2 嘘
話が通じないまま、我が家に着いた。いきなりイザークと一緒に帰ってきた私を見て、家族や使用人はかなり驚いていた。
――そりゃそうだ。私だって驚いている。
「サヴィーニ伯爵、いきなりお伺いして申し訳ありません。後日きちんとご挨拶に伺おうと思っていたのですが、リディア嬢に心配なことがありまして」
「心配なこと?来ていただくことは構わないが……我が家の娘と君がどういう関係なのか聞いてもいいだろうか?」
イザークは公爵家の次男だ。我が家より爵位の高い公爵家の御子息を邪険に扱うわけにもいかず、お父様は彼を丁重にもてなすより他になかった。
「伯爵、ご報告が遅れたことお詫び致します。私は学生時代からリディア嬢と恋人でした。もちろん真剣な……結婚を見据えたお付き合いです」
真剣なトーンで、真面目な顔でそう話し出した。その話を聞き、お父様とお母様は驚いて目を見開いた。
「リディアと!?」
――こ、この男は勝手に何を言っているんだ!?
「う、嘘です!この人の言っていることは全部嘘です。私はどなたともお付き合いなんてしておりません」
私はソファーから立ち上がって必死に否定をした。両親はそんな私を見てさらに戸惑っていた。
「リディ、とても大事なことだから少し黙っていてくれ。私からお二人にきちんと話すから。君は忘れているだけなんだよ」
彼は私の手に自分の大きな手を重ねて、あやすようによしよしと撫でた。
「忘れている……とは?」
「私達は愛し合っていました。もちろん、学生同士の節度を持った恋愛でしたが、彼女は私の人生を百八十度変えてくれました。伯爵も……ご存知かと思いますが恥ずかしながら私は昔素行が悪かった。だから、あの当時の私ではお二人に認めてもらえないだろうと思い付き合っていることは秘密にしていたのです。リディア嬢に相応しい自分になるために留学先で必死に二年間勉強をして、来月から王宮で外交官として働くことが決まりました」
「ああ、君の噂は聞いているよ。とても優秀だと」
「勿体ないお言葉です。帰ってきたら、求婚をするつもりでした。しかし、リディア嬢……いや、リディは私と愛し合っていたことをすっかり忘れてしまったようなのです」
イザークは目頭を手で押さえて、声を震わせながらそう話した。それはとても苦しそうで、哀しそうで……同情を誘うものだった。
――なんでこんな演技派なの!?
その演技力に騙されている両親は「そうだったのか」と真剣な顔で話を聞いている。
「この二年で彼女に何か異変はありませんでしたか?きっと……記憶喪失だと思うんです。そろそろここに我が家専属の医者が来るので、診てもらおうと思っています」
「リディアが記憶喪失……!?」
「そんな。全くそんな素振りはなかったけれど」
両親は心配そうに私を見つめた。私はぶんぶんと左右に大きく首を振った。
「私は記憶喪失になんてなっていません!お父様、お母様信じてください。私は来月お父様が選んでくださった方とお見合いすることが決まっているではありませんか」
「リディ!」
イザークが急に低く大きな声を出したので、私はビクッと身体を震わせた。
「お願いだから……他の男と結婚するなんて……言わないでくれ。記憶がないと理解はしているが、そんなことを言われたら流石に私は我慢できない。大好きな君にそんなことを言われたら、胸が張り裂けそうに痛い」
彼は自分の左胸の辺りのシャツをぐしゃっと握り、唇を噛み締めて本当に苦しそうな顔をした。
「伯爵……失礼を承知でお伺い致しますが、そのお相手になるはずの方は私より良い条件でしょうか?次男の私に爵位はありませんが、外交官として働くのでお嬢さんを困らせることは決してありません」
外交官はかなり優秀な人しかなれない職業のため、将来はこの国を担うポジションにつくことが決まっているようなものだ。
「……いや、我が家にとって君との縁ほど良いものはないよ」
ちょっと……ちょっと待って!お父様。確かに伯爵家の我が家が公爵家と縁ができるだなんて政略結婚的には最高の形なんだろうけれど!
「そうですか!良かったです。では、私が婚約者でも構わないと言うことですね?」
「念のため一つだけ確認させて欲しいが、側室や愛人を作ったりはしないだろうね?いくらいい縁でも私は哀しむ娘を見たくない。君はその……昔から女性にモテるだろう」
「一生リディだけと誓います。ご心配なら書面にその旨を残しましょう」
「なら構わない。これだけ愛されてする結婚など政略結婚ではなかなかあり得ないだろう。お相手予定だった方には丁重にお断りをしておく。だからリディアを頼んだよ、イザーク君」
「ありがとうございます。かならず幸せにします」
「だが、結婚するまでは健全な付き合いをしてくれ」
「はい!」
「君のお父上のアンジェル公爵は結婚のことを了承しているのか?」
「もちろんです。留学前に『リディと結婚する』と宣言して家を出ましたから。それに私を改心させたリディに両親は感謝していますよ」
留学前に私と結婚すると宣言して家を出たですって!?そんことあり得ない。この男の言っていることは全部嘘だ。本当なのは二年間留学に行っていたことくらい。
そもそもこの男は、学生時代不良だった。学校では制服を着崩して煙草を吸ったり毎日違う御令嬢達とイチャイチャしたり……それはそれは酷いものだった。だが、彼は授業にほとんど出ていないのに、学年一賢かった。まあ……彼は公爵家の御令息なので、学校で学ばなくても昔から厳しく辛い英才教育を受けていたのだろうけれど。
「私はイザーク様と結婚なんてしません!」
私がそう言った時に使用人から「お医者様がいらっしゃいました」と声がかかった。
それからはあれよあれよと言う間に、医師に様々な診察をされた。
「身体には問題ありませんね。ふむ……イザーク様のことだけお忘れになられていると?」
「はい。そんなことあり得るのだろうか?記憶喪失というのは全て忘れるものなのかと思っていたのだが」
「いえ、様々なパターンがございます。物理的な衝撃を受けた場合だけでなく、苦しいことを忘れるために自ら記憶を無くすこともあります」
私は記憶喪失になんてなっていないのだから、医師に診てもらえばむしろその証明になると大人しく診察を受けていた。
――しかし、この判断が間違っていた。
医師の話を聞いて、イザークは目をぎゅっと閉じて口元を手で隠したまま肩を震わせた。
「リディは私が留学したことがそんなに辛く苦しかったんだね。そんなに想ってくれていたのに……私は勉強ばかりして一度もこの国に帰って来なかった。すまなかった、君が記憶喪失になったのは、やはり私のせいだ」
「……は?」
彼は涙を堪えるような苦し気な顔をして、よくわからないことを言っている。
「あなた、そういえば!二年前の卒業式の日にリディアが泣きながら帰ってきて、何日も高熱を出したことがあったわよね。暗い顔で帰ってきて……誰が聞いても理由を言わなくて心配していたことが」
お母様がそんなことを言い出した。その話をされるのはとてもまずい。
「そういえばあったな。イザーク君、君は確かリディアの二つ年上だったね?」
「……はい。きっとその日は私の卒業式です。それからすぐに隣国へ旅立ちましたから」
違う、全く違う。私が泣いていたのは、悪魔にキスをされたからだ。留学することはとても嬉しかった。しかしここでキスされたなんてことを言ったら、既成事実として結局結婚させられそうな気がする。私はどっちに転んでも最悪の状況になりそうで青ざめた。
「リディア、彼がいなくなって哀しかったのね。ごめんなさい……私ったら母親のくせに全然あなたの気持ちに気がつかなくて」
「リディアは私が決めた人と結婚するんだと昔から言い聞かせてきたから、大事な恋人がいることを言えなかったんだな。リディアが記憶を忘れる程苦しんでいたなんて……悪かった」
お母様とお父様は完全にこの話を信じてしまったようだ。私の肩を撫でながら、申し訳なさそうにしている。
「いえ、私の責任です。学生時代の私がしっかりしていれば、留学前にお二人にご挨拶ができたのに……自分が不甲斐ないです。でも、これからはずっと彼女の傍にいられます。必ず幸せにしますから安心してください」
両親は「ありがとう」なんて涙ぐんでいる。私は流石に耐えられなくなった。
「嫌よ!絶対この人と結婚なんてしないわ!!この人と結婚するくらいなら一人で生きていく」
私はそう叫んで、部屋を飛び出した。
本日二回目の投稿です。