが見つかるまで私たちが付き添ってあげるし、なんだったら探してきてあげるから、ね?」



 「本当?」



 「ホントのホント。お姉ちゃん、これまで嘘ついたことないから」



 「えー、ホント? 私知ってるよ。そういうこと言う大人は大体嘘つきだって」



 よく分かってるじゃん。聡い子供は嫌いだよ。

 でも今回は本気だ。


 泣きじゃくる子供を放置して、寝覚めの悪い夜を過ごすほど私は強くない。


 私は記憶の中にある茶店の女将の顔を引っ張り出す。

 穏やかで、どこか美里ちゃんとは正反対の雰囲気を持った女性。だが、この数百人はいるであろう人混みの中で彼女を特定するのは、森の中から季節外れの山菜を探すようなもの。


 そんなことを考えていると、澪花ちゃんが手を挙げた。



 「……あの、全員一纏めになって探すんですか?」



 あーそうだね。



 「確かに効率が悪いか。美里ちゃん一人っきりは当然なしだから、そこは一緒になるとして……美里ちゃんと澪花ちゃんがペアかな」



 「じゃあ、澪花お姉ちゃん行こう!」



 「……あ、待って」



 美里ちゃんに手を引かれ、澪花が人混みの向こうへと消えていく。

 身体能力なら澪花の方が上なのに、美里ちゃんの勢いに負けて流されていく彼女の背中。

 それを眺めているうちに、ふと気づけば私の周りには誰もいなくなっていた。



 「……さて、どうするかな」



 呟きが、夜の空気に溶けて消える。

 独り言をこぼす自分が、ひどく惨めに思えた。


 私は人混みの合間を縫うように歩き出す。

 背丈の小さい私は、少しでも気を抜けばあっという間に巻き込まれるだろう。正直顔もおぼろげな相手をこの祭りの中探すなど正気の沙汰ではないが、別に何の手がかりもない訳ではない。

 愛しい自分の娘がいなくなったのだ、母親も平常ではいられない。おそらく必死に周囲を見渡し、不安と焦燥に満ちた気配を帯びているに違いない。

 少なくとも、茶店の女将は非情な女性には見えなかった。


 私は人混みの中、じーっと、目を凝らす。


 いまだ祭りの真っ只中。

 喧騒は絶えず、様々な人々が行き交う。

 年若い夫婦が、おじいさんが、子供たちが……。

 この時ばかりは妖魔の存在を忘れて、老若男女問わず思い思いに笑い合う。そんな、かけがえのない光景。


 ……だというのに、影がかかったようにくすんで見える。

 同じ世界にいるはずなのに、周りを深い溝で遮られたかのような感覚。


 ひとりぼっち、か。


 別に、これまでも一人になったことはいくらでもある。けど、なんだろうな、これ。

 今までは自発的に離れたり、事前に教えられたりして覚悟する時間があった。

 こんな風に唐突に離れ離れになると、私ってこうなるんだ。まるで、寂しさで死んでしまう兎みたい。


 ……なんてね。

 さてと、この辺りにあてはまるような女性はいないし、場所を移しますか。


 私は精神を研ぎ澄まし、先ほどとは反対側へと意識を向ける。

 だけど頭の中には、別の人影が映す自分がいた。


 ――あぁ、そんな所にいたんだ。



 「近くにいたんなら声をかけてくれればいいのに」



 「いや、少女の仲睦まじい様子を邪魔なんてしたら馬にでも蹴られちゃうよ」



 聞き慣れた声が耳を打ち、振り返る。

 綺羅びやかな二つの屋台、その合間に挟まるように古ぼけた屋台があった。

 その中でうちわを扇ぐ、深緑の浴衣に身を包んだ師匠の姿。

 香ばしい匂いと共に灰色の煙を吐き出される。



 「だからって、黙って聞き耳立てるのは悪趣味だと思います。……どこから聞いていたんですか?」



 「どこからって言われると困るけど。あの子が母親とはぐれて、葵ちゃんがその母親を探すためにぼっちになったことくらいは把握してるよ」



 「……ぼっちって言わないでください」



 「そうだね。僕がいるから"今は"ぼっちじゃないね。」



 「……。」



 何も言い返せない。

 心寂しい思いを抱いていたのは事実なのだ。



 「ほら、これあげるからふくれっ面を直して」



 そう言って出した手に握られていたのは、先ほどまで焼かれていたのが分かる肉串。



 「……いただきます」



 受け取った串焼きは、確かに「いたって普通」の鶏肉だった。炭火の香ばしさと、少し濃いめの塩気が、乾いた喉に心地よい刺激をくれる。

 無心で肉を噛み締めていると、少しだけ尖っていた心が丸くなっていくのが分かった。


 だから、ふと、ある疑問が頭に浮かんだ。



 「師匠って、最近私のこと避けていませんか?」



 「……突然なに?」



 「いえ、さっき一人っきりになった時のことを思い返しまして、やっぱり以前は師匠と一対一だったじゃないですか。でも最近は、澪花ちゃんが成り代わるようにあっさりとその場所に収まって」



 言葉にしてみると、自分でも少し意地の悪い言い方だと思った。けれど、一度気づいてしまった違和感は、もう胸の奥に押し戻せなかった。



 「それで気づいたんです。師匠が一歩引いた姿勢で私に接しているなって」



 私は師匠の顔をまっすぐに見た。いつものように煙に巻かれる前に、答えを聞いておきたかった。



 「実際、そこんところどうなんですか?」



 師匠は、困ったかのように小首を傾げると、ゆっくりと口を開いた。



 「……まぁそうだね。僕は澪花ちゃんが来てから葵ちゃんと接するのを控えるようにした」



 「その理由は、葵ちゃんが僕に依存しかけてるように見えたから」



 「依存ですか」



 ……痛いところを突かれた。



 「そりゃあね。道場は険しい山の中。僕も集中して修行にはもってこいだろうとあそこに構えた。でも、死にたがりに片足突っ込んでいた葵ちゃんもそれに甘えて、僕以外と関わりを作ろうとしなかった」



 師匠は、炭火の上で焼ける肉串へ視線を落としたまま続ける。



 「環境が悪かった。原因だけはこのひと言で終わるけど、僕はね、もっと僕以外の存在に目を向けて欲しいと思ってるんだ」



 「……つまり、私に成長して貰いたかったからってこと、それだけですか?」



 「そう。それだけ――」



 「いや、違いますよね?」



 師匠の言葉を、バッサリと切り捨てる。



 「師匠って嘘をつく際に、無意識に頬を掻く癖ありますよね?師匠自身も気づいて、その都度止めたり偽装してましたけど、意識した時点で何かしらの予兆があります」



 師匠の場合は、指が引くつく程度。

 ……まったく、いったいどれだけの時間一緒にいたと思ってるんですか。



 「……私は、不出来ではあっても、その程度の隠し事を見抜けないほど愚かな弟子になったつもりはありませんよ」



 「……さっき言ったのも、本心ではあるんだけどね」



 「でも、他に隠していることありますよね」



 私の追及に、師匠は小さく息を吐いた。

 手元の団扇を動かす手が止まり、屋台を包んでいた煙がふわりと風に流されていく。



 「ひと言で言うなら――僕、そろそろ死ぬかもしれない」



 ――は?



 言葉の意味が、すぐには頭に入ってこなかった。

 遠くで鳴っていた太鼓の音が、急に水の底から聞こえるみたいに遠ざかる。人々の笑い声も、屋台の呼び込みも、全部が薄い膜の向こう側へ押しやられていく。

 師匠だけが、いつも通りそこにいた。

 いつも通りの顔で、いつも通りの声で、そんなことを言った。



 「……何を、言ってるんですか」



 ようやく出た声は、自分でも驚くほど掠れていた。



 「別に難病を患ったとかじゃなくって、ほとんど勘なんだけどね。死期が近い。なんとなくそう感じたんだ」



 網の上で脂が爆ぜる。


 じゅ、と小さな音がした。


 その音だけが、やけに生々しく耳に残った。



 「覚悟自体は決まっている。ただ、おんぶに抱っこな状態の葵ちゃんをそのままにして死に別れするのはあまりに酷だろ。だから僕は、澪花ちゃんを委ねて自立への道を促したんだ」



 「……そう、ですか」



 あくまで勘。合理的ではない。

 けど、これまで勘で今日まで生き延びてきた私が師匠の感覚をバカにすることはできない。

 本人にしか分からない感覚があるのは、私が身に染みて理解しているつもりだ。

 だから、きっとそうなのかもしれない。


 軽くうなずき、前に向き直る。

 すると、間抜けにも、ポカーンと口を開ける師匠の姿が目に入った。



 「?……どうかしましたか?」



 「……いや、想像していたよりあっさりした反応だったから逆に驚いちゃって」



 「なんですか、それ。もしかして泣きわめくんじゃないかなって思ってました?」



 「……まぁ、正直ちょっとあった。……以前に比べて、ずいぶんと強くなったね」



 強くなった?……それはそれは



 「それは買いかぶりすぎというもの。今の私は、現実を受け止めきれていないだけです。」



 きっと夜、私は布団のなかでボロボロに泣きじゃくりますよ。

 


 「で、言いたいのはそれだけですか?」



 「……うん、そうだよ」



 ……ああ、ずるい。ずるいよ、師匠。



 「……私は、ある時、すべてを失って一人になりました」



 ぽつり、とこぼした私の声に、師匠の団扇を動かす手が止まる。



 「母も妹も、将来を誓った親友も、人ならざる存在によって目の前で殺された。あの神に奴隷のような生活を強いられて、そこから解放されたあとも、私は死に別れを恐れてずっと一人で過ごしてきました。だから、もう慣れたと思ったんです。孤独なんて、いくらでも耐えられると」



 言葉にした瞬間、胸の奥が悲鳴をあげるようにきしんだ。けれど、ここで止まったら、二度とこの人に本音をぶつけられない。



 「でも、違った。心を狂わせて、何も感じないフリをしていただけだった! 私は師匠のおかげで、人との繋がりや、誰かを大切に思う心を取り戻せたんです。氷みたいに冷え切っていた私の心を、師匠が繋ぎ止めてくれた……! 私は、あの凍えるような寂しさを、もう二度と感じたくありません」

 


 師匠が最近、身の回りの片付けを始めていた意味が、ようやく繋がった。この祭りに協力したのも、お世話になった町への彼なりの見じまいだったのだ。

 だからってはいそうですかと見送れるわけがない。



 「私に、恩返しくらいさせてくださいよ」



 声が震えた。



 「勝手に全部決めないでください。自分はもういいとか、あとは私たちに任せるとか、そんな顔しないでください」



 喉の奥が熱い。

 言葉にすればするほど、胸の奥に押し込めていたものが溢れてくる。



 「私は、師匠に生きていてほしいんです」



 それだけは、言えた。



 「強くなれとか、自立しろとか、そういうのは分かります。分かりますけど……それと、師匠がいなくなっていいかどうかは別です」



 視界が滲む。

 けれど、目を逸らしたくなかった。



 「死んじゃうなんて、そんな簡単なことみたいに言わないでください……っ」



 視界がじわリと熱いもので滲む。

 喧騒の中、私の荒い息遣いだけが頭の中で響いていた。

 静寂を破ったのは、吹き出すような笑い声だった。


 

 「ハハハ、ハハハハっ……!!」



 突然、師匠が腹を抱えて笑い出した。私は涙をためた目のまま、呆然と彼を睨みつける。



 「ごめんごめん。葵ちゃんの言葉が、あまりにも真っ直ぐでさ」



 師匠は目元を拭い、困ったように笑った。その表情は、どこか肩の荷が下りたようにも見えた。



 「ただ、本当にその通りだと思ってね。あぁ、やっぱり一人で考えちゃダメだね。思考が変などん詰まりに埋まっちゃう。葵ちゃんの言葉でちょっと目が覚めた」



 そう言って、師匠は炭火の上に視線を落とす。ぱち、と脂が爆ぜる音がして、白い煙が二人の間をゆっくりと流れていった。



 「ありがとう。少し自分の立場がごちゃごちゃになってた」



 師匠は目元の涙を指で拭い、柔らかく微笑んだ。



 「僕は、もっと欲張って良いのかな」



 「当たり前です!」 


 

 ほとんど反射だった。考えるより先に、声が喉を突いて出ていた。



 「師匠がこれまで頑張ってきたことは、何より私が証明します。師匠は、自分のことを過小評価しすぎなんです」



 これまでの町の人々の反応を見れば嫌でも分かる。

 確かに、私と似て他人と交流する機会を作らなかった師匠は、知らない人から見れば怪しい人だろう。

 でも、これまで多くの命を救ってきた。その偉業を町の人々はみんな理解している。休んでいい、無理をしなくていい。

 隠居できないなら、私が師匠の代わりになります。

 師匠が背負ってきたものを、少しずつ私にも分けてください。



 「私を、町の人々を信じてあげてください。」



 「……わかった。僕も簡単には死なないように努力するよ」



 「私も師匠の負担にならないように、独り立ちできるようになります。一緒に頑張りましょう?」


 師匠はしばらく言葉を失っていた。

 網の上の串が焦げつきそうなほど長く黙り込んだ後、彼はゆっくりと視線を上げた。


 その目尻には、かすかな潤みが光っていた。

 だがそれを悟らせまいとするように、師匠は軽く咳払いをした。



 「……ああ。本当に、強くなったね」



 「それも師匠のお蔭ですよ」



 「ははっ」「ふふっ」


 

 私たちの間に、自然と笑い声がこぼれた。

 先ほどまでの重苦しい空気は、夜風と炭火の煙と一緒にどこかへ消え去っていく。



 「あっ、いたー!」 



 その時、明るい声が空気を震わせた。

 視線を向けると、澪花ちゃんに肩車されて元気に手を振る美里ちゃんの姿があった。その傍らには、安堵の表情を浮かべる見覚えのある女将さんの姿。

 ……まずい、完全に忘れていた。



 「そういや、あの小さい子の母親探してたんだっけ?なら行ってきなよ」



 「じゃあ、師匠も……むぐっ!」



 口に何かを押し込まれた。

 何かと思えば、師匠が放り投げてきた串焼きだ。私は慌てて咥え直し、ジロリと彼を睨む。



 「バカ。この場を放って行くわけにはいかないでしょ?ほら、これあげるからさっさと行っておいで」



 「むむむ……」



 反論できず、渡された計四本の串焼きを両手でしっかりと握りしめる。



 「じゃあ、帰ったら今日のお祭りの感想、たっぷり聞かせますからね!」



 「いや〜、流石に祭りが終わった頃には僕は寝てるかな」

 


 「だったら、明日朝一番です。約束ですからね!」



 そうだ。明日も明後日も、この騒がしくて温かい日常は絶対に壊させない。

 世界からすべての悲劇をなくすことはできないかもしれない。けれど、せめて私の手の届く範囲にいる人たちだけは、何があっても守り抜いてみせる。

 

 私は温かい串焼きの熱を両手に感じながら、光溢れる祭りの喧騒の中へと駆け出していった。


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