10 親友
丸一日泣き続け……約三日部屋の中に閉じ籠った。両親やお兄様、テレーズが順番に心配して様子を見に来てくれたが私は部屋の鍵を開けなかった。
毎日ご飯を作って部屋の前に置いてくれるシェフには申し訳ないが、ご飯も殆ど食べられなかった。
――同じ人に二度失恋するなんてね。
一度目は自覚がなかった恋だが、二度目の今回は自覚がある分より辛い。
好きなんだから、そのまま知らないふりをして結婚してしまえばよかったのに……と心の中の悪魔が囁く。いや、これで良かったのだ。そんなことしたら一生後悔してしまう。
――好きな人には愛する人と幸せになって欲しい。
どんな事情があったとしても、好きでもない私と結婚するなんてイザークも可哀想だ。そして私も可哀想だ。
「お嬢様、おはようございます」
廊下からドアのノック音と心配そうなテレーズの声が聞こえてきた。いつまでもウジウジしているわけにはいかない。
私は鍵を開け、ドアの隙間からそっと顔を覗かせた。
「……おはよう」
「おはようございます。お嬢様……そのお顔はレディとしては零点ですよ」
腫れ上がった瞼はとても重たい。それに泣きすぎて頬や鼻も赤くなっている私はきっと史上最強に不細工なはずだ。
「ふっ……ふふ、そうね。ボロボロだわ」
こんな時でも容赦のないテレーズの言葉に、つい笑みが溢れた。
「大丈夫です。テレーズにお任せ下さいませ。全て元通りにして差し上げます。私はガリガリに痩せたお嬢様より、ふくふく柔らかいお嬢様が好きですから」
彼女は何も言わずに私をぎゅっと抱き締めてくれた。
「……ありがとう」
「さあ、とりあえずお風呂からです。忙しくなりますよ!」
あったかいお湯に浸かり、ヘアオイルをつけて髪を櫛でといてもらう。お風呂からあがるとたっぷり美容液を塗りたくられ、瞼は冷やしたり温めたりされながら……いつのまにかパッチリ開くようになった。
「はい、可愛いお嬢様に戻りましたね。あとは美味しい料理を食べるだけですから、簡単です。食べ終えてから、ゆっくり旦那様達とお話をされてはいかがですか」
「そうするわ。でもせっかく痩せたのに、これじゃあすぐ体重が戻りそうだわ」
リビングにはものすごい量の料理が並んでいる。シェフ達が張り切ってくれたようだ。
「健康的な女性が一番美しいんですよ」
テレーズはそう言って、私のお皿に沢山の料理を置いてくれた。
「そうね。ああ、お腹が空いたわ。いただきます」
三日間碌に食べていなかったので、食事をペロリと食べ終えてしまった。
「美味しかったわ。ご馳走様でした」
「シェフ達が喜びます」
それからは、両親とお兄様に心配をかけたことを謝罪した。それと、イザークとの婚約は無しにして欲しいと伝えた。
「……わかった。リディアがどうしても嫌だと言うのであれば、無理に婚約は結ばない」
「ごめんなさい、お父様。公爵家と親しくなれるチャンスだったのに。家のために役立てずに申し訳ありません」
「こちらのことは気にするんじゃない。もともと急な話だったんだ」
「ありがとうございます」
良い縁を結ぶというのは大変なことだ。最初の縁談もイザークの件があってお断りしているはずだ。
「リディア、本当にいいんだな?」
「え?」
「記憶のこと等色々不安があるのかもしれないが、家格が上のアンジェル公爵家に正式はお断りしたら我が家に二度と話は来ないだろう。リディアとの話がなくなれば、有望な彼はすぐに別の縁談が決まる。それでも、本当にいいんだな?」
お父様に念を押されて、私はすぐに返事ができなかった。
「まだ決意が固まっていないらしい。あと三日待つ。もう一度話をしに来なさい」
「……はい」
しゅんとした私に、お父様は優しく頭を撫でてくれた。
「後悔のない決断を。私はリディアの幸せを願ってるよ」
お母様とお兄様もそれ以上は何も言わず、ただ普段通り寄り添ってくれることがとてもありがたかった。
「お嬢様、明日の舞踏会に行かれてはどうですか?レティシア様も行かれるとお手紙が来ていたではありませんか」
「……そうね。気分転換にそうしようかしら。次にレティシアに会えるのなんていつになるかわからないものね!」
レティシアとは学生時代からの私の親友だ。彼女は舞踏会で他国の貴族に身染められて、一年前に嫁いで行ってしまった。今は海の向こう側の遠い国にいるが、久々に帰って来るらしい。
元々舞踏会に行かなくても、会う約束はしていたが久々に一緒に煌びやかな場に行くのも楽しいだろう。
「では今日はドレスや小物選びをしましょう。明日は沢山お洒落しましょうね」
私が思い悩まないように、テレーズは気を遣ってこの提案をしてくれたのだろう。
「そうね。レティシアに『綺麗になった』って褒めてもらわなくっちゃ!」
「ふふ、そうですね。レティシア様は辛口ですから。私もメイク頑張りますわ」
「そうなのよ。自分が美人だからって……!舞踏会や学校では、いつももっと派手にしろって言われ続けていたわ」
私はレティシアを思い出してくすくす、と笑い出した。彼女は大人っぽい美人だ。童顔の私とは真反対。意志も強く言いたい事ははっきり言うタイプ。私は言いたい事はなかなか言い出せない。
全く違うのに気が合ってとっても仲良かった。彼女が嫁ぐ前なんて『行かないで』と号泣して困らせてしまったくらいだ。
イザークとのことも……話してみようかと思う。自分一人でもやもやするより彼女に話したほうがスッキリする気がした。
♢♢♢
「きゃー!リディア、久しぶり」
「レティシア!会いたかった」
一年ぶりの再会とは思えないくらい自然にレティシアと話せることが嬉しい。出会った瞬間にハグをして喜びを分かち合った。
「また綺麗になったんじゃない?」
「ふふ、ありがとう。リディアも今夜は気合い入れてるじゃない!素敵よ」
「レティシアに合格って言われるように頑張ったのよ」
そう言ってドレスの裾を持ち、にっこりと微笑んで見せた。
「私が結婚してなければ、すぐに求婚したいくらい愛らしい」
「まあ、私達出会うのが遅かったのですね。残念です」
「いや、愛に遅いも早いもない。運命には抗えぬものだよ」
私の手をギュッと握り、レティシアはニコリと微笑んだ。
「……」
「……」
二人で見つめ合ってケラケラと笑い合った。この恋が始まりそうな台詞は何なのか。学生時代に私達はよくこのごっこ遊びをしていた。
なぜかいつもレティシアが口説く男役で、私が口説かれる女役。逆をしてみたいと言ったことがあるが『口説く方が圧倒的に美しくないと駄目でしょ?』と断られた。酷い……レティシアはそういうことをハッキリ言うのだ。
「旦那様に告口するわよ?レティシアに口説かれたって」
「ははは、それは困るわね。口止めに何かプレゼントを贈るわ」
「じゃあ黙っててあげます」
「おや、私が惚れた女はかなり現金なようだ」
二人でひとしきり笑い合った後、舞踏会の会場に向かった。今日の舞踏会は堅苦しいものではないので、パートナー同伴が必須ではない。
私達が中に入ると、わっと色んな人達からの視線が集中した。美しいレティシアが目立っているからだろうと思っていたが、どうやら違うらしい。
「まあ、あの子がイザーク様の?地味ね」
「安心したわ。あのレベルなら、彼のいつもの遊びよ」
「エスコートもしてもらえないなんて可哀想」
「あの程度の子でいいなら、私もお声がけしようかしら。イザーク様なら一晩でいいから相手にしてもらいたいわ」
あはははは……と煌びやかに着飾った同じ学校の先輩達から、笑われ聞こえるように悪口を言われているのは私だった。
そうか。卒業式でのことがきっと話題になっているのだろう。まだレティシアに何も話していないので、彼女は『どういうこと?』と私に目配せをした。
「……あとで話すわ」
そう力なく答えると、彼女はガバッと扇子を広げ大きな声で笑い出した。
「うふふ……先輩方、ご無沙汰しておりますわ。相変わらずお美しくて驚きましたわ」
「レティシア……様、ご機嫌よう」
先輩達はあからさまにレティシアを見て嫌そうな顔をしたが、彼女は今や他国の高位貴族の妻だ。無視はできない。
「なんとお呼びすればよろしいですか?」
「は?」
「素晴らしい先輩方のことですもの。私がこの国を離れている間にきっと素敵な旦那様に身染められたんでしょうね。苗字が変わられたのなら、そうお呼びしないと失礼ですから教えていただけます?」
にっこりと美しく笑ったレティシア。先輩達が結婚などしていないことなど、本当は知っているだろうに。先輩方は真っ赤になってわなわなと震えて怒っている。
「相変わらず嫌な女ね」
「ふふ、お褒めいただき光栄ですわ」
「……行くわよ」
先輩方はキッと私とレティシアを睨みつけて、プイッとその場を去って行った。
「いくら着飾っても中身が不細工なのよ」
レティシアは扇子で顔を隠しながら、ベーッと舌を出した。彼女は美しい見た目に反して、なかなか気が強い。
「ありがとう。いつも庇ってもらってごめんね」
「私達、親友でしょ?お礼なんてやめてよね。それに本当のことしか言ってないもの」
ニコリと微笑んだ彼女は本当に綺麗だった。レティシアはいつも強くて凛としている。こんな素敵な親友がいるなんて、私は幸せ者だと感動していた。
「詳しく話を聞かせてもらおうかしら?」
「……え?」
「離れているからって、私に報告がないなんて酷いじゃない!もう舞踏会なんてどうでもいいわ。全部話して」
表面上はニッコリと笑っているが目は笑っていないレティシアに、人気のないバルコニーに無理矢理連れて行かれ卒業式に起こったことを洗いざらい話す羽目になった。