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第十話 "命の責任"


 耳鳴りがする。

 遠くで、波のような音が寄せては返す。



 (……ァー……ガァー……ガァー……!)



 ………


 ……


 …



 とろんとした意識の奥で、耳を(つんざ)くような鋭い音が響いた。

 嫌いな音だ。

 雲の中、空を飛ぶようなふわふわした心地よさとはかけ離れたその音。


 それを意識した途端、急に現実に引き戻された。

 ……ふと、目を開けると、うつつな淡い網膜にもう見慣れた人影が映る。



 「あ、起きた?」



 「……ししょう」



 口を開いて声を出そうとするが、掠れて言葉にならない。



 「…あぁ、はいこれ水。……上体だけでも起こせる?」



 随分と長く眠っていたようで、体は石のように固まっていた。

 肘を立てると、背骨をはじめ節々からポキポキと音が鳴る。

 師匠の支えを借りながら、なんとか上半身を起こして湯飲みを受け取る。



 「……ありがとう、ござい…ます……」



 喉は、渇きを通り越してヒリついている。

 湯飲みの水をゆっくりと喉へと運ぶつもりが、口に入る勢いは次第に強まり、ついには一息で飲み干してしまった。

 ぷはっ、と小さく息が荒れる。


 すると、背中から人肌の温もりが伝わってきた。



 「大丈夫?まだ声が掠れて喋るの辛いでしょ。無理しなくていいよ」



 「……はい」



 「それと、これ……お粥作ってみたんだけど、食欲ある?」



 「……いただきます」



 そうして出てきたのは盆に乗ったドロっとしたお粥。少し塩が振られているかもしれないが、全体的に白一色。米粒の形が分からないほど崩れ、水分が多め。


 正直なところ、食欲をそそる見た目ではなかった。



 「……これは」



 「まぁ、三日ぶりのご飯だからね。こうまでしないと胃がびっくりしちゃうから我慢して。お世辞にも上手いとは言えないけど、食えないほど不味いってわけじゃないから。何度も味見した僕が保証するよ」



 「……ありがとうございます」



 お盆を受け取ろうとするが、案の定腕が上がらない。



 「あぁ、無理しないで。食べさせてあげるから」



 「い、いや、そんな……」



 「いいからいいから。ほら口開けて」



 師匠に言われるがまま口を開くと、匙で掬われたお粥が優しく運ばれてくる。



 「はい、あ〜ん」



 「……」



 観念して口を含む。



 「どう?やっぱそんな美味しくないでしょ」



 「……」



 ……味は、確かに美味しくはない。良く言えば素材本来の優しい味で、悪く言えば病人向けだ。

 でも師匠の気持ちが嬉しくて、優しさが温かくて、つい頬が緩んでしまう。



 「……美味しいです」



 「そ、そう? 無理しなくてもいいんだよ」



 「そんなまさか、無理なんてしていませんよ」



 そう答えながら再び口を開き、お粥をねだる。



 「……んっん……さっき師匠も言ったじゃないですか『お世辞にも美味しいとは言えない』って。……だからこれは、お世辞じゃありません。「美味しい」っていうのは、私の紛れもない本心です」



 私はそう言い切った。

 すると、師匠は何か言いたそうに口を開き、すぐに閉じた。そして、「そっか」とだけ呟き、またお粥を食べさせてくれる。

 平静を装おうとしているようだが、顔はニヤついているし、口の端は痙攣していた。

 師匠に弟子入りして早2ヶ月。その表情は初めて見るものだった。

 私もそれにつられて笑う。


 そうして穏やかな時間の中、私はいつの間にかお粥を平らげていた。




 ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇




 「さてと、飯食って腹も膨れたことだし、そろそろ本題に移ろうか。まずは葵ちゃんが気絶した後のことからだね」



 師匠が新たに持ってきた林檎を剥きながら、私に向き直る。



 「……お願いします」



 「じゃあ、まずはどこまで覚えてる?天狗退治の依頼を受けて、山に入って、天狗の住処まで行って……そこから先は?」



 「……」



 私は記憶を探る。確か……



 「…天狗たちを全員倒したら急に人狼が現れて、襲われて、師匠が途中でやられたから一人で戦う羽目になって……それで、私が追い詰められた所で師匠に助けられた…」



 「うん、それで正解。葵ちゃん、助けたときにはボッコボコのズタボロボロ雑巾だったから、どうなる事やらと思ったけど、元通りに回復して良かったよ」



 「……そんなにですか」



 でも、言われてみれば確かにボコボコ。私の動きなど簡単に読み切られ、優位に立った瞬間など無かった。

 特に、最後の一撃は殆ど無防備で食らっていたはずだ。肋骨を中心に十や二十は折られていたとしてもおかしくない。

 そう思い胸や腕を触ってみるもしっかり繋がっている。僅かに痛みがあるが、それもすぐに引いた。

 今なら箸を持つくらい何とかなりそうだ。

 

 腕を軽く回していると、師匠は目を細めジト目になる。



 「いや〜、大した回復力だね、ほんとに」



 「……確かに、便利ではあります。やっぱり、師匠も欲しいですか?」



 「うーん、まぁそうだね。妖魔退治って危険がいっぱいで、骨を一本やるだけで休養を強いられるし、やっぱり無理ができるってのは強いよ。でもその力を得るのは碌な手段じゃないでしょ」



 「はい」



 「じゃあ、やめとく。僕は僕なりの身の丈でがんばるよ」



 師匠は剥き終えた林檎を小さく切り分け、私の前に差し出した。



 「にしても、あの人狼は想定外だった。やっぱ実戦って怖いね。万が一も起きないよう色々準備してたのに、その想定の遥か上を踏み越えていく」


 

 「……アレはいったい何だったんですか?町長の話ではあんなのが山にいるなんて聞いてないです」



 天狗たちと比べれば知名度は低いかもしれないが、脅威度は比較にならなかった。

 特にあの暴力性。この村くらい一日足らずで滅ぼせる怪物だった。



 「そこら辺、村長含めて村中の人間に問いただしてみたけど、知らないって返された。となると、最近新しく生まれたか、別のところから来たか。案外どっちももあるのかな?」


 

 「……えぇ、まぁ、そうですね。でも、後者はともかく前者は考えづらくないですか?」


 

 「そりゃまた何で?」



 「だってあの人狼。明らかに"武"を使っていました。それも、私なんて足元にも及ばないくらい精練された"武"を」



 牽制したり、わざと隙を作ったり、まるで師匠を相手にしているみたいだった。

 そんなことを考えていると、当の師匠は、キョトンとした目でこちらを見つめていた。



 「あー、もしかして知らない?」



 「何をですか?」



 問い返すが、師匠は「うーん」と唸るばかりで答えてくれない。視線を右往左往させ、迷った末に一つ頷くと、意を決したように私と向き合った。


 

「……じゃあさ、"妖獣"って知ってる」



 「馬鹿にしないでください。狸が化け狸になったり、みたいな普通の獣が妖力に充てられて妖魔化した存在ですよね?」



 三ヶ月前に倒した妖猫などがまさしくそうだ。

 詳しい理屈は知らない。ただ、彼らは前触れもなく変わる。変化前の記憶を持ちながら、凶暴性が上乗せされ、時には飼い主を襲うこともある。

 妖魔と違い、彼らは実体を持つのはそういう――あれ?



 「うん、察したみたいだね。そう――人間も、妖獣になるんだよ」


 

 「――へ」



 一瞬、胸が固まったみたいに、息の仕方を忘れた。



 ――。



 ……え、あ



 ……あれ? じゃあ私、人を――



 「葵ちゃん!」



 ガシッと肩から衝撃が走る。

 目の前には、いつになく真剣な目つきで私を見下ろす師匠がいた。



 「待った。そのまま止まって葵ちゃん」



 何も考えられない。

 頭が真っ白になったかと思えば、嫌な想像が押し寄せ、思考がぐるぐると絡まり合う。



 「ほら深呼吸して、ひっひっふー、ひっひっふー」



 「……ひっひっふー、ひっひっふー……」



 師匠のどこか抜けたような「ひっひっふー」という誘導に、必死でしがみつく。

 肺に酸素が行き渡るにつれ、耳の奥で鳴っていた鼓動が、重い鉛を打つようなリズムへと落ち着いていく。


 どれだけの時間そうしていただろう。

 灰色の思考の中、些細な疑問を湧く。妙に息苦しい視線を横にずらせば師匠の横顔が映る。

 そこで私は、師匠に抱きしめられていることに気付いた。


 先程とは別の意味で思考が止まる。


 そんな私の様子を知ってか知らずか、師匠は優しく語った。



 「大丈夫。今はただ聞いていて」


 

 師匠の声は低く、静かで、夜更けの火のように揺らぎがなかった。



 「まず、“妖獣化”した人間は、もう“人間”としては生きられない」



 師匠は私を抱いたまま、少しだけ腕に力を込める。

 逃がさないためじゃない。崩れないよう、支えるための力だった。



 「妖力に侵食された時点で、肉体も精神も不可逆に変質する。理性は削れ、衝動と暴力が主になり、最終的に人を襲うことが快感を得る怪物になる」


 

 「……。」



 「それに最後に手を下したのは僕だし、葵ちゃんが気にする必要なんて――」



 「……それは、違うと思います」



 気付けば、声が出ていた。


 師匠の腕をそっとほどき、身体を起こす。

 まだ少し震える膝を抑えながら、正面に座り直した。


 墨色の瞳を、逃げずに見つめる。



 「師匠の言いたいことは、分かります」



 喉が痛む。それでも、言葉を止めなかった。



 「私を守ろうとしてくれているのも、傷つかないようにって考えてくれているのも……全部、分かっています」



 一度、息を吸う。



 「でも……私には関係ない、なんて」



 胸の奥が、軋んだ。



 「そんな無責任なこと、しちゃいけないと思うんです」



 沈黙が部屋を満たした。

 重苦しい静寂を破ったのは――フッ、という、師匠の短い笑い声だった。



 「良い目をするようなったね」



 師匠は、穏やかに笑った。



 「こちらこそごめんね。葵ちゃんを見くびってたみたい」


 

 師匠は立ち上がると、襖に手をかける



 「少し、外に出ようか。もう身体は大丈夫なんでしょ」



 そう言われ、私は一瞬だけ迷った。

 身体は確かに動く。けれど、心はまだ、さっき聞いた言葉の重さを抱えたままだ。



 「……はい」



 それでも、頷いた。

 ここで立ち止まったままでは、きっと何も整理できない。




 ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇




 外は、まだ十分に明るい。

 体感でお昼は越しているだろうと思っていたが、日が昇ってまだ二刻も経っていないらしい。三日も眠っていたからか、時間の感覚がズレていた。

 

 行商人や通行人が忙しそうに行き交う。

 前日までの、天狗という恐怖に怯えていた町の様子とまるで違う。かつての活気を取り戻していた。


 ちゃんとこの町を救えたんだ、守れたんだ。


 その安堵からか、口角が緩む。


 でも、少しだけ気分が晴れない。


 その理由はやはり妖魔のこと。

 彼は、もうどうしようもなく妖魔と成り果て、襲ってきたから反撃した正当防衛と簡単に言える。

 けれど胸の奥に、まだ小さな棘が残っている感覚があった。



 「……別に、彼を殺そうとしたことを、後悔している訳じゃありません。」



 雑踏の中を歩きながら、私は誰に問われるでもなく呟いた。



 「私が知りたいのは、一人の命を殺してしまったかもしれない。その責任の取り方です」



 私にはそれが分からない。精々挙げられるのは、今まで殺してきた者たちの顔を忘れないようにする、くらい。でも、そんなことは何もやっていないのと同じようにしか思えない。



 「ないよ。そんなの」



 だが、師匠はバッサリと切り捨てた。



 「……え」



 「え……って、僕は神様じゃないんだから、知らないことがあるに決まってるでしょ」



 それはそうだが、それでも驚いた。

 だって師匠はいつも私の前をいて、安心させてくれた。

 だから――



 「……まぁ僕もね、昔はそういうのは考えたよ。考えすぎて、吐くほど悩んだよ。でも駄目だった」



 師匠の黒い瞳は、何処か諦めを帯びていた。

 そんな顔は初めて見た。



 「例えば、墓を作るとかしようと思った。でもね、食い散らかされた被害者の墓も満足に作ってないのに、作れないって。それはあまりに被害者たちに失礼だと気付いたよ」


 

 「……。」



 「"命は平等"……うん。良い言葉だと思うよ。でもやっぱり、僕たちが退魔師である限り、同情するべきなのは絶対的に人間だけなんだ」



 師匠は立ち止まり、不意に私を振り返る。その無機質な瞳に、私は射すくめられた。



 「葵ちゃんさ――妖魔に、心があると思ってる?」



 「なにを……」



 その先を、私は言うことができなかった。

 黙ってしまった私を見て、師匠は一つ頷くと話を続ける。



 「……やっぱりね。あぁ、別に隠さなくていいよ。さっき言ったよね?"僕も、昔はそういうの考えた"って」


 「その時は妖魔を十、二十と殺して精神か参っちゃってね。僕を恨んでいるんだろうか憎たらしいだろうなって考えた」


 「で、僕が出した結論は、"命に責任を持とうとする必要はない"だった」



 「……命に、責任を持とうとする必要はない」



 「そう。彼らの死を覚える必要はなく、ただ無感情に妖魔を殺す。覚えるのは経験だけで良い。……そう考えているんだけど、納得いかなそうな顔をしているね」



 ただ頷いた。



 「師匠の言いたいことは、正しいと思います。でも、責任から逃れて彼らのことを忘れてしまう方が私には辛いです」



 「それは、茨の道だよ」



 「覚悟しています」



 師匠は肩を竦めると、また歩き出す。



 「じゃあ、僕が助言できるのはここまで。葵ちゃん自身の経験で答えを見つけて、悩んで苦しんで、葵ちゃんなりに答えを導き出すといいさ」


 

 「私なりに答えを導き出す」



 「うん。いやそうだ、あと最後に、これだけ聞かせてよ」



 「……?」



 足を止め、振り返る師匠が浮かばせるのは、いつになく真剣な眼差し。



 「君は、何のために退治屋になったの?」



 「……何のために?」



 私も歩みを止め、師匠の言葉を復唱する。


 そんなのいくらでも挙げられる。

 お金稼ぎ。化け物との戦闘経験稼ぎ……

 でも、そういうのは生きるためにそれが最適だと思ったから。周りの環境が決めたことだ。

 私自身がこの仕事をしたいと決めたのは、また別。


 そうだ。結局、退治屋としての道を選んだ理由っていうのは一つだけ。


 私は――



 「私は人ならざる者から人々を守りたくて、退治屋になりました」



 世界は残酷だった。

 過去は消えないから、私はもう救われないと決まっている。だから私みたいな人がこれ以上増えないようにしたい。

 それが夢も未来もすべて壊された。私のただ一つの願い。




 数秒の静寂が流れる。そして、師匠はフッ――と笑みを浮かばせた。



 「じゃあ、やっぱりここに来て良かったよ。今の君なら僕にはできない選択をできそうだ」



 「ここ?」



 そう返すと、師匠は目の前の建物を指さす。


 なかなか立派な屋敷だった。私の倍の壁で外界との境を区切られ、入り口には木目調が立派な門が構えられている。

 装飾は金属がふんだんに使われている。明らかに周りと雰囲気が違うその光景には既視感があった。

 

 そうだ。ここは、この辺りを治める地主の屋敷だ。






 「どうぞおいで下さった、山茶花(さざんか)殿。そちらの娘は?」



 門番に通してもらうと、深緑の市松模様に身を包んだ壮年の男が出迎える。背丈は高く、私より頭一つ分高い。全身筋肉質で、腰に太刀を携えている姿は名だたる武士だと察せられた。



 「うん、僕の弟子。それより件の子に会わせてもらえる?」



 「あぁ、構わん。ついてきてくれ」



 彼はぶっきらぼうに返すと、手を振る。

 師匠の態度は結構無礼だと思うのだが、それでも怒らない辺り何かあるのだろうか?

 そう思いながら、地主に連れられてついて行く。



 「足元に注意してくれ。何分あまり使ってなかったもので、清掃が行き届いていないのだ」



 案内された先は地下牢だった。

 階段を降りるにつれ、湿り気を帯びた冷気が足元から這い上がってくる。

 空気は澱み、重苦しい。壁にかけられた松明がパチパチと爆ぜる音だけが、やけに大きく響く。

 黒々とした鉄格子が並ぶその光景は、ここが罪人を閉じ込めるための場所なのだと無言で語っていた。

 奥からは、ポタポタと水滴が滴り落ちる音が聞こえる。


 その突き当たり、最も厳重な檻の中に、一つの気配があった。



 「……今度は誰かと思ったら、地主さん直々ね。じゃあ、処刑人さんがようやく来た?」



 彼女は軽く目を細めると、私たちを見渡す。

 まだ若い女性だった。所々に包帯が巻かれて血が滲んでいる。だがそれ以外に変なところはなく、ごく普通の人間のように見え


 ――ガチャッと、金属が擦れる音が響いた。



 「え?」



 ここには私、師匠、地主さん、そして目の前の女性。この四人しかいない筈だった。でも先程の物音は、明らかに私たち以外の存在によっておきていた。

 異常な事態に感覚が研ぎ澄まされる。


 そして気付いた。檻の更に奥にいる、異質な気配に。



 「……こんにちは。またお会いできて光栄です。"退治屋さん?"」



 鈴を転がすような、けれどひどく空虚な声だった。


 松明の揺れる明かりの下、私は息を呑んだ。


 小柄な身体はボロ布で覆われている。首と足首には、不釣り合いなほど太い鉄の枷。まるで猛獣を繋ぎ止めるかのような扱いだ。

 だが、何より私の目を奪ったのは、その身体の右半分だった。

 頬から腕にかけて、水色の蛇を思わせる硬質な鱗がびっしりと肌を浸食している。松明の光を弾き、鈍く、妖しく輝くそれ。

 左目は切れ長な黒。対照的に、右目は血のように赤い。

 人と妖魔。二つの性質が、一つの小さな身体の中でせめぎ合っている。


 その姿はあまりに痛々しく、そして残酷なほどに美しかった。



 「……彼女は、いったい」



 思わず漏らした声に、地主が眉をひそめて師匠を見た。



 「何だ、言っていないのか?」



 「えぇ、彼女は先程起きたばかりで。一旦、現物を見せてから説明した方が手っ取り早いかなと」



 「じゃあ奥で説明してやれ。私もまだ彼女らと話すことがある」



 「言われなくても」



 師匠は肩を竦めると、私に向かって手招きした。



 「そうだねぇ。じゃあまず、さっき、人狼の話で人間が妖魔になることがあるって話したじゃん」



 「はい」



 「それに関係して、彼らは妖魔化しても生殖能力を持っている場合が多くてね。人間と子を成すことができるんだよ」



 「まぁ、思考か妖魔に染められている彼らが大体幸せな関係を作れることはないんだけど。それで生まれたのが彼女。"半妖"って言われる存在だね」

  


 「半妖……」



 後ろを振り返り、半妖の少女を見る。



 「で、彼女自身の話なんだけど。天狗の所に殴り込みかけた際に、攫われた人間たちがいたの覚えてる」



 「はい」



 「その中に彼女がいてね。妖魔も、半分人間の彼女は仲間みたいな意識は無くて虐待されていたみたい。それで僕たちが天狗を倒したから救出されたんだけど、そこからが面倒な話でね。なんとなく、葵ちゃんも予想つくでしょ?」



 「えぇ、まぁ……。得体の知れない妖魔の子など、生かしておけない。そう言われたんですね」



 「正解。で、その汚れ役が僕たちに回ってきたってわけ」



 「師匠は、あの子を殺すつもりなんですか?」



 私の問いに、師匠は平然と頷いた。



 「……そうだね。君が目を覚まさなければ、今夜あたりに人知れず処分する予定だった」



 師匠の声には、先ほどの優しさは微塵もなかった。ただ「仕事」を遂行する職人のような、冷徹な響き。



 「じゃあ、今は違うんですね」



 「それは、葵ちゃん次第かな」



 師匠は私を試すように、暗がりの奥で微笑んだ。


 そこで私はようやく気付いた。師匠は、私に半妖の少女の生死を決定する選択をさせようとしている。

 檻の向こう側で、少女の異色の双眸がじっと私を射抜いている。

 彼女は分かっているのだろうか?私の一存で彼女の命が握られていることに。

 命の責任。いつも退治屋としてやっている筈なのに、その事実が鉛のように重い。


 そこで私は、先程吐き出した自分の言葉を思い出す。



 「私は人ならざる者から人々を守りたくて、退治屋になりました」



 彼女は、守るべき人間なのか?

 それは分からない。だから、これから考えよう。まず相手を見て、知ろう。それが私のやり方だから。



 「話は終わったか?」



 「ええ、大丈夫です。じゃあ、そこら辺も踏まえて今一度話し合いましょうか」



 師匠の言葉に、それぞれが頷く。

 地主さんを境に、私と師匠。半妖の少女と女性で分かれる。

 そういえば、この女性は誰なんだろう?半妖の少女を、庇っているようだから母親なのかなと思ったけど、正直顔があんまり似ていない。

 怪訝な顔をしていると、それに気付いた彼女が自己紹介を始める。



 「私の名前は塩野目(しおのめ)ユノ。天狗に攫われた時、この子……澪花と同じ檻にいたの」



 彼女は慈しむように、背後の少女――澪花へと視線を送る。



 「少し天狗と一悶着あった際に、私は彼女に命を助けられた。だから、今度は私が守りたい。殺す必要なんてない、そう主張したのだけど……」



 「俺は、この地を治める者として危険分子は排除しておきたい」



 地主が低い声で割って入る。



 「情で動いて、村人全員を危険に晒すわけにはいかん。だが、塩野目があまりに頑固でな。妥協案として、専門家であるお前たちに判断を一任することにした」



 「……できるなら彼女を護ってやりたいけど、命の恩人であるあんた達の判断なら従う。そういう約束よ」



 つまり、私たちの言葉が判決になる。

 重苦しい沈黙の中、私はふと気になっていたことを口にした。



 「あの……お二人は、師匠とお知り合いなんですか?」



 先ほどから、ユノさんと師匠の空気が妙に尖っている気がしたのだ。

 私の問いに、二人は顔を見合わせ、同時にふいっと視線を逸らした。

 


 「昔、僕が告って」



 「フッた。それだけの腐れ縁よ」



 「えっ」



 思考が停止した。

 師匠が告白? フラれた? 

 とんでもない爆弾発言に目が白黒する。師匠にそんな青い過去があったなんて。

 私がパクパクと口を開閉させていると、師匠がバツが悪そうに咳払いをした。



 「と、とにかく! そういう訳で、僕の判断は保留。全ては葵ちゃんに任せる」



 「……できるのか? その娘に」

 


 「それは半分人間の彼女を殺せるのか。命の選択ができるのか。……どっちの意味で?」



 「両方だ」


 

 村長さんのため息が響く。


 

 「できるさ。そう確信したから、僕は彼女をこの場に呼んだんだ。ねぇ葵ちゃん?」



 「はい」



 私はもう逃げない。

 彼女が人間に仇なすか否か、それだけが判断基準。出した答えが間違っているかは、まだ問わない。今は自分が出せる最善策を。

 そのために――



 「少し、彼女と二人だけで話をさせてください」



 「分かった。じゃあ僕たちは世間話でもしていようか、ほら行った行った」 

 


 師匠はニヤリと笑い、何か言いたげな地主さんとユノさんを促して階段を上がっていった。


 重い鉄扉が閉まる音が響く。

 地下牢に、私と彼女、二人きりの静寂が満ちた。

 私は格子の前に屈み込み、彼女と視線の高さを合わせる。

 


 「改めて、こんにちは。私の名前は秋風葵。貴方の名前は、何ていうの?」



 彼女を真正面から見定める


 彼女の冷たい瞳は、正直、何を考えているかは分からない。

 恐怖、緊張、焦り?いや、どれとも違う。彼女の感情は、さっきから何一つ変わっていない。

 感じ取れるのは「諦め」それだけを帯びている。



 「……私は、水鏡(みすかがみ)澪花(れいか)。ねぇ、退治屋さん――」



 彼女が名を口にした瞬間、牢の奥から冷たい風が吹いた気がした。

 彼女の瞳は、鏡のように静かだった。けれどそれは、穏やかな水面ではない。すべてを諦め、凍りついてしまった冬の湖だ。

 かつて、希望を失った私が見ていた景色。

 自分自身の終わりを、どこか他人事のように眺めている『壊れた』瞳。



 「やっぱり、私を殺すの?」



 その問いに、私は恐怖よりも先に、懐かしさによく似た痛みを覚えた。



 「……貴方はどうしたいの?」



 だからこそ、私は聞いてみた。



 「……どうでもいい。私の死で街の皆が安心するならそれで良い」



 あくまでどうでもいい、ね。

 そっか。死にたいって、言わないんだ。


 私は自然と、鉄格子の隙間から手を伸ばしていた。



 「……っ、な」



 彼女が驚いて身を引こうとする。鱗に覆われた右手に、私が触れたからだ。

 ひんやりとして、硬い感触。でも、その奥には確かな体温があった。



 「師匠」



 「はいはい。もう決まったの?」



 聞き耳を立てていたのだろう。

 小さく呼んだだけなのに、師匠はひょっこり姿を見せた。



 「はい。……この子は、守るべき人間です」



 私の言葉に、降りてきた三人の視線が集まる。

 師匠は、試すように目を細めた。



 「葵ちゃんがそう言うなら、そうなんだろうね。……でも、もし」



 師匠の声のトーンが落ちる。

 場の空気が、一瞬で張り詰めたものに変わる。



 「時が経ち、妖魔としての面が表れて、彼女が人に害を成したら? その時、君はどうする?」



 「……」



 喉が渇く。

 それは、「可能性」の話だ。けれど、決して無視できない未来の話。


 私は震える澪花ちゃんの手を、一度だけ強く握った。そして離し、師匠を真っ直ぐに見据える。



 「その時は」



 静かに、しかしはっきりと、私は宣言した。



 「私が彼女を斬ります。……その責任も、罪も、全部私が背負います」



 「……!」



 ユノさんが息を呑む音が聞こえた。

 師匠は、無言で私を見つめ続けている。その瞳のの奥底を覗き込むような視線に、私は負けじと対峙する。

 数秒が、永遠のように感じられた。

 やがて、師匠は小さく息を吐き――いつものように、ニカっと笑った。



 「……なるほど。合格だ」



 張り詰めていた糸が切れ、私は大きく息をついた。

 願わくば、そんな未来は訪れてほしくない。

 けれど、世界は綺麗事だけでは成り立たない。私はそれを、もう知っているから。

 だからこそ、もしその時が来たなら、私は迷わない。


 それが、私なりの「責任」の取り方だから。


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