第1話 光の勇者
「見ろ! あれが魔王の城だ! ……やっとここまできたぞっ! 少年‼︎」
青白い肌のダークエルフ。
彼女は女勇者。
崖の突端に立ち、勇ましくその手に剣を掲げる。
剣の切っ先が指し示すのは、禍々しい魔王城だ。
その圧倒的な存在感は、見るものを恐怖に陥れる。
「ええ……。まあ、そうですね」
だが、女勇者とは真逆に、同行している少年のテンションは低い。
少年はハーフリング。
元々小柄な種族ではあるが、彼は歳も若い。
そのため、さらに身体が小さく、この崖に登るのも随分と大変だった。
「なんだよ、少年。……ノリ悪いなぁ」
「いえ、初代勇者さん。あのですね、ボクらには魔王を倒すという使命があってですね、だから……」
「知ってるよ? うん、知ってる。聞いたし。めっちゃ聞いた。ここに来るまでもすげー聞いた。……でも、ほら、見てみ? 魔王の城。めっちゃ魔王。めっちゃ城。というわけで、倒そうぜ、レッツラ魔王‼︎」
「……でもこれ、ゲームですよね?」
「ああん⁉︎ そうだよ? ゲームだよ? ……なに、ゲームじゃ悪いの? というか、いい加減『初代勇者さん』なんて、他人行儀な呼び方やめてよぉ? 『ノヴェトちゃん』って、呼んでって言ってるじゃん? ……ね? カゲチヨきゅん?」
そう、ここはゲームの中。
ハーフリングの少年の名は『カゲチヨ』。
この女勇者『ノヴェト』との『ちゃん』付け強要も、もう何度目になるか。
少年は、すでにうんざりしている。
「『初代勇者さん』は一応勇者なんですよね? 異世界に来たのに、なぜゲームをしてるんですか? 絶対使命忘れてますよね? 魔王を倒さなくていいのですか?」
「また『ちゃん』付けスルーかい……。オマエ、ホントに細かいやつだなぁ。空気読めないって言われない?」
少年の冷たい目が、女勇者ノヴェトには刺さるように感じる。
「まぁ待て。せっかくここまで作ったんだぞ? 見ろよ、この綺麗なグラフィック。景色なんて、現実をそのまま投影してコンバートしてるんだ。ほらどうだ、超絶綺麗だろ? 見ろよ、あの悠然と立ちはだかる魔王城。ヤバい。テンション上がるーぅ⁉︎」
少年の冷たい目は変わらない。
「こ、この世界は俺の夢なんだよ! 俺の作った最新の魔法PC上で! 魔法OSが! 高速な魔法インターネットで! こんな風にオンラインゲームだってできるんだ! うお、すっげー⁉︎ マジスッゲー⁉︎ しかも、これをぜんぶ俺らが作ったんだ‼︎ どうだ⁉︎ これが、異世界・魔法技術の究極芸術だ‼︎ すっげーだろ⁉︎」
「いえ、だからそうでなくて。勇者には勇者の仕事があるんです。勇者の仕事はゲーム制作ですか? パソコン作りですか? まったく、異世界に来てまで、どうしてパソコンやインターネット作っちゃったんですか。勇者の仕事はなんですか? 言ってみてください」
「ホ、ホンッッット、可愛くねぇガキだな。つか、魔王ならいるぞ」
「は?」
「ほら、あの城に」
「ゲームの、……ですよね?」
「……まあ、そうだけど。でも、中身は本物だぞ」
「ん?」
「魔王のアバター、中身は本物の魔王だって言ってんの」
「……は?」
*
──────時間は少し前に巻き戻る。
「運命に導かれし勇者よ、さあ目覚めるのです……」
女性の声に気付き、黒髪の少年は目覚める。
そこは見知らぬ場所だった。
「こ、ここは……?」
薄い雲のようなものが地面を這い回っていく。
だが、その地面は何で出来ているかも判別できない。
辺りを見回すが、暗いわけでもないのに先まで見通せない。
『不思議な空間』としか言い表せないような、奇妙な場所だった。
少年の目の前には、薄い衣を纏ったグラマラスな女性がいた。
「ここは、運命の神殿。そして、私は運命の女神『アシュノメー』。貴方を導く光……」
「……えっと、よく分からないのですが、ここは市内でしょうか?」
「……ん?」
少年の予想外の反応に、女神は戸惑う。
「要件は手短にお願いします。ボクはこれから、塾に行かないといけないのです。中学受験が迫っているので、1秒だって無駄にはできません。……ああ、塾に遅れてしまう。まずは塾に連絡して、その後母様に連絡しないと。……あれ? リュックは? 持ち物が何もない?」
「……ゴホン。少し落ち着きなさい、小さき勇者よ」
「ボクには『影千代』という名前があります。勇者という名前ではありません。人違いではありませんか?」
「人違いではありません。カゲチヨよ、そなたをここに導いたのにはワケがあるのです」
「訳……? 『導いた』というのは、『連れてきた』という意味でしょうか?」
「そうです」
「それって誘拐ですよね。ボク、未成年なので、これって未成年者略奪ですよ」
「難しい言葉を知っているのですね、カゲチヨは……」
「分かります? 犯罪ですよ、犯罪。こんなことしたら、ただでは済みませんよ。大人ならそれぐらい分かるでしょう? 早く帰らせてください。ボクは、こんなところで油を売っている暇はないのです」
「とりあえずは私の話をお聞きなさい、カゲチヨよ」
「貴方は見たところ、二十歳超えてますよね。もういい大人なんですから、善悪の判別くらいつきますよね? まったく最近の大人というのは……。子供に対して、アレやれ、コレやるな、などと言う割に、平気で自分のことを棚に上げますよね。いいですか、ボクのこの……」
女神はキレた。
「キェエエエエエエエエエエエエイ‼︎‼︎ 黙れェ‼︎ 黙らっしゃいっ‼︎‼︎」
「ひっ! な、なんですか、突然。そ、そんな大声を出したって、怖くはないのですよ……」
「少し黙りなさい、カゲチヨよ。……貴方は先生に『話を聞きなさい』と言われませんでしたか?」
「……犯罪者には言われたくないのです」
「キェエエエエエエエエエエエエイ‼︎‼︎ キェイ‼︎‼︎」
「ひっ!」
カゲチヨは女神が豹変するたびに、身体がビクッとした。
「……いいですか、まずは話を聞きなさい。そなたには使命があるのです。貴方は異世界へと赴き、魔王を倒すのです」
「……おっしゃってる意味が分かりませんが」
「私は今まで、幾度も勇者を送り出しました。しかし、誰一人として、魔王を倒せなかった。……それというのも最初の勇者、あのクソ野郎が裏切りやがったせいで……」
「え……、クソ……?」
「んん! ゴホン。とにかく、貴方の使命は憎き魔王と、初代勇者を討伐……、いや抹殺することなのです。それはもうグチャミソに」
「……えっとあの、ボク、小学生なのですが?」
「……知っておりますよ」
「小学生にそういう……、抹殺とかっておかしくないです?」
「何もおかしくはないのです」
「……おかしいのは、この人の頭の方か……」
*
カゲチヨは頭を抱える。
目の前にいる『運命の女神』と名乗る女性。
カゲチヨは、少し話してすぐに理解できた。
……彼女は、明らかに『会話が成立しない』タイプの大人だ。
女神は訝しげな表情をしている。
「……なにか言いましたか?」
「い、いえ。そ、それで異世界? という場所? お店? ……に行って、魔王さんや初代勇者さんという方を抹っ……倒してほしいと」
「そうです。ちゃんと分かっているではないですか。カゲチヨは賢いですね」
「その方々は、おいくつぐらいの方なのでしょうか?」
「おいくつ? ……歳の話ですか?」
「ええ、まあ」
「カゲチヨは変なところを気にするのですね。魔王は1万歳は超えていたかと思います。それと、初代『クソ』勇者の方は30歳前後だったと思います」
「1万……? よく分かりませんが、あの、ボク、10歳なのですけど。そんな大人の方を、どうこうできるとは思えないのですが」
「心配にはおよびません。私から貴方に異能力を授けましょう。これにより貴方は、無敵のスーパーパワーを手に入れることができます」
「ス、スーパー……?」
「さあ、この異能力を受け取るのです! カゲチヨよ! ……ん? あれ?」
「え、なんです? ちょ、ちょっと、怖いんですけど。な、なんですか⁉︎」
女神は目を細め、カゲチヨをじっと見つめる。
「貴方はすでに、異能力を持っていますね……」
「は?」
「これはあちらの世界で得たもの、異能力『天才』。そう、これ。貴方、これのせいで、そんな可愛くない感じなのね。見た目はこんなに可愛いらしいのに」
「なっ……、え? ボ、ボクの頭がいいのは、生まれもったものと、努力の成果です。そんな異能力がどうとかって……」
「邪魔ね邪魔邪魔。こんな異能力があるからダメなの。こんなものはポーイ」
女神は指先をクルクルと回し、明後日の方向に何やら指を動かした。
「え、あ! ちょ! なに、なにしました今⁉︎ ……え? なにか変わりました? ちょ、ちょっとぉ⁉︎」
「うーん、違いはわからないけど、これでアホっぽくなったかしら?」
「アホ……? ちょ、な、なんてことするんです‼︎ か、返してください‼︎」
女神にすがりつくカゲチヨ。
「あらぁ〜? 努力じゃなかったのかしらぁ〜?」
「くっ! ……返して……。お願い……返して……」
カゲチヨは半べそをかき始めた。
カゲチヨのその表情に、女神は胸の奥にゾワッとしたものを感じる。
そのせいで、女神に何かのスイッチが入る。
「……ああ、カゲチヨ……きゅん? いいわあ、それ。その表情。可愛いじゃない? ああ、もうダメ。もっと虐めたくなっちゃうじゃないの……。貴方がいけないのよ……?」
よだれがたれそうな口元を、キュッと閉じる女神。
「ああ、でもそうね。忘れるところだったわ。……まずは、新しい異能力を入れ直さないとね」
「返してよぉ……」
涙ぐむカゲチヨ。
身長差の関係で、女神にはそれが『涙で潤んだ上目遣い』に見えてしまう。
「くっ……。ダ、ダメ! ダメよ! そんなの、でも……。さあ、受け取りなさい。貴方の新しい異能力。……ああ‼︎ でもダメ! 異能力『スーパーパワー』、こんなの授けてしまったら、この子! ムキムキになってしまうじゃない‼︎ なら、えーい‼︎」
ここで女神は、盛大に血迷う。
「受け取りなさい、貴方の新しい異能力‼︎」
カゲチヨの身体は、光に包まれ輝いた。
……ごく一部だけが。
「な……っ⁉︎ なにが⁉︎」
困惑するカゲチヨ。
彼にその光は見えていない。
「さあ、これが貴方の新しい異能力……『美尻』よ‼︎」
「……は?」
「さあ、見せなさい。おねーさんによぉく見せてご覧なさい。その輝く尻を!」
「なっ! ……ちょ、やめ、……やめて‼︎」
強引にカゲチヨの衣服を脱がそうとする女神。
「やだ、ちょ、ホント、やだああああああ‼︎」
大人の女性の力には抗えず、お尻をペロンと出してしまうカゲチヨ。
「ハァハァ、ああ……、素晴らしい。素敵よ、カゲチヨきゅん……」
「うう……変態だぁ……」
だが、その時、地面が割れる。
女神の手をすり抜け、奈落へと落下するカゲチヨ。
「え、あ? ……あああああああああああ‼︎」
「ウソぉ! もう時間切れなの⁉︎ そ、そんなぁ、私のカゲチヨきゅん……」
女神は奈落へと手を伸ばすが、カゲチヨはもう見えない。
「ああああああああああん‼︎ ボクの天才があああああああ‼︎」
泣きながら落ちていくカゲチヨ。
女神の暴走で、彼には史上最も恐ろしい異能力が備わってしまったのだった。
*
「魔王様……、時間でございます」
「うむ……、そうか。では参ろうか」
魔王と呼ばれた男。
ここは、あの禍々しい魔王城の中。
その男は、身の丈が成人男性の3倍はあろうかという巨躯であった。
椅子から男が立ち上がると、どんなに天井の高い部屋であっても圧迫感を感じてしまう。
腕の幅も大木のような太さで、その肉体は明らかに規格外のサイズであった。
魔王は、ふと窓の外を見た。
そこから見えるのは、禍々しくそびえ立つ城壁だ。
そして、その内側には、迷路のように張り巡らされた回廊があり、何人たりとも容易には通さない。
たとえ歴戦の勇者であったとしても、この魔王城を攻略することはできないだろう。
なぜなら、ここは魔王軍の中枢であり、魔王直属の精鋭が待ち構えているからだ。
「……アレは?」
魔王は、外の景色の中の何かに気付いた。
その重苦しい声は、近くの側近に向けたもの。
だが、並の戦士であれば、それだけで震え上がり、戦意を喪失してしまうだろう。
「はて? ……ああ、あれでございますね。魔王様、あれは新人でございます。なかなか飲み込みの悪い者で、いくら説明してもすぐに迷ってしまうようで」
「なるほど……」
「……私の方からキツく言っておきますが……?」
「いや、その必要はない。それより、あの者にこれを渡しておくがいい」
「……これは?」
「私が作った。魔王城の親切安心マップだ。……魔王軍の者でも迷う者が多いと聞いたのでな。……あ、きちんとワープの場所も、番号付きで書いておいたぞ。宝箱の位置や、ミミックの場所もな。おっと、落とし穴にも注意が必要だ。危ないからな……。もし欲しい者が多いなら、必要部数をコピーしておくが」
「い、いえ。ありがたく頂戴いたします」
「よし。では、参ろうか! ……お、っと、大事なことを言い忘れておった」
「……どのような?」
「……フフフ、くれぐれもそのマップ、勇者には渡さないように。ネタバレになってしまうと、つまらぬ故な……」
魔王は、満足げに部屋を後にした。