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.4 暗い森

 大楢の国を囲う森。外から森へ向かって、ラバが引く一台の車が走る。

 荷台の上には屈強な男が数人、それに若い娘が一人乗っている。


 その娘は銀の長髪と小麦色の肌を持っていた。彼女の目は虚ろで、砂や乾いた草の溜まった床へ視線を落とし続けている。


「森についたぞ。ここからは歩きだ。小娘、降りろ」

 髭を蓄えた男が娘に言った。しかし娘は置物のように身動ぎひとつしなかった。


「……仕方ない。おい、交代でこいつを担ぐぞ」

 髭の男が娘を担ぎ上げる。


「こいつ、ずっとこんな調子じゃねえか。俺たちの話は無視しやがるくせに、飯と便所だけは一丁前に要求しやがる。俺たちだって、ろくに飯を食ってねえのに」

 顔に包帯を巻いた男が不満を漏らした。


「もう少しの辛抱だよ。この娘は高く売れるぞ。俺たちみんなとその家族が、数年は遊んで暮らせるくらいにはな」


「その話、本当だろうなあ?」

 包帯の男が疑問を返す。


「今日日、砂漠の民は珍しいからな。それにこいつは若いし別嬪だし、ガキの割にケツだってそこそこじゃねえか」

 そういって髭の男は担いだ娘の尻を二度叩いた。小気味の良い音が響く。


「そうじゃなくて、この国には奴隷なんて、掃いて捨てる程に居るんだろう?」

「そりゃ昔の話だ、今は数が規制されてるからな。奴隷は金持ち様だけのモノになってるのさ」


 奴隷はいくさの戦利品だ。それを抜きにすれば手に入れるには金品との引き換えか、小民族からかすめ取るしかない。

 もとよりこの国は、自給自足のできていた国家であった。他国に攻め入り、奪う必要などなかった。

 つまりは戦いの経験に乏しい。

 いくさ下手ならば、国家の安定の為とはいえ、戦争を引き起こすのは良策ではなかった。


 よそから金で買ったものであっても、持ち主や所属の国から返還を要求されることもある。拒否すれば戦争の理由を与えてしまう。

 そこで、奴隷の人数を制限した際に、不満の黙殺しやすい弱小民族や、まとまった統率を持たない地域からの徴用に限定することにした。

 それ以外の出身者はお役目御免とし、口を出される前に解き放った。

 こうして短いあいだに、クワや斧のように誰しもが持っていたそれは、金持ちだけの楽しみに変わった。


「俺たちだって、お前が憎くてこんなことをやってるんじゃないんだぜ」

 包帯の男が肩に担いだ娘に話しかけた。

「お前たちだって、飯を食うために他の生き物を殺してるだろ? それと同じことなんだよ。お前ひとりで、俺たち六人、みんながたらふく食べられるのさ」


 娘からの返事は期待してなかった。

 昼でも薄暗い陰鬱な森だ。何かしら会話をしなければ、森の闇に吸い込まれそうになる。

 髭の男だって、担ぐのを交代してからずっと、黙ったままだ。

 娘の身体は軽く、大した労働ではなかったのだが、馬車の見張り役として残った他の男たちの事を恨めしく思った。


「……じゃ、ないわ」

 担がれた娘が呟く。


「ん、何か言ったか?」


「私ひとりじゃ、ないわ。あなたたちはにいさんも殺したわ」

 旅の中、娘はほとんど返事をすることはなかったが、青年の話になったときは必ず口を挟んで抗議をした。

 彼女にとって、さらわれてどこかへやられることよりも、青年が殺されてしまったことのほうが、余程重大なことだったのだろう。


「あれは悪かったと思ってるよ。もともと殺すつもりじゃなかったんだ。でもわかるだろ? 俺だって目をぶっ刺されちまったんだよ。お陰で片目くらになっちまった。傷だってまだ痛みやがる」


「殺すことはなかったわ。お婆さんだって。お婆さんは何も悪いことしてなかったじゃない!」

 娘は包帯の男に向かって気丈に言い返す。

 男のほうは目を失ったときとは違い、随分と落ち着いた調子で話した。

 彼にとって娘とのやりあいは、森の闇から気を逸らすのに役立つようだった。


「そりゃお前、あいつらが素直に、お前の事を差し出さなかったからだろう」

「当り前よ。仲間を差し出すなんてこと、しないわ」

「仲間ね。そうかね。じゃあ、なんでお前はここにいるんだろうね」

 馬鹿にするように包帯の男が問いかける。娘の頭にあの夜の事が蘇る。

 立ち上がらない仲間たち、彼女に行けというような……彼女を差し出すような、あの視線。


 若い娘は信じていたのだ。困難に対して、身内に対する情愛が素晴らしく役に立つ武器であると。

 “群れ”というものは、そういったもの結束によって成されるのだと。

 だから彼女は“群れ”への奉仕を続けてきていた。多少の理不尽やわがままだって飲んできた。


 だがどうだ? 老婆と青年が死にゆくあいだ、群れの仲間は何をした? ただ震えて、固まっていただけではないか!


 娘は“群れ”の中で、食事を探してくるのが一番上手だった。いつも“群れ”の食事の半分くらいは、彼女が獲ってきたものだった。

 たとえ、当番の仲間が怠けて何もしない日があったとしても、恩着せがまく振舞ったことはなかった。

 生き物を砂から探し出すのは楽しかったし、何よりそれが、“群れ”における自分の役目であると誇りに思っていたからだ。

 当然、仕事に対価を求めたことだってない。どちらかというと彼女は、すでに対価を貰っているものだと考えていた。

 群れから与えられるであろう愛が、絆がそれだと信じていた。


 なぜなら、砂漠にいるほかの生き物は群れていなかったし、他者を襲うか逃げるばかりだったからだ。

 身を寄せ合い身内に奉仕をする自分たちは、それらと明らかに違う存在だと疑いもしていなかった。


 それが最悪の形になって返されたのだ。

 男の問いかけにより思い起こされた記憶が、改めて彼女の心根に、その残酷な事実を沁み込ませていった。


「おい、何とか言ったらどうだ? ……おい」

 包帯の男は、娘の心の動きに感づいた。


 余計なことを言い過ぎたのだ。

 今や娘は彼の気晴らしには役立たず、森よりも深い闇を湛える代物となってしまっていた。

 どうせあと僅かで別れ、今後会うこともない同士。

 自分は人さらいで、彼女は奴隷。その身分に余計な気丈さをへし折ってやっただけの話。

 それだのに、目玉を口に放り込まれたかのような思いがした。


 娘が動かしたのは心だけではなかった。

 男の耳には、かつての仲間たちに対する殺意や死の祈りが届けられ続けていた。


 ――みんな嫌い。死ねばいいのに。誰も信じない。殺してやる。


「……すまん、また目が痛むんだ。担いだままだと歩き辛くて堪らねえ」

 そういうと包帯の男は、髭の男に娘を押し付けた。

 髭の男は、何も言わずに娘を引き受ける。その後、彼らはすっかり黙って暗い森の中を歩き続けた。


 長い時間をかけ、やっとのことで陰気な森を抜けると、広い草原に出た。

 背の低い緑の絨毯が一面に敷き詰められ、ところどころに羊の群れであろう、白い塊がある。

 日差しは暖かく、草木を撫でる風がときおり、音を奏でていた。

 遠くには町とその奥に背の高い城壁のようなものが見える。城壁の上からは緑の屋根がはみ出していた。大楢の樹だ。


 牧歌的で平和な国。

 包帯の男は、自分たちが随分と場違いなところに来たように思えた。

 彼らはこことは違う国の貧しい土地の出だった。生きるために、身内相手にも盗みや殺しを何度も繰り返した。

 だが、今回でそういった事を手打ちにできるのだ。その思いに加え、景色が拓けたことで、ようやく彼の肩が軽くなった気がした。

 娘は髭の男に任せきりだったが、肩から下ろしてからもずっと、その重みが残ったままだったのだ。


「目のほうは大丈夫か?」

「あ? ああ、良くなった」

「なら、残りは運んでくれ。ほとんど俺が担いでたじゃないか」

「すまねえ。こいつ、自分で歩いてくれないかなあ」


「何かぶつぶつ言う元気はあったようだが。……まあ、縄を解いたら逃げようとするだろう」

 娘を担いだ髭の男が近づく。包帯の男には一瞬、武器をこちらに突き付けた敵が迫ってきているように思えた。

 自分は大の男ではなく、自分のほうが小娘か何かのように。


「ほら、早くしてくれ。肩が攣りそうだ」

 髭の男の催促を受けて、ようやく身体が動き出す。渡されたものはやはり、大岩のようだった。


「やっと肩が軽くなった。あと一息だ。いや、まだ半分も来ていないか。なんてったって、帰りにはたんまりと黄金を運ばなきゃならねえからな」

 髭の男が肩を回しながら言う。

 彼も森を歩いたときと比べて、随分と口が滑らかになっていた。人さらいの仲間内では一番冷静で冷酷な男。


 そんな彼でも、森の空気にすっかり気おされていたらしかった。


 森は人の領域ではない。踏み込むことはできない。飲み込まれるのだ。

 森を進むことは、巨大な生き物のはらわたを進むような、掘りかたを忘れたモグラになるようなことだ。

 森は人の心を暴き出す。特に、恐怖や罪悪などの感情を引きずり出すのだ。

 引きずり出されたそれが森の闇と混ざり合い、全身にまとわりつき、寒さに震わせる。

 森は拒絶をしない。寒さにやられた者の心が、森を拒絶しているだけのことだ。


 大楢の国は、四方を森に囲まれた草原に作られていた。

 森が外界からの侵入を妨げ、恵みをもたらし、国に住む人々を守っていた。

 人々のほうも、その教えからむやみに森を荒らすことはせず、木々を大切にしていた。

 恐ろしい森とはいえ、距離を保つことでうまく付き合ってきたのだ。


「なあ、俺たちこいつを担いだまま、町の中を歩くのか?」

 包帯の男が不安げに訊ねる。町に近づくにつれて、人の姿が見られるようになってきた。

 最初は羊飼い、次に石を掘り出して運ぶ男たち、そして大きな農場。今や遊びや手伝いに精を出す子供の姿すらも見える。


「城下町には入らねえ。町の手前にある役場で、こいつを品定めしてもらって、そこでおさらばだ」

「審査か。めんどくせえな」

「大丈夫だ。すぐに終わるよ。ほぼ素通りだ」

「なんでだよ? 証し立てできるものなんてなんにもねえぞ?」

「こいつの見てくれさ」

 娘の頭を指さす髭の男。

「砂漠の民は髪と肌で分かるからな。一発だ。あそこは国でもなければ、まともな部族でもないだろ。あそこの連中をかっさらっても誰も文句を言わねえ。まあ、それなりに苦労はしなきゃならんがな」


 髭の男に言われ、あの歩き辛くて、日中は灼熱で、日が沈めば極寒の砂漠を思い出す。回想が進むと、また目の傷が疼いた。

 男たちが歩いていると、無遠慮だが小さな足音がいくつか近づいてきた。


「うわあい。おっちゃん、人さらい?」

 男の子供がふたり。女の子供がひとり。どれも五つか六つくらいといったところだ。男の子の片方はまだ、鼻汁を垂らしたままだ。

 彼らはカゴに恵みをたっぷりと入れてそれを背負うなり抱えるなりしている。


「その担いでる奴、“どれい”?」

「きゃー! 人さらいよ! きゃー!」

 子供たちははしゃぎながら、娘を担いだ男の周りをぐるぐると回った。

 男たちは当惑した。

 普通、人さらいなんか目にしたら、物陰に隠れるとか、家に帰って扉にかんぬきを掛けるではないのか。国なんだから兵士を呼んだっていいくらいだ。


「おっちゃん、“どれい”を売るならあっちだよ。あの小屋だよ」

 鼻汁を垂らした少年が指をさす。


「お、おうありがとな。行ってみるよ」

 包帯の男がどもりながら答える。髭の男のほうはなぜか両手を中途半端に持ち上げて固まっている。


「カゴを置いたら人さらいごっこしようよ!」

「じゃあ、俺“どれい”な!」

「ずるい! 私が“どれい”!」

 子供たちは春風のように去って行った。まるで邪気が無い。本物の人さらいを前にして怖気もない。

 当然、意味なんて解ってないのだろうが。……解ってないよな? 奴隷が当たり前の国だからなのか、それとも国が平和だからなのか。


 とにもかくにも、男たちは薄気味悪くなって、さっさと仕事を終えることにしたのだった。


 髭の男の言った通り、審査はあっという間に済んだ。

 小屋に詰めていた兵士は、ふたりを見ると一瞬ぎょっとした様子だったが、娘の容姿を見たとたんに納得して、粛々と仕事を始めた。

 兵士が娘に対していくつか質問をしたが、娘は何も答えなかった。


「こいつはかなり値打ちがありますね。多分、今の制度になってから一番じゃないでしょうか。

 口を利かないのだけ気になりますが。前に来た砂漠の娘はおしゃべりだったんですがね。

 希望に沿った買い注文がすでに出ています。少しだけここで、待ってもらえますか。

 買い手に金貨を用意させますので。ここにはお金を置いてないんですよ。町はずれだし、私一人しか詰めてませんからね」


 そういうと兵士は男たちを残して出て行った。

 兵士の居なくなった小屋の中は、しんと静まり返った。男たちと娘は並べられた椅子に行儀よく座る。


 包帯の男は娘の事を考えた。これから先、こいつは奴隷としてやっていくんだ。

 どういう扱いをされるかは分からねえが。ひょっとしたら、砂だらけの土地よりも、かえってましな扱いを受けれるかもしれねえ。

 この国は随分と豊かで、平和みたいだからな。


 考えてみて彼は嫌になった。自分たちでさらっておいて、その上仲間を殺しておきながら、彼女の行くさきを案じる。

 らしくないと思った。

 彼は人さらいになる前から、戦利品ならともかく、身内からくすねることも厭わない、人に知られれば謗られて然るべき生きかたをしてきたのだ。

 

 一緒に砂漠を歩き詰めた連中に対しては多少の仲間意識くらいは芽生えていたが、そんな自分にちょっとした慈悲の心があったことに、困惑していた。


 男はため息をついた。


 しかし、そんな男の考えもあっという間に打ち消されることになった。

 兵士が戻ってきたのだ。派手な音を立てて扉を開け、半ば倒れ込むように入ってきた。ひとりで金貨の袋をいくつも担いで。

 余程重かったのだろう、息も絶え絶えの様子だ。


 男たちは大量の金貨を前にして、目の色を変えた。髭の男の言った通り、仲間たち全員が何年も遊んで暮らせる程、いや、それ以上の金貨が支払われた。

 これなら、家や家畜を持つどころか、小さな部族ひとつをまるまる買い上げることができるのではないかと思われた。


 兵士は一人の男を伴ってきていた。身なりの良い太った親父だった。彼が娘を買い取ったのだろう。

 包帯の男は金貨からそっと視線を外すと、親父を眺めた。親父の頬は緩み切っている。


 どういう目的で買ったのか、おおかた予想はつく。

 だが、仕方がない。奴隷なんだ。残念だったな小娘。行く末に希望なんてありゃしない。

 ……違うか、ちょっとでも希望を持ったのは、俺のほうだったな。


 親父は兵士と何やらやり取りをしている。なるべく紳士的に振舞っているつもりなのだろうが、その太った身体からは興奮が隠しきれていなかった。

 しきりに口ひげに唾を撫でつけている。兵士が奴隷に関する法を説明しているあいだも、一文一文言い終わる前に返事をして急かしていた。

 娘を持ち帰り、行うつもりであろう楽しみが待ちきれないのだ。


「おい、客の気が変わる前に、さっさと帰るぞ」

 髭の男が促す。二人で分けて運ぶとはいえ、金貨の袋は相当な重さだった。



 この金貨とこれの生み出す結末は、あの娘よりも重いだろう。



 包帯の男の足取りは軽かった。二人は国をあとにする。忌まわしい森の闇と、どう扱って良いかわからない慈悲の心を置いて。

 彼らは立ち去り、大楢の国へ足へ踏み入れることは二度となかった。


***

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