1 波乱の卒業式
「リディ、ずっとずっと逢いたかった!」
今まさに卒業式を終えた私は、学校の門で見知らぬ男性にそう声をかけられた。リディ……?そんな甘さを含む愛称で呼ぶ相手など私にいるはずがない。
「卒業式に間に合って良かった。長い間待たせてすまなかったね。ああ……リディはこの二年でさらに綺麗になった」
目を細めて嬉しそうに微笑む姿はとても美しく……誰がどう見ても格好良い男性だ。服装も豪華なので、高位貴族なのだろう。その目を引く容姿に、周囲の御令嬢方からは「素敵」「どなたかしら?」と色めきたった声が聞こえて来る。
「君だけを愛してる。私と結婚してください」
その男性は私の前にゆっくりと跪いて、大きな薔薇の花束を差し出した。私は突然の求婚に驚きを隠せない。
――だって知らない人だ。
「あの、私と誰かをお間違いでは?失礼ですが、あなたはどちら様でしょうか?」
「……え?」
その瞬間に彼の表情はわかりやすく青ざめ、そして持っていた花束がバサッと地面に落ちた。
あー……綺麗なお花なのに勿体無いな、なんて思っていると大きな手で両肩をガシッと掴まれた。
「ずっと恋焦がれていた君を間違えるはずないじゃないか!あ……そうか、二年間一度も帰ってこなかったから怒っているんだね!?で、でもそれは逢えば離れがたくなるから必死に我慢していたんだよ。何度だって謝るから私を知らないだなんて言わないでくれ!」
泣きそうな顔で必死にそう言って、私の肩をガクガクと激しく揺らし始めた。
「ちょっ……、やめてください。本当に誰なんですか!?」
「リディ、どうか許しておくれ。これからはずっと傍にいられるから。君に知らないなんて言われたら私は生きていけない」
強引に抱き寄せて、甘えるようにすりすりと私の髪に頬を寄せた。
「ぎゃあ」
私はその近さにビックリして変な声が出てしまった。なにこの人?ちょっと怖い。
「私は君の恋人、イザーク・アンジェルだろ?」
「……は?」
――イザーク……アンジェル!?
私はその名前を聞いた途端にガタガタと震え出した。イザークは私が悪魔と呼ぶ(もちろん本人には秘密)大嫌いな男だからだ。
でも見た目も話した方も違いすぎる。私の知っている悪魔はご自慢の金髪を腰まで長く伸ばし、服装も派手でチャラチャラした細身の軟派な男だった。
しかし目の前の男は黒髪の短髪で身体も筋肉がついていて、上品でシンプルな服をキッチリと着ており硬派な男性に見える。喋り方もこんな丁寧な言葉遣いではなかったし、女性に甘い言葉を言えるような気の利いた男ではなかった。
「あの、私の知ってるイザーク……様はブロンド髪だと記憶しておりますが」
「……てたから」
その男性は小声でボソボソと呟いたが、よく聞き取れなかった。
「何と仰られましたか?」
「実はブロンドに染めていたんだ……反抗期だったし……兄上と同じ髪色が嫌だったから」
彼は気まずそうに私から目を逸らした。染めていた?まさか……そんなこと。
確かによく見るとグリーンの瞳は悪魔とそっくりだし、この男からは悔しいくらい良い香りがする。悪魔のことは大嫌いだったが、このシトラス系の香りだけは唯一好きだった。悪魔に似つかわしくない爽やかな香りだったから。
悪魔の香水は専門家に調合してもらった特別な香水だと、御令嬢方が噂をしていた。
「もしかしてリディはブロンドが好きなのか!?それならば……今すぐ染めてくる」
私が戸惑っているのをどう勘違いしたのか、そんな意味不明なことを言っている。
「私は何色であっても、生まれ持った物が一番美しいと思います」
「リディ!ありがとう。やはり君は素敵な女性だね」
目の前の悪魔らしき男はニコニコと嬉しそうに微笑んでいる。
「で、いつ私達は恋人になったんですか?」
「……え?」
「もういい加減子どもではないのですから、嫌がらせならやめてくださいませ。私は今まで誰ともお付き合いなどしておりません。卒業したらお父様が決められた方と結婚するのですから」
信じられないとでも言うように目の前の男は大きく目を見開いた。少し青ざめているように見える。
「ほ、本気で言っているのか?君は私以外の男と結婚すると言うのか!?」
「ええ、もちろんです」
「そんなこと許せるはずがない!」
男は大声を出した直後に、私を横抱きにして走り出し門にいた馬車に無理矢理乗せられた。
「きゃあ!ちょっと……なんですか!?離してください」
異性をいきなり抱き上げるなんて、信じられない行為だ。
「リディ、最近頭を打ったり階段から落ちたりしていないか?」
「は?」
「あんなに愛し合っていたことを忘れたのか?」
「はぁ!?」
「もしかすると記憶喪失かもしれない。今すぐ医者に診てもらおう。とりあえずリディの家まで送るよ。おい!アンジェル家専属の医者に来てもらえるように頼んでおいてくれ」
執事らしき人に指示を出した後、彼は心配そうに眉を下げて私の頬を優しく撫で続けている。愛し合っていた……?誰と誰が?
「あ、あ、愛し合っていたとは?一体誰のお話でしょうか」
「もちろん君と私だよ」
――この男と愛し合っていた?あり得ない。
「嘘をつかないで下さい。そんなことあり得ません」
私はジッと恨みがましく彼を見つめた。すると、彼はニコリと笑って私の肩をぎゅっと優しく抱き寄せた。
「リディ……大丈夫だ。記憶が無くて不安だよね。でも、きっといつか思い出すさ。それに思い出さなくたって私が君を愛している気持ちは少しも変わらないよ」
「あ、愛している!?」
「そうだよ。私達は恋人同士なんだから」
ちゅっ、と髪にキスをされて私は「きゃあ!」と悲鳴をあげた。
か、か、髪にキスをされた!自分の頬が真っ赤に染まっているのがわかる。彼の唇が触れた部分を手で押さえて彼から距離を取った。
「驚かせてごめん。私達は何度もキスをしてるんだけど、リディは忘れてしまったのだね」
彼は哀しそうな切ない瞳で私を見つめた。そんな顔をされたら、本当に私が記憶喪失で彼の話が真実のような気がしてくる。
――いやいや!騙されるな。
何度もキスをしている!?そんなはずがない。私は驚きすぎて口をポカンと開けたまま、何も言えなくなった。
「キスって……どこに……」
私はいつの間にかそんなことを呟いていた。彼はそんな私を見て、目を細めてくすりと笑った。
「どこにキスしていたと思う?」
彼は窓際に逃げた私に距離を詰めて、低く甘い声で耳元でそう囁いた。色気がダダ漏れで、私は恥ずかしくて身体がビクッと跳ねた。
「し、し、知りません!」
そう叫びながらギロリと睨む私を見て、フッと笑った。
「……初心で恥ずかしがり屋だった出逢った頃の君を思い出すな」
――この人は本当に何を言っているのか?
「考え方によっては君のファーストキスをもう一度貰えるなんて、私は幸せ者かもしれないな」
ニコニコとそんなとんでもないことをさらりと言って、私の唇を指でそっと撫でた。
「……もう一度君を好きにさせるから。その時はここにいっぱいしよう」
「しません!!」
もう一度どころか、この男を一度も好きになったことはない。だけど……だけど悪魔とキスをしたことがあるのは事実だった。
あれは二度と思い出したくもない……二年前の悪魔の卒業式の日。
悪魔の卒業を指折り楽しみに数えていた私は、やっとその日が来たことに浮かれていた。しかも悪魔は他国に留学することが決まっている。つまりもう会うことは無いのだ。
卒業式は全校生徒参加の行事だ。悪魔に見つからないうちにさっと帰ろうと思っていたのに、あっという間に見つかって首根っこを掴まれて裏庭にズルズルと引きずられて連れて行かれたのだ。
『俺は一生お前を逃さないからな』
そんな恐ろしい呪いの言葉を言われて、私はガタガタと震えていた。卒業してもまだ私に意地悪をするつもりなのだろうか。
『俺は必ず二年で戻ってくる。絶対に……覚えとけよ』
『……』
『おい、返事は?』
眉を釣り上げて、苛ついた声をあげた悪魔に私は泣きそうになった。潤んだ瞳で彼を見上げると、悪魔はチッと舌打ちをした。
『……泣くんじゃねぇ。決心が鈍る』
何の決心なのかと考える暇もなく、悪魔は私を乱暴に引き寄せた。
ちゅっ
柔らかく温かい何かが唇に触れた。一体何が起こったのか理解できないまま固まっていると、彼はくるりと私に背を向けて無言で去って行った。
私はそのまま地面にぺたりと座り込んで……ゴシゴシと袖口で唇を拭った。いくら私が嫌いだからってこんな嫌がらせをしなくてもいいではないか。ポロポロと大粒の涙が溢れた。
我がサヴィーニ伯爵家は歴史ある貴族だ。結婚するまでは乙女でいなさい、とお母様に言われて育った私は旦那様になる人以外と口付けをすることも悪いことだと教えられてきた。
『最低……大嫌い』
私は帰ってから唇が腫れるほど何度も洗い、ショックからかその日の夜に高熱を出した。何があったのかと家族や侍女達にもかなり心配されたが……理由を言えるはずもなくそのまま数日寝込んだ。
そして私は『なかったこと』にすることに決めた。野犬に舐められたとでも思おう。そう自分に言い聞かせた。だからあれはノーカウントだ。
「照れてる君も新鮮だ。可愛いね」
この男は何を考えているのだろうか?そして本当にこの男は本物のイザーク・アンジェルなのだろうか。私はそれすらまだ疑っていた。
一話目をお読みいただきありがとうございました。
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