9 嫌い
翌朝、彼は何もなかったかのようにいつも通り私の前に現れた。
「おはよう、リディ。昨日はごめんね」
「いえ、大丈夫ですか?」
「寝たらスッキリしたよ。お詫びに今日はデートに行こう。海沿いでランチの美味しい店を教えてもらったんだ」
イザークの顔を見る限りは体調は良さそうに見える。だけど無理はしない方がいい。
「でも、今日はゆっくりした方がいいのでは?」
「リディは優しいね。でも本当に平気だよ。出掛けた方が気分転換になるし」
そう言われたので、彼の言う通りランチを食べに行くことにした。
「うわぁ……綺麗ですね」
海が見えるオープンテラスのレストラン。水面が太陽の光でキラキラと輝いてとても美しい。
「うん、とても綺麗だね」
同意してくれたのが嬉しくなって振り向くと、何故か彼は私を見つめていた。驚きと恥ずかしさで頬が染まった。
「な、なんで……私の方を見てるんですか。海を見てください」
「海を見てるリディが綺麗で見惚れてた」
美しい海をバックに優しく微笑んだ顔は整いすぎていて、まるで絵画のようだ。私の何百倍も綺麗なのはイザークの方だ。
店内にいる御令嬢方は皆すっかり彼に見惚れて、海なんて見ていないのがわかる。
「私よりイザーク様の方がよっぽど綺麗です。男前なのも、毎回注目されて大変ですね」
そう伝えると、彼は大きく目を見開いた後口元を手で覆った。隙間から覗く肌は赤くなっていた。
「リディが……私を男前だと思ってくれているとは思ってなかった。もしかして、全然好みじゃないのかと不安だったから」
「え?」
「その……リディはそういう事全く言ってくれないから」
イザークの顔が良いのは当たり前な事すぎて、あえて口に出すものではないと思っていた。それに悪魔は周囲から容姿を褒められるのは嬉しくなさそうだった。
「見た目を褒められるのは好きじゃないと学生時代に仰られていましたので、思っていても言いませんでした」
「リディは特別だよ。君に……君に言われるのはもの凄く嬉しい。この顔に産んでくれた親に、初めて感謝したよ!」
「初めて?」
「ああ。昔はなぜこんな注目を浴びる容姿に産んだのか……と両親を恨んでいたよ」
なるほど。美しく生まれた人は人生イージーモードだと羨ましく思っていたけれど、美形な人は美形な人で悩みがあるのね。
確かにこんなにいつも注目されていたら、気が抜けないものね。私は両親に平凡に産んでくれた事を感謝しなければいけないかもしれない。おかげさまで、大きな注目も浴びずこの年まで生きれこられた。
――まあ、今すごい注目されているけれど。
この注目はイザークのおまけとはいえ『何この女?まさか彼女?違うわよね?』的な嫌な視線が突き刺さりまくっている。
「イザーク様は間違いなく男前ですよ」
これは紛れもない事実だ。学生時代も性格は悪かったが顔は良かった。あの当時の軟派な感じはあまり好みではなかったけど。
イザークはそのままテーブルに勢いよく顔を伏せた。ガンッと痛そうな音がしたので、派手におでこをぶつけてるような気がする。
「だ、大丈夫ですか?どうしました?」
「嬉しくてにやけてしまう。こんな緩んだ顔をリディに見せたくない」
伏せているので顔は見えないが、彼の耳は真っ赤に染まっていた。どうやら本気で嬉しいようだ。変な人……格好良いなんて百万回くらい言われてそうなのに。
「私なんて地味で平凡に生まれたので、お綺麗な顔が羨ましいです」
私がそう言うと、彼はいきなりガバッと顔を上げた。うわっ……ビックリした。
「リディのどこが平凡なんだ!君以上に可愛い女性なんてこの世にいないよ!!」
イザークが大きな声でそう叫んだので、店内にいる人達が一斉に私に視線を向けた。
――ひいっ……最悪。
「アリガトウゴザイマス」
「可愛いし綺麗だ」
「アリガトウゴザイマス」
ニコニコとご機嫌なイザークとは対照的に、私は一刻も早くこの店を出たくなった。イザークの目はおかしいと思う。眼科に行った方がいい。
恐ろしい雰囲気に耐え、美味しいはずだが恥ずかしさであまり味を感じない豪華なランチを食べてお店を出た。
「海を見てから帰ろう。ほら、大きな船がいるよ。私は留学の時にあんな船に乗ったんだ」
「そうですか。本当に大きいですね。すごい!」
「いつかリディも一緒に乗ろう」
そんなことができれば、どんなに良いだろうか。今のイザークとなら……一緒に旅をしても楽しいだろうと自然に思ってしまった。
――私、今何を思ったの!?
目の前の男はあの悪魔だ。そんな気持ちになるなんて間違っている。断じて違う!
複雑な気持ちだったが、彼はするりと慣れた様子で私の手を繋ぎ海沿いを歩き出した。
「イザーク!イザークっ!!」
後ろから誰かが大声で彼の名を呼んでいた。振り向くと、そこには褐色で美しいブロンド髪の男性がブンブンと手を振っていた。
――この男性、カリンバル人だ!
「ペドロ!?どうしたんだ!」
「やっぱりイザークだ。俺はさっきシャルゼに着いたんだ。父上の仕事について来た!」
「そうか」
どうやら、イザークとは友達のようだ。カリンバル人の男性は、隣にいる私の顔を見て嬉しそうに笑った。
「肖像画よりさらに可愛いじゃないか。初めまして、俺はペドロ•シルヴァだ。カリンバルの学生寮でイザークと同室だったんだ」
――肖像画?彼は私の顔を知っているの?
ペドロ様は私に合わせて、シャルゼ語で話してくれている。私はドキドキしながら、練習したカリンバル語で話してみることにした。
【わ、私はリディア•サヴィーニと申します。どうぞよろしく……私のカリンバル語伝わってますか?】
【わぉ!カリンバル語話せるの?嬉しいな。とーっても上手だよ。これからリディちゃんって呼んでいい?】
さすが陽気な国民性。昔からの友達のような気やすさだ。彼はパチンとウィンクをして、私の手にキスをしようとした。
【私の宝物に触れるな。あと、お前がリディと呼ぶことは絶対に許さない】
淡々と低い声が響く。ものすごく不機嫌なイザークは、私を守るようにすっぽりと大きな背中の後ろに隠した。
【えー!独占欲すごいな。イザークってそんなキャラだったっけ?クールなお前はどこにいったんだよ】
【ペドロは女癖が悪すぎる。リディに近付くな、触れるな、話すな】
【酷いじゃないか!さすがに親友の好きな女の子盗らないよ!!】
【恋愛にルールなんてないと、人妻まで口説いていたお前を恋愛面では全く信用できない】
子どものようにお互いギャーギャーと言い合っているイザークとペドロ様は、とても気安い関係のようだ。
【でも、ついに恋が実ったんだな!おめでとう。無事に彼女と付き合えて良かったな。今度お祝いしよう!!】
――付き合えてよかったな?
ちょっと待って。目の前の男性は確かにそう言った。つまり……私と彼は付き合っていなかったという事だ。青ざめる私の隣で、イザークは眉を顰めた。
【何を言っている?私達は留学前から付き合っていた】
【はぁ?そんなわけないだろう。だってお前は……】
ペドロ様は困惑した表情を見せ、少し気まずそうに私をチラリと見つめた。
【ペドロ、変な事を言うな。それに今はデート中だから邪魔しないでくれ。またな】
イザークは慌てた様子でその場を去り、私の手を取って「帰ろう」と馬車まで足早に連れて行かれた。
「……」
馬車の中で、イザークは無言のままだった。こめかみを手で押さえているので、また頭が痛いのかもしれない。
だけど、やっぱり……どうしてもさっきの話をスルーすることはできなかった。
「私達……付き合ってなかったって。ペドロ様はそう仰ってたわ。やっぱりあなたと私が相思相愛だったなんて嘘なんでしょう?だって私は記憶喪失になんてなっていないもの」
「……嘘じゃない」
イザークは頭を抱えたまま、掠れた弱々しい声を出した。
「本当のことを言って下さい。だってあなたは、学生時代……私のことなんて好きじゃなかった。そうでしょう?」
「違う……違う。ペドロの記憶が間違っているんだ。私達は付き合っていたし、愛し合っていた」
イザークは左右に首を振り、手で耳を塞いだ。それはまるで私の言葉を聞きたくないと拒絶しているように見えた。
「……きっと何か言えないご事情があるんでしょう。しかし、どのような理由がおありでも嘘をつく方と生涯を共になど出来ません」
「嘘じゃない!」
ここまで言っても、彼は私に近付いた本当の理由さえ言ってくれないのかと哀しくなった。
「もう……いいです。やはりこの婚約はなかったことにして下さいませ。家にももう来ないでください」
「リディ、待ってくれ」
「私は学生時代、あなたに虐められていたわ。あなたは私を揶揄って、ずっと遊んでいたの。本当はすごく嫌でした。二年前留学されて……もうあなたに会わなくなるの嬉しかったのですから!」
私は過去の自分の気持ちを全て話してしまった。はあ、はあ……と息を切らして一気に感情的に伝えた。
「虐めていた?私が……リディを?」
彼は目を見開いたまま呆然としていた。そして唇を噛み締め、ゆっくりと視線を下に逸らした。
「いつもいつも私の気持ちなんて無視していたわ。嫌いよ……大っ嫌い!」
そう伝えると彼は泣きそうな顔をしたまま肩を落として、深く俯いた。
「そう……か。リディは私のことがずっと嫌いだったんだね。はは……私は一体何を勘違いしていたのだろう。馬鹿……だな」
声に力は無く、身体は震えているように見えた。これが全て演技だとは思えない。だけど……本当のことが見えない以上この関係は続けられない。
その時、ちょうど馬車が停まったことがわかった。私はエスコートを待たずに外に出ようとドアを開けた。
「もう二度と逢いに行かない。迷惑をかけて……悪かった」
「……」
「だけど……君が私を嫌いでも、私は君が好きだ。きっと一生君だけが好きだ」
「さようなら」
私は家の中に駆け出した。いきなり走って帰ってきた私に家族も使用人達も驚いていたが、無視をして自室に入り鍵をかけた。
一生君だけが好きだ
あんな言葉を信じてはだめ。また傷つく羽目になる。また……あれ、また?
『リディアが俺の女?笑わせんな。あんなガキに興味はねぇんだよ』
ああ、そうだ。嫌なことを思い出した。この台詞はイザークの卒業の何週間か前に、他の人にそう言っているのをたまたま聞いてしまったものだ。しかも……彼の腕には綺麗な御令嬢が纏わり付いていた。
その女性とイザークがあまりにお似合いで……気持ちがザワザワして……私はその場にいることができず走り去った。当時はガキだと言われたことが悔しくて涙が出たのだと、勘違いしていた。
――でも今ならわかる。私は彼のことが好きだった。
最初は意地悪をされて、本当に嫌だった。しかし実は優しいことも気が付いていたし、私の夢も笑わずに聞いて応援してくれた。カリンバル語も「下手くそ」と笑い揶揄いながらも、何度も諦めずに教えてくれた。
私と関わるようになってから、彼が御令嬢を侍らすことも無くなった。学校も来たり来なかったりだったのに、毎日顔を出すようになっていた。
だから、少しだけ淡い期待してしまったのだ。もしかしてイザークも私のことを好きなんじゃないか?と。
だけど全部私の勘違いだった。優しいのは気まぐれで、私を玩具として揶揄っていただけなんだとわかった。しかも私の大事にしていたファーストキスも無理矢理奪われた。私は女とも思ってもらえない存在なのに。
嫌い、大嫌い。よく考えれば彼が優しかったことなんてないではないか。イザークは人の心を弄ぶ悪魔のような男だ。
留学したら会えなくなる。よかった。清々する。そう自分に言い聞かせて彼を『嫌いだ』と今日まで必死に思い込ませた。
※【】はカリンバル語で話している設定です。
本日2回目の更新です。今回は少し長めになってしまいました。
ここまでお読みいただきありがとうございます。
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