精霊様の加護 5
*たくさんある作品の中から見つけていただいて、お読みいただきありがとうございます*
結局昨日は、お兄様達と領館の庭園から続く森の奥へと行くために色々話をして、現在に至っている。
つまり、現在森の奥へと続く小道を歩いているところだ。
森へと続く小道は整備されていて、下草も刈られているし、歩きやすい。適度に木々の伐採もされているのも分る。木漏れ日も明るくて、周囲をよく見ることが出来るし、遠くの木々も暗くはなく見えている。これだけ人の手が入っている状態なら、確かに動物達も棲み分けが出来ているのが分かる気がした。
お兄様達が私への過保護を発動するのは常時だけれど、まさか二人から両手を繋がれて歩くことになるなんて思いもしなかった。少しだけ窮屈には感じたけれど、心配してくれる二人の気持ちを思えば、受け入れるしかなかった。それでも、三人で森を散策するのはとても楽しくて、私自身が記憶を失くした時間を取り戻すように歩いているような感覚だった。
案外時間もかからず湖へと到着した。辿り着いた湖は、池というにはやはり大きくて、海にもやはり程遠くて。森の木々を日の光を遮るのと対照的に、湖の周囲は日の光が降り注ぎ、とても明るいものだった。その日の光が水面を照らし出すと、風に揺れた水面がさざ波のようにキラキラと反射していた。あやめさんが幼い頃にこんな反射した光を浴びながら、水遊びをしていたという記憶が蘇ってきた。そうなんだ、水遊びをあやめさんはしていたのか、と少し羨ましい気持ちになった。私達貴族は水に入って遊ぶなんてことはないから、考えもつかなかったのもあるのだけれど、記憶の中のあやめさんや彼女のお姉様は可愛らしい水遊び用の衣服を着て、水を浅く溜めた小さな「ぷーる」というもので、夏の暑さをやり過ごしてもいたようだ。やっぱり羨ましい気持ちが湧いてくるけど、これは諦めようと思う。今の私は貴族なので。
さて、私は湖には近付かないと約束をしているから、今見えている湖の状況で満足しよう。
湖は私の足でもそれほど苦もなく一周出来そうな、さほど大きな湖ではないと感じる。けれど、子供の足だと……半日はかかる、かしら? 湖の周囲はほぼ砂浜のようなものがなくて、あっさりと湖へと転落出来るような構造だった。だから三年前の私はきっと簡単に落ちてしまったんだろう。でも、記憶が抜け落ちてるから、どうして落ちたのかはさっぱりだけれど。でもまぁ…これはあやめさんの世界にあった公園のような場所の池や湖に設置されていた柵があれば避けられるから、この場所にも必要な気がする。そうすれば、将来的にお兄様達が結婚して甥っ子や姪っ子が生まれた時に、安心じゃないかしら? これはあやめさんの記憶に感謝しなくちゃいけない案件だわ。お父様に早速お願いしてみよう。簡易的なものでも充分注意喚起できると思うのよ。誰かが誤って落ちてしまって、命の危険に晒されることがないようにするのって大事だから。
私はそんなことを湖を観察しながら、考えていた。お兄様達二人はしばらく湖近くで遊ぶらしい。私の傍にはアシュリーが一緒に控えていてくれる。それに、お兄様達と私にとつけられた護衛騎士もいるから、危険な要素もない。だから、大きな木が作る木陰に入り、そこに敷かれた絨毯に腰を下ろした。
アシュリーからよく冷やしたベリーの入った果実水を渡された。
「お嬢様、水分を取ってくださいね」
「ありがとう」
受け取ったグラスに口を付ける。冷たい果実水が喉を通り過ぎる時に、喉が渇いていたことを教えてくれた。
「美味しいわ、アシュリー。お兄様達も飲まないといけないわよね?」
「そうですね、お二人も水分補給をしていただきた…」
私は突然アシュリーの声が途切れたことに驚いて、アシュリーのいるはずだった方向へと顔を向けると、そこに居たのは見知らぬ青年だった。
「え? アシュリー…は?」
「あれぇ、酷いな。僕はアシュリーって人間じゃないんだけどなぁ」
「あ…の、ごめんなさい。今まで一緒にいたのが、アシュリーっていう私の従者だったから………え? 待って? ここはどこ? 私森の湖にいたはずなのに、ここはどこ!?」
「ふふ、やっと気付いてもらえた。いらっしゃい、アイリス。僕の隠れ家だよ」
私の目の前にいる二十歳前後の青年と私がいるのは、今までいたはずの森の湖とはまるで違う場所で、どこかの建物の中のようだ。こじんまりとした作りの部屋は温かみのある木の素材で作られている。木目が柔らかな印象で、部屋に置かれている家具も素朴な印象のものばかりだった。贅を凝らしたものは一切ないけれど、統一感のある部屋のつくりのためなのか、私はとても可愛らしくて好印象を持った。いや、そうじゃなくて!
「…あの、私はあなたのことを知らないのだけれど、どうしてあなたは私のことを知っているんですか?」
「ああ、僕はアイリスのことが大好きだからさ、ずっと見守ってきたんだよ。久しぶりにここへ戻ってきたから、再会出来ると思ってね。だから会いに来たよ」
「………え? ストーカー?」
この世界にストーカーなんて言葉はない。そういう性質の人物は絶対数存在しているとは思う。でも、言葉はない。つい…あやめさんの記憶から適した言葉が零れてしまった。私は眉間に軽く皺を寄せていたんじゃないだろうか。不快感が隠せていなかったという自覚はあった。でも、青年は気を悪くした様子もなく、顎に人差し指を軽く当てながら考えているようだ。しばらく同じ状態を続けていたから、間違いないだろう。そして、手を離した直後私に向けて、ニッと笑いかけて答えた。
「あはははは。確かにストーカーっぽいね。でも、諦めてもらわないとねぇ」
「!?」
私は青年の返答に正直驚くしかなくて、きっと目をこれ以上ないくらいに大きく見開いていたと思う。そんな私を見て青年がお腹を抱えて笑っていた。
「ごめんごめん。事情が分からないのに、そんなこと言われたら困るよね。本当ごめんね? ちゃんと挨拶させてね」
そう言ってから、青年は私と視線が同じ位置になるように屈んで私の顔を見た。そして、そのままの姿勢で名乗ったのだった。
「僕は時の精霊と呼ばれる存在だよ。初めて会ったのは三年前のこの湖で、かな」
「……時の、精霊…様?」
「そう。アイリスは僕のお気に入りになったんだ。三年前のあの日からね」
「…もしかして、湖に落ちた時のこと、でしょうか?」
「そうだね。なんだか特別な魔力を感じてやってきたら、湖にアイリスが落ちていくところだった。急いで湖に入って助けたんだ」
私はあの日の記憶がない。でも、あの日のことを唯一知る存在にぶち当たったのだと理解して、軽く頭が混乱しそうにはなったものの、確認しないではいられなかった。
「あ、あの! あの日私を助けてくださったのが、精霊様だったんですね?」
「うん、そう。慌てたよぉ、精霊の大事な子が溺れてるんだからさ。幸い助けるのが早かったみたいで、問題もなかったし、すぐにアイリスのお兄さんも来たしね、僕はアイリスが屋敷に行くのを確認してから、その場を離れたんだよ」
「ありがとうございます。あの日はお兄様しかいなかったみたいで、子供では私を助けられなかったから慌てたと聞きました。精霊様のおかげで私は助かりました。本当にありがとうございます!」
私が改めて礼を言い、感謝を伝えれば、柔らかく笑みを向けられ少しだけドキドキした。
時の精霊様は、黒髪黒目で日本人だった記憶のある私にはとても馴染み深い色合いだった。まるでアシュリーのようだ。でもよくよく見れば、毛先は黒から徐々に深い紫に変化していたし、瞳も黒と言うより深い紫であくまでも黒く見えるという感じのようだった。顔立ちはハッキリ言えばあやめさんのようなアジア系の顔立ちには程遠い、鼻筋もすっと通っているし、どう見てもラロック家の皆と同じような立体的で整った顔立ちだった。でも黒が多いとホッとするのはやっぱり日本人だった記憶が大きい気がする。
「うん、それならあの時タイミング良く来ることが出来たわけだから、良かったよ。僕にとってアイリスという存在は宝物のようなものだからね。どうしたって失くせないんだ」
「…宝物? 私が?」
「そう。君は精霊にとってとーっても大事な子だからね」
私は精霊様に”大事な子”と言われても、ピンと来ない。来るわけもない。ただ、精霊様は間違いなく私のことを大事だと言う。それがどういう意味なのか、小首を傾げて精霊様を見つめて考えようとしたところだった。
「僕はアイリスに加護を授けるつもりなんだけど…いいかな?」
「…………ん? か、ご…って何ですか?」
「あー…精霊の加護を知らない? それじゃ、そこから説明しようか。えっと」
「ええぇ!? 精霊様の加護ですか!? それなら分かります、分かります!! えっと、精霊様が人に与える最高に名誉で、栄誉で、幸せを約束された状態で、精霊様に愛されている証………え? 私に精霊様の加護、ですか?」
ほぼほぼ混乱した状態で、精霊様の仰る”精霊の加護”について、いつになく大きな声が出てしまっている状態で答えていた。でも、それを精霊様が私に与えると口にしたのだと、混乱した頭が理解した直後、また混乱状態が悪化しそうになってる自分しかいなかった。それに気付いたのか精霊様が私の頭をぽんぽんと軽く叩くように撫で始めた。
「アイリス、とりあえず落ち着こうか。まずね、アイリスがどうして大事な子なのか教えてあげるね。アイリスは、渡り人と招き人の両方を兼ね備えた存在だということ。それから、アイリスの持つ魔力が精霊にとっては蝶を引き寄せる花の蜜みたいに甘い香りを出してるんだよ。アイリスは精霊の好きな魔力を持ってるということ」
精霊様が私の存在が、精霊にとってどういうものなのかを教えてくれた。でも、最初から躓いてる。えっと、渡り人とか招き人とかって何? 私聞いたことがないんですけど! そこで躓いてしまって、私は続いて説明されたことは耳に入っていたけれど、するっと頭の中を通り過ぎていった。
理解の範疇を超えたのは、きっとすぐに精霊様は気付いたと思う。でも、まるで気にすることなく話を続けていくのだった。




