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余命1年だった花嫁

作者: 茉莉花

政略結婚により娶った妻が亡くなった。彼女を相手に選んだ理由は、深窓の令嬢と噂されていたからだ。彼女は噂通り身体が弱く部屋で療養する日々だったが結婚して1年経ったある日静かに息を引き取った。我が邸に仕える者たちは悲壮感でいっぱいだった。しかし私はそんなものを感じることはなかった。なぜなら彼女と共に過ごす時間を殆ど設けなかったからだ。そしてまさかこの事を悔いる日々を送ることになろうとは、この時の私は思いもしなかった。


私はローラント・キルステン。侯爵家当主であり、自分で言うのもなんだが見目が良い方だ。その為か私に近づこうとする令嬢や自分の娘を婚約者にと私と縁を組もうとする貴族が後を絶たなかった。そのお陰で女性嫌いに拍車がかかり、社交にもうんざりしていた私は名ばかりの妻を娶ることにした。そこで目を付けたのが深窓の令嬢エリーゼ・シャウマン伯爵令嬢だった。病弱なため社交をしておらずどこにも嫁いでいない。身体が弱ければ、夫婦の営みがないが為に子供を授からない状態だとしても周りからは不信に思われずに済むし社交に帯同せずに済む。政略的に縁を結べばそれでも構わないだろうと考えた。実際、シャウマン伯爵に支援を引換にエリーゼ嬢との縁談を提案すると二つ返事で了承してくれた。婚約すると体裁を守るため彼女にいくつか贈り物をした。彼女は私が贈った衣装に身を包み輿入れしてくれたのを覚えている。


そしてそんな彼女に私は告げた。


「私は結婚をする気がなかった。だが世間がそれを許してはくれぬのだ。君を娶ったのは世間を納得させる妻という存在が欲しかったからなのだ。君と結婚しようが自身の子供を授かる気はないので後継ぎには縁戚の子を養子に迎えるつもりだ。君には療養場所をシャウマン伯爵邸からこのキルステン侯爵邸に移しただけだと思ってもらいたい。君に妻や侯爵夫人の務めを望むことはないからゆっくりしていると良い。生活に不自由はさせないから望みがあれば執事のヘルマンに伝えると良い」


すると元から顔色の良くなかった彼女の顔がさらに青ざめたような気がした。


「かしこまりました。貴方が望むのであればそのように致します」


何の反論もなく全てを受け入れた彼女は静かに自室へと向かった。



彼女を妻に迎えてからは状況が好転した。あれだけ言い寄ってきた女性らは寄り付かなくなり、政略的な打算があった貴族らは私に近づかなくなった。社交は平穏に行えるようになり精神的な負担はなくなった。ただ妻という存在が出来ただけだったのに、なんて簡単なことだったのだろう。そう、彼女でなくても妻という存在がいるというだけで良かったのだ。名ばかりの妻という存在に、彼女が実在しているということをすっかり忘れて過ごしていたある日、仕事を終え邸に戻るとヘルマンに告げられた。



「奥様がお亡くなりになりました」



ベッドに横たわっていた彼女は亡くなったにも関わらず、顔が来た頃よりも健康的に見えた。そして穏やかな顔付きに、彼女の存在を忘れていた後ろめたさが少し軽くなった。


彼女を弔う前に一応生家にも伝えるべきだろうとシャウマン伯爵邸に赴いた。直接伝えたが彼らはわざわざ赴いてまで伝えなくても良かったと言い、彼女に会うことを望まない所か勝手に弔ってくれて構わないとまで言い放った。嫁に出した娘に対してそんなものなのかと部屋を後にしたが、扉を閉めたとたん聞こえてきた言葉に耳を疑った。


「やっとくたばったの?あの女」


「こらっ、グレータ!死者に対する冒涜は失礼ですわよ。言葉を慎みなさい」


「だってお母様、あの女なかなかしぶといんだもの。もっと量を増やしとくべきだったわー。ねぇ、お父様?どうして私を売り込まなかったのよ。お金持ちで美しいキルステン侯爵様の後妻に私がなっても良いじゃない」


「バカを言うな!お前が継がなきゃシャウマン伯爵家が無くなるだろうが。お前は嫁ぐんじゃなくて婿をとる必要があるだろう。それにエリーゼが嫁いでくれたから多額の支援金が貰えたんだ。少しはありがたく思え!」


「でもあの女ったらがめついのよ?キルステン侯爵様からの贈り物を全て貰おうとしたら一番金目の宝石をくれなかったのよ?目の前で飲み込んだんだから。鞭で背中を打ったけど吐かなかったのよね。そこまでして欲しかったのかしら?」


「がめついのはお前だろう。侯爵様から贈られた衣装に似たドレスを揃えにゃならんかったし誰のせいで金がかかってると思ってるんだ?それにまだ侯爵様がお帰りになって時間が経ってない。少しは声を抑えないか」


声の主はシャウマン伯爵家次女グレータと伯爵夫妻だった。彼らの会話から伯爵邸でのエリーゼの待遇が酷いものだったと悟った私は急いで侯爵邸に戻ると医師に検死を依頼した。


結果は酷いものだった。衣服に隠れる部分は多数の傷痕が残っていて、病弱だと思われたエリーゼは実は服毒させられていたようで内臓の一部が壊死していた。そして体内から私が贈った大粒の宝石がついたネックレスが出てきた。宝石を飲み込んだというグレータの話は本当だったのだ。侍女に衣装を確認させると、彼女が輿入れで着てきたのは私が贈った物ではなかった。生地がペラペラで質が全く異なるものだった。そして妻の専属侍女として仕えていたノーラは涙ながらに語った。


「奥様の体には沢山の傷痕がありました。この事は旦那様に明かさないよう言われておりましたので、内密にしておりました。まさか、外からだけでなく体の中までも虐げられていたなんて…、あんまりです…」


医師の報告にも外傷の跡について書かれていた。特に目立つ傷痕は背中に大きくついていて、ケロイドの回復も遅いため傷痕の中では一番新しいものではないかとのことだった。


「いくら明かさないようにと言われていたとしても、報告してくれても良かっただろう」


そこへヘルマンが割って入ってきた。


「私が止めました。私がノーラから報告を受けましたが私が再度奥様に確認したところ波風を立てたくないと、今が一番穏やかに過ごせて幸せだからと仰っておられましたので旦那様にお通ししませんでした。旦那様は奥様に全く関心がおありになりませんでしたので…お知らせしなくとも良いと私が判断致しました」


それには返す言葉もなかった。


「ちなみに、他にどんな様子だったのだろうか…」


「はじめは着替えも湯浴みもご自身でなさるとノーラの手伝いは不要だと仰っておられました。しかしある日お倒れになられて、以降はノーラがお手伝いすることになったのです。そこで傷痕については知ることになりました。お食事も具が煮崩れたスープとパンがあれば良いと仰っておられまして、今思えばそうしなければお口になさるのも辛かったのでしょう。普通のお食事では消化が出来なかったでしょうから」


一緒に食事をしていれば異状に気付いただろう。しかし、私は結婚してから1度も顔を合わせて食事をしなかった。


「他にはあるか?」


「最後の3日間は寝たきりでもうお話もされませんでした。ノーラの他に女中らが交代でお側におりましたが目を覚まされることはなかったといいます。ただ苦しむ様子がなかったようだとのことですから、穏やかな最期をお迎えになられたと…」


最後の様子を聞いた医師は私に告げた。


「こちらに嫁がれてから1年ですか。よく身体が持ちましたな。身体は毒に侵され既にボロボロだったかと。おそらく事情を知ったところで解毒も間に合わず余生をいかに充実させるかといったところだったと思いますぞ」


医師の言葉は胸に刺さった。報告を受け事情を知っても死は避けられなかっただろうと慰められても、果たして彼女の余生は充実していたのだろうかと考えるとやるせない…。私が贈ったネックレスを飲み込んでまでグレータに取られぬよう死守したエリーゼ、もしかしたら愛のある結婚生活を期待したのかもしれない。今となっては数少ない対面した機会であった輿入れの日の全てを諦めたような彼女の顔が思い浮かんで離れない。



この日から私は1日に1度は必ずエリーゼの部屋に訪れ、さらに休日には教会に足を運んでは懺悔する日々を送っていた。


苦しくなかったか?


痛みはあったのだろうか?


何かしたいことはあったか?


何処か行きたいところはあったか?




資産を運用するため事業を立ち上げた私は少しでも移動時間が減らせるよう、都の中心にある別邸で平日を過ごし休日に都の外れにある本邸へ戻る生活をしていたが、妻が亡くなってからは毎日本邸に戻るようになった。巷ではあの女性嫌いの侯爵様が結婚したのは心から奥様を愛していたからだろう、そんな侯爵様の心中を察するにその悲しみは計り知れないとまで噂されていた。



そして、いつからか、私は今は亡きエリーゼに恋い焦がれるようになった。


君の笑顔はどんな感じだったのだろう…。美しかっただろうな。


どんな声をしていただろう…。きっと優しく心に染みたことだろうな。


心の中でどんどん彼女は美化されていき、なぜ失ってしまったのか、また会うことは出来ないのかとエリーゼを想い続ける日々が続いていた。



こんな生活を1年ほど送っただろうか。私の想いの強さを感じた神官がとある話をしてくれた。


「生死が関わった出来事に対し強い想いが働いた場合、時が巻き戻ることがあるという言伝えがあります。ここでの懺悔を神も聞いてくださっていることでしょうから、神に最も近い場所に出向かれてはいかがでしょうか?私はその場所に辿り着けたことはないのですが、神に遣える番人が存在するという森があります。運が良ければその番人に話を聞いてもらうことができるかもしれません」


「言伝えですか?」


「はい。かつて婚約者がでっち上げたえん罪により処刑されたご令嬢が断罪の時点に戻り処刑を回避したのだというものです。他にも浮気という濡れ衣を着せられた貴族夫人が当主の実子を身籠った体のまま邸を出され亡くなったのだが、子を授かった時点に戻り人が代わったような夫に愛される日々を送ったというものもあります。ただ、その当時証言を信じる者はなく、彼女らの予知夢もしくは悪夢だっただけで過去に戻ったのではなく未来を見ただけではないかと思われたそうです。当の本人らも後に幸せに暮らしたので、特にこれといって掘り下げるようなことはしなかったそうなので、あくまでも言伝えなのです」


「それでなぜ番人の所へ?」


「われわれのような聖職者は神ではありません。神に祈りを捧げるための奉仕人です。この聖職者の中での言伝えになるのですが、神に直接遣える者が存在しているというのです。かつてこの国を救った英雄エルンストは生死が危うい中この番人に出会い、勝利に導くよう息を戻してくれたと発言したと言われています。神が認めてくれれば、時も命も操ることが可能なのではと私は思うのです」


「神が認めてくだされば番人に会うことが出来、さらには時を戻すことができるかもしれないということですか!?」


「私の推察になりますけどね。ここに来られる方の中では貴方の想いの強さは1番だと思いました。貴方の心が晴れる手助けができればとお話させていただきました。信じるか信じないかは貴方次第ですが」



◇◇◇



教会を後にし、侯爵邸に戻るとすぐに旅支度を整え、神の番人に会えるとされる森に向かって出発した。


森に入り一本道を奧に進んでいったが道が途切れてしまった。


「ここからは一人で行く」


道中は御者や従者を伴ったが神に近づくためにはこの先は違うと判断した。


「しかし危険です。旦那様お一人だなんて」


「だが、私が番人に会いたいのだ。私の想いの強さが重要だと考えている。とはいえ不安はある。もし1日経っても戻らなければ私を探して欲しい」


「承知しました」


道から逸れて数十分ほど歩いただろうか、霧が濃くなり辺りは白い世界となった。


(これでは歩いてきた方向もわからなくなる。体の向きは変えてはダメだ。ひたすらに進もう)


森に辿り着いたのはまだ日が昇っている時間だったにも関わらず、霧のせいで薄暗い。ランプに火を点けさらに進んでいった。


どれくらいの時間が経っただろうか。急に暖かい風が体を包んだかと思ったその瞬間に霧が晴れた。開けた視界を目と脳が理解するのに時間を要したが、前方に白い影が残っていることに気がついた。その白い影は人の形をしていた。


「まさか…!」


私はその白い影に近づくと声をかけた。


「あなたは神の番人か?」


声をかけると白い影ははっきりと人物として現れた。


「…そういうお前はローラント・キルステンだな」


「…はい」


名前を言い当てられ、この人物こそが神の番人であると確信した。


「ふん、そうか。私はイーヴォという。こんなところに何しに来た?」


「私の想いは届いていたでしょうか?妻に…、エリーゼに会いたいのです」


「会いたいだと?」


「はい。言伝えでは時が戻せると、命が戻りやり直せると聞きました。生きた彼女に会いたいのです!」


「それがお前の願いなのか?」


「はい」


「では聞くが、どの時点に戻りたいのだ?」


「え?」


「お前の考える戻りたいと願う起点の場所はどこだ?」


「それは、エリーゼの輿入れの日に…」


「そこに戻ってどうする?」


「彼女と穏やかに過ごしたいのです。沢山の愛を与え穏やかな余生を…」


「いらんな、そんなもの」


「んな!なぜです!?」


「そんなものエリーゼは望んでない。それはお前のやるせない気持ちを消化させるためであって、エリーゼの為には全くならない。その時点に戻ったところで1年後に死ぬことに変わりはないからな」


うっかりした。彼女はその時点では服毒により辛い状態になっている。さらにはグレータによる鞭打ちの為背中に大きな傷まで負っている。


「で、では、シャウマン伯爵が後妻と義娘を迎える前に。それならばその時点でエリーゼとの婚約を打診し、家族から虐げられることを防げます!」


「そんなことは出来ない。お前はその時点ではエリーゼと無関係だ。そこに戻るためにはシャウマン伯爵が戻りたいと願わなければできない。そもそもエリーゼが望んでいない」


どういうことなのか。エリーゼが望んでいない、エリーゼの為にならない、つまり亡くなった本人の為にならなければ神は動かぬということか。


「では聞くが、お前が聞いた言伝えとは何だ?」


「えん罪の令嬢と身籠った体で追い出された夫人の物語です」


それを聞くとイーヴォが語りだした。


「ほう?確かに私が手を加えた件だ。前者の令嬢フロレンティーナはえん罪により亡くなった。彼女はこんな悔しい思いで死にたくないと願った。そしてもう一人フロレンティーナの父ルーベンス公爵も娘の死に戻りを望んだ。断罪の場にルーベンス公爵の到着があと10分早ければ断罪返しが可能だったのだ。そしてフロレンティーナの断罪劇が始まる前に時を戻した。後者の夫人リヒャルダは邸から追い出されたが為に生活が厳しく、生まれた我が子を抱きながら飢えにより亡くなった。彼女はせめて我が子の命をお助けくださいと願った。そしてもう一人リヒャルダの夫マイアー伯爵は妻子の死に戻りを望んだ。伯爵に想いを寄せていた女中の企みにより妻が嵌められたことを知るとすぐに妻を探したが時既に遅かった。亡くなった妻が抱えていた亡くなった赤子は自分にそっくりだった。妻を信じてあげなかったことを悔やみもう二度とそんなことはしないと誓った。そして2人の愛の結晶をリヒャルダが授かった時点に時を戻したのだ。さて、2つの件に共通することはあったか?」


「亡くなった本人と関わる人物の戻りたい時点と願いが同じ?」


「まあ、大まかにな。それと想いの強さも同等に必要だ」


「では、私の想いが足りないのか…?」


「はっ、めでたいやつだな。エリーゼが死に戻りたいと望んでないって思わないのか?」


「え?」


家族に虐げられ服毒させられ身体はボロボロに、結婚した相手から愛されることなく終わった人生。悔いだらけだと思うのに。


「わからんのか?エリーゼの人生に悔いはない。やっと終わったエリーゼの人生に安堵し、次の人生に転生したいのに、お前の想いが強すぎて彼女はまだエリーゼのままだ」


「な、なぜです!?彼女は愛されたかったのではないのですか?」


「そうさ!彼女は愛される人生を送りたいんだ。新しく生まれ変わりたいのだ。戻りたいとはこれっぽっちも思っていない」


「いや、違う!私に愛されたかったんだ。私が贈った宝石を飲み込むほどに!」


「はっ、笑わせるな。お前に気を使っただけだが?お前が贈ったのはお前の瞳の色をした宝石に、お前の髪の色を差し色にした白いドレス、さらに言えばそのドレスに合わせた色合いの靴もあったな。明らかにお前色に染まった婚約者への贈り物を一つも持参せずに輿入れできるか?エリーゼはあの邸を出る機会を得れたんだ。絶対に逃せなかった。お前の機嫌を損ねるわけにはいかなかったんだよ。グレータが贈り物を奪うことは予想できたが大きな物は隠せなかった。そんな中、彼女が何とか確保したのは宝石だったんだ。まあ、あの実父もお前との政略結婚は資金援助が魅力的だと考えていたからな。破談にならぬようにと随分と粗悪な代理品を用意していたっけ。輿入れしたエリーゼを見ようともしないからそんなことも気付かないお前にエリーゼは愕然としたんだ。何のために宝石を飲み込んだのだと、彼女の後悔はそれだけだ。毒に侵されていた内臓は宝石を押し出すほど活動出来なかったんだ。排便されることで宝石は手元に戻るだろうと予想していたエリーゼはただただ腹痛に悩まされるだけだった」


「そ、そんな…。では私の愛は?」


「だから、何度も言っているがそんなもの望んでない。お前に対してはあの生家から出してくれた感謝こそあるがそれだけだ。そして侯爵邸に仕える使用人らに恵まれていた。1年の間、従順かつ優しい対応を受けることができたのだ。エリーゼの余生は本当に心穏やかなものだったろう。お前の愛がなくてもな」


「し、しかし、先ほどのマイアー伯爵夫妻の件とはどう違うのですか!?マイアー伯爵が夫人を死に追いやったのになぜ!?」


「彼の所業は彼女を愛していたからに他ならない。裏切られたと勘違いし愛が憎しみに変わったからだ。だからこそリヒャルダも彼を恨むことはしていない。なぜ信じてくれないのかという悲しみだけだったし、愛する彼との子供を愛しぬいた。2人の間には確実に愛が存在した。しかしお前はどうだ?エリーゼに無関心だったな。嫌うことすらなかった。そう、エリーゼの存在なんかお前の頭になかっただろう?」


返す言葉がなかった。


「そんなエリーゼがお前を求める訳がなかろう。神はな、死を迎えたものに必ず問う。悔いはないかと。その願いと想いの強さ、そしてそれに関わる者の願いと想いの強さが重なった時奇跡を起こすのだ。エリーゼの答えは何だかわかるか?」


しばらく考えたがもう見当もつかなかった。そしてイーヴォは言った。






「『二度と戻りたくありません』だったよ」







恋い焦がれてしまったエリーゼの拒絶を知った私の心は灰になった。



「こちらからはとにかく彼女への執着心を手放して欲しいということだけだ。彼女が先へ進めないからな。私がお前の前に現れたのは、お前の願いを聞くためではない。彼女をエリーゼとしての人生から解放してあげたかったからだ。わかったら戻るが良い」



そう言い残し、イーヴォは目の前から姿を消した。



◇◇◇



私が森に入って1日が経過したため、待機していた従者が捜索を始めると、そう遠くない場所で座り込み放心している私を見つけたそうだ。従者は私を馬車に乗せ侯爵邸へと戻ったというのだが、私にはその一連の記憶がない。神の番人に会えたのかと質問されたが、何のことだかさっぱりだった。ただ自分の心にはぽっかりと穴が空いているような気がした。その穴は何で埋まっていたものだったのか私にはわからなかった。


妻が亡くなって1年経ったというのに、妻の部屋はそのままだった。まあ、名ばかりの妻だ。その彼女のおかげで平穏に過ごせているのだから感謝だ。彼女が存在していたという名残はそのままにしておこう。


「はて?私の妻ってどんな人だったか?」


関心のなかった妻のことは思い出そうにも思い出せなかった。


◇◇◇


20年が経ち、もうさすがに私に言い寄る者はいなかった。社交も平穏にこなすことができ、とても活動しやすい状態は維持された。後妻をもうけることはしなかった。私の妻は私の元に迎えて1年で亡くなったエリーゼだけだ。私は縁戚の男子を養子に迎え、この社交を機に爵位を渡す予定としている。


ふと顔を上げると優しい笑みを浮かべた令嬢に目が止まった。その瞬間、私の胸に空いた穴にカチリとピースが埋まったのだ。


「…エリーゼ…」


私の呟きに合わせて令嬢がこちらを振り返った。私と目が合うと彼女の口もとが動いた。



(わたくしはいま、しあわせですよ)



ああ、そうか。


彼女はあのあと転生出来たのだ。


彼女が幸せならばそれでいい。


最後までお読みいただき、ありがとうございます。


作者のモチベーションに繋がりますので、よろしかったら、評価していただけると嬉しく思います。諸事情により誤字脱字の報告は『受け付けない』にしてあります。物語に影響が出てしまっている誤字脱字(人物の名前が違う等)を見つけた場合は感想にて報告いただけると幸いです。



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― 新着の感想 ―
[一言] エリーゼが転生後も前の記憶が残ってたのなら嫌だな。 彼が見た「幸せですよ」はそう見えただけ、もしくはちょっとした神のいたずらで一瞬エリーゼが表面に現れただけであって欲しい。
[良い点] 終わりよかったです。 エリーゼ、普通に考えてそうだよなぁと、妙に納得しました。 戻りたくないよねぇ。 来世で、幸せになっていて良かった♪ [気になる点] 侯爵様は、番人に会った後の心境はい…
[一言] 勘違い男に現実を叩きつけた番人様ナイスです! エリーゼへの仕打ちに実家へ報復とかはしなかったんですね。
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