7 読書
それからは本当に毎日、毎日朝から夕方……下手したら夜までイザークは我が家に入り浸っていた。
「リディ!今日も可愛いね」
「リディ、いい天気だ。出掛けようか?」
「リディ、美味しいお菓子を持って来たんだ。はい、あーん」
四六時中リディ、リディと付き纏われて私は心身共に疲弊していた。
「もう一週間も毎日この調子よ!テレーズ……玄関のドアに釘を打って、明日は誰も入れないようにしておいて」
今日はさっきやっとイザークが帰ったので、私は部屋のベッドにグッタリと倒れ込んでいた。
「お嬢様、そんなことをしても無駄ですよ。イザーク様の運動神経なら、外から簡単にこのお部屋まで登って来られます」
確かにあの男は昔から運動神経が良かった。テレーズの言う通り『玄関のドアが開かないが、何かあったのか!?』と心配されて私の部屋の窓を遠慮なく蹴破りそうな気がする。
「最悪だわ。テレーズ……今すぐ私を誰も知らない遠くの街に連れて行って……」
私は子どものようにテレーズに無茶なお願いをした。彼女はくすくす、と笑っている。
「ふふ、そんなことは出来ません。よろしいではありませんか。あんなに熱烈に愛してくださるなら、きっと幸せな結婚になります」
「嫌よ。私はイザークと結婚なんてしないんだから」
「そうですか?良い男だと思いますけどね」
「学生時代虐められていたのよ?嫌いな相手と結婚なんておかしいでしょう?」
私がムっと唇を尖らせてそう伝えると、テレーズは眉を下げて穏やかに微笑んだ。
「具体的には何をされたのですか?」
「具体的には……」
手作りのお菓子を奪われて食べられたり(素敵なクラスメイトの男の子に渡したかったのに)図書館でお友達と勉強していたら先生が呼んでるとわざと嘘をつかれたり(急いで職員室に行ったら呼んでないぞ、と先生に言われた!)……最新のドレスが似合わないとか(せっかく買ってもらったのに)お前は痩せても無駄とか暴言を吐かれたり(頑張ってダイエットしていたのに)した。
基本的にいつでも揶揄われて、笑われていた気がする。私は彼の玩具のような存在だった。
テレーズにイザークの悪行を伝えると、彼女は「うーん」と頭を抱えた。
「どうしたの?」
「それは嫌がらせではないのでは?本当に嫌われていたら、もっと酷いことをされるはずです」
ん?私がされたことも酷くない?だって、どう考えても嫌がらせではないか!私に良いことなんて何もないもの。
「当時のイザーク様は、思春期真っ只中できっと素直にお嬢様に気持ちを伝えられなかったのですよ。好きな子を虐めたいってやつです」
「はあ?何それ。好きな人には優しくしたいでしょう?」
「恋とは複雑なものなのです。好きだからこそ、優しくできないこともあるんですよ。きっとお嬢様にも、そのうちわかります」
そう言われても私は納得できなかった。イザークが昔から私を好きだった……いやいや!そんなこと絶対にない。
明日は顔を合わせたくなかったので、私はイザーク宛に手紙を送った。
『申し訳ありませんが、明日は一日中本を読みます。楽しみにしていた本ですので、読書の邪魔をしないでくださいませ』
会いに来るな、という遠慮のないお断りの手紙だ。弱い否定では、イザークに丸め込まれてしまうので私も最近は自分の気持ちを強めに表現するようになった。
よし、これで安心だと久しぶりに穏やかな気持ちでぐっすりと眠りについた。
「ああ、いい朝だわ」
イザークに会わなくていいと思うと、心なしか外の景色も美しく輝いて見える。今日は来ないとわかっているのでお気に入りの着心地の良いラフなワンピースを着せてもらいゆっくりとモーニングを食べた。
――ああ、これこれ。この幸せよ!
「もう一杯紅茶をいただこうかしら」
そう言った時に、リビングからノック音が聞こえてきた。朝から我が家に来る人間は一人しかいない。
――嫌な予感がする。
そしてその予感は残念ながら的中してしまった。扉が開くと、そこには朝から無駄に爽やかなイザークが立っていた。
「やあ、リディおはよう。今朝も世界一素敵だ」
歯の浮くような甘い褒め言葉を聞いて、私はドレスを着ていないことに気がついて慌てた。ワンピースはラフ過ぎる。家格が上の方の来客時に着る物ではない。
「あ……こんな格好で……申し訳ありません。着替えて参ります」
普通なら使用人達が気を利かせて私が着替えるまで客間で待たせるだろうが……この男は好きに我が家に入り浸っている。お父様がそれをお許しになったのだから、仕方がない。
「待って!そのままでいい。そのワンピースすごく似合っていてとても可愛いよ」
イザークは私のそばに来て、ニコリと微笑んだ。そして自分も上着を脱いでタイを外し、シャツのボタンを開け出した。
「ほら、これで私もラフな格好だ。同じだからいいじゃないか」
「……はい」
「リディの普段の様子が見られて嬉しい」
耳元で優しく囁かれて、私は耳が真っ赤に染まった。彼の声は低く響く良い声だから、余計にソワソワする。
「ふふ、すぐ耳が赤くなるのは変わらないね」
するりと大きな手で耳を撫でられて、身体がピクリと動いてしまう。
「困ったな。そんな可愛い反応されたら、もっとしたくなる」
「や、やめてくださいませ!」
私は両耳を手で隠して、ギロっと下から彼を睨みつけた。
「はぁ……リディに教えないといけないことが山程あるな。よく私が留学に行っている間、無事だったものだ。本当によかったよ」
彼は急に目元を手で覆い、天を仰ぎだした。教えないといけないこと?それはなんなのだろうか。
「リディ、いいかい?涙目で上目遣いなんて男には絶対してはいけないよ。しかも頬を染めながらなんて最悪だ。私を『食べて』と言っているようなものだ」
食べてって、食事じゃないんだから意味がわからない。しかも上目遣いなどしていない。私は睨みつけたのだ。
「男はみんな獣だ。リディに近付いて来る男など、基本的に下心しかない。十分気をつけてくれ」
「私に近付く物好きな男性は、残念ながらあなただけよ。だからあなたに十分気をつけるわ」
私がツンとそう冷たく言うと、彼は楽しそうにくすりと笑った。
「ああ、十分気をつけてくれ。いつでも君を丸ごと食べたいって言う下心でいっぱいだからね」
「……っ!」
彼はパチン、と色っぽくウィンクをして私の髪にチュッとキスをした。
「あの……なんで来たんですか?私、本を読むって手紙を出しましたよね?」
「もちろん貰ったよ。手紙の字も美しくて、便箋のチョイスもセンスがあって素敵だった。さすがリディだ!」
いやいや、そんなこと聞いていない。あの手紙の内容を理解してくれていないのだろうか。
「あの、私読みたい本があって」
「何時間でも好きに読んでくれて構わないよ。私も本を持ってきたから邪魔はしない」
「え?まさか一緒の部屋で読むんですか!?」
「そうだよ。だって私は一分一秒でも長くリディの近くにいたいからね。それにわざわざ手紙をくれたってことは、今日も来ると期待してくれていたということだろう?私達は約束なんてしていないのに」
「期待なんてしてません!」
ニヤリと意地悪そうに笑ったイザークが憎らしい。まさかその発想になるなんて。確かに彼は今日来るとは言っていないのに、私は来るものだと思って手紙を出してしまった。なんだか……悔しい。
彼がそのつもりなら、私も自由にしてやろうではないか。書斎のフカフカのソファーに座り、イザークを無視して小説を読み始めた。
彼もそれを気にする様子は見せず、隣のソファーに腰掛けて静かに本をめくり始めた。
これは私が楽しみにしていた恋愛小説の続編だ。やっと取り寄せることができた。隣国カリンバルが舞台になっているので、本の中で我が国とは全く違う文化を知れるのも楽しい。
元々は紅茶が好きで、それが有名なカリンバルに興味を持った。そして衣装や文化、言語や食べ物など全てを知りたくて独学で勉強を始めたのだ。今では訳ではなく原文で小説を読めるまでに成長した。
カリンバルは暑い国。基本的に服は薄着で、女性でもお臍や足を出しているらしい。私の生まれ育ったシャルゼ王国では女性が、足を見せるなんてはしたないとされているため信じられないけれど。
肌は褐色で、皆陽気な国民性。恋愛もとても情熱的なようだ。基本的には平民も貴族も恋愛結婚らしい。
『愛してるんだ。君がいない世界なんて、俺にとっては何の意味もない』
ドキドキ……。これはヒロインの女性をヒーローが迎えに来る感動的なシーンだ。病弱なヒロインは、愛ゆえに途中で『好きな人ができた』と嘘をついて彼を突き放すのだがヒーローは追いかけてくる。
『俺の幸せは君といることだ。例え世界中の人が反対したって、俺は君の手を離したりしない』
彼の言葉に涙し、ヒロインは一生一緒にいることを決めるのだ。それからお互い強く抱き締めあって熱いキスをかわし、何があっても離れないことを決めたのだった。
それからは他国の優秀な医師に診てもらい、病気も少しずつ回復して……無事に結婚することができた。素敵なハッピーエンドだ。
結婚後の描写は……あの……なんというか……自由でオープンな恋愛の国の本だけあって、なかなか激しくお互いを愛する様子が文章で表現されていて読むのが恥ずかしいくらいだった。
「愛してる。もっともっと君の全てを知りたい」
自分が読んでいるはずの本から、何故か声が聞こえてきた。まるで本のヒーローが喋っているような、すごく色っぽい声でドキッとした。
「褐色の滑らかな肌に唇を寄せ、吸いつき……」
「な、な、なに声に出して読んでるんですか!!」
そこで初めて私の後ろからイザークが本を覗いていることに気が付いた。私は本を閉じて、そして慌てて彼の口を手で塞いだ。
イザークはニヤリと意地悪そうに口角を上げた。ゔっ、なんか嫌な予感がする。私の手にチュッとキスをしたので「ひゃあ!」と手を引っ込めた。
「こんな本を読むなんて。リディのえっち」
耳元でそんなことを言われて、ぶわっと全身真っ赤になった。
「ち、ち、違います!私は恋愛小説が読みたくて」
「いいよ、隠さなくても。興味ある?私達もこの本みたいに愛し合ってみようか?」
そんな信じられないことを言われて、私はブンブンと左右に首を振った。
「愛してるんだ。君がいない世界なんて、俺にとっては何の意味もない」
イザークはヒーローの台詞をそのまま私に伝えた。真っ直ぐ見つめられて、私は固まってしまった。
「私もこの本の彼と同じ気持ちだよ。リディを誰よりも愛してる」
真剣な表情に戸惑いを隠せない。どうしても目の前の男が、嘘をついているようには思えない。だけど……。
私は覚悟を決めて、もう一歩踏み込んだ質問をしてみることに決めた。
※6話投稿の前に7話を先に投稿してしまいました。
前後して読まれた方、申し訳ありませんでした。