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第十六章 私に関するいくつかの事情

 横たわったグレースは瞬きもせず、吐息も静かでしばらく起きる気配がなかった。 私は今朝、ドームを出てからどれだけの時間が立ったのか、まるでわからなかった。 ずいぶん時間が立っているはずなのに、 二、三分しか立ってないようにも感じられた。 

 緑の粒子を含んだ森の空気は、相変わらず私の体や心を満たしていた。 先ほど実を口にしたせいもあるのだろうが、のどは潤い、空腹などまったく感じず、そして心は晴れやかだった。 

 なぜ、我々はこの森に居住しなかったのだろうか? 我々は森との共生を選んだつもりだったのに実際はそうではないのだ。 私はその疑問を常に持っていたが、森をさまよい、実を食べてみて初めてわかった。 我々は森と共生するなど一度も望んだことはなかったのだ。 我々の思い描く共生と真実の共生はまったく別のものだったのだ。

 我々の思い描く共生とは我々の存続を第一に考えている。 森から享受したものを我々自らの生きるための日々の糧とし、それを受け入れ、そして自分たちの許容範囲内で森に還元する。 

 はるか昔、我々が初めて森を見たとき、我々はそれを美しいと思った。 森の木々が広げる葉の青さ、花びらが開き始める時の花の初々しさ、たわわになる実のふくらみはもちろんのことだったが、森全体の存在自体の美しさを我々は感じ取った。 自身よりもはるかに雄大で意義のある存在であることを本能的に感じ取ったのだ。

 我々は森の中をさまよい、小枝を拾い集め、それで暖を取り、木の実やそこに生きる小動物を食し、その太い根に自身の身を休め、そうして自らの命を保った。 

 そして、我々の暮らしは豊かになり、人口も増え、そういった暮らしを何百、何千年と過ごしてきた。 そして我々は我々の本来の持つ自身を保持するための本能だけを大切にするようになった。 

 ただし、森は違った。 森は森の存続のために自身の世話をしていたのではなかった。 森は全生命の存在のために自身を維持していた。 日の光を十分に受けられるように枝を張り、必要とあれば自身の成長よりもその足元に生える手のひらにも満たない草花を生かした。 そのはるか昔に森に人が入り込んだ時もそうだった。 その人の手に入りやすいように枯れた葉を落とし、実を手に届くところにならした。 

 なぜか私はそのことを自分の身に起きたことかのようによく覚えている。 

 私はいったい何者なんだ? 

 私はドームで生まれ、ドームで育った。 私の両親はもうこの世にいない。 加えて私には彼らの記憶がない。 何かこの世にぽっと飛び出てきたようなそんな気さえする。 

 小さい頃の私は子供のための施設のあるドームで育った。 今住んでいるドームは少し大きくなって、分別のわかるようになってからやってきた。 やってきたと言うのはおかしい。 送られた、という方が正確だ。 なぜなら自分の意志でこのドームを選んだ訳ではなかったからだ。 

 その施設のあったドームでも私はなぜか特別扱いされていたような気がする。 共同の部屋で何人か同じ位の年齢の子供と一緒にいたが、私だけ一日に何回か、時によっては一日中、別の部屋に連れていかれた。 

 私はその部屋に行くのが楽しみだった。 その部屋にはいつでも新しいおもちゃがあった。 一番最初に遊んだものは、積み木というかブロックのようなものでいろいろな組み合わせが出来た。 私が何か形を作り上げるとそれは時々光ったり、音をならしたりした。 その光や音は私をうれしくさせたり、悲しくさせたり、怒らせたりした。 私は時には私をうれしくさせる光や音をだそうとし、時にはわざと悲しくさせる光や音をだそうとブロックを組み合わせた。 

 私が自分の思い通りに光や音を出せるようになると、その部屋には別のおもちゃが用意された。 今度はいわゆるビデオゲームのようなものでコントローラーと大きなモニターとそれに繋がったヘッドギアが用意してあった。 そのモニターの画面はうっすら光っているだけで何も映っていなかったが、私がヘッドギアを頭に着け、コントローラーを手に持つとその輝きが強くなった。 モニターは眩しいというよりは暖かな光を放ち始めた。 

 私はふと頭に悲しいことを思い浮かべてみた。 もちろん、悲しいことといっても食事の時のデザートのアイスクリームを食べ残したことだったが、幼い私にとってそれは重大なことであったので、思い出すと悲しくなった。 すると、画面が薄暗くなって黄色と灰色が混ざったようなくすんだ色になった。 

 私は次に何を思い浮かべようかと考えていると、ヘッドギアから声が聞こえた。 

「思い出してごらん。」

 それは女性の声とも男性の声ともわからなかったが、優しくそして強かった。 そのお願いとも命令とも聞こえる声は私の中で響き渡った。 

 何を?と私が思い始めたときには私の心はすでに思い出さねばならないことを描き始めていた。 

 画面がうっすらと緑色に染まり始めた。 私にとってそれはとても懐かしい緑色だった。 それは濃くそして鮮明で命の輝きを表しているような緑色だった。 実際、見たことがあるとは思えなかったが、私の記憶にしっかり刻み込まれていた。 

 画面上いっぱいに広がった緑色にきらきらと日の光が反射し始め、大きく広がった葉っぱが幾重にも重なっているのが見え始めた。 それぞれの葉っぱは人の手のひらほどの大きさで光を一面いっぱいに受けようと自身を広げていた。 

 次第にその生き生きとした緑色の葉っぱは大きな木の枝枝から生えているものだということがわかってきた。 大きな木は世界を覆うがごとくその枝葉を広げ、大地に立っていた。 その大地は良く肥えているようで周りにはいろいろな種類の植物が生い茂っていた 

「そこはどこ?」 

 ヘッドギアに声が響いた。

 原風景、そうそれはすべてが始まった場所である。 現在の人間と言える生物が存在するはるか以前の風景、森そのものだった。 

 森は命の源、森はすべての始まり

 そう私が答えるまでもなく、画面には私の見ている森が映し出された。 

「ここはどこ?」 

 もう一度同じような質問がヘッドギアから聞こえた。

 森は風に揺れ始めた。 その揺れは微々たるものだったが、今にも動き出しそうなそんな勢いがあった。 木々の間を通り抜けていった風がひゅうと鳴って、それが森全体に広がった。 私の心も揺れていた。 

 私はなぜこの風景を見ているのだろうか?

「どこなの?」 

 多少、苛つきを含んだように同じ声が聞いた。 

 あなたのいない世界。 

 そう私は答えた。

 いつの間にか私はその森の中心にいるような気がしてきた。 肌に木々を通る風を受け、震えだした。 日の光を感じようとしたが、幾重にも重なる枝や葉で森は薄暗かった。 それでも目を凝らすとすべてがはっきりと見えてきた。 

 森が私を見つめている。 

 私は何も身にまとっていなかった。 恥ずかしいというよりはその場で私はすべてを受け入れるしかない身分だった。 木々の間から突然大きな獣が襲いかかってくれば私は身を差し出すしか方法がなかったように思えた。 実際森は静かでそんな大きな獣など存在しなかった。 それはそれでどこか空恐ろしかった。

 森の中の静寂さが響きわたれば響き渡るほど私の心は恐怖におののき始めていた。 怖くて足の一歩も踏み出せなかった。 私はおもちゃの部屋で遊んでいたかっただけなのになぜ今こんなところにいるのか?という疑問は沸き起こったが、すぐにその時感じている恐怖がそれを完全に消し去った。 

 せめて何か言ってくれればいいのに。 そう私は森に対して思った。 

 すると森の中が突然騒がしくなったかのように小刻みに揺れ始めた。 私はいったい何が起こったのかわからず、ただ立ち尽くしていたが、その揺れは単なる揺れではないことに気が付いた。 

 何かを森が私に言おうとしている。

 耳をすましてもそれは木々や葉が擦れあう音にしか聞こえなかった。 私は目を閉じ、耳を両手でふさいだ。 それで何かがわかるとは思えなかったが、それが私のすべきことだと本能が語った。 

 私はその空気を伝わってまたは足元の地面を伝わって木々からやってきている揺れを感じ始めた。 始めは痛いようなそれでいてくすぐったいようなそんな感じが頬や足の裏に感じられた。 そして、その痛みやかゆみが体の表面をゆっくりと這い上がり始めた。 這い上がるだけでなく骨や肉体を伝わってしみわたってきた。 

 振動が伝わるとともにその刺激が伝わった部分の神経を刺激し始めた。 痛みのようなかゆみのような感覚が激しくなって、私は立っていられないほどだった。 膝ががくがく震え始め、体中の筋肉から力が抜け、まるで熱でもあるかのように体全体が焼けるほどに熱かった。 加えて、のどが渇いたかと思うと体中の水分が皮膚から汗となって噴き出し始めた。 私はもう何も考えられなくなっていて、ただただ早くそれが終わることを祈り始めた。 

 するとどうだろう、はたっとすべてが止まった。 痛みや熱はすうっと消え去るようになくなった。 体の震えも止まり、森はまた完全なる静寂を取り戻した。  

「あなたはいったい誰?」 

 私のヘッドギアにそう響いた。

 私は私である。 

「誰なの?」

 私がすべての始まりで終わりである。

「あなたは何を見ているの?」 

 画面の映像が突如に変わり、それを響く声が聞いてきた。

 それが私。 

 モニターには一粒の種が映っていた。 小指の先ほどの大きさの種が土の上に横たわっていた。 その種は表面は滑らかではあったが、形は凸凹して、黒と白のストライプがあった。 

 そしてヘッドギアから何かざわつきが聞こえてきたかと思うとすぐ接続がプツンと切れた音が聞こえた。 それとともに画面も消えた。 

 私はヘッドギアを取り外し、画面の表面に映っている自分の姿を見た。 鏡ではないのではっきりとはわからなかったが、それが私であることはわかった。 私は部屋に入ってきた時のままの服を着ていて、髪も乱れていなかった。 

 部屋の中に淡いピンクのコートを着た人間が数人入って着て、私を見て微笑んだ。 その微笑みはまるでプログラムされたかのような笑みで、それぞれが同じように唇をまげ、頬をふくらまし、目尻を下げた。 

 その中の一人が小さな私の前に跪き、

「お迎えにきました。」 

 そう言って、深々と頭を下げた。 小さな私はその人間の言葉の意味がわからず、その顔をじっくりと見つめた。 その人間の顔はスムーズでしわがなかったにもかかわらず、声はしわがれて重みがあり、私の頭によく響き渡った。 

「それでは参りましょう。」 

 そう言うとその人間は私の手を優しく握った。 それはもう少し強く握ると壊れてしまうかもと言った感じの握り方だった。 

 もっとも小さな私にはそれを気にする余裕はなかった。 ただ単になんて冷たい手なのだろうと思っただけだった。


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