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3 期限付きの恋人

「リディ!待ってくれ」


 私は全速力で走っているが、イザークに後ろからさらにものすごい勢いで追いかけられているのがわかる。背が高く、嫌味な程に足が長い彼には追いつかれるに決まっている。


「リディ!」


 ぐんっと腕を引かれて身体がぐらついた。まずい、こける……と思って痛みに耐えるために歯を食いしばった。


 しかし一向に痛みはなく、それどころか優しくふわりと抱き抱えられた。


「いきなり掴んですまなかった。大丈夫かい?」


 優しい瞳で、私を見つめるイザークは慈愛に満ちていてまるで『本当に恋人』のようだ。私は顔を逸らして、彼の腕から逃れるために胸をグッと押した。


 その嫌がる素振りに彼は眉を下げて、少し哀しそうな顔をした。


「助けていただき……ありがとうございました」


 どんなに嫌な男だとしても、助けてもらったのだから人としてお礼は言わねばならないだろう。


「そんなこと当然だよ。君を守るのは恋人の私の役目だからね」


 蕩けるような顔で私を見つめて、彼はニコリと微笑んだ。そんな顔されたら、本当に付き合っているのではないかと錯覚してしまいそうだ。


「恋人なんて信じられません!学生時代あなたは私のことなんて好きじゃなかった……いや、むしろ嫌っていたじゃないですか」


 そう叫んだ私にイザークはキョトンとした顔をして、首を傾げた。


「私が君を嫌っていたなんて、例え天地がひっくり返ったとしても絶対にあり得ない」


 あり得るわよ!だってずっとずっとあなたに意地悪をされ続けていたんだから。


「リディ、君はきっと混乱しているんだ。記憶も曖昧なんだろう。私が外交官として働くまであと一ヶ月ある。できるだけ逢いに来るから私をもう一度知って……好きになって欲しい」


 私の髪をサラリと撫でて、優しくニコリと微笑んだ。そのあまりの格好良さに見惚れそうになるが、これは『悪魔だ』と自分に言い聞かせ視線を逸らした。

 

「私があなたを好きにならなかったら、どうされるおつもりなのですか?」


「……その時は、諦めるよ」


 彼のその言葉を聞いて私はパッと顔を上げた。諦めてくれるなら、私が気を許さなかったらいいだけではないか!


「では期限を設けましょう。一ヶ月後、あなたが外交官になられる日までに私が好きにならなければ婚約のお話はなかったということで」


 これならば一ヶ月耐えればいいだけだ。一ヶ月の我慢で今後の平和で幸せな生活が待ってると思えば……頑張れる。


「わかった。でも一ヶ月以内に君が私を好きになったら、必ず結婚してもらうよ?」


「わ、わかりました」


 ――そんなことあり得ない。


「じゃあリディ、よろしく。私はこの一ヶ月恋人として接するから覚悟してくれ」


「私はあなたが恋人だとは思っていませんからね。それに絶対に好きになんてなりません」


 私がそう言うと、彼はニッと口角を上げた。何故か自信満々の表情だ。


「大丈夫、きっと君は私を好きになる」


 自信満々にそう宣言して、私に近付き頬にちゅっとキスをした。


「きゃあっ!」


「ふふ、照れて可愛いね」


「し、し、身体接触は禁止です!この一ヶ月間は私に触らないで」


 私はキッと目を吊り上げて彼を睨みつけた。しかしイザークは何も気にしていないとでもいう風に、私の頬を大きな手で優しく包み込んだ。


「な、なんですか。さ、触らないでって言ってるじゃないですか」


 綺麗なグリーンの瞳に見つめられると、どうしていいか困ってしまう。


()()だから触れないなんて無理だよ。しかも私は二年間、君に逢えるのを楽しみにしていたのに」


「そ、そんなこと知りません」


「……今は唇にキスはしない。それ以上は譲歩できないから覚悟して?」


 イザークはパチンと色っぽくウィンクをした後におでこにキスをしようとしたので、今度こそさせるものかと私は必死に手でおでこを隠した。


 彼はくすり、と笑いそのまま手にキスをしたので「ひゃぁ!」と変な声が出てしまった。


「今日は帰るよ。またね、私の可愛い子猫ちゃん」


「こ……ねこ……」


 そのあまりに甘過ぎる呼び方に、ドン引きしてフリーズしているとイザークはひらひらと手を振って帰って行った。



「なんなの、あの人」



 悪魔が何を考えて、何を企んでいるのか全くわからなかった。





♢♢♢





「ねえ、テレーズ。私はイザークと付き合ってなんていないわよね?」


 あの男が帰ったので、自室に戻り私が生まれた頃から面倒をみてくれている大好きな侍女のテレーズにそう尋ねた。


 絶対に付き合ってなんていない。そう思うが、あれだけ自信満々に『恋人だった』なんて言われてしまったらもしかして本当に自分が記憶喪失しているのではないか?と一瞬不安になったからだ。


「そのようなお話を、私はお聞きしたことはございません」


「やっぱり!?そうよね!そうよねっ!!」


 私はその事実に、自分は間違っていなかったと興奮して両手をあげて喜んだ。


「やっぱりあの男、嘘つきだったのね!テレーズ、私と一緒にお父様達に『付き合っていない』って証言して?そうしてくれたら私はあの悪魔と結婚しなくて済むわ」


 そう言ってテレーズの手をぎゅっと握ったが、彼女は眉を下げて困った顔をした。


「……しかし、お嬢様。学校での出来事は私では知る由がありません。私に秘密にされていた可能性もございますし」


「無いわよ!もし付き合っていたら、テレーズに真っ先に相談するに決まっているわ」


 私はそんなことあり得ないと、ぶんぶんと首を左右に振った。


「でもお嬢様は、昔から旦那様や奥様に恋愛については厳しく言われていらっしゃったではありませんか。侍女という立場の私に言いたくても言えなかった可能性もございます」


「それはそうだけど……。だけど付き合っていたなんてあり得ないの!だって私はあの男のことが嫌いだったわ。テレーズに何度も愚痴を言っていたこと覚えていないかしら?」


 私は必死に彼女の肩を掴んで、真剣な顔でそう伝えた。


「……もちろん覚えております」


「なら!」


「確かにお二人がお付き合いされていたかどうかはわかりかねます。しかし、その当時から……私はもしかするとイザーク様はお嬢様のことがお好きなのではないかと密かに思っておりました」


「……え?」


 私は目を見開いてポカンと口を開けたまま固まった。イザークが私を好き?テレーズまでそんなことを言うの?


「お嬢様は舞踏会で素敵な男性に声をかけられたのに、イザーク様に邪魔をされて踊れなかったと何度も言われていました」


「そうよ!いい雰囲気になったらどこからともなく現れて『お前の下手な踊りに付き合わされる男の身にもなれ』とか『なんだそのドレス?貧相な胸を見せるな、不愉快だ』なんて馬鹿にするのよ。失礼しちゃうわ……私はダンスは得意だし、胸だってそれなりにあるのに!お父様の決めた方と結婚するとはいえ、自分がいいなと思う方と踊るくらいしたかったわ」


 ああ、思い出したらかなり腹が立ってきた。やっぱりあの男は最悪だ。悪魔は私の手を強引に引っ張って、わざわざ私に突っかかって来るのだ。


「それは嫉妬されていたのではありませんか?舞踏会で毎回お嬢様の前に現れるなんておかしいです」


「変なこと言わないでよ。嫉妬?ただの嫌がらせじゃない」


 私はふう、と大きなため息をついて頭を抱えた。


「……そうでしょうか?確かにその台詞をそのまま聞けば暴言ですが、意訳すれば『他の男と踊らないでくれ』と『露出の多いドレスは心配だ』という意味にも聞こえます」


「そんな意味なわけないわよ。あの悪魔は嫌味で最悪な男なんだから。どんなことを企んでるのか知らないけれど、絶対にイザークとは結婚なんてしないんだから!テレーズも協力してよね」


「でも旦那様と奥様はこのご縁を喜んでいらっしゃいました。お嬢様にとっても悪くないお話でしょう?現在のイザーク様はお嬢様の理想の男性ですもの」


 テレーズは、私をチラリと見て悪戯っぽく微笑んだ。恥ずかしさで私の頬がだんだん染まっていくのがわかる。


 そう、誠に不本意だけれど今の悪魔の見た目は完全に私の好みなのだ。


「お嬢様は年上で背が高くて、短髪の男らしい方がお好きですものね。それに加えて細身に見えて筋肉質、声は低め。今のイザーク様そのものではありませんか。それに家柄も申し分なく、外交官としての仕事が決まっていらっしゃる。家格に差はありますがイザーク様は嫡男ではないので、お嬢様が公爵家の女主人になる必要もない……つまり気負う必要もありません」


 うっ……つらつらと条件を並べられると、こんな縁談を断る馬鹿がどこにいるのかという程の好条件だ。


「お嬢様にとって最高のお相手だと思いますが?」


「嫌よ。だって……あのイザークよ!?しかも『付き合っていた』なんて私やみんなを騙しているのよ。嘘つく男性と夫婦としてやっていけないわ」


 私がムキになって言い返すと、テレーズはうーんと悩みだした。


「確かに不思議なのは()()なんですよね。でも私にはどうしてもあの言動が演技とは思えなかったのですが」


 それは……実は私もそう思っている。あれが全て嘘なら、イザークは外交官などやめて今すぐ舞台俳優になった方が良い。きっと世界中で人気になる程の演技力だ。


「何かご事情があるのかもしれませんよ?もう少し様子を見られたらいかがですか?」


「……そうするわ」


 なんだか色々ありすぎてすでにぐったりと疲れたが、ディナーは家族や使用人達が卒業祝いをしてくれる予定だったので重たい身体を起こしてリビングにおりた。


 すると卒業祝い……のはずだったのにいつの間にか私の『婚約祝い』に変更されていた。


「いや、さすが私の娘だ。アンジェル公爵家の御令息を射止めるとは。昔の彼なら反対していたかもしれないが、今のイザーク君は信用できる」


「しかもリディアにベタ惚れで……良かったわね」


「まさか我が妹があの色男を落とすとはな。社交界で注目の的だな」


 両親やお兄様がそれぞれ勝手なことを言っているが、みんな嬉しそうなので私は何も言えなかった。


「お嬢様、おめでとうございます」


 ニコニコしている使用人達のおめでとうも「卒業」ではなく「婚約」のおめでとうの意味な気がして美味しいはずの豪華なディナーも、味がしないまま口の中に放り込んだ。



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