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第十三章 庭の記憶

 グレースは私の目の前で目に見えないほど小さく体を震わせていた。 その震えは寒さや恐怖からではなく、真実を心の奥底から感じているこの上ない喜びからであった。 体全体がいっせいに震えているようだったが、実際はその体の中心から四肢を伝って指先までその震えが伝わっていた。 彼女自体その震えの波が表面だけでなく肉や骨、血管を伝わっていくのがよくわかった。 

 私は彼女の手を握り、目を閉じた。 もちろん私も彼女の震えを感じたのだが、その震えは私の存在などまるで関係ないかのように近くの木々に伝わりはじめた。 

 そばの木々はその震えを受け、それをすべての森の木々に伝えるかのように小刻みに葉を重ね合わせ、そして枝をくゆらした。 その枝葉の作り出すハーモニーは私の耳には届かなかったが、私の心にはっきりと印象を刻み始めた。 

「これは私の庭の記憶、庭は私の遊び場、私のしもべ、私の命の源。」 

 グレースの見る印象は私にそう語りかけていた。

 その瞬間、森全体が明るくなった。 その眩しさは日の光と違い、暖かさはなくその変わり目をつぶる厳しさもなかった。 

 私は周りを見渡した。  

「さあ、今日はどこにいこうかしら?」 

 そうグレースが言った。 彼女は天女の着るような透き通った風にあおられると空高くまで舞い上がるような羽毛のように軽い衣をまとい、光の中に浮かんでいた。 

「北の山はどうかしら? しばらく行っていないものね。 あの辺りの実は小さくて硬くてあまり甘くならないの。 でも私が木々の周りを飛び回って枯れたはっぱを吹き飛ばせばもっと日の光を貰えるようになるわ。 そうすれば少しは甘くなるだろうから。 その後はどうしようかしら? あの南の島にもしばらく行っていないわね。 あの島には木が一つしかないから、実がなると海鳥がすぐ食べつくしてしまうのよね。 でも、あの島の砂浜のつぶつぶは寝転がると雲のように柔らかくてすぐ眠りについてしまうわ。 最高の眠りにね。」 

 空に浮かび、右へ左へと舞いながらグレースはそう言った。 

 私は彼女が飛び回る様子をどこかうらやまし気に眺めていた。 

 この森の木々はなんて幸せなんだろう、そうも思えた。 


「今からちょうど二百年前の出来事です。 ご存じの方も多いとは思いますが、我々の住むドームはその頃建設が始まったのです。 私たちを囲む森は今ほど茂ってもなく、その変わりワンダーと呼ばれた木に実をたわわにならせ、私たちと共存していました。 記録によるとその実は果実としてだけでなく普通の食料として我々は利用していました。 その実は甘く酸っぱくそして何より口に入るととろけるように舌に絡まり、人間の感覚をしびれさせるほどに満足させたそうです。 ただ、今現在、ご存じの通りその実を見かけることはありません。 どこのドームの記録を見ても、その存在は確認できません。」 

 そうジュードは一気に話すと、先ほどのカップに口をつけた。 例の実の記憶のせいではないと思うが、口に含んだそのカップに入った飲み物がかなりまずく感じられた。 泥水でも口に含んだかと思うほど嫌な感じが口全体に広がった。 実際、ジュード自身も実を食べたことがある訳では無かったので、そういう感覚が自身に芽生えること自体不思議だなと思った。 

「それでそれが一体今回の特別会議と何の関係があるのかね?」 

 そう例のやや高慢な口ぶりの三番目の男性が言った。

「関係があるのかないのかそれを見定めるためにこの特別会議を招集したのです。 関係があればそれなりの対処を、関係が無いのであればやはりそれなりの対処をしなければなりません。」

「そんな曖昧な言い方をしてもわからんよ。 はっきり言ってくれないか。 こちとらもいろいろ忙しいんでね。」 

 三番目の男は皆に聞こえるようにはっきりとそう言った。 

「そうね、あなたのいる場所ではそろそろ夕飯の時刻ですものね。」 

 今度は十二番目の女性が口を開いた。 それは子供をあやすような言い方だった。

「いいから、さっさと説明してくれ。 こっちにも予定があると言っているだけだ。」

「これをご覧ください。」 

 ジュードはそう言って、キーボードを操作すると、画面いっぱいに森の映像が現れた。 

 その森は実がたわわとなっている木々でいっぱいだった。 光り輝く実は見ているものを一瞬にして虜にしてしまう不思議な魅力があった。 

 モニターでその映像を見せられた委員会員は言葉を失うほど驚愕していた。 理由もわからずに口の中に唾液がしみ出てきた。 中にはおなかをぐうっとならすものまでいた。 

「このきらりと光っているのが例の実です。」 

 ジュードは心から沸き起こる興奮を極力抑えながらそう言った。 

 皆、その映像に心を奪われ、静寂な時間が過ぎた。 

「それで?」 

 ようやく三番目の男が絞りだすように言った。

「以前、我々を囲むこの森のそこら中にこの実はなっていました。 我々はその実を我々の食生活の一部として利用していました。 記録によると、その実には我々が必要とする栄養素並びに特別な要素が含まれていたそうです。」

「特別な要素?」 

 十二番目の女性が独り言のように言った。 

「資料によると、その要素を取り込み続けることで老化現象を極度に遅らせることが出来たそうです。 まれに老化が逆行したケースもあると書いてあります。」

「逆行?」 

 委員会員の年齢の高い数人からそう言葉が漏れた。 彼ら自身はそう言った意識は無いように見えたが、何かその言葉にかなり興味を抱いたようだった。 

「つまり若返りの実と言うわけね。」 

 十二番目の女性がつぶやいた。 

「そうです。 そういうことになります。」 

 ジュードはただ事実のみを語ろうと必死だったので、それ以上のコメントは必要がない限り言わないつもりだった。 

「それはいったいどこにあるんだ?」

「今ではもう手に入らないって、いったいどういうこと?」

「どうすれば手に入るのかしら?」

「いや、本当にそんな物があるとは思えない。」

「落ち着き給え、そんな夢物語を我々は信じるべきでは・・・」

「でももし本当だったら・・・」

 十二人の中でそう言った言葉がとどまることなく交わされた。 誰もが自身を制御出来ないようだった。 

 実際、その実を食べてもいないのに。 

 そうジュードは思っても、その十二人を批判するだけの心持ちはなかった。 彼にしてもそんな実を目の前にすれば落ち着いてなどいられないことをよくわかっていたからだ。 

「みなさん、続けたいのですが、よろしいですか?」 

 そうジュードが言うとほとんどの委員は即座にだまったが、そのうちの何人かはまだ不満があるようにぶつぶつ言っていた。

 ジュードはそれを無視して続けた。 

「今朝、私のドームから特別班を送り出しました。 それは我々のドームだけに与えられたある義務のようなものです。 もっともそれぞれのドームにそれぞれの役割があることはもちろんの事なのですが、この特別な義務だけは我々のドームだけにしか存在しえないものなのです。」

「それは何故かね?」

「我々のドームに森の住人を保護しているからです。」

「森の住人?」 

 皆がそれぞれ口の中にくぐもるようにそう聞き返した。


 私の心の中で森がよみがえり始めた。 

 グレースが飛び回る後を緑の光の粒が粉のように舞い、空気を命で満たし始めた。 木々の表皮は艶を取り戻し、樹液を出さんばかりに赤子の頬のように膨らみ始めた。 しなってその輝きを失いつつある葉は張りを取り戻し、思いっきり背筋を伸ばすがごとく光とその緑の恩恵を受けようと自身を広げた。

 私の心は熱く、溶けて流れ出しそうな程だった。 それでももっともっとそのよみがえりを眺めていたいと強く思った。 

 すると木々のいたるところから芽が吹き始めた。 その芽はとんがる風でもなく、丸みを帯びる風でもなく、何か不思議なふくらみをしていた。 その表面は波打つように揺れたかと思うとぴたりとその動きを止め、大きく空気を吸い込んだ肺のように広がりを見せたかと思うと針のように細く長くなり、そして終いにはこれほどまでないほど完璧な人間のこぶし大の球形をなした。 

 そして、ぱちんという音とともにいくつかの切れ目がその球形に入り、そしてその切れ目からまばゆいばかりの光がこぼれ始めた。 静かな空気の中、その球形は切れ目にそって開いた。 その中からは幾重にもなった金色の花びらがしっかとお互いを抱きしめあっていた。 

 ああ、なんという景色だろうか。 私の心はもう完全にそのよみがえりと同化し、あたかも私自身がその球形の中の花びらになっているかのように思えた。 

 その球形の状態の花びらは見渡す限りの木々のいたるところになっていた。 そして息でもしているかのように膨らんだり、ややしぼんだりを繰り返していた。

「さあ、そろそろよ。」

 グレースはそう叫ぶと、森中の木々の間を飛び回った。 彼女には翼はなかったが、彼女の衣が翼の役割をしているようだった。 衣のすそが舞うと彼女の体はふわっと空に浮き上がり、そして彼女の心の赴くままに木々の間をすり抜け、飛び回った。 

 彼女が飛び回るとその花びらがはじけるように広がった。 金色の花びらはその輝きとともにその光を粒上にして辺りにまき散らした。 

 世界は至福の光で埋め尽くされ、そこには何億もの命の源の実がなろうとするのを待ち構えていた。 


 グレースはその場で目を開けた。 すると、今まで私の見ていたものがすべて消え、そして彼女と私は例の実のなる木のそばに立っていた。 

「大丈夫ですか?」 

 私はなぜかそうグレースに声をかけた。 目の前のグレースは朝から着ていた例のスーツの中でとてもつかれているように見えた。 

 グレースは軽くうなずき、世界中にたった一つ残った実のなる木を眺めた。

「もう手遅れなのかもしれないわ。」 

 そう言うと、グレースは眠るように気を失った。 私は彼女を抱え、その場に横たわらせた。 

 私の心にはもう何も映らなかったが、その代わりに低く呻く森の断末魔が聞こえ始めた。


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