5 甘い物
私から手を繋いでくれて嬉しい……と言われて、初めて今の状況に気が付いた。これは先を急ぐために手を引っ張っただけだったのに。
「うわぁ!」
慌てて手を離そうとすると、彼にギュッと手を握られた。
「……どうかこのままで。お願いだ」
そのあまりに真剣な顔に私は抵抗ができず、結局そのまま手を繋いで歩くことになった。
周りからの目が痛い。注目を浴びるのに慣れているのか、隣の男は何も気にしていないようだ。
「リディは昔から紅茶が好きだったよね。そう言えばカリンバルの紅茶、君へのお土産に買ってあるんだ」
「カリンバルのっ!?本当ですか!嬉しいです」
私はつい目を輝かせてしまった。そうだ、そうだった。この男の留学先は隣国カリンバル。紅茶がとても美味しい国だ。
私はカリンバルの紅茶が大好き。だけど、この国ではなかなか手が入らない貴重なものだし……値段も高いのだ。
でもどうして彼は私がカリンバルの紅茶を好きだと知っているのだろうか?
「どうして私が好きだとご存知なのですか?」
「そりゃ知っているよ。君が以前話してくれたから。リディのことはどんな些細なことでも覚えているよ」
彼は嬉しそうに目を細めて、私の頭をよしよしと撫でた。私はそんな話をしたことすら覚えていない。
「ふふ、そんなに喜んでくれるなら買ってきて良かった。君に逢えた嬉しさですっかり持って来るのを忘れていた。明日必ず持って来るよ。リディから聞いていた通り、あの国の紅茶はどれも香り高くて絶品だった」
「そうでしょう!ああ、いつでもあの紅茶が飲めるようになれば幸せなのに」
「……少し時間はかかるかもしれないけれど、その夢は私に叶えさせてくれ」
それがどういう意味かわからず、私は首を傾げた。
「私は外交官になるんだよ?カリンバルに留学していた二年で人脈も出来た。我が国と友好条約が結ばれれば、輸入する時にかけられる税も減るしきっと安くて良い紅茶が沢山入って来るよ」
「うわぁ!それは楽しみだわ。是非頑張ってくださいませ」
現在カリンバルと我が国は国交はあるが、友好条約までは結ばれていないのだ。それを結ぶというのは大変なことだと思うが、実現したら私としては嬉しい。
「ああ、君のためなら何でもできそうだよ。やはり留学先をリディが好きな紅茶のあるカリンバルにして正解だった」
「……え?」
今この男はニコニコと微笑みながら、とんでもないことを言わなかったか?それではまるで私のためにシャルゼに言ったような口ぶりではないか。
「あの、カリンバルに留学されたのは……ご自身のご希望ですよね?」
「ん?そうだよ。君の夢を叶えるために、私が自ら選んだんだ」
「どうして……そんなこと」
それが本当だとしたらとんでもないことだ。私の不用意な一言で、イザークの人生を変えてしまったのだから。
「リディが好きだから。それだけだよ」
当たり前だとでも言うように爽やかな笑顔でそう言った後「さあ、着いたよ」と手を引かれ店に入った。店内はふわりと紅茶の良い香りがする。
「リディ、試飲させてくれるそうだよ。どれにする?ちなみに私が買ってきたお土産はストレートで飲むものだよ」
いつの間にか彼は店員さん達に話しかけ、和やかにコミュニケーションを取っている。昔なら考えられない姿だ。
「……では、ミルクティーに向くものをいくつか試してもよろしいですか?」
「ええ、もちろんです。どうぞ、おかけください」
店員さんが淹れてくれた紅茶を飲みながら、私はこっちがいいか……いや、これも捨てがたいと悩んでいた。
視線を感じて、パッと顔を上げるとイザークがじっとこちらを見ていた。
「あ……お待たせしてすみません。早く決めますね」
なんとなく圧を感じた私はそう伝えると、彼は何故かへにゃっと嬉しそうに笑った。
「ゆっくり選んでくれたらいいよ。私はリディを見てるから」
「……っ!」
私が頬を染めると、店員さん達から「まあ!仲がよろしくて羨ましいですわ」と言われてしまった。
否定しようとしたが、彼は「そうでしょう?今日は愛する彼女と久々のデートなんですよ」なんて恥ずかしげもなく話している。
「……ではこれの大きい缶を一つください」
「はい。かしこまりました」
店員さんが準備をしてくれていると、当たり前のように彼が支払おうとするのを慌てて止めた。
「あの、私が欲しい分ですから」
「だからだよ。デートでレディに支払いをさせたら公爵家の恥になる」
それはそうかもしれないが……払ってもらう理由がない。しかもこのお店に置いてある物は一級品で高価なものばかりだ。
「もし気になるなら、今度家に行った時にその紅茶を私のために淹れてくれないか?それならば私が支払うのは当然だろう」
「……わかりました。ありがとうございます」
「どういたしまして」
彼は嬉しそうに私の頭をポンポンと撫でた。このスマートな対応が、遊び慣れた様子を伺わせた。一体何人の御令嬢がこの人と出掛けたのだろうか?
店を出ると当たり前のように手を差し出された。殿方からのエスコートを無視するなんてことは、淑女としてしてはいけない。仕方なくなるべく触れないように指先だけちょこんと手を重ねた。
「はぐれたら困るから」
ニッコリ笑いながらそう言われて、グッとしっかり手を繋ぎ直された。
「子どもじゃないのですから、はぐれたりしませんわ」
手を繋いでいる恥ずかしさから、私は可愛くない事を言いプイッと顔を背けた。
「子どもじゃないから心配なんだよ。君を別の男に拐われたりしたら後悔してもしきれない」
さらりとそんな恥ずかしいことを言ってくるので、困ってしまう。
「最近人気のカフェがあるんだ。休憩しよう」
彼に手を引かれて連れて行かれたのは、若い御令嬢方に大人気のカフェだった。確かなかなか予約が取れないのよね……。実は私が行ってみたかった店だ。
「奥いいかな?」
「勿論でございます」
予約必須の人気店でまさかの顔パス。どうやら公爵家の御令息というのはすごいらしい。
イザークが店内に入った途端、中にいた御令嬢達から「キャーキャー」と黄色い声があがった。隣にいる私もかなり注目されていて居心地が悪い。
個室に案内されて、戸惑いながらも椅子にそっと座った。個室……なのに何故かカップル席のようにソファーが横並びになっていて、座ると肩が触れるくらい距離が近いので落ち着かない。
「この店はリディの好きなショコラケーキが絶品らしいよ?」
「……では、それにします。紅茶はお店のおすすめで」
「私は珈琲を」
恭しく頭を下げたウエイターが静かに部屋を出て行った。
「あの……スイーツは食べられないのですか?」
「私は甘い物はそんなに得意じゃなくてね」
その話を聞いて私は驚いてしまった。だって悪魔は甘党だったはずだ。
「リディが作ってくれるお菓子だけは大好きだけどね」
♢♢♢
私は貴族令嬢としては珍しく、料理をするのが好きだった。とは言っても、食事は作らない。作るのは専らスイーツばかりだ。
美味しいスイーツが作れることは『家庭的』な女性の象徴であり、殿方に好まれる……とかつては言われていたらしい。まあ、それも昔の話だが歴史ある我が家はその伝統を受け継いでいた。
一番は良い縁を結ぶ目的だけれど、それだけじゃなくて単純に私もスイーツを作り食べることはとても楽しかった。
「リディア嬢がこれ作ったの?お菓子を作れるなんてすごいね。とても美味しそうだ」
「は、はい。よろしければお一つどうぞ」
「ありがとう。いただくよ」
クラスの人気者の男の子に急に話しかけられて、私は恥ずかしくて真っ赤になりながらマドレーヌを差し出した。
ドキドキドキ……もしかしてこれから恋が始まるかもなんて思っていると、後ろからヌッと大きな影が現れた。
「腹減った」
悪魔は私が持っていたマドレーヌが入った箱をひょいと奪い去り、パクリと食べた。
「んー……まあまあだな」
「イザーク様っ!?」
「しょうがないから、甘い物好きな俺が全部貰っといてやるよ!文句ねぇよな?」
悪魔は男の子をギロリと睨んだ。彼は「ひいっ……」と小さな悲鳴をあげ「モチロンデス」とその場を走り去った。
――ああ、さようなら。私の恋。
彼を本気で好きだったわけじゃないけれど、憧れていたのに。悪魔のせいで私の婚約者候補が一人減ったではないか。
虐めている私から奪い取る程、彼はスイーツ好きだった。
しかも、私が作った物をもぐもぐと食べながら嫌なことを言われていた。
「貴族令嬢が今時、手作りなんて流行らねぇぞ。古風すぎるだろ」
「いいんです。好きなんですから。放っておいてくださいませ」
「……口答えすんのか?お前は生意気だな」
私の頬をぎゅうぎゅうと伸ばして、ギロリと睨みつけられた。
「痛いです!腫れて変な顔になったらどうするんですか。嫁入り前なのに」
私が赤くなった頬を撫でながら文句を言うと、彼は俯きながらボソボソと何か呟いた。
「……たら、俺が…………やる」
「え?何と仰いましたか?」
ほとんど聞き取れなかったので私が首を傾げると、彼は不機嫌そうにギロリと睨んできた。
ひいっ……怖い。美形の怒った顔は驚く程迫力がある。
「とりあえずただのクラスメイトに手作りなんか食わすな!向こうも迷惑だ!!」
「……はい」
♢♢♢
「食べないのかい?」
いつの間にかテーブルの前には艶々と輝くショコラケーキがお皿の上にのっていた。
「いただきます」
パクリとケーキを口に運ぶと、ショコラがとろりと舌で溶けてもの凄く美味しい。
「んんっ!とっても美味しいです。このケーキ絶対に食べた方がいいです!!」
「じゃあ、一口くれないか?」
「ええ。今、新しいフォークを……」
店員さんに声をかけようとした時、彼は私が持ったままだったフォークを口に入れて付いていたクリームをペロリと舐めとった。
「ん、甘いな」
その様子が無駄に色気がありすぎて、私は真っ赤に頬を染めた。まだケーキは残っているのに、このまま食べられるわけない。イザークはニコニコとご機嫌に私を見つめている。
「す、す、すみません!新しいフォークをいただけますか!今すぐにっ!!」
私は大声で店員さんを呼ぶ羽目になった。
※カリンバルとシャルゼの国の名前が逆になっていました。
申し訳ありません。
ご指摘いただきありがとうございました。修正しております。