第10話 頭上を這う獣
「あ、あなたは……っ⁉︎」
女神神殿奥に囚われたカゲチヨ。
カゲチヨを助けに来たという、影から現れた謎の者。
「私は『アラガウモノ』……。どんな包囲だって、いとも容易く侵入できてしまうのさ。おっと、感動のあまり、声も出ないのかい? すぐにここから出してあげるからね。安心するといい」
「あなたは……、誰……、ですか?」
「え?」
カゲチヨの影から出てきたのは、ハーフリングの男だった。
背の低い小柄な種族で、この男はカゲチヨよりも小さい。
「ひ、ひどいじゃないか。忘れてしまったのかい?」
「えっと、はい……、ごめんなさい。どこで……?」
「定例会議の時に会ったろう? 挨拶だってしたのだが。まぁあの小煩い娘っ子どもに、終始キャッキャッされてたからなぁ、キミは。私のような地味な者なぞ、印象に残らないかもしれんな」
「……えっと、本当にごめんなさい」
「念のため確認するけど、もう思い出したよね? ほら、定例会議の……」
「……あの、その……、実は……、まったく……」
「……」
頭を抱えているハーフリングの男。
「まぁいいさ。それだけ普段から、私の隠密スキルが優れていた、ということなのだから。……ね?」
「え? ……ああ、そうですね。……たぶん」
カゲチヨは、ちょっと気まずい。
「改めて自己紹介だ。私は魔王軍幹部・アラガウモノ『コウガ・コジロウ』。魔王様の命により、キミを助けにきたよ。よろしくね」
「コ……? あ、ああ、よろしくお願いします」
「さすがにもう思い出したよね?」
「えっと……?」
「そう……」
ひどく悲しそうな顔をしたハーフリングの男、コジロウ。
「それで、あのその……、『アラガウモノ』と言うのは一体……?」
「ん? なんだ知らないのかい? 侍と忍者という、二つのクラスを極めた者だけが、就くことを許された上位クラス。それが『抗う者』だ。侍や忍者というのは、元々はカゲチヨくんの世界のものだろう? 東の手練れだと聞いているぞ? 魔王onlineで実装された時は、心が躍ったなぁ」
「そ、そうですか。この世界の現実に、クラスというものがあるんですね。侍や忍者……、かっこいいですね。ボクは全然知りませんでした。クラスというものがあるんですねぇ。へぇ……」
「無いよ?」
「え?」
「はは、そんなものあるわけないだろ? この世界にクラス? 侍? 忍者? 存在しないよ? 子供だなぁカゲチヨくんは。まさか忍術も存在してると思っているのかい? 火遁の術‼︎ デデン‼︎ ってかい? ……空想するのもいいが、ゲームと現実の区別は付けないと、立派な大人にはなれないぞ?」
「え、でも、コジロウさんはアラガウモノなんですよね? えっと、忍術は?」
「まぁまぁ、細かいことはいいじゃないか。さて、とりあえず、その鎖を外そうか。……忍法、鍵開けの術‼︎」
そう言うと、コジロウは懐から取り出した鍵で、カゲチヨの足枷を外した。
「わぁ……、その鍵どうしたんですか?」
「ふっ、初めて見たのかい? これが忍術さ……」
「さっき、忍術無いって……」
「よし、次は……」
さすがのカゲチヨも、だんだん察し始めた。
*
「敵襲ーっ‼︎ 敵襲ーっ‼︎」
女神神殿内部は、騒然としていた。
けたたましくドラの音が鳴り、幾人もの兵士たちの足音が聞こえてくる。
彼らの混乱ぶりは凄まじいもので、あっちに行ったり、こっちに行ったり。
どこへ行けばよいかも不明瞭だった。
「違う‼︎ 広場だ‼︎ 広場に向かえ‼︎」
「そっちはいい‼︎ まずは裏庭の方だ‼︎」
物陰には、女勇者ノヴェト、女魔王、メイド女性エミリーの3人。
彼らは、すでに女神神殿の中へと侵入していた。
だが、思いのほかの混乱に、逆に動きにくい状況になっていた。
「囮、これ失敗じゃね? えらいことになってんだけど。収拾つかなくて、俺らも動きにくいぞ」
「ふむ。ちょっとやり過ぎたでござるか」
「え、なにかしたの? オーガくんだけじゃないの?」
「実は、リンリン氏や他の勇者殿にも応援を……」
「リンリン? ……え、アイツらここに来てるの?」
「来てるでござる。混乱に乗じて、潜入して。誘導してくれてると思うのでござるが……」
「誘導って、もしかして『広場だ!』とか言ってるやつ? リンリンと、他の2人も来てんのかな? 勇者」
「……たぶん。姿を変えているので、誰かは分からぬでござるが……」
「なるほど。アイツら、あっちこっちにデタラメに誘導してやがんな……。大混乱にはなるだろうけど、これだと、こっちも潜入しにくいぞ……」
「では混乱に乗じて、必要最低限、倒しながら進んでしまいましょうか」
「でも、それだと見つかる可能性が……」
「心配はご無用です。……あそこ、おそらくはあれが奥へと続く扉。あそこの兵2名を倒せば、もっと奥へいけるはず……。ノヴェト様、魔王様はここでお待ちください。片付けて参ります」
「ちょ、エミリーちゃん?」
そう言うと、エミリーは凄まじくしなやかに音も立てずに進む。
物陰に隠れながら、どんどん近付いていく。
「す、すごい……、エミリーちゃん、いつの間にそんなスキルを⁉︎」
「すごいでござるね……」
「まっちゃん、どんだけ余計なものインストールしちゃってんの……?」
「え? 拙者がインストールしたのは『技職人』のみでござるよ。『今の』は、勇者氏が何か入れたのでござろう?」
「……いや?」
そうこうしているうちに、エミリーは兵の目前まで迫る。
その物陰を出てしまえば、すぐに発見されてしまうだろう。
「ど、どうするつもりなんだ? エミリーちゃん。あんな目の前からじゃ、いくら技が使えたって……。ハッ! もしかして打撃も使えるのか……⁉︎」
「いや、関節や絞め技だけでござるよ? エミリーちゃんはノーマルボディなので、打撃系には向いてないでござる。そんな使い方したら、すぐに壊れてしまうでござるよ」
「ならどうやって……」
女勇者と女魔王が見守る中、エミリーはゆっくりと機会をうかがう。
そして次の瞬間。
「「あ」」
女勇者と女魔王は、目を疑った。
エミリーは壁をよじ登り始めたのだ。
壁や柱を掴み、どんどん登っていく。
だが、その格好は異様で、関節が逆方向を向いていた。
仰向けなのに、うつ伏せになっているような。
首が180度向きが変わっている。
そして、胴からは2対の腕が伸びて出てきた。
最早、それは人間大の蜘蛛だった。
「え、なにあれ……? ちょ、怖っ‼︎ 蜘蛛⁉︎ ……え、なに、どういうこと? ちょ、あんなの、……あんなギミック知らないんだけど? え、ちょ、キショ‼︎ なんなのあれ⁉︎」
「ひぇ! ……か、関節が逆向いてるでござるよ! それどころか腕も増えてるでござる‼︎ あんな機能つけた覚えないでござるよ‼︎ ホントにキショいでござる‼︎ 趣味悪いでござるよ‼︎ 勇者氏じゃないんでござるか⁉︎」
「し、知らないよ! ……なんで俺が、あんなおぞましい機能、わざわざ付けると思うの‼︎ あんなの夢に出るよ‼︎ 泣いちゃうよ⁉︎」
カサカサと天井まで登っていく様は、完全に人間大の蜘蛛でしかなかった。
エミリーはそのまま高い天井から、ゆっくりと兵士たちの頭上に迫る。
そして、一人の兵士の首を上から締め、そのまま持ち上げていく。
兵士は声を発することもなく気絶する。
そして兵士を小脇に抱えたまま、もう一人の兵士も同じように無力化した。
床に降り、人間のように立つエミリー。
すでに逆関節も元通りで、2対の腕も引っ込んでいる。
「さぁ終わりましたよ、ノヴェト様、魔王様。……では、参りましょうか?」
そこで微笑んでいたのは、いつものエレガントなエミリーだった。
女勇者と女魔王は、何も言わずに奥へと進んでいった。
……エミリーから若干距離をとりながら。
*
女勇者ノヴェトたちが先を進んでいく。
狭い石の壁の通路だが、入り組んでおり、至る所に死角があった。
そのため、注意しながら進む必要があり、思いの外時間がかかってしまった。
そして、その疲労感は勘を鈍らせた。
その時だ。エミリーは物陰に人影を発見した。
「何奴っ⁉︎」
エミリーがその者を闇から引きずり出し、首を押さえつけた。
「なっ⁉︎ ……リンリン⁉︎ オ、オマエ、こんなところでなにやってんだ⁉︎」
「うわっ! び、びっくりしたでご、……ッスよぉ〜? ノヴェトさんこそ、遅いですよ‼︎ カゲチヨきゅんはこの先ッスよ。右に曲がって突き当たりッス」
「ほ、本当ですか⁉︎ リンリン様‼︎」
「ぐっ‼︎ エ、エミリーちゃん‼︎ ちょっと、この手外して、ちょっと苦しい。そ、そうッスよ。カゲチヨくんの居場所を突き止めたので、ノヴェトさんを探していたんッスよ」
「探してたって、こんなところでか?」
疑うような目つきの女勇者ノヴェト。
ここは石の通路。
薄暗く、兵もいない。
「なんで隠れてたんだ? 今」
「あ、当たり前じゃないッスか? 敵地ッスよ⁉︎ 誰か来たら隠れますって!」
「……そうか、それもそうか」
「そんなことより、早くカゲチヨ様をっ‼︎」
駆け出すエミリー。
「ちょ、エミリーちゃん‼︎ ダメでござるよ‼︎」
女魔王の静止も聞かず、彼女は先に進んでしまった。
「まったくしょうがないな。まっちゃん、これどっちにしろ行くしかねぇな」
「そういうことでござるな。さぁリンリン殿も行くでござるよ」
「え、っと、まだ……、これからやることが……」
「まぁまぁ、リンリン殿もカゲチヨ殿を助けたいのでござろう? きっとカゲチヨ殿も喜ぶでござるよ?」
「そ、そうッスかね?」
半ば強制的に連れて行かれたリンリン。
女勇者ノヴェトと、女魔王、メイド女性エミリー。そして、リンリン。
4人は大きな石造りの部屋に出た。
「カゲチヨ様‼︎ ここは……? カゲチヨ様‼︎ どこに⁉︎」
エミリーは辺りを見回すが、そこには何もない。
「さて……」
ノヴェトはリンリンに向き直る。
「へ?」
リンリンはキョトンとしている。
「さっさと吐け。カゲチヨはどこだ?」
「は?」
ノヴェトがそう言った瞬間、リンリンは床に叩きつけられた。
「ぐっ! ……な、なにをするんでござるか⁉︎」
叩きつけたのは女魔王。
「ボロが出たでござるね、ハンゾウ殿。拙者、オタク言語の同志だと思っていたんでござるが……。残念でござるよ」
「な、何を言ってる……、ッスか? ハッ! ノヴェトさんは女神様に操られてるッスね⁉︎」
床に突っ伏したまま、女魔王に組み伏せられたリンリン。
「操られてんのはテメェだろうが、ハンゾウ。言っておくが、カゲチヨ誘拐した件、俺は穏便に済ます気はねぇぞ? 丁度いい機会だ。女神からこの神殿、ついでに奪ってやるよ」
「はぁ⁉︎ 何言ってるッス⁉︎」
「……エミリーちゃん」
ガサゴソとリンリンの懐を探るエミリー。
何かを見つける。
「はい、ノヴェト様」
エミリーはノヴェトにそれを手渡す。
「ちょ、やめるッス‼︎ そ、それだけはやめてくれでござる‼︎」
「ルンルン変わルンルン……」
ノヴェトの冷たい目。
口から発せられるメルヘンな言葉とは裏腹に、ひどく冷たい声であった。
「やめるでござるよおおおおおおお‼︎‼︎‼︎」
リンリンの身体が眩く光り、消える。
……そこには、ハンゾウ(男)がいた。
「バレバレなんだよ、ハンゾウ。オマエはいつだってそうだ。ポンコツ過ぎんだよ、オマエ」
「くっ……、そぉおおおおお‼︎」
涙目のハンゾウ。
彼は、変わルンルンでリンリンに化けていたのだ。
おそらく本物のリンリンは、まだ兵士たちを誘導しているのだろう。
「ちょっと、どういうことです⁉︎ いきなりやられてんじゃないの⁉︎」
大きな部屋に響く声。
そこには、3人の見知らぬ女性たちが立っていた。
*
部屋に入ってきた3人の女性。
年齢で言えば、3人とも高校生くらいだろうか。
だが、彼女たちは、白く小綺麗な女神兵の制服を着ている。
シワひとつないスラックスに、細身の剣。
それに、肩や首周りの、金の豪奢な装飾。
恐らくは、女神兵団の指揮官クラスの者だろう。
特に中央に位置する女性は、他の二人よりも華美な装飾の制服だった。
そして、その堂々たる所作は、相当に位の高い者だと推察できる。
「聞いてるわよ、ジンノスケ。いや、今はノヴェト……、だったかしら? よくもまぁ恥ずかしげもなく、そんな身体をして……」
「ここで会ったが百年目。尋常に勝負なさい‼︎」
3人の女性の中で、左右の二人の士官がノヴェトに向かって叫ぶ。
その間、中央の女性はノヴェトをじっと見つめるだけで、一言も発しない。
「ちょ、丁度よかった。今呼びに行こうと思っていたでござるよ‼︎」
彼女たちを見て叫ぶハンゾウ。
「黙りなさい‼︎ 穢らわしい‼︎ 貴様のような下賎の者が、私たちと対等に会話することなぞ、身の程知らずだと知りなさい‼︎ まったく使えない男。これだから男というものは……」
右側の士官女性は、ハンゾウに向かって怒鳴りつける。
「勇者氏、知り合いでござるか……?」
「……」
状況が分からない女魔王は、女勇者ノヴェトに確認する。
ノヴェトも3人の女性をじっと見つめ、目を細める。
「さぁ、どうした⁉︎ なにか言ったらどうなんだ⁉︎」
右側の女神兵士官の女性は、ふたたびノヴェトに向かって叫ぶ。
「……知らん。誰だ?」
慌てて小声で話す女魔王。
「……え? ホントにでござるか? 向こうは知ってる風でござるよ? よーく思い出すでござるよ? なんかいやでござるよ、こういうの気まずいでござるから……。なんとか思い出すでござるよ!」
「そう言われてもなあ……。まったく記憶にないんだが……」
「オイ! 聞こえてるぞ‼︎ 相変わらず失礼なやつめ‼︎ 成敗してくれるわ‼︎」
右側の女性士官が怒りをあらわにする。
すると、中央の女性が、突然前に進み出て喋り出した。
「……ぶ…………じ……」
「……ん? なんて?」
ノヴェトはその言葉を全く聞き取れず、思わず聞き返す。
「オイ、貴様‼︎ 無礼だぞ‼︎ 姫様の言葉を聞き返すな‼︎」
右側の女性士官は、さらに怒りをつのらせる。そしてまた、中央の女性が喋る。
「……の…………い……」
「え? なんて?」
今度は、右側の女性士官も聞き返した。
「オマエも聞き返してんじゃねぇか! ……ハッ⁉︎ このやりとり、なんか既視感が……」
「なにか思い出したでござるか?」
「ダメだ……、思い出せん」
「失礼な奴め。すぐに分からせてやる‼︎ ならば……、来い‼︎ エルゴイッッツォ‼︎」
今度は、左の女性士官が叫んだ。
次の瞬間、奥の扉が吹き飛んだ。
一部の石壁が崩れ、粉塵が舞う。
そして、その中から体長3mほどの巨大な何かが現れた。
「あ、あれはゴーレムでござるよ‼︎ ……あんな大きなものが⁉︎」
女魔王も、そんなサイズのゴーレムを見たのは初めてだった。
そのゴーレムは土の身体であったが、金属製の鎧で補強してあった。
容易には破壊できそうもない。
「思い出した。ゴーレム、そうか……。オマエら、ダネトのやつらか」
「ダネト? ……誰でござる?」
「女神派筆頭の貴族で、あれはたぶん俺の元パーティメンバーだ……、と思う。あのゴーレムは、ダネト家秘蔵の大型魔導器だよ」
だが、彼女たちはノヴェトの記憶とは、だいぶイメージが異なる。
そのせいで思い出せなかったのだ。
右側の女性士官が叫ぶ。
「そうだ。ここに座すは、ダネト家現当主、メルトナ姫だ‼︎ ……そして、貴様の許嫁だっ‼︎」
「許嫁? ……許嫁⁉︎ ……え? ええ⁉︎ ……え⁉︎ ……なにそれ?」
ノヴェトはキョトンとした顔になった。
「……えっと、……勇者氏、知らんのでござるか? ホントに? ……え、やだ……、なにこれ気まずい。ええ……、なにこの展開……」
女魔王もキョトンとした顔になった。