再決戦(1)
ギルはロングソードと数本の短刀を腰に、左腕には黒銀の籠手、右腕には銀製の籠手、上半身にはプレートメイルをまとい、街を北へと駆け抜けた。
林に入ってもスピードを緩めず、全速力で地面を馳せる。木漏れ日の中で樹木の根に足を取られるが、人間の運動神経を凌駕するギルは一瞬でバランスを整え、馬車のような速さで林を駆け続けた。
(こうなることがわかっていれば、親父をセルガーの所へ行かせなかった…。リーフも帰らせずにしばらくここに住ませればよかった…)
ギルは首を横に振る。くだらない仮定をいくら考えても何もならない。
林から草原に来るとギルはスピードを落とした。草むらが生い茂って足元が見えなくなった。草原の雑草は太ももの高さまである。この場所へは初めて来たが、カレンジュラの洞窟周辺よりワイルドな土地だった。
草原をしばらく歩くと岩の上に黒いローブの老人が座っていた。こちらが近づくと、老人は華麗な身のこなしで地面に降りた。そして歩いてこちらへと距離を詰めて来る。
ギルも剣を抜かぬまま、胸を張った姿勢で老人の方へと歩む。そして老人の姿をじっくりと眺めた。黒いローブにふくらはぎまで届く長い白髪、下半身まで伸びる白いヒゲ。
間違いない、あのガドラフだ。
「久しぶりだな、パラディン! また一人のようだな! お前は全く友達ができないようだな!」
「貴様とは二度と会いたくなかったぞ、ガドラフ!」
ギルに続いてシムが文句を付ける。
《草むらばっかりだなガドラフ。これでは下段が見えん! 有利な戦闘場所を選んだな!》
二人は距離を置いてにらみ合い、ギルが言った。
「俺がリーフとお前に会いに行った時、なぜ貴様は部屋にいなかった⁉ それもアンクだけ残して!」
三年前、ギルとリーフはガドラフの迷宮を地下三十階まで到達し、あの悪名高い魔術師を倒そうと当時、意気込んでいた。迷宮の制覇まであと少しのところ、ギルたちがガドラフの玄室を覗いてみれば敵はいなかった。
机の上に残されていたアンクだけを持ち帰ったギルはイステラ王へガドラフを倒したと嘘の報告をし、賞金と英雄の称号を貰ったのであった。
「ハッ…。ふ…。…ワシはあの時、腹が痛くなった…! お前たちもコンディションに陰りがあるワシと戦っても面白くなかろう! それで不本意ながら貴様らに不戦敗だ。アンクは貴様らへの賞品だ。土産がないと地の果てまでワシを探すだろう!」
ガドラフを逃がしたと責任を感じていた二人は地下三十階に何度も足を運び、玄室にガドラフが戻るのを待った。
しかし敵は一向に現れることなく、ギルたちはガドラフ討伐を諦める。二人は解散、リーフは故郷に帰る。
リーフに宿る人格、リスハーに対してはギル、リーフ、イステラ王が手を組み、脱税というあらぬ罪で投獄、リスハーの意志を脱獄に仕向ける。最終的に無事、リーフは家に帰ることができた。
ギルの方は恋人であるミアの育ての親が危篤と聞き、ギルたちはミアが住んでいた孤児院を遙々訪ねる。そのシスターが亡き後、後継者としてギルがみなしごたちを育てることになった。
ギルはガドラフの顔を見てさらに質問した。
「貴様はカスケードから雇われたな⁉」
「そうだ。面白い奴と戦わせてやると言われて話を聞いてみれば貴様だった、パラディン。あれから貴様の成長を想像すると、ワシのよだれも止まらない。…リーフレットがいないのが口惜しいが…。貴様らセットの方がどれだけ戦闘を楽しめるだろうか…」
《ガドラフ! 数日待て! リーフも連れて来てやるぞ!》
「ごちそうが意見をするな! ワシはもう一分も待てん!」
《お前、カスケードが何をしようとしているのかわかっているのか⁉》
「知らん!」
ギルが説明する。
「ミッド・バーツ・カスケードは俺を殺してペストという細菌を持ったネズミを街に放つつもりだ! 人をあっという間に殺す恐ろしい病気だぞ!」
ギルの言葉にガドラフは思案顔になった。シムが小声で言った。
《いいぞギル、話し合いで解決できそうだ》
「俺が死ねば、カスケードはネズミでペストを蔓延させる! 感染力が強く、世界中を病気が覆いつくすらしい! 肉体を鍛えた強者も病気で死ぬ! お前がまだ見ぬ遊び相手も全滅だ! ペストはお前の思うようにコントロールできない!」
「ごちゃごちゃと口ばかりでうるさい…。よくしゃべるごちそうだ…。ワシにかなわないと諦めているか…」
ガドラフは突然吹っ切れた顔になる。
「後にどうするかはもう貴様を殺してからに決める! 黒銀の籠手! さっき下段が見えないと言ったな! 除草作業だ! 一帯にハイフレアを喰らわせてやる! 準備はいいか⁉ ロウカススタフィ・アーツリタリミー……」
交渉決裂、平和的な解決を諦めたギルは剣を抜いた。そして敵の呪文が終わるのを待つ。
「……アーティ・プディストヘイト・神焼く炎!」
ギルを中心に大爆発が起こる。爆炎は空高く舞い上がり、爆風が何百メートルも走る。爆発の外でも熱で長い雑草たちが一気にしおれて行く。そしてギルを囲む辺り一面が焼け野原と化した。
シムが事前に唱えていた魔障壁の呪文で爆発から守られたギル。彼は顔色一つ変えずにいた。敵は爆風にまぎれて襲って来ると読んだが、ガドラフの位置はハイフレアの向こう側のまま。背中には赤い闘気を発している。
ギルは走りこんでガドラフに切りかかる。イメージでは頭から真っ二つに。全力で剣を振った。
びゅんっ。
ガドラフは軸足を一歩ずらし、切っ先があと三センチで届く距離で一刀をかわした。風圧でローブがはためき、ヒゲがなびく。
ギルは間髪入れず、下ろした剣を振り上げる。斜めに振り上げた剣は髭一本も切れない。シムエストの加勢により剣は軽い。横一文字に敵を狙い、突き、振り下ろす。それをガドラフはどういうわけか間隙を縫って避ける。超人的な反射神経だ。
もしも相手が仁王立ちなら細切れになる太刀さばき。そのような攻撃をガドラフは無表情でふわふわと体を動かしながら、剣を避ける。
そしてガドラフはギルの気づかない足元で小石を蹴った。それも剣を避けながら。敵が蹴った小石が跳ね上がり、ギルのまぶたにこつんと当たった。ギルの動きがひるむ。相も変わらず老獪な攻撃だった。
一瞬で敵が左側面に移動。反撃が来る。
たった二つの拳が五個にも六個にも見える速さで飛んで来る。それに対してシムエストが平手を作り、敵の拳を高速で追尾、防御に徹する。
ギル自身も自力で避けるが残り一発がギルの下顎に突き刺さり骨を折った。
その場でガドラフが半回転して下段技を放つ。ギルは足払いにひっかかり、彼の体が真横に傾いて空中に浮いた。
仰向けに宙に浮くギルに向かってガドラフは鉄槌のようなかかと落としを振り下ろした。かかとが鎧の土手っ腹にめり込み、ギルは地面に叩き落ちる。狙われていたのか地面は石畳みの上で、ギルは背中から落ちて地面に彼の体をかたどったヒビが入る。そしてギルが着ていた鎧が砕けた。鎧は小石状の破片になってポップコーンのように弾け飛ぶ。
仰向けのギルが地面から軽くバウンドする。ダメージで全身の力が抜けていくようだ。
身動きが取れないままギルが頭上を見上げれば、敵が脚を大きく振りかぶっている。そしてギルの頭がボールのように蹴られた。
ギルは無様に地面をゴロゴロと高速に横転。時折りバウンドして玉のように転がる。三十メートルほど地面を転がった後によろめきながら足腰に力を入れる。
「…タリヘレディ・メンツコンプ・アスヘルシー・ダムズハンド……」
呪文を唱えながら立ち上がるギル。ギルは自分に回復呪文のリカバリーをかけ終えるとガドラフに向かって走る。そして敵に向かって上段に剣を振り下ろす。ガドラフは太刀筋を完全に見切ったようにかわす。その隙を逃すまいとガドラフが前足を軸に後ろ足を浮かせた。
追ってギルも同時にガドラフと同じ動きを。ギルが狙ったのは技の相打ち。お互いにその場を片足を上げて半回転、全く同じモーションで一瞬二人の足の先が見えなくなる。次の瞬間にお互いが放った技が上段回し蹴り。高々と振り上げた足が顔と顔の高さでぶつかり合った。
それはほんのわずかな時間、交錯。刹那的に蹴り技を解いたギルは素早く左手で短刀を構え、逆手で敵の手首を狙った。
ビュッ!
手ごたえがあった。同時に敵から上顎に強烈なフックをもらった。骨から脳まで達する衝撃だったが、何とか意識を保ったまま、ガドラフから距離を取る。敵も後ずさりして間合いが開いた。
「あが…あが…あが…」
ギルの顎の関節が骨折して口が閉じなくなっている。対して敵は右の手首を三分の二ほど切断し、切れかけの果物のようにぶらりと手首が垂れ下がっている。
ぱっくりと今にも切れ落ちそうなガドラフの右手。ガドラフは苦痛に顔を歪めて左手で怪我を負った右手を支えている。地面に血がしたたる。
《やったぞ! 利き手をやった! これは勝ったぞ!》
シムエストが警戒を解いて喜ぶ。
「あぐ…あがが…」
《口が動かなくても余裕だ。奴はお前と蹴りを相打ちさせて足も痛めている。ギル、あいつを切るチャンスだぞ!》
二人が勝利を喜ぶのは束の間だった。敵は急に唇を怪しく歪め、血にまみれた両手を高々と頭上に上げた。急にガドラフが光った、かと思えば切れていた手首が元に戻る。完全回復の呪文だった。シムエストが沈痛な声で叫ぶ。
《ここの、どこかに僧侶がいる!》