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.6 祭司の才能

 祭司会の本部は、国王の住む城にある。

 城といっても石造りの、せいぜい三階建てで、物見の塔がいくつか建っている程度のものだ。

 たが、この城には少し変わった点があった。城の建物は、円を組むように建てられ、中央に大きな中庭がある。

 そしてその中庭には国家の象徴、信仰の最大の対象たる大楢の木が生えていた。

 樹は城よりもふた周りほど背が高く、城の中庭に樹が生えているというよりは、樹の周りに城を建てたといったほうがしっくりくるだろう。

 実際に、もともと樹が生えていた場所を囲うように、後から建物を建てたのだから、それもその通りなのだが。


 城は王族の住まいである。それと同時に、祭司会だけでなく、兵士の宿舎や食料の備蓄庫を兼ねている。

 実際に住んでいる王族は、今の“王”たったひとりだけだったので、どちらかというと、王族の住まいという機能のほうがおまけだった。

 祭司会の本部の大半は学校だ。学校と言っても、明確に教師が居て生徒が居てといった形をとっているわけではなく、技術や知識を持っている者が、他の者に教える場であった。

 取り上げられる内容は、医学、天文学、詩歌による歴史の伝達術、占い等々、祭司の役目に関わるものの大半である。


 技術の伝達には、教科書は使われず、主に口伝と実技で行われた。

 近隣羊皮紙や樹皮紙くらいは存在する。だが、大楢の国の文字文化が未熟だったわけでも、毛嫌いしていたわけでもない。

 彼らの信仰において、詩歌の音がもたらす自然との調和や、口伝の対面による“話す”と“聞く”の伝達の確実性が、古来より重視されてきたからである。

 口伝に関しては、学習に労力の必要な文字よりもしばしば重宝されていたというのは、別にこの国や信仰信条に限った話ではないだろう。

 ともかく、彼らはあまり筆記による記録には頼らなかったようだ。


 これだけ多岐に渡る職能の習得をするからには、一人前の祭司になれば、それなりの地位が約束された。

 一人前になるには、多くの努力も、苦労も必要であり、道半ばで挫折するものも多い。

 もっとも、そこで得た知識は無駄にはならず、諦めて城から出たあとにも、何らか手に職をつけることができる場合が大半であった。


 この国を含め、近隣諸国の国内における国民の力関係は、まず王や首長があり、次に祭司たちの階級と戦士階級があり、次いで農民や職人などの一般人……という具合だ。

 ときには祭司のほうが首長よりも偉かった。その場合は小規模な部族の場合が殆どだ。

 大楢の国の場合、今代の王がまだ未熟な為、祭司の長が代理を務めている。実質、この国を支えているのは祭司会と言っても過言ではなかった。

 ここに入ればその祭司か、祭司のまねごとの力を得ることができるのだ。


 祭司会に入会した人間はまず、見習い祭司として祭司長に謁見する規則がある。

 祭司長の宗教的な力によって占われ、目立った適正がある場合は、特定の職や任に就き、そうでない場合は教育を専門とした祭司に預けられ、学問を習うこととなっていた。

 祭司長は先王の死後より、まつりごとのほとんどを担うようになってしまい、東奔西走、多事多端の毎日を送っていたわけだが、それでも新入りが来るたびに、謁見の職務は欠かさずに行っていた。


「“エスス祭司長”。入会希望の者を連れてまいりました」

 兵士が銀髪の娘を伴い祭司長の部屋を訪ねる。娘の顔は相変わらず、どこを見ているともつかぬ様子だ。


「おお、入りなさい」


 部屋の中では壮年の男性が椅子に腰かけていた。優しそうな顔立ちの中にも、刻まれた皴が、長く生きた苦労の痕を記している。

 昨今の多忙の為か、目の下には炭で塗ったような隈が出来上がっていた。

 細かな刺繍と装飾の付いた、清潔な法衣に身を包み、長く伸ばした白髪交じりの髪をすべて後ろに流して、一纏めに括っている。


 祭司長は椅子から立ち上がると机を迂回し、部屋の真ん中で手招きをした。

 それを受けて兵士は、立ち位置を横へずらし、娘に前へ出るように促した。

 二人の一連の動作は、風に揺られる一枚の織物のようだった。何百人という希望者たちを裁定してきた、いつも通りのお決まりのやりかたなのだ。


 ところが、娘にはこの出来の良い織物が目に入らない様子で、代わりに床に敷かれた赤い絨毯に釘付けとなっている。

 絨毯の上には黒アリが一匹迷い込んでいた。


「おい、小娘。部屋に入るんだ」

 娘を促す兵士。彼の声色には若干の苛立ちが生まれていた。


 希望者の殆どは手に職をつけようとか、身を立てようとか考える者たちだから、この部屋に来る時には皆、野心に溢れ生き生きとしている。

 前向きな彼らは兵士の促しにも従ったし、中には言われずとも前へ躍り出て、失礼すれすれな行為をするものまで居た。

 過去の希望者達とは真逆の態度をとる娘は、兵士にとって鼻持ちならなかったのだ。


 娘に焦れた兵士が、手に持った名簿をばんばんと叩きならした。

 名簿。この名簿には、国内に居る奴隷に関する事柄が羅列してあった。

 出身はどこだとか、いつ頃国内に入ったかとか、誰が持ち主だとか。文字による記録に頼らない文化を持つこの国の、数少ない公文書である。


 再三の促し。アリを追っていた娘はようやく従い、部屋の中へと入っていった。


 顔を上げれば目の前には知らない男。


「きみは、砂漠の出身だね。名前は何というのかな?」

 優しく問いかけるエスス祭司長。


「おい、祭司長がお訊ねだ。言葉は通じるだろう? 自分の名前くらい言えるだろう?」

 捲くし立てる兵士。


「よいよい。きっとつらい目にあったんだろう。砂漠の民がここに流れてくるときは、大抵そうだと決まっている」

 エスス祭司長は、いきり立つ兵士を手で制すると、懐から小さな針を取り出した。


 祭司長は娘の手首をつかむと、彼女の手のひらの真ん中に、尖った針の先端を刺した。


「痛い!」

 突然の鋭い感覚に声を上げる娘。

 身体をひねって逃げようとするも、兵士が彼女の肩を捕まえて離さなかった。手のひらに小さな赤い玉が浮き上がる。


「なんだ、喋れるじゃないか」

 文句を垂れる兵士。


「大丈夫、怖がらなくてもいいんだよ」

 そういうと祭司長は、自分の手のひらを娘の手のひらと合わせた。指を指の間に絡ませ、ちょうど恋人同士が手を繋ぐかのように。


 エスス祭司長は目を閉じ、口の中で何かを呟いた。

 娘の瞳は理解できない行動をとり始めた男の顔を茫然と見つめる。祭司長の顔が一瞬青白くなったかと思うと、彼は目を開け、“にっこり”と笑った。



「きみの名前は、コニアというんだね」



 娘の背筋は凍り付いた。久しく呼ばれていなかった自分の名。

 最後に呼ばれたのは、人さらいの来たあの夜。どうして、この人は私の名前を知っているのだろう。


「きみは、故郷で随分とつらい目に遭ったんだね。人さらいに大切な人を殺され、それに、仲間にも裏切られて」


 一体、どういう仕掛けなのか。祭司長は娘の体験をぴたりと当てたのだ。

 これが信仰の高みに立つ者の得る、人智を超越した力なのだろうか。

 娘は腰が抜けて、赤い絨毯の上に両ひざをついた。恐怖と悪寒に全身を震わせながら。


「きみには、大自然と通ずる祭司の才能が、豊富にあるようだ。それも、数百年に一度の逸材だ。是非ここで学び、高みを目指しなさい。きみは大自然の愛と恵みを受けるさだめにあるんだよ」


 膝をつく娘と手を繋いだまま、祭司長が言った。落ち着いた声色に反して、彼のあいたほうの手は強く握られ、震えていた。


 突然、祭司長はしゃがみ込み、娘と視線を合わせた。


 兵士は、祭司長の様子の変化に気が付いた。何度も繰り返してきたこのやり取り。

 希望者をちょっと褒めたり、勇気づけることはあっても、祭司長が興奮したところなど、一度も見たことが無かった。

 ……とはいえ、この娘はちょっと気が滅入ってるようだし、大げさに元気づけようとしたのか、それとも顔立ちの良い小娘だから、まあ多分、そういう事なのだろうなと失礼な考えで片づけてしまったのだが。


「それで、この娘はどうしますか?」

「この娘には祭司の才能が溢れておる。だが、彼女の住んでいた国には、我々の信仰はなかったはずだ。まずは教えを学ばせることから始めよう。教育長のところへ連れて行ってくれ。彼女の為に、着心地の良い法衣と、上等な寝床を用意するのも忘れずにな」


「かしこまりました。さあ、コニアさん。行きましょう」

 兵士は先ほどとは打って変わって丁寧な態度になった。

 普段、下っ端である希望者に対してこういった態度は取らないのだが、どうやら祭司長のお気に入りらしいこの娘を、ぞんざいに扱うほどの勇気はなかったのだ。


 娘のほうはというと、部屋から出るまで身体を震わせっぱなしで、兵士が支えてやらねば歩くこともできなかった。


 エスス祭司長は二人が退室すると、ひとり呟いた。


「やっと見つけたよ」


 彼は再び、“にっこり”と笑った。


***

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