精霊様の加護 8
*たくさんある作品の中から見つけていただいて、お読みいただきありがとうございます*
僅かの時間、私はあやめさんと人格が入れ替わったという自覚があった。そして、あやめさんが私の代わりに動いているのを遠くから眺めるしか出来なかった。
代わりに、自分のことを全くの別人として眺めることが出来た。だからだろうか、私は精霊様から授けられた加護の…授け方にそれほど衝撃は受けてはいなかった。ただ…私の代わりに怒ったり、心配してくれるあやめさんのおかげだというのは、その時には気付けなかったけれど。
精霊様がそろそろ話は終わり、というところで、あやめさんを引き留めた。どうしたのかとただただ見ているだけの私には、精霊様の告げた言葉が私に向けられたものだということに、暫く気付けずにいた。
それくらいには、衝撃的だったから。
「アヤメ、ごめん。アイリスとしての今の生も…多分、長くは生きられないと思う。アヤメ自身も、きっと長くは生きてない、よね? こんなこと言うのは違うんだろうけど…今言わないとダメな気がしてね」
私はあやめさんが精霊様の言葉を受けて、会話を続けている様子をただ見ているだけ。でも、これは…私に向けられるべき話。だけど…あやめさんが私の肩代わりをしてくれてる。
自分がどれほど幼くて、守られる対象でしかないのだと思い知らされたことでもあった。
しばらくすると、精霊様とあやめさんの話は区切りが付いたみたいだった。だから、あやめさんが私のほうへと気持ちを向けてくるのが分かった。
「勝手に体を動かしちゃってごめんね。大丈夫だった? もうこんな勝手なことしないから安心してね。じゃあ行くね」
一方的に言葉を掛けて、そのままあやめさんは去って行った。少なくとも私の目には見えないし、探せない状態にはなってる。でも…私の事を見ててくれてるのかな。そんなことを考えながら、あやめさんがいなくなった方向に顔をしばらく向けていた。
すると、精霊様が私に声を掛けてくれた。
「さっきアヤメに伝えた通りだよ。君はあまり長く生きられない。僕が見えているのは十七歳くらいまでの君だ。もしかしたらもう少し長く生きられる可能性もあるけど、今の時点ではそれくらいかな。だから…少し、僕の方でも君が死ななくても済む方法を探すから、今まで通りに普通に生活していればいいよ」
私はただ頷くしか出来なかった。今九歳の私が十七歳まで生きたとして、後八年。残された時間はとても短いのだととても複雑な気持ちしかない。もし、あやめさんの記憶がなかったなら、絶対に泣き叫んで嫌がる場面じゃないのだろうか。でも、今の私は案外そんな風に取り乱すことはなかった。間違いなくあやめさんが前世でどう生きていたのかを知っているからだ。
そして、この後は精霊様に元居た場所に連れて行ってもらい、無事にアシュリーと合流することが出来た。
§
その頃の湖では…。
湖から少し離れた木々の中で一際大きく枝葉を伸ばしている大木の元で、ピクニックシートを広げたアシュリーが、突然目の前から消えたアイリスに慌てた様子で、護衛として近くにいた騎士に真っ先に伝え、その後二人の兄に伝えに走った。
改めてピクニックシートのある大木を起点に、周囲を探し始める。けれど、目の前で消えたという事実がアシュリーにとっては気掛かりだったようだ。
魔法に関しては、まだ学ぶ時期ではないということもありアイリスは使えるわけがなかった。魔法を安全に使うための魔力制御の訓練もまだの状態だったからだ。それを考えると、アイリスが自身の魔法で”転移”などの高等魔法を使う可能性というものがない、というのは明らかだった。家庭教師からは座学については”優秀な生徒”として、ラロック邸内ではもちろん…どうやら他の貴族家でも多少噂にはなっているらしい。
けれど、滅多にお茶会にも参加しないお嬢様のことは、深窓の令嬢として謎の人物のような扱いもあるようだが、今はどうでもいいことだとアシュリーは頭を切り替える。
二人の兄も妹が消える理由が分からず混乱はしていたものの、三年前のようなことになってしまうのは本当に嫌だから、と懸命に探して回っている。
誰も水音を聞いていない。だから、湖に落ちたとは思っていない。が、まさか水の精霊がアイリスを連れ去ったのでは? という有りもしない考えを浮かべてしまうくらいにはエドモンドは恐怖に陥っていた。
「あぁ…あの時だって、少しだけ目を……離してしまって、だから咄嗟に手が…届かなくて…」
そうだ、ラロック家の次男であるエドモンドは大事な妹を目の前で、助けることが出来ず、その事が間違いなくトラウマになっている。
次なんてあってたまるか! という気持ちは、誰もが抱えるものだろうが…この次男はそれだけに留まらなかった。妹を守る為に体を鍛え始めた。
元々文官であるラロック伯爵家の男子は、嗜み程度でしか剣を扱わない。伯爵夫人の家系でも同じらしい。つまりは、エドモンドが騎士を輩出しているような家系の人間のようには、ほぼなれないだろうというのは…想像に難くない状況だった。それでも、妹を守る為にとひたすらに日々努力をしている。
三年前のあの事故の日を境に変わったのは、アイリスだけではなかったということだ。
だからこそ、”また同じ湖で”大事な妹が消えたという事実は、エドモンドを抉るには充分な出来事だった。現時点で手掛かりは一切ない。正直なことを言えば、誰かが魔法を使い、アイリスを攫ったと考えるのが妥当な状況だった。それは護衛騎士も同じ考えのようだ。きっと二人の兄もその事に気付かないはずはない。
ただ、妹を失ってしまうかもしれない恐怖に混乱状態に陥っているエドモンドに、兄のシトリンが戸惑い、弟を何とかしようと動くにはまだ経験も浅く、二人はこの場から離れるほうがむしろ安全なのでは? とアシュリーは考えた。けれどエドモンドの取り乱す様子は、酷いものでシトリンとエドモンド二人だけで領館へ向かうのは厳しいように見えた。何よりエドモンドがアイリスが見つかるまでは湖から離れないと言い張っているのもある。
それもあり、護衛騎士に二人を頼むとアシュリーは領館へと急ぎこの件を知らせるために走った。
屋敷へ辿り着くと、アイリスがいなくなったことを報告、そして状況説明等をし、すぐさま動ける人間を要請する。当主自らがすぐ指示を出す体制になったことで、アシュリーは個人でアイリスを探すべく動き出す。
急いで湖へ取って返し、憔悴したままのエドモンドと支えるシトリンの二人を領館に戻るよう伝えたアシュリーは二人が今来たばかりの騎士の一人と一緒に戻るのを見送った。
そして、その後はずっとアイリスの消えた場所からアイリスの匂いを辿ろうとする犬のように、アイリスの持つ魔力を確認し続けた。
「お嬢様の魔力って…妹と似てるから、間違いようがないんだ」
人間の持つ魔力には、人それぞれに魔力の波のようなものがあると言われている。人の性格が千差万別なように魔力も同じ。
そして、そんな魔力の波については、感じられる人間によって表現が変わってくるようだ。精霊が香りと言ったように。アシュリーはそんな魔力を嗅ぎ分けられる人間の一人で、彼自身は魔力の波を特に何かに例えて言うことはないようだった。ただ感覚的に魔力そのものの質を嗅ぎ分けている、見分けている、ようだ。
そんなアシュリーが、アイリスの魔力が途切れていることに気付くのに時間は当然のようにかからなかった。
「……お嬢様以外の魔力が、あるのは分かる。でも、これ…は?」
ピクニックシートに座っていたアイリスに飲み物を渡し、飲み終えた後だ。アイリスから二人の兄へも水分補給をと言われ、それに答えている時に、唐突に消えたのだ。誰もいなかった。彼女を取り巻く誰かなど。
一番近くに居たのがアシュリーで、次いで近くにいたのが護衛騎士。更に言えば、二人の兄が湖に添って歩いている姿が見えていた。
「まさか、エドモンド様が仰ったように精霊様が?」
アシュリー自身が感じている焦りは、アイリスが無事に戻ってくるのかどうか? という不安もあっただろうし、もし彼の推測通りだったとしたなら、精霊がアイリスを彼女のいるべき場所に戻してくれるのか? という疑問もあった。何より目の前にいながら、彼女を連れ去られてしまった事実と守れなかった事実のせいだった。
そういう意味では次男のエドモンドと同じ痛みを抱えるのだろう。しかも…あの頃抱えたような痛みを、より強く。
そんな時間を積み重ねながら、とにかくアイリスを探す、ほぼ無為な時間を過ごすだけの彼らの前に、唐突にそれは現れる。
湖に着いた時に、最初にアイリスと一緒に赴いた大木の木陰。既に取り払われ、片付けられピクニックシートはなかったが、明らかにそれが敷かれていた場所に大きな光と一緒にアイリスが現れたのだった。
そして、一番近くにいたのはアシュリーだった。その光が現れ始めて、強く大きな光となるのに時間は必要としなかった。彼はその光がどれほど眩しく輝いても目を逸らすことが出来なかった。
その光の中に、人影が見えていたから。その光の中の人影が二つ。一つは見覚えのない男の形。でももう一つはいつも見ている華奢で、折れそうな程に小さなその体。間違いなくアイリスだと分かったからだ。
急いで手の届く範囲に彼女を掴もうとしたけれど、最後に一際大きく輝いた瞬間だけは目が耐え切れず瞼を閉じてしまった。そして、光があっという間に消えたかと思えば、そこにいたのはアイリスだけだった。
(ああ、あの人影は本当に精霊様に違いない。でなければ、こんなことは無理…だ。まるで人とは違う魔力だった。けれど今はそんなこと、どうでもいい! お嬢様が!)
消えていた貴族令嬢が戻ってくることは、普通は有り得ないことだ。大抵は見つからないか、無残な姿…ということも少なくない。けれど、アイリスは無事戻ってきている。しかも少しも損なわれた様子もなく、だ。
それがどれ程アシュリーを安心させただろうか。
目の前に現れた、彼が仕えるべき主人でもある幼い少女をその胸に掻き抱く程に、安堵していた。




