第3話 荒ぶる獣人
魔王の狭いワンルーム。
女勇者ノヴェトと女魔王の突然のカミングアウト。
カゲチヨ少年の思考はフリーズしていた。
「は? え? ……あの、おっしゃっている意味が理解できないのですが……?」
じっと見つめてくる女勇者と女魔王。
「……え? ……は? ……あの、……え?」
混乱のカゲチヨ少年。
もはや電波の悪いラジオのように、途切れ途切れにしか発することができない。
「えーと、これ、大丈夫なやつでござるか? さすがにこのカゲチヨ殿の反応、拙者もどうしたら良いやら……」
「そんなにショックだったってことか。お子様には少々刺激が強過ぎたか」
この間、カゲチヨの脳は、視界に映る情報をフル稼働で処理していた。
女勇者と女魔王は、二人とも無防備な薄着。
そのせいで、意図せずに身体の線が浮き上がる。
その曲線、そのサイズ。
カゲチヨの脳に入力される情報からは、正解らしきものは何も浮かんでこない。
だがそれでも、カゲチヨはなんとか答えを導き出す。
「もしかして、冗談……、です?」
女勇者ノヴェトと女魔王は、顔を見合わせる。
「ははははは」
笑う二人。釣られてカゲチヨも笑う。
「いや、だから男だって言ってんだろうが」
女勇者の真顔の言葉。
カゲチヨは、考えるのをやめた。
*
「これ、これさ。見よ‼︎ どっババババァーーン‼︎」
女勇者は、魔王の部屋の片隅から、何やら引っ張り出してきた。
それは小さな杖。
女児アニメなどで見かけるようなものに、形状が酷似している。
「そ、それは……?」
「これはな、聞いて驚け。『超魔法TSマシン』だっ‼︎」
「正式な商品名は、『魔法少女ラブリー変わルンルン』でござるよ」
「それなぁ、その名前なぁ……」
「TSと言われても、こっちの人間は分からないでござるよ。しょうがないでござる。後付けで、機能盛り過ぎたせいもござるが。市販品のカスタム機能は、もう少し制限しても良かったでござるな」
女勇者と女魔王の話を怪訝そうに見守るカゲチヨ。
現時点では、何も理解できない。
「それがどうしたら、男性が女性になるんです?」
「百聞は一見にしかずってな! ……ラブリールンルン変わルンルン‼︎ ミラクル、ルンルン! ホーイ! ホーイ! ……ホイ‼︎」
「え⁉︎」
怪しい杖を軽やかに振る女勇者ノヴェト。
眩い光に包まれるカゲチヨ。
「わああああああ‼︎ なにいいい⁉︎ ええええ⁉︎」
光はカゲチヨの全身を包み、何も見えなくなる。
そして、光が消えた。
そこにいたのは……、謎の猫獣人の娘。
「……え、……誰?」
自分でやっておいて戸惑う女勇者。
「あ、忘れてたでござるよ。少し前に拙者、獣人っ娘にハマってたでござる」
「ほ、ほう……。これはなかなか……」
猫娘に変身してしまったカゲチヨを、マジマジと見つめる女勇者。
「え⁉︎ ……なに⁉︎ なにが起こっ……、え? 手に毛が⁉︎」
「胸触ってみ」
戸惑うカゲチヨに、要らぬ助言を与える女勇者。
「こ、これは……っ⁉︎」
触れてみると、カゲチヨの手の中には、ずっしりとした塊が。
「な、な、な、な、な、な、な、なんですにゃーーーーーーーーーーっ⁉︎」
「……にゃ?」
「ああ、それは自動的に『にゃんにゃん語』翻訳される機能を追加したでござるよ。分かる人には分かる、ちょっと通なカスタムでござる」
「おお‼︎」
勝手にむちむちぷりんな獣人娘に変化させられてしまったカゲチヨ少年。
しかも、喋ると勝手ににゃんにゃん言葉になってしまう始末。
「初代勇者さん、早くこれ戻してくださいにゃ。は、早く戻してにゃ‼︎」
「オ、オイ……、こ、これ、いいな。可愛ぇ……。ヤベェ、猫娘ヤベェよ……。言語強制変換、これはいいかもしれん……」
「やはり勇者氏にも分かるでござるか! にゃんにゃん語は正義でござるよ! もう可愛さ300倍増しでござる‼︎」
カゲチヨの話を全く聞いてない二人。勝手に盛り上がっている。
「……」
ようやくカゲチヨにも状況は見えてきた。
あの怪しげな杖によって、勇者たちが姿を変えていることは分かった。
しかも女魔王は、さらに余計な改造まで加えてしまっているようだ。
だが、カゲチヨには、まだ全く理解できていなかった。
勇者たちが、なぜそこまでして変身にこだわるかを。
「揉む、……揉むねぇ。めちゃくちゃ揉むじゃん、オマエ」
「え?」
それは無意識だった。
女勇者に指摘され気付いた。
カゲチヨは、自身の胸の感触を確かめるようにずっと揉み続けていたのだ。
「え、あ、いや、これは、違っ……」
「やっぱ好きなんじゃねぇか」
「違っ、違う……っ! ほ、ほら……、か、身体に異変があったら触ってしまうにゃん⁉︎ 怪我したり……、出来物ができたり……」
「出来物ねぇ」
「デッカイ出来物でござるな」
「いや、べ、別に……」
「どれ、俺にも触らせて」
「ちょ、何するんですにゃ⁉︎」
「何って、揉むんだよ。揉む以外に何があるんだよ。そんなご立派なもの見せびらかしておいて、揉まない方が失礼だろうが⁉︎」
「み、み、み、見せびらかしてなんかないですにゃ‼︎ ……ちょ、魔王さん、どこ触ってるんですにゃ⁉︎」
「いやー、自分で獣人っ娘にはなったことはあっても、他人のは初めてでござるよ。これはぜひ確かめてみないと」
「ちょ、確かめるってにゃにを! ……ちょ、初代っな⁉︎ ちょお⁉︎」
女勇者と女魔王に、全身を弄られるカゲチヨ。
抵抗する手足も、二人は手慣れたようにするりと受け流す。
「こ、こんなのセクハラですにゃ‼︎」
「にゃんにゃん語……、最高やないかい‼︎」
抵抗するほどにエスカレートする女勇者と女魔王。
……猫娘カゲチヨは諦めた。
*
やっと少年に戻ったカゲチヨ少年。
涙が止まらない。
「エッ……、グッ……」
「わ、悪かったよ……。ちょっと調子に乗り過ぎたよ」
「そ、そうでござるな。拙者も反省するでござるよ……」
「……で、だ」
女勇者ノヴェトはカゲチヨに向き直る。
「どうだ? 魔王は、オマエの敵だと思うか……?」
「……」
涙目のカゲチヨ。
女勇者、そして女魔王を見る。
「そうでござるな。カゲチヨ殿から見て……、拙者は討伐する対象に見えるでござるか?」
カゲチヨは鼻水を啜りながら、ゆっくりと口を開いた。
「ズッ……、ズズッ……、それ、今聞きます? なんでこのタイミング……?」
*
「じゃぁさ、じゃあさ、もうさ、逆に聞きたい。教えてくれよ、少年。魔王を倒す意味は? 今この世界、そんなに住みにくい感じ?」
「住みにくいかはボクには分からないです。住んでないので」
「ふむ……」
「でも……、魔王さんは、思ってたほど悪い方ではないことは分かりました」
「おお! 分かってくれるでござるかー! カゲチヨ殿ーっ‼︎」
女魔王にギュッと手を握られるカゲチヨ。
女性に手を握られるのはどうにも恥ずかしい。
……たとえ中身は別物だったとしてもだ。
「そういえば、『魔法少女ラブリー変わルンルンちゃん』でしたっけ……? それを使うと、好きな姿に変われるということが分かり、それで気付いたのですが……」
「なんだ? まだ揉みた足りないのか? とりあえず、オレの揉んどくか?」
「いえ。あの……、えっと……」
「なにか言いにくいことでござるか、カゲチヨ殿?」
「初代勇者さんも姿変えてるわけですよね……? 男性から」
「あ、ああ。いいだろ? ボン! キュッ! ボロン‼︎ だぞ⁉︎」
「そのお姿……、なんだか運命の女神様に似てますよね。会った時から、既視感が……」
「……」
「ほら、なんというか、スタイルというか。雰囲気でしょうか。そのー、髪の色とかは違うんですけどー」
「……てねぇよ」
「え?」
「似てねぇよ‼︎ あんなBBAと一緒にすんじゃねぇ‼︎ 俺のはボン! キュ‼︎ ボロロン! ドギャーン! だぞ‼︎ あんなBBAと一緒にすんじゃねぇ‼︎‼︎」
突如、激昂する女勇者ノヴェト。
「えっと……、女性に対してババアという表現は、ちょっと失礼なのではないかと……」
「うるせええええええ‼︎ いいか⁉︎ よく見ろ‼︎ この胸‼︎ このケツ‼︎ どうだ‼︎ こ洗練されたこのフォルム‼︎‼︎ あのクソBBAなんて、……ちょっとボインで! ちょっと顔が良くて‼︎ ちょっといい匂いで‼︎ ちょっとエロいだけじゃねぇか‼︎ 俺の方が絶対イケてるだろうが‼︎」
女勇者が吠えている横で、女魔王がこっそり小声で話かけてきた。
「カゲチヨ殿、カゲチヨ殿。そ、それは禁句なのでござるよー」
「え?」
「勇者氏、女神氏に召喚された時、テンション高まってしまって。その場でプロポーズしたそうなのでござるよ。ところがボロクソにフラれたらしく。まぁ勇者氏、女性関係はからっきしでござるから、きっと空気読めなかったでござるなぁ。女神氏も見た目と違って、実は性格キツいみたいなので……」
「聞いてるか⁉︎ 少年! ここ‼︎ この脇からおっぱいにかけての、このライン‼︎ 分かるか‼︎ 分かるな⁉︎」
女勇者は、自身の体のことで何かを熱弁している。
だが、正直カゲチヨにはどうでもよかった。
しんみりと女魔王は話す。
「でも、どこかできっと心残りがあるんでござろうな。その姿に名残があるなんて。女々しいなんて言ってはいけないでござるよ。男心はナイーブ過ぎて立ち直れないでござるから……」
カゲチヨ少年と女魔王の二人で、女勇者ノヴェトをじっと見つめる。
「な、なんだよ……? じっと見て」
「まぁ、それからというもの勇者氏は見返すため、日々努力を重ね……。今や、世界をリードするほどの、超ニートになったのでござるよ」
「……ん? ニート? 超?」
「そうでござる。ああ、ちなみに拙者もニートでござるよ」
「えっと、お二人とも働いてないんですか?」
「ああん? 働いてないよ。働くわけがない」
「働いてないでござるねぇ」
「え、いや……、え? 魔王……、なんですよね?」
*
「ご注文はお決まりになりましたか?」
大きな声でハキハキと喋るラーメン屋の店員。
笑顔が眩しい。
「オレは醤油のチャーシュー大盛りに、ネギ多めで。あと、ライス大盛り」
「拙者はー、味噌ネギ抜き、煮卵2つ追加で」
「えっとあの……、ボクは……、えっと……」
女勇者・女魔王・少年の3人。
魔王のワンルームから移動し、ラーメン屋に来ていた。
店の暖簾には、大きくダイナミックな字で『破壊神』と書いてある。
「おい、なんだ。まだ迷ってんのかよ」
「すみません……。ボク、こういうところ初めてで……」
「え、そうなの?」
「はい」
「なら、これ食ってみろ。この店初めてきたら、おすすめはこれだ。どうだ? これでいいか?」
「え、あ、はい。お願いします。これを……。あ、でも全部食べられるかな」
「いいんだよ、試しに食ってみろよ。食えなかったら、俺が食ってやるから」
「あ、はい」
「んじゃ頼むぞ。……魔王ラーメン、油少なめで」
「へい、醤油チャーシュー大盛りネギ多め、ライス大盛り。味噌ネギ抜き、煮卵トッピング2個。魔王ラーメン、油少なめ。……以上でよろしいですか?」
「はい。よろしくー」
「喜んで!」
元気な店員は足早に去っていった。
「お坊っちゃまは、高級レストランしか行ったことないんか? もしかしたら、庶民の食べ物は、お口に合わないかもしれませんなー?」
嫌らしい笑顔でニヤニヤする女勇者ノヴェト。
「あ、いえ、レストランには入ったことないです。でもどういうものかは知っていますよ。家族で行って、ハンバーグやスパゲッティ食べたりするんですよね?」
「え……?」
女勇者ノヴェトは、ここぞとばかりに小言の仕返しをするつもりだった。
ところが、予想していないカゲチヨ少年の言葉に困惑する。
「レストラン以外だと……、どこか行ったとか……? 食べるとこだけじゃなくて、たとえば……、旅行……、とか?」
「そうでござるな。旅行は良いものでござるな。心が洗われるでござるよー」
「旅行……、ですか? 特には……。あ、でも知識はありますよ? なんでも聞いて下さい。ボク、結構地理は詳しいんです」
女勇者と女魔王は顔を見合わせた。
今の会話の流れから、薄々察してしまったのだ。
カゲチヨ少年の、あっちの世界での境遇。
もしかして、すんごい重いやつなんじゃないか、と。
二人は話を掘り下げていいのか、やめておいた方がいいのかと頭を抱える。
「詳しいのは、……学校で教えてもらったからか?」
「ええ、それもありますが、ネットで調べて良いものの中に、旅行関連もあったのです。国や地域のことを体系的に知っておくことは、きっと勉強にも役立つからって。ウチ、漫画やゲームが禁止だったので、それが一番の楽しみだったなぁ。だって、写真を見ていると、そこに行った気分になるじゃないですか」
「お、おう……」
「そ、そうでござるな……」
キラキラの笑顔で語るカゲチヨ少年。
「……俺も、サラリーマン時代に徹夜と休日出勤続いてたとき、旅行サイト見てたことあったわ。現実逃避でな……」
「初代勇者さんも分かります⁉︎ 旅行サイトって面白いですよね!」
「ああ、うん……、そう……、な……」
女魔王は、女勇者に小声で言った。
「勇者氏、勇者氏。もうあんまり虐めちゃダメでござるよ……」
「虐めてねぇけど、まぁ……、ちょっと考えとくわ……」
妙にしんみりしてしまった二人。
それとは対照的にワクワク顔のカゲチヨ少年。
そうこうしていると、ラーメンが運ばれてくる。
「えっと、魔王ラーメンのお客様は?」
「あ、こっち」
女勇者はカゲチヨを指差す。
元気良く手をあげるカゲチヨ。
「あ、はい! ……って、うわっ! こ、これ……?」
カゲチヨの前に出されたラーメン。
それはスープが赤黒く、マグマのようにブクブクと泡が立っていた。
「心配すんな。派手なのは見た目だけだ。味は保障する。……あ、店員さん、申し訳ない。取り分け用のお椀ってありますー?」
「え、ああ。ありますよ」
「じゃあ、2つお願いです」
「はい、すぐお持ちします!」
3人の前に、頼んだものがすべて揃う。
「うし、食うか!」
「はい、いただきます!」
ニコニコ顔でラーメンを口に運ぶカゲチヨ。
「んーーー‼︎」
相当に美味しかったのか、カゲチヨは満面の笑みで目をパチパチさせる。
「うまいだろ? なんせここで魔王の名を冠する、一番の目玉ラーメンだからな。見た目のインパクトはヤベェけど」
「フフフ、拙者が監修してござるよ? お子様が食べられないようなものは、作らないでござるよ。」
「はい、美味しいです」
「……あー、まっちゃん。味噌ちょっと頂戴」
女勇者は、先ほど店員から受け取った小さいお椀を女魔王へと差し出した。
「お、了解でござる」
「……?」
女勇者と女魔王は、二人とも自分のラーメンを少しだけお椀によそう。
カゲチヨはそれを見て、なにか自分の知らない作法があるのかと思った。
「ほら、醤油と味噌も味見してみな」
「え?」
カゲチヨの前に差し出される、小さな二つのお椀。
二つのお椀には、醤油と味噌のミニラーメン。
しかも醤油ラーメンにはチャーシューが、味噌ラーメンには煮卵が載っていた。
「あ、あの、じゃあ……、ボクのラーメンも……」
「はは、余ったらな。心配しなくても、俺らは食ったことあるからさ。まぁ無理せず、食えるだけ食いな。ほら食おうぜ、冷めちまうよ」
「……はい」
カゲチヨは、初めてラーメン屋のラーメンを食べた。
それは、人生の中で最も美味しい食事だった。