お節介な彼女は無自覚人たらし
「……生産性がないわ」
ぽつり。天啓のように湧いた思いを零す。
日差しも穏やかな麗らかな午後、流行りのカフェのテラス席に一人で通されて、一息つく。本来は連れがいたのだけれど、彼は店前でポロポロと泣いて帰ってしまった。それを見送って、でも折角来たのだからと入店して五分ばかり。これで何度目か、とよくよく思い返している内、ふっと我に返った心持ちだった。
泣いて帰った彼――ヴァージルは学友だ。
ふた月前、学園内で複数人の令息が一方的に婚約破棄を告げられた。理由はちょうどその頃、隣国の皇太子が花嫁探しも兼ねて留学してくるとあり、一部の令嬢達は浮き足立ったのだ。ヴァージルはその、破棄された側の人間だ。
「ぅ……ベル…ベル…ッ!」
「……あの、ハンカチ使います?」
学園の図書室で読書をしていた私の耳に、元婚約者の名前を呼びながらすすり泣く声が聴こえたのが私たちの交流のきっかけ。あんまりにも哀れっぽく泣いてるものだから無視するのもなんだかいたたまれなくて、ハンカチを貸した。最初はそれだけだった。
「ベルは…例え皇太子に選ばれなくても隣国に行くらしい……」
「はあ」
「俺と婚約していたのは…人生の汚点だからと…!」
「ああ、はい、ハンカチどうぞ」
顔を合わせる度に元婚約者への未練を涙ながらに零すヴァージルに、何となく毎回付き合って。あまりにもべそべそしてるものだからと、時折遊びに誘った。
図書室の片隅に縮こまっていてはカビてしまうと彼を追い立てて、時に植物園、時に露店へと誘った。二回に一回は彼も楽しんでいた、と思う。だがダメな時は、彼の元婚約者との思い出を刺激してしまい、彼は泣きながら「今日はもう帰る」と私を置いて帰るのだ。まあ私のお節介なのでそれはそれでいい。良いのだけれど。
今日は街で流行りのカフェに誘った。道中は彼も楽しそうだったのだ。段々と彼も穏やかに話してくれる時間が増えてきて、やっと彼も前を向き始めたのだろうと思っていた、のだが。
「ナディア……ここ?」
「ええ。最近流行りなんだって。ケーキが人気らしくて、ヴァージルも甘いものは好きでしょう?」
「……」
「ヴァージル?」
「…ごめ、っ……ベル、ベルを……思い出して……」
「……」
「ごめ、ん……今日は、」
「いいよ。またね、ヴァージル」
店の前にまでやってきて、みるみる青ざめるヴァージルの顔は見慣れたものだった。ああまたか、とすら思った。ボロボロ泣いて立ち去る彼を見送って、折角来たし、と入店する。
ヴァージルは元婚約者を思い出した、と泣いたけれど。この店はひと月前にオープンしたばかり。彼は一体何から元婚約者を思い出したのやら。やれやれ、と注文したレモンタルトを頬張っているうちに、彼に構う義理はないのでは、と思い至った。
それは天啓だった。
ヴァージルと過ごしてふた月弱。元より同情心による慰めから始まった仲だ。多少の情はあれど、好意は無い。それによくよく顔を合わせるからと何くれなく構っていたけれど、別に彼を慰めるのは私でなくてもいいのだ。
「生産性、ないわ」
私がヴァージルに持つのは、同情心と見捨てるのが何となく忍びないという偽善。そして今日のヴァージルの様子を見るに、彼は多分、気が済むまで落ち込みたくて、それをよしよしとあやしてくれる人が欲しいだけじゃあないかと気付いてしまった。
可哀想という同情心と、それに甘える関係。私たちの関係はそもそも色恋にはなりえない――私がまず彼を恋愛対象に見ていないし彼も元婚約者に未練タラタラ、つまりは何にもならない関係性なわけだ。友人と呼ぶには些か歪で、彼を友人かと言われたら私は首を傾げる。強いて言えば放っておいたら死んでそうだから構っている。こう言っちゃあなんだが、愛玩動物に向ける感情と変わりがない。
気付いてしまっては、私のこれまでの彼への慰めは自己満足でしかなかったなあと反省する。とはいえ彼がもし前向きになれたとして、そのきっかけの一欠片にでもなれていたらいいなあ、とは、思う。
人間関係を生産性だけで見る訳では無いけれど、このままよく分からない関係を続けたとして、彼は私に甘え続けそうだし、私は私で基本的に偽善の塊だ。見限れそうなタイミングを逃すとこのままズブズブいってしまいそう。――過去にも、見捨てるのは忍びないから、と色んなトラブルに首を突っ込んだり、いじめられっ子を匿ったりを繰り返しては、最終的に私が精神的に傷を負ってきた。自己満足の偽善者だからだろうなあ、と諦めているけれど。
「と、いうわけで彼に関わるのをやめようかと」
「ナディアがまさか自分から見限れるなんて……」
「ね、私もびっくり」
ヴァージルに構うのをやめよう、と決めて数日。ヴァージルは相変わらずべそべそカビが生えそうなくらい泣いていたけれど、まあ私以外も構うでしょう、と見なかったことにして過ごしてみた。我が安息の地、図書室で泣いてる訳でもなかったし。そんな私の変化に、誰よりも早く気づいた幼なじみに何があったんだと誘われ、私はまた先日のカフェへとやってきていた。
「いやあ、自己満足の偽善だけどさ、そこにまるきり寄りかかられたままなのもなあ、ってふと思っちゃって」
「自己満足の偽善て…親切心も悪い言い方したらそうなるんだろうけど」
「じゃあ、お節介?」
「お節介……いや、お前のは相手を甘やかして相手を増長させるから自己満足の偽善てことにしとけ」
そのままの認識でいろ、と半目になって指摘してくる幼なじみにの必死の様相に笑う。
「で、ヴァージルのことは好きだったのか?」
「いや全く」
「……だよな、ナディアだもんな」
「?」
「あー……ナディアとヴァージルが付き合ってるって噂が、」
「え、有り得ないでしょ」
「うん、大丈夫。噂はすぐに消える」
「……リアムが言うなら大丈夫ね、うん」
噂の内容は、相手こそ違えどよく聞くやつだった。何故だか私が誰かに肩入れすると、付き合ってるという噂が男女問わず流れる。男女問わず…何故? けれども毎回幼なじみ――リアムが噂の真相はこれだ、と誰くれとなく話しては噂を鎮火してくれる。私と違って本当に優しい、自慢の幼なじみ。
「リアムにずーっと優しさの叩き売りやめろって言われてて、別に優しさを叩き売ってるつもりもないしそもそも私は優しくもないんだけどさ、流石に今回で懲りたよ。偽善でもさあ、別に見返りが欲しいわけじゃないけど思いやってくれて当然でしょ? って態度の相手を慮るのを続けられるかって、無理だなって」
「そりゃあそう。自分を尊重してくれない相手を尊重するだけ自分が摩耗するだろ」
「しみじみしたよ。思い返せば、今まで私が人付き合いで疲れてたのって、それなのかも」
「人付き合いでっていうか、お前が見捨てられなくて甘やかしたヤツらだろ」
「甘やかしてたのかな」
「甘やかしてただろ」
周りから見るとそうだったのか、と納得しつつ、話し込んでいる間にサーブされたティラミスを頬張った。
リアムはずっと変わらぬ距離でいてくれる。私の偽善は疲れるだけだと叱りつつ、私が納得するまでそのままにしておいてくれる。信頼というより、言ったって聞かないだろうという理解のもとだろうとは思うけれど、その距離感にいつも救われている。勿論リアム以外にも、私のことを仕方の無いやつと言いながら見守ってくれている友人は多いけれど、リアムはその誰よりも――私への理解度が何なら私より高いまである。
「まあ何にせよ、優しさの安売りは少し考えろよ」
「はあい」
私が少し成長したお祝い、とその日のティータイムはリアムが奢ってくれて解散した。
翌日、学園に着くとヴァージルが駆け寄ってきた。珍しい――というかもしかしたら初めてかもしれない。
「ナ、ナディア!」
「おはよう、ヴァージル。泣いてないの珍しいね」
「いや、俺だっていつも泣いてる訳じゃあ…」
「そう? それで、どうかした?」
要件を聞けば、ヴァージルは何かを言いにくそうに口を開けては閉じてを繰り返している。
今までは私の目につくところで落ち込んでいるヴァージルを、そのまま放っておくのが忍びなくて毎回声をかけていたけれど、元気そうなら特に話す必要も無い。というかそもそも、ヴァージルを気に掛けるのをやめようと思ったばかりだ。待つ義理もないか、と切り上げようとしたら、意を決したように「ナディア!」と強く名前を呼ばれた。
「お、俺の事はどうでもいいの?」
「……どういうこと?」
「っ、だから…その、ナディアは俺を好きだったでしょう?」
「いや?」
「……え?」
「好きだなんて私一回でも言ったっけ?」
「え……?」
何を言うんだ、という私と、何が起こったんだ、というヴァージル。野次馬になりつつあった周りもポカンとしている。
「勘違いさせたならごめん。でも最初に言った通り、私はヴァージルに対して同情心しかないよ」
「同情……」
「元婚約者のことでずーっと図書室で泣かれるのもな…って思ったから吐き出せば楽になるのかなって思って話に付き合ったし、一人じゃどこに行く気力も湧かないって言われたから色々付き合ったけど…。私別にヴァージルの親でもなんでもないし、図書室で泣いてないなら、まあもう関係ないかなって」
「……図書室の、ため?」
「うーん、まあ……図書委員だし……」
何を隠そう、私は図書委員だ。毎日毎日べそべそ図書室で泣かれても周りに迷惑なので。それもあって端の席で泣いていたヴァージルを回収した。で回収した手前、そのまま放っておくのも忍びないので、あくまで同情心であることはヴァージルに最初に再三告げた上で、話を聞いたりなんだりしていた。まさかヴァージル自身が、私から思われていると考えているなんて思いもしなかった。
「そもそもヴァージル、貴方未だに思い出で泣き暮すくらい元婚約者が好きなんだから、私にどう思われていようとどうでもいいでしょう?」
「!」
「ベル、ベルって、この間も泣いて帰ったでしょう。幾ら同情してたって、ふた月? 掛かってもずーっと泣き暮らしてる人を立ち直させるなんて、お節介の呼び名の高い私でも無理だよ」
ふた月も泣き暮らしているのか、と野次馬がざわつく。あんまりにもやかましいから、まあそれだけ純愛だったんでしょうよ、周りがとやかく言ったら傷に塩塗るようなものよと周りに声を掛ける。瞬間、目の前のヴァージルがずん、と落ち込んだように見えた。
「じゃあ…じゃあ、ナディアは、」
「ヴァージルはさ、」
おろおろとするヴァージルが何かを言いかけるのを、言葉を被せて留める。きょとん、とこちらを見つめるヴァージルを見て、そういえば初めてまともに目を合わせた気がするな、と今更なことを思った。
「落ち込みたいなら落ち込めばいいし、彼女を引きずり続けたとしても、ヴァージルの人生だからそれはそれでいいと思う。ただ、お節介にも限界があるんだなってヴァージルから学んだから、私はこれから同じことで落ち込んでる貴方を慰め続けることは無いかな」
なので、多分今後関わることもないと思う。
元より図書室での邂逅がなければ関わらなかった人だしな、と言い切れば、ヴァージルは目を見開いて呆然としているようだった。それに大丈夫? と声を掛けそうになって、やめた。これでもし傷心のところに追い打ちをかけられたからだ云々言われたらわたしの良心が痛む。なので、じゃあね、と軽く手を振ってその場を後にした。
「ナディアと付き合ってる、なんて噂を流すからこうなるんだよ」
「君は、」
「リアムだ。ナディアの幼なじみ」
「……昨日、ナディアとカフェにいた……」
「見てたのか? そうだな、俺だ」
ナディアが自分のクラスに向かって、ヴァージルを振り返ることなく歩いていくのを見送りつつ、リアムはヴァージルに声をかけた。クラスが一度も一緒になったことの無い二人の面識は無い。だがヴァージルは、昨日カフェで仲睦まじくお茶をするナディアとリアムを見ている。呆然とした面持ちのまま、ナディアの背中から、リアムに視線をずらす。
「ナディアは博愛主義のお節介焼きだ。今まで何人も、ナディアに優しくされたヤツが自分は特別だって勘違いしてった」
「俺のも勘違いだったって?」
「まあ実際そうだって言われただろ」
リアムの言葉に、ヴァージルは二の句が告げない。確かにナディアからは、最初に「貴方に構うのは同情心だから」と面と向かって告げられている。同情心と飾らず当の本人にぶつけた挙句、甲斐甲斐しくも話を聞いて色んな場所へ連れ出してくれるナディアに、ヴァージルは甘えきっていた。同情心だと言われていたはずなのに。ナディアの態度は一貫していたのに。いつの間にか、ナディアは自分を好きだからこそ落ち込んだ自分を慰めてくれているんだと都合のいい解釈をしてしまっていた。
「ナディアもなあ……あのお節介が相当優しすぎるって自覚出来りゃあ良いんだろうけどな」
だから毎回、好きだから尽くされてるんだって相手がのぼせあがるんだ。リアムの吐き捨てた言葉に、のぼせ上がっていた方――ヴァージルは図星でしかないので少しばかり縮こまった。
「じゃあな。ナディアをもし好きだって言うんなら、そのうじうじした態度どうにかして、小賢しいことせずにやれよ」
「……君に何が分かる」
「何も知らないけど、まあナディア受け売りのお節介だよ」
明らかにナディアを特別に思っていそうな態度のリアムに背中を押すような事を言われ、ヴァージルは低い声で呻いた。リアムはそれに肩を竦めて応じると、ヴァージルを置いて去っていった。
リアムの言った通り、ヴァージルとナディアが付き合っているという噂は数日で消えた。何なら今はヴァージルがナディアにご執心で、ナディアは一切ヴァージルに興味が無いという噂――とはいえ事実だが、噂が飛び交っている。噂話に疎いナディアは、それを知っている様子もない。
それでいい、とリアムは胸をなでおろす。
ナディアは自他ともに認めるお節介だ。自分の視界の範疇で困っている人間がいれば、手を差し伸べずにはいられない。ただ、リアムが見ているに、『困っている人』に目が向くだけであって、助けた相手自体に興味を持っていることはほとんどなさそうだった。
助ける割に、心の距離としては深入りしない。それが無関心ゆえだと分かればいいのに、心配されているのに深入りされないのは心地よく感じるのか、大多数の人間が何故か「自分だけはナディアの特別」「自分はナディアに愛されている」と勘違いする。
リアムはナディアが厄介ごとに首を突っ込んでは振り回されて、「好きでしょう?」と迫られては否定し、それに対して激昂される――というループを繰り返しているのを、ずっと傍で見てきた。幼馴染だから、と言われればそれまでだが、それだけではない。
リアムはお節介焼きで、そのくせ人に――何ならナディア自身の内面にすら関心がなさそうな、面倒臭くて不器用なナディア自身を好いていた。偽善者だというのなら、もっと割り切ればいいのに。相手の内面に興味がないからか、割り切るタイミングを見誤って毎回傷ついている。誰にでも手を差し伸べるなんて聖人でもあるまいし、とリアムからすれば思うが、その割に何度も学習しないナディアの人間臭さこそが、好きだった。
「あ、リアム」
「ナディア、どうした?」
「この間行ったカフェあったでしょ? あそこの系列店が今度オープンするらしくて、そこはあまり甘くないスイーツも置くんだって!」
「へえ、じゃあ俺も食べられそう」
「でしょう? だから出来たら行こう」
「おー」
ナディアはリアムの思いを知らない。知らなくていい、とリアムは思っている。多分知ったら、ナディアはリアムに気を使うだろう。それはリアムの望むところではない。ならばナディアの一番の理解者のまま、傍にいることを選んだ。自分もなかなかに面倒な人間だなとリアムは自嘲する。
ナディアは進学して役人試験を受けるのだという。色々見捨てられない性ならば、それを活かせる職に就きたいらしい。そんな性善説だけで役人は務まらないだろう、とリアムは冷静に考えているが、多分それは分かったうえで理想論だけを語るナディアにわざわざ突っ込みを入れるつもりもない。その代わり同じ進路を選び、ナディアの心が折れないようにずっと近くで見守っているつもりだ。
「今度の試験、どうだ?」
「うーん、多分大丈夫かなあ。教授に頂いた模試の感じ、問題なさそう」
「まじか」
「リアムは?」
「俺微妙…近いうち、ちょっと時間くれ」
「いいよ。試験勉強会しよう」
また近いうちに、ナディアはまた誰かに手を差し伸べるんだろう。そうして、面倒ごとに首を突っ込んで、人付き合いに疲れたと騒ぐのだろう。学習しないな、と苦笑いながら、そんなナディアを慰める自分をリアムは思い浮かべる。
恋人になれなくても――なんなら恋愛感情というものを持っているのかも分からないナディアを好きになった以上、隣にいられるだけで十分。ナディアにぶつけた、自分を尊重してくれない相手を尊重する必要はない、という言葉が若干自分に突き刺さるような気がしつつ、リアムは久しぶりに憂いのない笑顔を浮かべるナディアと連れ立って歩いた。