22 お義兄様
ある日、私は王都で買い物をしていた。すると後ろから突然声をかけられた。
「リディア嬢」
その声に私は驚いて後ろを振り向いた。イザークは今日は外せない仕事があると言っていた。なのに、彼と同じ声が聞こえてきたからだ。
「あ……なた様……は」
「ちゃんと話すのは初めましてだね。私はイザークの兄のヴィクター・アンジェルだ。よろしく」
目の前にはイザークにそっくりな顔があった。正確に言うと、学生時代の彼の髪を黒くした感じだ。今のイザークはかなり身体を鍛えており、逞しくなっているので雰囲気が少し変わっている。
「は、は、初めまして!リディア・サヴィーニと申します」
私は驚き、緊張しながら頭を深く下げた。ヴィクター様は有名人なので、もちろん存在は知ってはいたが話した事はない。確か今はお義父様の下で宰相補佐の仕事をされているはずだ。
その優秀さと見た目の美しさから、完璧な紳士だと言われていた。私にとっては話しかけるのも烏滸がましいような雲の上の存在だ。
「キャーーッ!ヴィクター様よ」
「こんなところで会えるなんてラッキーだわ」
「どうされたのかしら」
ハッと気が付くと、周囲がざわざわと煩くなっていた。イザーク様も普段からかなり目立つが、ヴィクター様はさらにすごい。
「私のせいで注目を浴びてすまないね。この後少し時間はあるかな?」
「は、はい」
「ここは目立つからね。一杯だけお茶に付き合ってもらってもいいかな?」
ヴィクター様は穏やかな笑顔で私にそう質問した。私は緊張してこくこく、と縦に何度も首を振るとくすりと笑われてしまった。
「可愛いね」
うわぁ……どこにでもいるありきたりな貴族令嬢の私をさらりと褒める辺り、さすが紳士だわ。これは皆が骨抜きにされるのも納得だ。
「さあ、行こうか」
すっと手を出してエスコートをしてくださる姿は、まるで物語の王子様のようだ。
連れて行っていただいたお店に入ると「お待ちしておりました」と店員さん達が頭を下げていた。
「急にすまないね。ありがとう」
「とんでもございません。奥に席をご用意しております」
「助かるよ」
私はキョロキョロしながら周りを見るが、誰もいない。
――そんなことある?
ここは王都でも人気のいつも行列のレストランだ。周りの店員さん方にぺこぺこしながら、ヴィクター様の隣をついて行った。
「紅茶が好きだと聞いているが、合っているかな?」
「は、はい。好きです」
「そう、良かった。おすすめのスイーツも用意してもらってるから遠慮なく食べてくれ」
席に座った途端、香り高い紅茶と色とりどりの美味しそうなスイーツが運ばれてきた。……まだ何も頼んでいないのに。
ヴィクター様は人畜無害そうににっこりと笑っているが、なかなか食えない男な気がする。
「あの……私が買い物に来てる事ご存じだったんですか?」
この準備周到な感じ。たまたま偶然出会ったとはどうしても思えない。
「紅茶、冷めないうちどうぞ」
質問は笑顔でさらりとかわされた。私は緊張したまま紅茶を一口飲んだ。
――ん!?これは……!
「美味しいです!こんなの初めて飲みました」
あまりの美味しさに私はもう一口飲み、ふにゃりと眉を下げた。
「ふふ、良かった。カリンバルで採れた新種の茶葉だそうだよ」
「へえ、新種なんですね」
「リディア嬢は素直ないい子だね。弟がベタ惚れだと聞いていたから、どんな女性かと心配していたが……安心したよ」
そのホッとした顔はまさに弟を心配する『兄』の顔そのものだった。
「一度君と話してみたくてね。イザークがなかなか会わせてくれないから」
「そうなんですか?」
「ああ。忙しい兄上にわざわざ時間を取ってもらうのは申し訳ない……とか尤もらしいことを言っているが、結局あいつは私に会わせたくないだけなんだ。酷いと思わないか?二人が結婚したらリディア嬢は私の妹になるのに」
ヴィクター様はふう、と大きなため息をついて大袈裟に両手を広げ『信じられない』とでもいう風な身振りを見せた。真面目な彼がするコミカルな動きについ笑ってしまった。
「ふふ、ヴィクター様ったら。そんな仕草をなさるのですね」
「緊張が解けたようで良かった。ヴィクター様だなんて他人行儀だね。是非お義兄様と呼んで欲しい」
「はい。お、お義兄様」
ちょっと照れてしまうが、初めて呼んでみると彼は嬉しそうに微笑んだ。
「ありがとう、可愛い妹が欲しかったんだ。困ったことに、私には反抗期の弟しかいなくてね」
お義兄様はそんな事を言いながら、悪戯っぽくウィンクをして見せた。
♢♢♢
「幼い頃は兄上、兄上とずっと私の後ろをついて回っていた。少しやんちゃだったが、可愛くて仕方がなかったよ」
「そうですか」
「兄上みたいになりたい、と言ってくれてね。本当に嬉しかったし、弟に恥じない兄でいなければとずっと思っていた」
お義兄様は、昔を懐かしむように目を細めて遠くを見つめていた。きっと仲の良い兄弟だったのだろう。
「だが、ある時から全く近付いて来なくなった。理由はわかっていた。イザークは常に私と比べられることが嫌になったんだ。哀しい思いも沢山したと思う。五歳も年下の弟と私を比べることは間違っているのに、姿形が似ているため常に周囲から『同じ』を求められていた」
その話を聞いて、私は胸がズキズキと痛んだ。イザークが優秀なお義兄様に、強いコンプレックスを抱いていたことは知っていたから。
「私からしたらイザークの方が羨ましかった。弟は明るくて、友達も多く運動神経も良かったしね。反対に私は本来物静かな性格で家で本を読んだりするのが好きな大人しい子どもだった」
「そうだったのですね」
「どんどん疎遠になっていったよ。私も学校や仕事で忙しくて、弟の容姿や態度がおかしいと気が付いた時には……遅かった。私は『公爵家にはあんただけいれば十分だ。俺は必要ない』と言われたよ」
私が出逢った時はまさに彼が悩み苦しんでいる最中だったのだろう。
「でもある日突然変わったんだ。死んだような生気の無い目だったのに、急に生き返った」
お義兄様は思い出したように嬉しそうに笑い、私をじっと見つめた。
「リディア嬢のおかげだよ。君と出逢って弟は救われたんだ。本当にありがとう」
「いえ、私は何もしていません」
左右に首を振って否定したその時、乱暴にノックがされバンっ!と扉が開いた。
「兄上っ!何をしておられるのですか!!」
「おや、イザーク。案外早かったね。ノックは返事を聞いてから開けるようにと習っただろ?」
「今の俺にそんな余裕はありませんっ!!」
凄い勢いで部屋の中に入って来たのは息を切らしたイザークで、私は驚いてしまった。
「イザーク様、お仕事は……?」
「はぁ……はぁ……即行で終わらせて来た。兄上がリディアと二人でいると知ったから急いで来たんだ」
この人達はどのようにして情報を得ているのだろうか。公爵家というものは恐ろしい。
「妹に会って何が悪い?」
「いくら兄上であっても、リディアと男が二人きりなのが嫌なんです!」
「私が妻以外に手を出す男に見えるって?随分信用がないんだな」
そういえばお義兄様は二年前に公爵家の御令嬢とご結婚をされていた。政略結婚らしいが、仲睦まじいご夫婦だと噂になっていた。私はよく知らないが、彼が結婚するまでは自分が婚約者になろうと御令嬢方の血みどろの争いがあったとかなかったとか……。
イザークはグッと拳を握って気まずそうに目線を逸らした。
「信用しています。だけど兄上は……格好良いから特に……嫌なんですよ。リディアが好きなったら困る」
ごにょごにょとそう言ったイザークを見て、お義兄様はフッと嬉しそうに笑った。
「お前にもう一度格好良いと言ってもらえるとは思わなかったな」
「……いつも思ってますよ」
「それは嬉しい。しかし、なんの心配もないさ。リディア嬢はさっきからお前ばかり見ているからね」
意地悪そうに私にフッと笑ったお義兄様と、ものすごく嬉しそうに目を輝かせているイザークが目に入った。
「リディアっ!愛してる」
「きゃあっ!や、やめてくださいませ。お義兄様の前ですよ」
私はイザークに抱き締められ、頬にちゅっちゅとキスの嵐を受けている。それをお義兄様はハハハ……と笑いながら楽しそうに見つめていた。
「お話ししてみると、お義兄様とイザーク様はぜんぜん似ていませんね」
「……」
「……」
そう伝えると、二人は無言になってしまった。あれ?なんか変なことを言ったかしら?
「いつも似てるとしか言われないから驚いたんだ。でも私にそう言ってくれたのは二人目だ。ちなみに一人目は私の妻だよ」
お義兄様は優しく目を細めた。その表情から奥様を愛していらっしゃるのがとてもよくわかった。お義兄様はお義兄様で、幼い頃から公爵家の後継というプレッシャーと常に戦っていらっしゃったのだろう。それを支えてくださる方と巡り逢われたことは本当に良かったなと思う。
「イザーク、素敵な女性と出逢えて良かったね」
「はい!」
「リディア嬢……いや、もうリディアと呼ぼう。今日から君は私の妹だ。イザークを頼んだよ」
「はい」
こうして、お義兄様と初めてお話ししたのだった。それからは私は度々アンジェル公爵家に遊びに行くことになり、お義母様やヴィクター様の奥様であるお義姉様とも交流ができとても楽しい時間を過ごすことになった。
イザークは『俺のリディアなのに』と不満気だったが、私は彼の大事な家族に受け入れてもらえたことがとても嬉しかった。