13 真実②
全部思い出した?まるで感情などないように、イザークに淡々とそう告げられた。
「思い出したってどういうことですか?」
「……今までのこと全てだ。君の言う通り、俺達は付き合ったことなんて一度もないと思い出した」
それはその通りだ。そんなことは私は最初からわかっている。
「リディアが記憶を失っていたのではない。俺の記憶がおかしかった。変なことを言って……迷惑をかけてすまなかったな」
まさか。記憶喪失だったのが私ではなく、彼の方だったなんて。卒業式以降の彼は、イザークだけど本物のイザークではなかったということだ。
「この詫びはきちんとする。今回の騒ぎも君に迷惑がかからぬよう最大限努める」
「それはどういう……意味ですか?」
記憶を失っていた間のことは全て嘘だったとでも言うのだろうか?
「俺と君は無関係だ」
彼は私から顔を逸らし、冷たくそう言い放った。無関係?無関係ってどういうこと?ショックで目の前がぐにゃりと歪んで見える。
「無関係……ですって?」
一生私だけを好きだと言ったではないか。それも記憶を失っていた時の勘違いだと?
「俺に君は似合わない」
その言葉を聞いて、涙が溢れた。レティシアは、イザークは昔から私を好きだったと言ったけれどそれはどうやら間違っていたようだ。
だってほら?昔も今も私は女扱いをしてもらったことなんてないのだから。
「泣かないでくれ。決心が鈍る」
『……泣くんじゃねぇ。決心が鈍る』
記憶を取り戻した彼は悪魔と同じ台詞を言っている。自分を俺と呼ぶ一人称も、話し方も全てが二年前の彼のようだった。以前はこの後強引にキスをされたが、あれが本当に嫌がらせだったとは哀しすぎる事実だわ。
「リディアは……俺のことが嫌いだと言っていただろう。だから……これでいい」
ああ、私は馬鹿だな。この男が好きだと言ってくれた言葉なんて信じるんじゃなかった。しかもその言い方だと、まるで私だけのせいみたいではないか。
「わ……かりました。そもそも私はあなたと結婚するつもりなんて、コレっぽっちもなかったんですから!あー……良かった!!虐めていた人と結婚なんて地獄だもの」
私は無理矢理笑顔を作り、わざと明るい声を出した。これは女の意地だ。
「リディア……俺は……」
彼は何か言いたそうだった。だけど、私はもう彼の話は聞きたくなかった。
「イザーク様、さようなら。お大事になさってくださいませ」
自分ができる一番美しいお辞儀をして、私は病室から飛び出した。彼が思い出す最後の私は、綺麗でありたかった。
イザークが一時的に記憶喪失だったことは、我が家とアンジェル公爵家だけの秘密になった。そして、婚約の話はそのままなくなった。だって当人達が……婚約を望まなかったのだから。
ジョシュアはイザーク暗殺未遂という大罪で、二度と牢屋から出られないそうだ。彼は自分の能力の限界を感じ挫折し、優秀なイザークに嫉妬した。そして心の弱さを隠すために、他国から裏ルートで買い付けた幻覚を見る怪しい薬を違法で入手し使っていたらしい。あの奇行はそういうことだった。しかも密売もしていたらしい。
それに私と『婚約』する予定だったというのも、真っ赤な嘘だったらしい。当初候補として名前が上がっていたのは事実だが、お父様は怪しい噂を聞いていたらしく彼を選ばなかった。
その後、ジョシュアはイザークと私が会っているという話を聞いて『あの時選ばれなかったのはイザークが邪魔をしたせいだ』と思ったらしい。
だからわざと嘘をついて近付き、私に危害を加えようと思っていたらしい。つまりは全て逆恨みだ。
「安心してください。あの男が外に出ることはありません。アークライト伯爵家も御子息の責任を取って田舎に引っ込むか、取り潰しになるでしょう」
アンジェル公爵家の使用人が、わざわざ報告に来てくれた。噂によればジョシュアは死ぬより辛い目に遭っている……らしいが恐ろしいので詳しく聞くのをやめた。この件について、アンジェル公爵家の怒りは物凄いものだった。
私は事件に巻き込まれた令嬢ということで、しばらくは周囲から憐れみの目を向けられていた。だが、不思議と私を悪く言う人は誰もいなかった。イザークとの婚約がなくなり、ジョシュアの事件に巻き込まれたら普通は何だかんだと言われるものだ。
恐らく裏から手を回して、悪口を言う人がいないように大きな力が働いているようだった。
アンジェル公爵家からは、今回のお詫びとして多額の慰謝料の申し出があったがお父様は丁重に断ってくれた。
これで私とイザークは本当に無関係となったのだった。
♢♢♢
「お父様、カリンバルへ行かせてください」
「……駄目だ」
「どうしてですか?昨日友好条約が結ばれたのです!今の時代女性だから旅行は駄目なんて、考えが古いですわ」
「……」
イザークと別れて半年が経過した。私は相変わらず誰とも結婚せずに、サヴィーニ家に住んでいる。
貴族令嬢としてはあり得ないことだが、私が結婚したくないと言い張るのを両親は許してくれた。
私はカリンバル語の勉強を続け、今は向こうから仕入れた本の翻訳の仕事ができるようになった。家で仕事をこなして、街の書店や王宮の図書館に定期的に本を持って行くような生活だ。
たまに王宮内でイザークを見かけることがあった。本人は迷惑そうだが、よく綺麗な御令嬢に囲まれている。その度に胸がきゅっと締め付けられた。
――我ながらしつこいわね。
私はあんなことがあってもまだ彼が好きらしい。イザークは未だに独り身だ。彼なら引くて数多だろうに何故か婚約者を作らなかった。それも私が諦められない理由の一つだ。
そして、昨日我が国シャルゼ王国と隣国カリンバルの友好条約を結んだ。これはイザークが外交官として奔走した結果だそうだ。
今や彼の優秀さはこの国では有名になっている。語学力や頭の回転の早さはもちろんだが、会話も面白くどんな相手も取り込む華がある。もう過去の彼の素行の悪さなんて気にする人はいない。そう言われないように、彼は見えないところで血の滲むような努力をしたのだろう。
カリンバルと友好条約を結んだ事でお互いの国の行き来は楽になり、輸入や輸出の際にかけていた税はかなり軽くなった。
「イザーク様、ありがとうございます」
彼に直接お礼を言うことはできない。本当にカリンバルと友好条約を結べる日が来るとは思っていなかったので感無量だ。きっとこうなるまで、すごく大変だっただろう。
私はグッと拳を握り、勇気を出した。彼が実現させてくれたのだから私も前に進みたい。
緊張したまま私はお父様にカリンバルへの旅行を認めてもらうように直談判しに行った。以前の私なら、言わずに諦めていただろう。
――だけど、これは私の夢だ。
「お父様、カリンバルへ行かせてください」
駄目だと言われることは覚悟の上だ。それでも……それでもやっぱり行ってみたい。
「私は諦めませんから」
そう伝えてから一週間。私は毎日お父様の元を訪ねて「カリンバルへ行きたい」と言い続けた。
「リディア……カリンバルへ行きたいと言うのは本気か?」
お父様ははあ、と大きなため息をついて私をまっすぐ見つめた。
「本気です。学生時代からずっと憧れていました。あの時は……お父様に言い出せませんでしたが」
「なぜ行きたい?」
「カリンバルの文化が好きなのです。美味しい紅茶も大好きですから、自分で好きなものを選んで領地に輸入してみたいです」
「そうか……本当にそれだけの理由か?」
お父様は私を試すようにそう訪ねた。誤魔化すこともできるだろうが、そうすればきっと旅行の許可は降りないだろう。
「いいえ、お父様。私は以前、イザーク様と約束したのです。無事友好条約が結ばれた暁には、カリンバルに行くと」
「……」
「彼は本当に友好条約を結んでくれました。だからこそ、私も約束を違えたくないのです」
カリンバル語は彼が私に与えてくれたプレゼントだ。それを大事にしたい。
「リディアが私にこんなに強く自己主張をするなんて初めてだね。子の成長というのは、嬉しい反面寂しくもあるものだな」
お父様は私の頭を優しく撫で、少しだけ哀しそうに微笑んだ。
「カリンバルへの旅行を認めよう」
「……お父様っ!ありがとうございます」
「だが、一つだけ条件がある。カリンバルへ行くのは君の新婚旅行だ」
そう言われて、私はカッと頭に血がのぼった。認めてくれたのかと嬉しかったのに、そんな条件はあんまりではないか。
「お父様、私は結婚などしません!」
「今まで黙認してきたが、却下だ。リディアは伯爵家の娘として生まれて、結婚せぬ生活が本気でできると思っているのか?」
お父様の仰ることは正論だ。だけど、私はイザーク以外好きになることなんてできなかった。
「ちょうどリディアに熱烈なラブレターが届いていたんだ。その男と婚約しなさい」
お父様は私に手紙を差し出した。熱烈なラブレター?私にそんなものを書く物好きな男は一体誰なのか。とりあえず読んでみることにした。
「これは」
私は持っている手が震え、ポロポロと涙が出てきた。膝から崩れ落ちそうになるのを、どうにか耐えた。
「ラブレターだろう?娘宛の手紙を男親の私に送ってくるのはやめて欲しいものだ」
それは紛れもなくイザークからの手紙だった。
サヴィーニ伯爵
ご無沙汰しております。今回は折り入ってお願いがあり手紙を書かせていただきました。
カリンバルと我が国は友好条約を結びました。そのため、行き来は以前よりかなり楽で安全になります。
リディア嬢は学生時代からずっとカリンバルへ行きたいと仰っていました。愛する娘である彼女を旅行へ行かせるのは心配だと思いますが、どうか認めてあげてください。
彼女にはわからぬように当家の護衛も数名つけますし、安全なホテルの確保は任せてください。
リディア嬢のカリンバル語はネイティブと大差ない程素晴らしい。旅行中、言葉で困ることはないでしょう。最近は彼女の翻訳した作品を一冊ずつ読むのが、私の日々の楽しみになっているほどです。
彼女の長年の努力の成果を、どうか実らせてあげてください。
彼女はどうしようもなかった私に希望の光をくれた大事な人です。彼女のために出来ることならば、なんだってしましょう。彼女の夢は私の夢でもあるのですから。
誠に身勝手なお願いですが、このことはどうかリディア嬢には内密に。よろしくお願い致します。
イザーク・アンジェル