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リリカとパディ② ツインテの呪い(1)

 リリカはナタリー食堂の常連。この日も店の入り口をくぐった瞬間にリリカは酒好きのおっさんのように注文を叫ぶ。

「ナタリーおばさん、白ワイン!」

「いらっしゃい、リリカちゃん」


 リリカが適当なテーブルに座ると時間をおかずにワインのボトルとグラスがテーブルに置かれた。リリカは自ら酒を注いでワインをゆっくりと口に含む。

 太ったウエイトレスのナタリーはリリカの正面に座って心配事を言い始めた。

「あのね、リリカちゃん。あんた一人でいつもここで酒を飲んで…。これがいつまで続くのかなってね…」


「酒場にはもうサーキスと行けないから! それに最近、違う友達もできたし! …おばさんおせっかいなことを言おうとしてるでしょ?」


「ファナちゃんなんかさっさとお婿さん見つけて先を越されたでしょ? リリカちゃんはいつまでこうしてるのかなーって、心配だわよ。あんたがここに来た時はファナちゃんも小さかったのにあっという間に背丈もあんたを追い越しちゃった。あんた、初めて会った時と全然変わんないわよねえ…」


 リリカは急に態度が雑になり、ぐびぐびと酒を飲み干した。

「あたしは鏡を見ても時間が止まってるんじゃないかって思うぐらい、六年前と見た目が変わらないわ…。いい年だからこの髪型もやめようかと思うけど、似合うからやめられないのよ…」

「それで声をかけてくる男もいるじゃないか。あんたモテるじゃない…」


「あたしの外見を見て声をかける男って趣味がマニアックなのよ! 人間として信頼できないわ! …今日は特におせっかいよ、ナタリーおばさん…」

「んー…。リリカちゃんは忘れてるみたいだけど、あんたはあたしの恩人なのよ。お返ししたいっていつも思ってる…」


「おばさんはご飯を作ってもらって、パディ先生に絵本を描いてあげてるじゃない。十分よ…」

「それとこれとは別。いつかお返ししたいねえ…」


    *


 六年前。ブラウン家の畑で薬作りの実験の許可をもらった帰り道。病院に仕事が決まったリリカはパディの隣を浮かれ気分で歩いていた。リリカが思い切ったようにパディに訊ねた。

「あの、そのですね、質問いいですか⁉」

「何だい?」


「あたしもお医者さんになれますか⁉ あたしも先生みたいな医者になりたいです!」

 リリカの気持ちは半分軽い。それでいて目標は高い方がいい。

「んー…」


 歯切れの悪いパディの意外なリアクションにリリカは驚いた。

(君でもなれるよって明るく言ってくれると思ったのに…)

「リリカ君はこの世界で女のお医者さんって会ったことある?」


「え…言われたら、ないです…」

「こちらの世界でも男女差別って結構あるんじゃないのかな?」

「あります…」


「えっとね、年代的にこの世界には一人も女医さんはいないんじゃないかな? エリザベス・ブラックウェルも医者になるぐらいなら、看護婦になれって言われたぐらいだしね。そんなことを言う奴は大嫌いだよ。

 あ、エリザベス・ブラックウェルって人はあっちの世界で最初に女性のお医者さんになった人だよ。とても苦労されたみたいだね。荻野吟子さんもね。女性が医者を目指すというのは社会の逆風が強い。…質問だけど、君は他人からお医者さんって呼ばれたいの? それとも人を助けたいだけ?」


「人を助けたいです!」

「即答でいい返事だ。じゃあ、これから医学を勉強して知識だけを身に着けよう。僕が教えてあげる。でも医者を目指していることなんか人に言わない方がいい。服装は…ナース服でいいかな?」

「ナース服は一度着てみたかったです! 嬉しい!」


「よしよし。フォードさんにでも服を頼もうかな。これから二人で開院の準備だ。忙しくなるよ。病院の名前も考えなくちゃね!」

「ところで先生、さっきからあっちの世界って何ですか?」

「ああ! 僕が悪い魔法使いにこちらに飛ばされて来たってのは嘘なんだ! 方便!」


 パディはあっさり事実を言った。

「違う世界から来たんだよ。他の人には内緒だよ」

 二人はこれから病院に改装しようとする家に帰る。そこでリリカはパディから不可思議な本を見せられた。人体学の本とはわかるが、絵がまるで本物そっくり。実物を紙の中に閉じ込めたような感じだ。


 声も出ないほどリリカが驚いているとパディが言った。

「これはね、写真。仕組みは詳しくわからないけど、機械でパシャって見たものをそのまま絵にするの。君に貸し出すから人体はこれで覚えて。丸暗記でいい。それから最初は結核の薬を作らないと。ちょうど必要な本を持っててよかった」


 本はこれでもかというくらいたくさんあった。パディがこちらの世界へ来る前に洪水があったと言う。医学書は高価で濡らすわけにはいかないため、家の中の本を手当たり次第にリュックに詰め込んだそうだ。そしてその場には不思議な紙の束があった。


「これは向こうのお金。一万円札が七百枚。乗り物を一括払いで買おうとしてたんだよ。ははは。これはこっちじゃ役に立たないね」

 車の支払いにクレジットカードが使えないため、銀行から現金を引き落として近いうちに支払いに行こうと用意していたものだ。この金は捨てられることもなく後生大事に病院の天井裏で保管されることになる。


 リリカはその日から医学書で勉強を始める。そしてその吸収力の高さにパディは驚いた。内臓の名称をあっという間に覚えてしまう。リリカは知識に貪欲でさらに骨の名称も覚えようとした。たった一本の骨でも部分部分で名称が付いており、覚える量は途方もない。

(この子はすごい! ものすごく優秀な子が来てくれた!)

 飲み込みの早い生徒にパディは毎日に充実感を覚えた。



 数日後、怪訝な顔のリリカが質問した。

「え? 先生が薬を作るんじゃないんですか?」

 結核の薬、ストレプトマイシンの話だった。


「僕には無理だ。たぶんリリカ君でもね。薬の開発には並々ならぬ根気が必要だ。薬は他の人に作らせよう。恐ろしく時間がかかる。特に人体への試験に丸二年かかる。誰かを救いたいという情熱がある人がいい。家族に結核患者がいる人とかかね。うまくいったらその人には薬屋さんになってもらおう!」


 薬を製造する人間もすぐに見つかった。ゲイル・マルクという人間でこの人物ならとパディは思っていた。

 そしてある日、パディが病院に帰るなり、リリカに向って大きな愚痴をこぼした。ため息も止まらぬ勢い。


「ゲイルさんが薬を作るのを無理って言い出した! だから説教したよ! あなたが諦めたらどれだけの死人が出るんだって! 僕もやったことがないことを人に押し付けるんだから、怒るしかなかった! うああああ!」

(パディ先生って最近気がついたけど器ちっちゃい! 大人なんだから、武士は食わねどみたいな態度が取れないのかしら! …でもこのギャップが愛おしいとも思ったり…)


 リリカとパディが病院の営業を始めて一年が過ぎた。結核の薬も完成してゲイル・マルクの妻も順調に回復して行く。ペストもこれなら撲滅できるだろうと平和な時を過ごしていた。

 そしてその日も不動産屋のフォードが家賃の督促にパディを罵倒していた。

「おいこらパディっ! 今月も家賃を払えないってどういうことだ⁉」


「患者さんが来ないんですよ…」

「お前がヤブ医者って見透かされてんだよ! 家賃が払えない奴に人権はないんだよ! カス、ゴミ!」

「ひどいですよフォードさん…」

「ところでパディちゃん、今朝は何食べた?」


「家賃が払えないことで気が病んで食事も喉を通りません…」

「リリカちゃん!」

 フォードが振り返ってリリカの顔を見た。リリカはスラスラと事実を話す。


「パディ先生は今日、パンと野菜スープを食べました! パンはあたしが小麦粉から練って作ったあんまりおいしくない物でした! それでも先生は『おいしいおいしい』って食べてくれました!」

「おいこらパディ! 嘘つきやがったなこの野郎! おいしく飯を食ってんじゃねえか! 大家様にふてえ態度だな、全く!」


「ひどいよリリカ君! 裏切らないでよ!」

(だってすっごく嬉しかったんですもの!)

「本当にお前はごくつぶしもいいところだ! 営業努力が全く足りん!」

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