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僕の「せい」と言うべきか  作者: 北村 陽
第一章 第一節【透明な僕と、出会い】
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第5話 僕の過去と重なる出来事

「あっ、え、その、えーと、……うん。いいよ」


「ほんとに?ありがと」


 急激に距離を詰めたせいか、有佐は困った様子で視線を動かしながら返事をした。けど、僕の指先をそっとつまみかえしてくれたことから、僕の誘いを本心で受け入れてくれたことがわかった。爪の形と指先が細くて、滑らかで、温かい、闘争を知らない柔らかな大きな手だ。

 思わず僕は有佐の手を見つめると、自信がないのか有佐は手を引っ込めてしまった。


「あぁ、きれいな手だったのに」


「……その、わたしの手、男の子みたいに大きいところがいやなんだよね。だから甘楽さんみたいな小さな手が羨ましい」


「僕は逆に、有佐みたいな大きい手が欲しかったけどね。それじゃあとりあえず、裏の神社辺りを散歩しようか」


「うん」


 他人のコンプレックスについての会話は素早く切り上げるに限る。自身に対して否定的なことを考えていると、その人が一般的な人間に近づこうという考えを無意識のうちにしてしまって、面白さを見せないようにしてしまうから。


 ――そういえばこれも、いなくなった君が残してくれた気付きだったっけ。


 有佐を隣に空を見上げ、黒く滲んで原形が曖昧な過去の出来事を思い浮かべる。いつかこの思い出は、何らかの形で処理しなくちゃならない。いつまでも僕が僕でいられる自信が、今この時点であまりないのだ。まだ学校が始まって一か月しか経っていないのに。

 今日の秀樹のようなイレギュラーが再び連続で発生すれば、今日まで築き上げてきた自発的な隔絶が無駄になってしまう。そして、僕は歪んだ嫌悪感を抱きながら、他人と接触しなくちゃいけなくなる。

 性別が嫌いだと、性別がある人間が嫌いだと一度認識してしまった以上、僕にとって精神衛生を最もよい状態で保つ方法は他人との接触を絶つこと。だけど、僕だって根幹は普通の人間だ。ずっとひとりでいるのは寂しいし、何よりつまらなすぎる。生きている意味が見いだせないほどに。

 だから僕は今、こうして有佐に声をかけた。そして期待に胸を膨らませながら、何を話そうか考えている。

 人気(ひとけ)の多い東側の正門を避け、僕らは北門から校外へと出ていく。


「あのっ、甘楽さん」


「ん?どうしたの」


「その、どうしてわたしの過去がわかったの?ずっと、そのことが不思議で」


 神社へと続く道を歩きながら、有佐の方から話を切り出してくれた。しかし、まさかあの場で即座に作り出したたとえ話が有佐の過去と重なるものだったとは思いもしなかった。


「うーん、そうだね。女子が苦手ってことは、女子から嫌なことをされたってことでしょ?でも、有佐みたいな無害で可愛くて優しくて誰からも好かれるような人に原因があるとは普通考えにくい」


「……そ、その、甘楽さん!わたしのことを評価しすぎだよ!」


 あまり褒められることに慣れていないのか、有佐はやり場のない気恥ずかしさを発散するように声の調子を上げた。人ってこんなにあからさまに頬を赤くできるのかと関心しつつ、更なる一手を加える。


「いや、僕から見た実際の評価だし、事実として有佐は可愛いよ?あったかいし、抱きしめたくなるような感じがする」


「……ほんとに?」


「うん。でも、一つだけ。有佐みたいな人だからこそ抱えてしまう問題がある。――それは自分でもわかってるでしょ?」


「……うん」


 僕がここまで有佐の過去の出来事について推測できるのは、単純な理由だった。――それはかつて僕も、有佐と同じ経験をしていたから。僕と有佐の境遇は、偶然にしてはあまりにも似すぎていた。


「甘楽さんが言った通り、昔ね、わたしのことが好きだった男子がいたんだ。その男子はみんなから人気で、その人のことが好きな女子もたくさんいたの。だから結果的にわたしは女子たちから一方的に嫌われることになった」


「一方的に好かれて、一方的に嫌われる。自分からしてみれば何もしてないのに、勝手に負の感情を押し付けられるって最悪だよね。やっぱり、性別ってクソだ」


 無意識のうちに吐き捨てるように言った最後の言葉は余計だと、口に出してから思うようになった。有佐みたいな荒波を立てない人がなぜ嫌な思いをしなくてはいけないんだと、当人でないのに憤りがあふれて仕方がなかった。

 しばらく互いに無言の状態が続いた。有佐はともかく、僕はこういった状況でも一切の気まずさを感じないため、そのまま目的地である神社を目指して歩みを続けた。

 程なくして学校の裏手にある神社に着き、傾斜のある参道を前に一度立ち止まった。


「どうしたの?甘楽さん」


「見て、有佐。あそこ」


 僕が足を思わず止めたのには明確な理由があった。視線の先、そこには一人で参道を登っていく秀樹の姿があった。

 つい先程まで数人の女子を侍らせて校舎内に入っていったはずなのに、いつの間にか僕たちよりも先に神社の参道にいる。多分、正門の方から出ていったのだろう。


「あれって、古谷くん!?」


「しっ、静かに。どうして一人でここにいるのか、ちょっと観察してみようよ」


「えっ、あぁ、うん」


 秀樹は僕に話しかけたときとは違って、どこか真剣そうな面持ちで歩みを進めていた。ほんの一瞬しか横顔を見ることができなかったが、まるで別人のような雰囲気をまとっていた。

 悟られないように、僕たちは一定の距離を保ちながら秀樹の後ろをついていく。その足取りは遅く、まるでこれから説教をされに行くのかと思うほどに。

 ざあざあと、参道の両脇に立ち並ぶ背丈の高い木々の葉が音を立てる。これから何かが起こるのではないかと予感させる空気が、参道を満たしている。


「あっ、見えなくなっちゃった」


 白塗りの鳥居が坂の先から顔を覗かせたあたりで、有佐が状況を口に出す。参道を登り切った秀樹の姿が見えなくなり、僕たちは一度顔を見合わせた。


「それにしても、秀樹はなんで一人でここにいるんだろう」


 部活をサボってここに来る理由とは一体なんだろうか。有佐も同じことを考えているのか、頭の角度を左右にこくりと傾けて考える。だが答えはすぐ近くにあるのだからと、僕たちは少し足早に秀樹が向かった先を目指した。

 うっかり鉢合わせることがないように、坂を登り切る手前辺りで一度速度を落とす。幸い、すぐ近く(・・)に秀樹の姿はなかった。――少し離れた場所に、秀樹ともう一人の姿があった。


「ねぇ、甘楽さん。もしかしてあれって……」


「うん、間違いない。――あの女子に呼び出されたから、秀樹はここにいるんだ」


 鳥居の近くにいるのは、どこか落ち着きのない様子の女子生徒と、秀樹の二人。状況から判断すると、おそらく秀樹はこれからあの女子に告白でもされるのだろう。女子の方は目を泳がせているのに対して、秀樹の後姿は一切動じていなかった。

 よく見ると、その女子は秀樹が昇降口の前あたりで一緒にいた女子たちとはまた別の人物であることがわかった。


「こっ、これってつまり、告白ってことだよねっ!?」


「うん、そうだね。あの女子、手紙みたいなのを持ってるし」


「ひゃあぁ、だから古谷くんは一人でここに来てたんだ」


 有佐は口元に手を当てながら独りでに静かに盛り上がっていた。思いのほか有佐の声が大きくて気付かれてしまうのではないかと思っていたが、春風がかき立てる雑音のおかげか秀樹たちに聞こえることはなかった。だが、むこうの声が聞こえないのはこちらも同じ。どんなに聞き耳を立てようとも、入ってくるのは雑音だけだった。

 そのまま僕たちは境内の入り口に構える狛犬の陰から顔を覗かせて、二人の様子を無言で眺めた。女子は手紙を渡す前にあれこれ話をしたのち、押し付けるように秀樹に手紙を渡した。気が強そうな見た目をしているのに、その顔は今にも泣きだしてしまいそうで見ているこっちがつらくなってしまう。有佐は終始はらはらした表情を浮かべてその様子を見守っていた。

 すると手紙を渡し終えた女子は逃げ出すように秀樹のもとを離れて、僕たちがいる参道の方へと足早に向かっていった。


「……」


 その女子は僕たちの存在に気付くことなく参道を下って、あっという間に見えなくなってしまった。体感的に一瞬の出来事ではあったものの、沸き立つ複雑な感情のせいで何重にも記憶が重なっている感覚がしていた。

 ――今日は一段と、君のことを思い出す出来事が多いなぁ。

 今はどこで、何をしてるんだろう。もう、好きな人はできなのかな?()のことなんてもうとっくに、忘れてくれているのかな?

 いつまでも参道の坂の下から視線を動かせないまま、現実とは関係のないことだけが頭に満ちている。


「――さん。甘楽さんっ」


「えっ、あぁ、どうしたの?」


「古谷くんがこっちに来てるよっ!」


「やばっ」


 有佐に制服の端をつままれて、ようやく僕は現実の出来事に気を傾けることができた。幸い秀樹は手にした手紙に視線を落としながら歩いていたので、僕の姿を見ることはなかった。

 間一髪。僕らは安堵から一度深く息を吐き、気配を悟られないように静かに秀樹が通り過ぎるのを待った。

 すると一歩ずつ、秀樹の足音が徐々に聞こえてくる。まるで館に徘徊する殺人鬼から身を隠すように、日常では味わうことのない緊張感と共に気配を殺す。

 そしてついに、秀樹は僕たちのそばを通り過ぎた。その横顔は別人のような鋭い眼光を宿し、不機嫌にも似た人を寄せ付けない無表情で固めていた。

 僕と有佐は秀樹の後姿を見て、無事見つかることなく尾行が成功したことから顔を見合わせ、笑みを交わす。――が、その時。秀樹は途端に足を止めた。


「……はぁ。――おい、それで隠れているつもりなら、もう二度と尾行はしないほうがいいぞ」


「「――っ!?」」


「一体何のつもりなんだ?お前ら」


 それは冷淡で、動悸を強制的に引き起こさせるような威圧感のある低い声だった。嫌悪にまみれた切れ長の目だけが、僕と有佐をしかと捉えていた。

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