第9話 抗う者
その森からは女神神殿が見えた。
女勇者ノヴェトは森に潜み、機会を窺っていた。
背後には、メイド女性エミリーの姿もあった。
「くそっ。思ってたより、警備が厳重じゃねぇか。忍び込むのは結構ホネだぞ。まったく、あのクソBBAめ、正体現しやがって。少年を誘拐するなんて、女神のすることかよ」
時折巡回する女神派の兵の姿は見えるが、まだこちらには気付いていない。
だが、まだ日は沈まない。
茂みを抜ければ、すぐに見つかってしまうだろう。
本来なら、夜まで待つべきなのだろうが……。
「申し訳ございません。私がいながら、狼藉者を取り逃してしまうとは」
「いや、拘束するって言ったのは俺だ。エミリーちゃんは悪くないよ。悪いのは俺だ」
「それは分かっています。悪いのはノヴェト様です。ですが、カゲチヨ様をお守りできなかったことが、悔しくて……」
「え? そこは『いえ、私も悪かった』みたいな流れじゃない? 普通?」
「いえ、悪いのはノヴェト様です」
「……ああ、そう」
ノヴェトは、女神神殿の様子を見て、何か作戦を練る必要があると理解した。
正直、ここに来るまでは、もっと容易に侵入できると思っていたのだ。
はっきり言って侮っていた。
「ハンゾウのやつ。アイツ、普段信じられないほどポンコツなのに、潜入とか追跡とかだけは妙に上手いんだよな。すっかり忘れてたわ」
昨晩、女勇者ハンゾウが家に忍びこんできた。
目的は、女神の命令で、カゲチヨの寝顔を撮るためだ。
エミリーのおかげで捕らえることはできたが、結局逃げられてしまった。
しかも、その際、カゲチヨを連れ去られてしまったのだ。
カゲチヨを救出するべく、こうして女神神殿まで来たが……。
「ノヴェト様。そういうことでしたら、陽動でいきましょうか」
「陽動ねぇ。なるほど。兵を引きつけて、その間にってことか。悪くないかもな。よし、じゃぁそれで行こう」
「承知しました。では、ノヴェト様、お願いします」
「……ん? なにを?」
「なにって陽動ですよね?」
「え? 陽動って俺がやるの? そこは普通、『さぁ、私が引きつけている間に!』とかじゃないの?」
「いえ、それでは一体誰が、カゲチヨ様をお救いすると言うのですか?」
「え、っと……、俺、……かな?」
「いえ、私です‼︎」
エミリーは、食い気味に即答した。
「考えてもみて下さい。あんなお小さいカゲチヨ様が、こんな酷いところへ連れてこられて……。さぞ心細いことでしょう。それがもし、最初に助けてくれた者が、ノヴェト様であったら! ああ、なんて可哀想なカゲチヨ様……」
「え……、なんで俺が助けると可哀想になるの……?」
「逆に私が助けたとしましょう。想像して下さい。きっと、泣いて喜ぶと思いますよ! お可哀想なカゲチヨ様。今すぐ行って、チュッチュして差し上げたい」
エミリーは目を瞑って、何かを抱き抱えるような仕草をしている。
「……キミ、自我芽生えてない? 芽生えてるよね? また余計なものインストールされてない?」
「さあ! ノヴェト様! 出番ですよ‼︎」
「い、いや待て。とりあえず待て。なんかすんごい不安になってきた。エミリーちゃん、カゲチヨ少年を助けたあと、俺のこと置いてかないよね?」
「ノヴェト様は自力でなんとかして下さい。……大人なんですから」
「えっと……、俺、まだキミの主人で合ってる?」
「カゲチヨ様‼︎ ああ、カゲチヨ様‼︎ 待っていて下さい、カゲチヨ様‼︎ この不祥エミリーが、この身に変えてもお救い致します‼︎」
「これ、会話成立してるのか?」
エミリーはメイド服のままだったが、黒い皮手袋を装備した。
そして、それを音が出るほどに、力強く握った。
「すんごいやる気だね。技を使えるようになったとはいえ、ボディはノーマルなんだし、待っていてくれていいんだよ?」
「何を言っているのですか、ノヴェト様⁉︎ 正気ですか⁉︎ カゲチヨ様以上に大事なことなど、この世にはありません‼︎」
「え⁉︎ ああ、うん……、そう。キミの主人……。いや、聞くのやめておこう。なんかショック受けそうだし」
女勇者ノヴェトは神殿に向き直る。
「しゃあねぇな。代案も浮かばんし、とりあえずその案でいくか。頼んだよ、エミリーちゃん」
「もちろんです。では先行しますので、ノヴェト様は敵の注意を引いて下さい」
「おう」
エミリーが先に駆け出し、その後に続く女勇者ノヴェト。
だが、ノヴェトは不意に背中から肩を叩かれた。
エミリーは前にいる。
つまり、背後にいるのは、二人以外の誰か。
そう敵だ。
「し、しまった‼︎」
女勇者はとっさに身を捩った。
*
女神神殿内部。
「……ふふふ」
女神アシュノメーはニヤニヤが止まらない。
「ああ……、とても似合っているわ。カゲチヨきゅん。ほらぁ、見て? 私とお揃い。ペアルックよ?」
カゲチヨは、無理やり着替えさせられていた。
ちょっとの風でも、フワッと舞ってしまうような薄布。
身体の線が丸わかりで、薄らと透けて見えてしまっている。
カゲチヨは、布の上から手で押さえる。
見えてはいけない部分を隠しているのだ。
「こ、こんなの……、変態じゃないですか……、グズっ……」
半べそのカゲチヨ。
周りには、暴走中の女神と、誘拐犯のハンゾウ(ポチ)。
そして、それらを止めることなく傍観している信者しかいない。
つまり、ここには、カゲチヨの味方は誰一人としていないのだ。
「あら、いやだわ。私も同じのを着ているのよ? それじゃ、私も変態ってことじゃないの」
女神はカゲチヨにスッと近付く。
「ふたりとも変態さんってことで、お似合いね。うふふふふふふ」
「ひぃっ⁉︎」
女神の指が、蛇のようにカゲチヨの首筋を這う。
カゲチヨはゾワゾワと這い回るその冷たい指に、恐怖を覚えた。
「女神様、では拙者はこれで……」
「ああ、ポチ。もうそろそろクソ共が来る頃でしょ? ちゃ〜んと出迎えてあげるのよ? ……あの子、使っていいから。ぐちゃぐちゃにしてやりなさい」
「ハッ! 仰せのままに……、でござるよ‼︎」
ハンゾウは部屋から出ていった。
「ふふ、邪魔はさせないわ。ここは私とカゲチヨきゅんの愛の巣なんだから」
*
時間は少し巻き戻る。
朝。イベント初日。
会場はすでにオープンしており、人の波でごった返している。
そこには笑顔の女魔王がいた。
「さぁ、気張るでござるよー! ここが正念場でござるー‼︎」
女魔王はブースで檄を飛ばす。
修羅場続きでなんとか仕上げた同人誌は、チラホラと売れていっている。
「「魔王様ー!」」
そこに、コスプレをした魔族女性のジルダとジーナが到着。
二人は、今流行りの魔女っ子のコスプレだった。
魔女っ子アニメは女児向けで、キャラクター設定が10台前半である。
フリフリの可愛らしい衣装は、世の女児に大人気だった。
だが、それと同時に大きいお友達にも漏れなく大人気だ。
特に今はそのブームの真っ只中であった。
ジルダ・ジーナの二人は、普段から目のやり場に困るワガママボディ。
そんな彼女たちが、ロリロリの衣装を見に纏う。
それは、ある意味作品への冒涜と言っても良かった。
だが、その攻撃力の前には、そんなことどうでも良くなる。
その姿を視界に入れた者らは、しばらく放心するように目を奪われていた。
「おお‼︎ 遅かったでござるなー! 良い‼︎ 良おおおおおい‼︎ 素晴らしい‼︎ さぁさ、こちらへ回って、売り子をお願いするでござるよぉ‼︎ キミたちが来てくれれば、もう爆売れ間違いないでござるよ‼︎」
「「はーい」」
魔族女性二人のコスプレは、かなり評判が良かった。
実際、同人誌の売れるペースは急激に上がった。
「よしよし、順調でござるなー。なかなかの大盛況ぶりでござるよー。苦労が報われる瞬間でござるなー。……と、電話でござる。ちょっと、ここお願いするでござるよ。拙者電話してくる故。あ、休憩は適度に入れるでござるよ」
「「はーい」」
女魔王は、イベント会場の奥の方に移動して、電話をとった。
「どうしたでござる? ……は? 何を言ってるでござる? 申し訳ないでござる、ちょっとこっち、周りがうるさくて。ちょっと待つでござる、移動する故〜」
女魔王はさらに奥へ移動し、聞き返す。
「えっと、良いでござるよ。それで、……どうしたでござる?」
女魔王は一瞬、会場の音が消えたような錯覚を覚えた。
*
そして、再び今に戻る。
森の中。
女勇者ノヴェトは目を疑う。
さぁこれから女神神殿へ! というところで、肩を叩いたのは……。
女魔王だった。
「な、なんで⁉︎ なんでまっちゃんがここに⁉︎ イベントは⁉︎ もう始まってるよね⁉︎」
「水臭いでござるよ、勇者氏。カゲチヨ殿のピンチに呼んでくれないなんて」
「そうだけど、みんな徹夜明けだったろ? あれだけ頑張ってたし。だから……」
「だから……、なんでござる? カゲチヨ殿より大事なことがあるでござるか?」
「まっちゃん……」
「……勇者氏、目を瞑って歯を食いしばるでござる。それから片足を上げて、両手は横にピーンと伸ばすでござる」
「は……? えっと、どういう……?」
「ホラ、早くやるでござるよ。よぉし、食らえ! とっておきの魔王パンチ‼︎」
魔王は全く手加減せずに、女勇者の頬を拳で振り抜いた。
「ほげぇええええ‼︎」
女勇者ノヴェトは、空中に投げ出され、そのまま数回転した。
「目を覚ますでござるよ、勇者氏‼︎ 冷静になるでござる‼︎ イベント⁉︎ そんなもの、カゲチヨ殿の安否より重要でござるか⁉︎ 拙者を見損なわないでもらいたいでござるよ‼︎」
「まっちゃん……。もうちょっと手加減……」
「イベントなんてもの‼︎ ぜんぶ放り出してきたでござるよ‼︎」
そう言って魔王は、腰に手を当て胸を張った。
「……というのは冗談で、幹部に任せて、こっちには拙者がきたでござるよ。拙者は魔王でござるよ? 貪欲に全部頂くでござるよ。カゲチヨ殿の救出も、イベントの成功も。どっちも、でござる」
「そうかありがとう。でも、なんで知ってるんだ? 俺、知らせなかったのに」
「あ、それは私です」
手をあげるメイド女性エミリー。
「え、エミリーちゃん知らせたの? いや、まっちゃん忙しいから、知らせないでおこうって言ったじゃん、俺」
「ええ。ですが、あとで知られたら、たぶん魔王様怒りますよ? それに、カゲチヨ様救出の成功率は、どんなに上げても足りませんので」
「そういうことでござるよ、勇者氏?」
「そ、そうか。でも、エミリーちゃん、全然俺の言うこと聞かなくなってる気がするんだけど、気のせい? というか、まっちゃんと連絡とりすぎじゃ?」
「だって、フレンドですし」
「そうでござるよ。大事な友人でござる」
「ああ、そう……」
女勇者は、深くツッコむのを諦めた。
「でも、よくあの魔族っ子らが了承したね。イベント放り出して来そうなもんだけど」
「まぁそれはほら、拙者の? 人望というか?」
実際は暴動レベルに揉め、再び火炙りにされかけた女魔王。
だが、条件つきでなんとかみんな了承した。
『救出後のカゲチヨきゅんを好きにしていい』という条件で。
「さて、作戦は決まってござるか? サクッと救出して、みんなでイベント……、今日は無理でござるから、二日目はカゲチヨ殿も連れて、みんなで楽しむでござるよ‼︎」
「そうだな、コスは俺も楽しみにしてたんだよ。さっさと終わらすか。でも、作戦ったって、陽動くらいしか思いつかないんだけど」
「ふむ」
なにやら考える女魔王。
「……って、まっちゃん。ちょっと聞いていい? ……その子、誰?」
「は?」
実は魔王の後ろには、最初からずっと小さな女の子がいた。
こうした会話中も、一言も発することなく、チラチラと様子を伺うばかり。
女魔王の衣服をぎゅっと握っている様子から、気が弱そうな幼女……。
……というイメージだ。
「ああ、ウチの幹部でござるよ。イベントに必要な人員は残してきたでござるが、こっちにも人手は欲しいでござる故」
「幹部? ホントに? えっと俺、見たことないんだけど……?」
「そうでござったか? 会ってるはずでござるよ? ……ああ、こっちの姿は初でござったな。潜入用に『変わルンルン』を使ってるでござるよ。こう見えて、頼りになるでござるよ〜?」
「そうなの? ……誰だろう。想像つかん。こんな大人しい子いただろうか?」
基本的に魔王軍の幹部は、割とグイグイくる系の女性が多い。
もちろん、中には大人しい子もいるし、女性以外もいる。
だが、主張の強い彼女らの影に隠れ、それ以外のメンバーは印象が薄い。
正直、それらしい人がいたような気もするが、ノヴェトはよく思い出せない。
「ふむ……」
女勇者は、幼女をまじまじと見つめる。
すると、幼女は女魔王の影に隠れてしまった。
「可愛らしいですね」
にっこりと微笑むエミリー。
「う、うん……」
女勇者はそこはかとなく不安を感じたが、それにはもう触れないようにした。
「では、陽動でいくでござるか。囮は……」
こうして、カゲチヨ救出作戦が決行された。
*
「ん? なんだ? ……どうした? こんなところで? 迷子か?」
「迷子? こんなところにか?」
神殿を警護していた女神派の兵たちは、急に現れた幼女に困惑する。
「……」
幼女は何も喋らない。
胸の前に両手で何かを持って、モゾモゾさせている。
その様子から、ひどく緊張しているように見えた。
それで兵士たちは、しゃがんで目線を合わせて話しかけた。
「こんにちわ? お嬢ちゃんは、どこから来たのかな?」
「おウチどこかなー? おじさんたちに教えてくれるかなー?」
優しく問いかける兵士たち。
「……ルンルン、……変わルン、……ルン、……プリティ……」
耳を澄ますと、幼女は聞こえるかどうかギリギリの声で何かを喋っている。
「ん? なに? なにかな? ……ルンルン? ……え?」
兵士たちはよく聞こえないので、幼女の口元に耳をよせる。
だが、次の瞬間。
幼女の全身から閃光が解き放たれた。兵士たちは吹き飛ばされる。
「ぐわっ! ……な、なんだああ⁉︎」
そこにいたのは幼女。
……ではなく、身の丈が3mほどの大男。
筋骨隆々で、大きなツノを生やしたオーガだった。
その赤褐色の肌は鋼鉄のように硬く、拳は成人男性の胴回りほどもある。
それが突如目の前に現れた。
「……は? ……な、なに?」
状況が飲み込めない兵士たち。
オーガが叫ぶ。
「おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ‼︎」
その声は、地面を、空気を震わせる。
ビリビリと雷のように伝わる振動。
それは、その場にいた兵士だけでなく、建物内の兵士も震え上がらせた。
……と、その様子を物陰から見ていた女勇者ノヴェト。
「ああ、アイツか。いた、いたわ。会議の時、いつもいたわ。……身体デカイのに、小ちゃくなって、いつも一言も喋らんやつが」
「フフフ、彼は強いでござるよ? なにせ、魔王軍で唯一の、男性の近接戦闘員でござる故」
「ああ、まっちゃん、女性殴れないもんね。要するに、純粋な殴り合いで認められたのって、アイツだけってことか……」
「そういうことでござる。純粋な攻撃力なら拙者を凌ぐかもしれんでござる」
「ほう、それはすごい。……よし、今のうちに潜入するぜ」
「了解でござる!」
「承知しました」
女勇者ノヴェト、女魔王、そしてメイド女性エミリー。
こうして、彼女たちは女神神殿へと侵入した。
*
「……カゲチヨくん、……カゲチヨくん」
「ん? え? ……誰ですか?」
未だ女神神殿の奥に囚われているカゲチヨは、誰かの囁くような声が聞いた。
だが、その姿は見えない。
この部屋の明かりといえば、薄い明かりのランプ程度。
目の届く範囲にも、そこかしこに影がある。
そう言った場所に何かが潜んでいたとしても、不思議はない。
だが、今のカゲチヨには確認もできなかった。
なぜなら、カゲチヨの足には足枷が付けられてるからだ。
鎖は壁に繋がれており、自由に動き回ることもできない。
そして、ここにはカゲチヨ以外誰もいない。
実は先ほど、物凄く大きな雄叫びのようなものが響いた。
それで、女神は慌てて外に出ていったのだ。
ただそれでも、おそらくは部屋の入り口には見張りはいるだろう。
だが、出入り口には鍵がかけられており、簡単には逃げられそうもない。
「あの……、どなたですか……? どこにいるのですか……?」
カゲチヨは、謎の声に恐る恐る訪ねる。
「……ここだよ」
その声は、カゲチヨの真後ろから聞こえた。
「ひっ! うわあっ、……ウグッ‼︎」
カゲチヨはビックリして、思わず叫んでしまった。
だが、その何者かに口を塞がれる。
「おっと、すまない。驚かせてしまったようだね。申し訳ないが、少しそのままでいてくれるかな」
「むぅぐ?」
その時、外から見張りの兵が慌てて入ってきて、カゲチヨに問いかける。
「なんだ⁉︎ どうした? なにかあったか?」
「あ、いえ……」
「ん? なんだ、何も……、なにかあったのか?」
兵には、カゲチヨしか見えていないようだ。
「えっと、その、虫がいて……。ちょっとビックリしただけです……」
「ふぅん、まぁいい。大人しくしておけ。女神様は怒らすと面倒なんだよ、頼むぜ……?」
そう言うと兵は部屋から出ていった。
「ふぅ、危ない危ない。なかなかの機転だ。やるじゃないか、カゲチヨくん」
カゲチヨの背中からまた声がする。
「えっと、どうして……」
「どうして私が見つからなかったって? それはね、私が『アラガウモノ』だからだよ」
「抗う……?」
「忍術と剣術を極めし者……。そう、それが『アラガウモノ』。私は、キミを助けに来たのさ。カゲチヨくん」
そう言うと、その声の主はカゲチヨの影の中から、スッと現れた。
「……あ、あなたはっ⁉︎」