第9話 僕は透明人間になってしまったようだ
「……はぁ」
昨日、有佐と歩いた同じ道を歩く。幸いなことに、隣のグラウンドからは外部活に励む人たちの声が聞こえる。それがいい感じのノイズになって、僕の内側に芽生えてしまったよくない存在をぼやかしてくれている。
――なーんで、こんなにドンピシャで……。
僕と似た怨霊の存在、そして秀樹が神社に呼び出してきた理由。交わることのないはずの二つが、容量に限りがある僕の脳内で互いに勢力を増している。
先生はこの目で怨霊を見たって言ってたけど、絶対ただの見間違いな気がする。いや、これはただの僕の願望か。真っ黒とか、姿が見えなかったのなら怨霊の存在を否定できそうだけど、透明ってことがわかるってことは、透けている何かがあると認識できたということ。
見える部分と透けて見えない部分がなければ、透明であると判断できない。怨霊はガラスみたいに、透明だけど実体が認識できる何かであった。そう考えるのが妥当なはず
――って、僕はホラーミステリーの主人公じゃあるまいし。なに本気で考えてるんだ。
あれだけ憧れていた物語内の主人公も、いざ自分がその立場になってみると面倒極まりないことが今わかった。
――はぁ。今の僕の生き様って、どんなジャンルに分類されるんだろう。
群像劇でもなければ、恋愛でもないし、青春とは程遠いし。ヒューマンドラマという大きなくくりに収まるのかな。高校生活はまだまだ始まったばっかりだから、余計にわからない。このわからないからこそ抱けている期待も、時間が経てばなくなっちゃうのかな。
とりとめのない考え事に区切りをつけると、神社の参道の手前にたどり着く。
上を見上げても、誰もいない。昨日はわざと怖い顔をした秀樹がいた。普段は不機嫌さや悩みとは程遠そうな振る舞いをしているのに、一人の時は違う、らしい。有佐から聞いた情報だから、自分で見るまでわからない。
とぼとぼと歩みを進めていく。時間にして5時を過ぎたころ、僕は丁度参道を登り切った。
「――いた」
少し離れた場所に、黒く縦に長い人のシルエットが見えた。秀樹は無表情でバッグを片手で担いで、手にしたスマホに視線を落としている。
まるでドラマのワンシーンみたいだった。広々とした閑静な舞台に佇む、一人の男子生徒。日が傾き始めた夕空を背景に何を思い、何を望んでいるのか。そのどれもをさとらせないミステリアスさを秘めた表情は、悔しいけど整っていた。
別にイケメンが嫌いという訳じゃないけど、そのイケメンが秀樹ということに対して苛立ちにも似た感覚を覚えている。
気付く素振りを見せないので、そっと近づいてみる。
「……おーい」
小さな声で呼びかけてみる。だがしかし、秀樹は一向に振り向かない。
あれだけ勘が鋭かったのに、秀樹はいつまで経っても僕の存在を認識してくれない。耳にイヤホンをしているわけでも、そっぽを向いているわけでもない。それなのに、僕の存在に気付いてくれない。――まるで僕の存在が透明になってしまったように。
「……うそ、でしょ」
信じたくないという一心で、とうとう僕は秀樹の目の前まで来てしまった。意図的に無視をしようとも、できないほどの距離だ。だがどれだけ僕が見つめようとも、声をかけようとも、視線をスマホの画面に落としたまま。
今一度、僕は自分の体があることを確認した。当然、僕の体はいつも通り実体があって、生き物らしい熱があった。だけどそのことがかえって僕の不気味さを増強させることになる。
「あの……、秀樹?」
僕はついに手を伸ばした。その手は確かに秀樹の肩に触れた。触れて、揺さぶるように力をかけたのに、秀樹は自分の身に加えられた変化に気付く素振りを見せなかった。この瞬間、僕の頭の中で均衡を保っていたはずの存在が、一方へと大きく振り切った感覚がした。
「冗談、だよね?……ねぇ」
距離を少しとって、視界の全てに秀樹を収める。声をかけようが、近づこうが、触れようが、全て意味がない。
それじゃあ今度は、何をすればいいの?僕は、幽霊にでもなってしまった?
考えがうまくまとまらず、水を掴もうとするにも等しい思いをすることになる。
物的接触は無意味で、僕の影響は最初からないことにされている。透明人間であっても、存在をないものとされている場合でも、誰かに気付いてもらえる方法――。
ふと、秀樹が手にしたスマホが目に入った。そして、答えはすぐに見つかることとなった。
――そうだ!気付かないなら、スマホに電話をかければ!
ひらめきと共に、僕はすぐさま秀樹に電話をかけようとスマホを取り出した。さっきメッセージのやり取りをしたのだから、きっと今の状態でも連絡はできるはず。
秀樹を目の前に秀樹に電話をかけるという、わけのわからない状況だけど、それ以上に今の僕はわけのわからない状態になってしまっている。しかしその状態は現代テクノロジーに適用されることはなく、数秒もしないうちに秀樹のスマホから着信音が聞こえてきた。
「やった、つながった!」
秀樹は僕からの着信を見て、口を半開きにしながらスマホを耳に当てた。
『「あーもしもし、どうした甘楽?」』
正面と耳元から、秀樹の声がずれて聞こえてくる。
「あの、秀樹。今から変なこと言うんだけどさ」
『「あぁ」』
「僕、透明人間になっちゃったかもしれない」
『「……えーと、どういうこと?」』
訳の分からないことだけど、ありのままの状況を秀樹に伝える。そのせいか、秀樹は一言感想を述べて言葉を失っていた。
「まぁ、そうなるよね。えーと、とにかく、何だか知らないけど気付いてもらえないの」
『「気付いてもらえないって、誰に?」』
「秀樹に。さっきからずっと目の前にいるんだけど、見えてないの?ほら、ねぇ」
秀樹の視線上で手を振ってみるも、やはり見えてないのか気付いてもらえない。どれだけ大げさに振ろうとも、秀樹は周囲の様子を見渡すだけ。
「お願い、気付いてよ。ほら、ここにいるんだから……」
誰からも気にかけられない、透明な存在を僕は望んだのに。それなのにいざ本当に自分が透明になったらこんなにも嫌な思いをしてしまうだなんて。
そんな自分に対する嫌気と後悔が膨れ上がった時だった。
『「まぁ待て、落ち着けって。大丈夫、オレは甘楽の存在を忘れたりはしてないからさ。だから慌てなくて大丈夫。事情はよくわからないけど、大変なことになってることは伝わったから」』
「……秀樹」
正面から、優しい声が聞こえてきた。台詞臭さのある言葉だけど、僕の気を一度落ち着かせるには十分なものだった。
あぁ、この人は、いざとなったらこんな優しい声をかけてくれるんだ。そう思うと、心に隙間が生じて、何かが緩んでしまいそうで嫌だった。
「……うん、わかった。でも、やっぱりどうしよう。このままじゃ僕は、電話越しでしか認識できない存在に……」
『「まぁ、不安になるのは仕方ないよな。でも大丈夫。甘楽の姿は普通に見えてるから」』
「あぁ、そうなんだ。それならよかった……、って、――――――あれ?」
会話の途中で覚えた強烈な違和感は、僕の視線を慌てて秀樹の方に向けさせた。
確かに今、秀樹は僕の姿が見えていると言っていた。でも今まで僕のことが見えている素振りを見せてなくって……、
「ちょっ、えっ、まっ、待ってまさか!?――あぁっ!」
言葉を詰まらせながら見上げた先。そこにあったは、吊り上がった口角と引き絞られた目じりを僕に向けた、秀樹の姿だった。
――そう、僕はまた秀樹の手のひらの上で踊らされていたのだ。
『「ん?どうしたんだ?透明人間さん」』
言い切ると同時に、秀樹は電話を切って僕を真っ直ぐ見下ろした。笑うのを必死にこらえているのか、口元がむずむずと動いている。
「うっ、うぅーっ!!!」
嗚呼、人は恥ずかしさと怒りが最高潮に達すると、言葉が出てこなくなることだけはわかった。それ以外は、わからない。いや、今すぐこの男をどうにかしてやりたいという一心が煮えたぎって仕方がなかった。
そんな僕の内心を気にもしない様子で、秀樹はケラケラと軽快に笑っていた。