27 名前を呼んで
【お前さ、まだ様付けで呼ばれてんのか?しかもリディアちゃんのこと愛称で呼んでないじゃん】
【……別にいいだろ】
仕事の話は終わり、私達は美味しいお菓子と紅茶をいただきながら話を始めていた。
【留学中は『リディ』って呼んで、肖像画とハンカチに何度もキスしてたくせに】
【なっ……!し、していない!!お前、リディアの前で何てこと言うんだ!!】
イザークはギョッとしてかなり動揺しているように見えた。
肖像画とハンカチにキス……?それを聞いて私は驚いた。だってあの時は付き合っていないので、私の肖像画を持っているわけないし当然ハンカチも渡してはいない。
【それは私のものじゃないのでは?】
【いや、絶対に君だよ。絵の顔と同じだもの。ははーん、イザーク……留学前に勝手に画家に描いて貰ったんだな?可愛いなぁ、お前は】
そう言ってニヤニヤと笑い、イザークの肩に手を回した。彼は恥ずかしいのか真っ赤な頬を腕で隠して、視線を逸らしている。
【ハンカチってなんですか?】
【ええっ!?あれリディアちゃんが刺繍したハンカチじゃないのか?】
【いや……それは……その……】
【一体どの御令嬢から貰ったハンカチをお持ちになられていたんですか?】
私は彼を横目でジロリと睨み、刺々しくそう質問した。当時の彼は沢山の御令嬢方と遊んでいたのを知っているし、旅立つ前にハンカチを貰っていてもおかしくはない。
元々は戦いに出る騎士に『私の代わりに』とハンカチを渡したのが起源だ。これはつまりは愛の告白のようなもの。受け取るということは、男性側も『離れても君を忘れない』という意味になる。
過去のこととはいえ、そんな大切な女性がいたことは正直面白くない。不機嫌になってしまうのも仕方がないだろう。
イザークはしどろもどろになりがら、ごにょごょと話し始めた。
【誤解されたくないから話す。昔……その……俺が学校で怪我をした時に看病してくれただろ?その時のリディアのハンカチを勝手に貰ったんだ……すまない】
【ええっ!?】
【あの時から……好きだったから】
まさかイザークがそんな昔から自分を想っていてくれたなんて。私は真っ赤になって頬を両手で押さえた。
【なーんだ、やっぱりリディアちゃんのだ!勝手に貰ってあんなに大切にすると……くく、イザークって本当に一途だね】
♢♢♢
ペドロ様の話はこうだ。留学中のイザークのモテっぷりはものすごかったらしい。学校ではすぐに目立つ存在になり、女性達から熱い視線を向けられた。
【イザークは『シャルゼから来た王子』なんて言われてたんだ!当時は今より華奢で美少年だったしね。カリンバルの女性達は良くも悪くも気持ちに正直だから、一ヶ月もたたないうちに山程告白されてた】
それを聞いて私の予感は的中していたのだとわかった。やっぱり彼は留学中もモテてたんだわ。
【でも、全部断ってた。どうしてか分かる?君のことを愛していたからさ】
ペドロ様は頬を染めた私を見て、ニコリと微笑んだ。
【俺は母国に恋人がいたとしても、離れているんだからバレないだろ?ここでは思い切り遊んで、帰ったらまた彼女を大事にすればいいじゃないかって言ったんだ】
【ええっ!?】
その悪魔のような提案を聞いて、私は青ざめた。そんなの絶対に嫌だ。
【ふふ、安心して。その時イザークは『リディア以外欲しくない』って当たり前のように言ったんだ。しかもよく話を聞いたら、片想いだって言うから驚いたよ】
それを聞いて私はホッと胸を撫で下ろした。例え過去であっても、彼が別の女性を相手にしているところはもうこれ以上は知りたくないし見たくない。
【当たり前だろ】
【本当に一途だったよ。まあ……夜な夜な苦しそうにリディアちゃんの名前を呼んでた時もあったけど】
ケラケラとお腹を抱えてペドロ様が笑い出したが、イザークはギロリと睨みながら首に手をかけた。
【ペドロ、それ以上余計なことを言ったら命は無いぞ】
【くくくっ、いいじゃねぇか。他の女の名前呼んでんじゃねぇんだし】
【リディアに変な話を聞かせるな】
夜に苦しそうに私の名前を呼んでいたってどういうことなんだろう?夢の私のせいで睡眠不足になっていたのであれば申し訳ない。
【イザーク様、留学中に私の悪夢を見てうなされていたのですか?】
私がそう言うと、二人はシンと黙ってしまった。あれ?なんか変なことを言ったのだろうか。
【アハハハハ、リディアちゃんってやっぱり可愛いね。悪夢でないことだけは伝えとくよ。まあ……後でこいつにじっくり聞けばいいさ】
私が首を傾げながら、困っているとイザークがわざとらしく咳払いをした。
【リディア、お願いだから気にしないで今すぐに忘れてくれ】
イザークの目は笑っていないが、口角だけがニッコリと笑っている。それはもうこれ以上は『聞くな』という圧を感じたので、私はそれ以上何も聞かなかった。男性には私はわからない事情が色々あるらしい。
【初めてリディアちゃんに会った日、イザークがやっと愛する君と付き合えたんだってとても嬉しかったのに……次にこいつに会ったら死んだような顔して別れたって言うから驚いたよ。あの時イザークが記憶喪失だったことも、後で知って驚いたけどね】
ペドロ様には記憶喪失だったことを話されていたのね。あの時は話が噛み合わなかったので、とても違和感を感じていたらしい。
【だからリディアちゃんと結婚するって聞いて本当に嬉しかった。イザークをよろしく。こいつの一途な愛は俺が保証するから】
【……お前の保証なんてなくても俺が愛するのは生涯リディアだけだ】
イザークの真っ直ぐな言葉に頬が赤く染まる。ペドロ様ははぁ、とため息をついた。
【リディアちゃん、本当にこんな口の悪い男でいいの?嫌になったら連絡して。すぐ俺の彼女にしてあげるから】
ペドロ様はウィンクをしてちゅっ、と投げキッスをして見せた。するとイザークは私を自分の背の後ろに隠した。
【ふざけるな!誰がお前なんかに渡すか。リディア、信じてはだめだぞ。こいつは山程彼女がいる最低な男だ】
【モテる男って罪だよな。博愛主義と言ってくれ。女の子ってなんでみんな可愛いんだろうねぇ?】
【ペドロはまだ本当の恋を知らないだけだ】
真面目な顔でそう言ったイザークにペドロ様はフッと優しく微笑んだ。
【そうかもしれないな。だからこそ、お前が羨ましいよ。運命の相手……大事にしろよ】
【ああ】
【改めて結婚おめでとう。お幸せに】
ペドロ様と握手をして、何度もお礼を言って別れた。
♢♢♢
「リディア、そろそろ呼び捨てでもいいんじゃないか?」
「え?」
ホテルで寝る準備をしていると、彼が後ろから抱き付き私の頬に顔を寄せた。
「本当は結婚を機に提案しようと思っていたが……なかなか言い出せなかったんだ。ペドロに言われたからというのは癪だけど、いい機会だしリディアには敬称無しで呼んでほしい」
「いいのですか?」
「もちろん。俺は……その……リ、リディと呼んでもいいだろうか?」
後ろにいるので顔は見えないが、イザークは緊張しているようだった。彼は俺様で強引なところがあるくせに、こういうところは案外弱気だ。
「ええ、もちろん。私もイザークって呼びたかったわ」
心の中ではずっと昔から呼び捨てだったことは彼には内緒だ。それどころか虐められていた学生時代は、裏で悪魔と呼んでいたことも墓場まで持っていこう。世の中には知らなくていいこともある。
でも本当は面と向かって彼に『イザーク』と呼んでみたかった。呼び捨てというのは特別なのだから。
「……嬉しい。リディ、もっと呼んで」
「イザーク」
「リディ、リディ……もっと」
「イザーク……イザ……」
もっと呼んでくれと言ったのに、彼は私の唇を強引に塞いだ後ひょいと軽々と横抱きにしてベッドに連れて行った。
「リディ、愛してる」
ちゅっちゅと沢山キスをされ、私達はそのまま甘い夜を過ごした。それからも『リディ』と何十回も呼ばれたが、必死な私は結局数回しか『イザーク』と呼べなかった……それでも彼はとても満足そうに微笑んでいた。
私のことをリディと呼ぶのはイザークだけだ。その甘い呼び方が嬉しくて少しこそばゆいような気がした。
♢♢♢
そんな風に新婚旅行は、楽しすぎて瞬く間に過ぎていった。観光をしながら美味しいものを食べて、彼の仕事関係のパーティにも参加した。
イザークは不満気だったが、外交官としての仕事込みという条件で新婚旅行を二週間も勝ち取ったのだから文句は言えないだろう。
私は外交官として仕事をしている彼を傍で見られたことが密かに嬉しかった。華やかな場所がそんなに得意ではない私は、彼の妻としてきちんとしないといけないので緊張もしたがイザークのさりげないフォローのおかげでパーティも楽しむことができた。
※【】はカリンバル語で話している設定です。
ここまでお読みいただきありがとうございます。
明日で最終話になります。18時〜19時の間に更新予定です。
少しでも楽しんでいただけた場合は、いいねや評価いただけるととても嬉しいです★★★★★