.33 この星空の下で
「宇宙って分かるかい? 空よりも上、ずっと上だ。そこには広くて暗い空間が広がっていて、沢山の星々が浮いている。
砂漠の砂の数ほどの星がね。きみ達の文化の程度でも、占星術や天文学に長けてる人なら知ってるかな?」
巨鳥は傾聴者を見回す。頷くルーシーンとモルティヌス。
「この国のある大地も、そういった星のひとつだと思ってくれていい。
そして、この星から遥か遠く離れたところに、別の生き物が暮らす星がある。
その星の生き物は、自分ひとりで生きる力を持たないで、他の生き物の身体を奪って生きる生物なんだ。
彼らはよその星へ送られ、そこで増えてまたよそへ行くんだ。
そして、この星にもその星の生き物が四つ。――オスとメスのつがいがふたつ――やってきた。
見た目に関しては、植物の種とか、生き物の卵を想像してくれたらいいよ」
巨鳥はわずかにためらいを見せたあと、長く息を吐き、話を続けた。
「彼ら、四つの種はこの大地に落ちたときにひとつが行方不明になってしまった。
無事だったほうのつがい。オスのほうは人間の男に寄生して、メスは一本の木に寄生したんだ。
本当は木に寄生したメスのほうも、人間が良かった。木は歩けないだろう?
ずっと同じ景色を見なければならない。でも、寄生には相性があった。仕方なかったんだ。
手ごろな人間が居なかった。だから、オスのほうはメスの為に景色のほうを変えてやることにしたんだ」
「もう、こんがらがってきた」
プニャーナが目を回す。傾聴者のうちの何人かは「オス」と「メス」が誰を指しているのかに気付いた。
「オスは木を育てながら、木の周りに人を集めて村を作った。それはやがて大きくなり、町になり、国になった。
でも、周りの景色が変わると言ってもゆっくりだし、やっぱり木と人間とじゃ、ふれあいの限界というものがある。
木は自分と相性の良い人間を欲しがったんだ。それも若い女性を。種のほうもメスだからね」
コニアが右手首をさすった。傷はいまだに塞がりきらず、赤い漏り土のようになっている。
「寄生先、器とでも呼ぼうか。器を自分の物にするにはいくつか条件があった。
まずは相性。これに関しては、生き物の体液に触れることで確かめることができた。血とか汗とか、涙でも良い。
その次に自我だ。ひとつの器にふたつ以上の自我を入れたりなんかしたら、気が狂ってしまう。だから、どちらかは消えなければならない」
「他者の身体を奪うというのか」
苦々しい声を発するルゴス。彼は自分の身体を鍛錬し、育て上げる喜びを知っていた。
「オスのほうはメスの為に寄生が可能な相手を探すための、手段を探した。
人間の文化にはちょうど良いものがあった。それは血を用いる宗教の儀式や、病人を扱うことができる医術だ。
このあたりで言うところの祭司だね。もう分かったと思うけど、オスはエススで、メスはテウタテスだ」
ルーシーンが爪を噛んだ。ぱちんと乾いた音が響く。
「エススは国を助け、発展させながらテウタテスの器を探した。
ほんとうなら木を捨てて動物にでもとりつくほうがいいんだ。
ずっと動くこともできず、同じ景色なんて耐えられないだろう?
でも、その木はもう立派に育っていて、神樹として崇められ始めていたんだ。
そのせいで、いまさら人間以外の動物になる気は起きなかった。テウタテスはずっと木のままでいた。
長いあいだ。百年以上も。長年の倦怠が彼女を狂わせたんだ。テウタテスは暴れ始めた。生き物を操る種の力を使って。
根っこを使い、大地の力をめいっぱい吸い取って干からびさせ、枝や蔓を使って国の人々を殺し始めた。
豊かだった土地は荒野や砂漠に変わり、住人たちは殆どが死んでしまった。生き延びた僅かな人たちも、すっかり変わり果てた姿になった」
タラニスは並んで話を聞くふたりの娘のほうを見た。片方は眉をひそめ、もう片方は首を傾げている。
「彼女は壊したり殺したりすることを愉しんだ」
「悪趣味ね」
コニアが吐き捨てる。
「そうかな。誰しも心のどこかにそういうものを持っていると思うよ。
これは単純な人間批判じゃない。ぼくだって同じだ。
害虫やネズミをわざわざ意地悪く殺すのにも通じる。誰かが不幸になるのを面白がったりするのにも。
テウタテスの場合は、そういう自分を見出すための時間がたっぷりあったというだけの話だよ。
想像してみなよ。自分が百年以上動けなくて、自分のために尽くす愛する人を、ただ見ているだけしかできないなんてさ」
タラニスが傾聴者たちを見回す。返事は無く、いくつかの溜め息が返ってきた。
「テウタテスの種は一旦別の苗木へ移された。苗木はナラの木だ。
そしてエススは彼女を連れて旅に出た。そこでもう一度国づくりを始めたんだ。
今度はもっと効率よく器を見つけられるように、仕組みを改良した。
器を探すための祭司会を作り、神樹を用意し、ふたつの均衡をより強固にするために王を用意した」
「おお……。それがこの国の始まり! 信じられない! やはりエスス祭司長は大人物だったのか!」
元教育長はそこで自分の口に手を当て言葉を押し込んだ。
「国づくりも簡単じゃなかったようだ。本当は外敵から身を守って、静かにやるつもりだった。
だから森に囲まれたこの土地を選んだんだ。
だけど、国づくりが上手くいって、豊かになればなるほど、頻繁に狙われることになる。
育てるよりも奪うほうが楽だ。文化程度の低い人間ほどそういう手を使う。
この星では一番知的な生き物らしいけど、やってることは動物と大差は無いね」
鳥はうっかりいつもの調子で人間をこき下ろしてしまった。
周りから冷たい視線を感じたため、すぐに話を戻した。
「……とにかく。エススは何百年も苦労して国を育ててきた。王はなん代も変わった。
あるときは王が自然崇拝に傾倒しすぎて国を棄てようとしたり、あるときはいくさのせいで王が討ち取られてしまったりした。またある時は……」
「王が外国の錬金術師に騙されて毒を飲まされた挙句、狂って死んだりね」
ルーシーンが口を挟んだ。
「……それでもエススは国と神樹をじっくり、大切に育てていった。いつかテウタテスを自分と同じ人間にしてやって、添い遂げるために」
傾聴者たちは神妙な面持ちで聞いている。彼らの顔では、いくつかの感情が入れ代わり立ち代わり主張を行っていた。
「やっとの事で器が見つかった。エススは喜んだ。だが、あまり国の塩梅が良くなかった。器の事はあとでじっくりやるとして、まずは国を持ち直させることに集中した。彼は自分で作った国で、テウタテスと暮らしたかったんだろうね」
大楢の国に住んでいた者たちは複雑な心境だった。
エススは本気で国政に取り組んでいた。誰の目から見ても、事実としても。単にそれは目的ではなく手段だったという話だ。
「でも、テウタテスはそれが気に入らなかった。彼女だってずっと待っていたんだからね。
国や器に対してやきもちを焼いたんだ。そこでエススに意地悪をするためにこっそり器に乗り移って、器と共に雲隠れをすることにした。
彼女にとってはちょっとした遊びや冒険のつもりだったんだろうね」
「その気持ち、ちょっと分かるかな」
ルーシーンが呟く。
「私も!」「ワシも……」「私はえらい迷惑なんだけど……」口々に感想が述べられる。
「そして、種を盗んだと早とちりしたエススはコニアを指名手配にしたわけだ。
それまでエススはテウタテスと口を利くことくらいはできていたんだ。
長い付き合いだったはずなのに、彼女が仕組んだことだって気づくのに時間が掛かってしまったみたいだね」
「あの人、女心はいまいち分かってなかったわね……」
溜め息を吐くルーシーン。
「ぼくは女のほうがわけの分からない生き物だと思うけど」
巨鳥が溜め息を大きくして返した。
「何? ぶつわよ?」
平手を振り上げるルーシーン。
「ほらね。そういうところだよ。きみは女心を語る前に女らしさを学んだほうが良いね」
「“三人で”ぶつわよ?」
他のふたりからも針のような視線が巨鳥へと注がれていた。
「ええ……。まあ……あとはきみ達が実際に見た通りだよ」
沈黙。焚いていた火が消えかかる。モルティヌスが薪を足した。
「ねえ、種が四つあったって、他のふたつはどうなったの?」
プニャーナが疑問を口にする。
「……ひとつは、最初に言った通り、行方不明さ。いまだにね。もしかしたら何にも寄生できずに、何百年も前に腐り落ちてしまったのかも……しれないね」
タラニスは言葉が胸でつかえて出てこなくなっていた。
急にただの鳥になったかのように。誰も促さない。だが、全員が話の続きを待っていた。
「……もうひとつ。オスのほうだ。行方不明なのがメス。オスのほうは伴侶のメスを探すために、鳥を選んで寄生した。
自我は生き物の知能の程度で変わってくる。植物ならば自我が弱くて容易に寄生できるし、小動物もそれほど難しくはない。
人間になると相性が良くても上手くいかないかもしれない。でも運が悪かったのか、相性が悪かったのか、あるいは鳥の自我が強すぎたのか……」
巨鳥は一度唾を飲み込むと頭を振った。
「寄生は不完全なものになってしまった。
そのうちに種の意識と鳥の意識が混ざり合い、どっちの意識なのか分からなくなってしまった。
記憶も混濁して、多くの事を忘れてしまった。きっと彼は馬鹿にしていたのさ。鳥なんて大したことないって。
自分よりも下等な生き物なんて簡単に乗っ取ることができるってね」
鳥は口調を強め、声量も上がっていた。
「で、けっきょく……そいつはいまだに伴侶を見つけ出すこともできず、自分さえも失ってしまった、間抜けな出来損ないなのさ!」
鳥は声を荒げた。ルーシーンが鳥の胸に触れた。
「大丈夫。あなたはあなたよ」
ルーシーンはタラニスを抱きしめる。それは彼を慰めるためではなく、彼と自分とのあいだに感じた距離感を埋めるためだった。
「……エススとテウタテスの事が済んだら、ぼく自身の事を教えてもらう約束だったんだ。
こっちの事を手伝ってもらうはずだったんだ……。ぼくは彼女の名前すらも覚えていない……」
うなだれる鳥の身体は鳥かごに収まりそうな程小さく見える。
「ごめんなさい……」
謝罪の言葉を呟くコニア。
「いや、謝らなければならないのはこっちのほうだよ。ぼくの同族が、迷惑を掛けた」
鳥は頭を下げた。
「迷惑ばかりだったとも言えないけどね……」
誰か娘の呟き。
「そうだな。ワシは随分と面白い体験をさせてもらった」
目を伏せ思い返し、頷く豪傑。
「私も、エスス祭司長には感謝していますとも。いまだに」
モルティヌスは胸を張って言った。
娘たちはそれぞれの顔を見てほほえんだ。
「そう言ってくれると、ぼくも少し気が楽になるよ」
謝意を述べる鳥。
「他に質問のある人はいるかい?」
手を上げるルーシーン。
「エスス、他にやりようは無かったのかしら。国を亡ぼす必要も、無理にコニアの身体にこだわる必要も無かったんじゃないの?」
「それは、ぼくには分からないな。優先順位の問題じゃないかな。でも、話し合ったとしても、平行線だったと思うよ。最初の国を滅ぼしたときにはもう、こうなることは決まってたんだと思う」
「そうね……」
「他には?」
ルーシーンにはもうひとつ質問があった。
集まりの前までは漠然とした不安だったそれは、彼の語りで明確なものへと変わっていた。
それをここで聞くのは少し気恥ずかしい。でも、後で独りで聞く勇気も無い。彼女は自分の決断力の無さを嘆いた。
「無いようだね。それじゃ、ぼくは戻って昼寝をするとしよう」
それが彼の答えだった。
鳥はゆっくり舞い上がるとルーシーンの部屋のほうへ戻って行った。中庭に溜まった神樹のなれの果てが巻き上げられ、一同は砂まみれになる。
「もうっ!」
身体に付いた砂を払いながら娘は笑った。
それからしばらく、ときは流れ、国は本格的な冬を迎えた。
空は湿った雪を降らせ、それは根雪になり、やがて国は雪に閉ざされる。この国に住む人々にとって、これまでにない厳しい冬になった。
だが、多くの人の努力と助力により、なんとか冬を越せるだけの蓄えを作ることができ、彼らは暖かい家の中で安全と安心に包まれた。
木材の壁と、薪で呼吸をする火。かつて神樹を崇拝した彼らから信仰は薄れつつあったが、冬は感謝の心を思い出させた。
感謝は彼らの家から、依頼心や倦怠感を追い出した。
そして幾夜もの凍った星空を繰り返したのち、太陽が帰ってきた。
暖かい日差しは雪と共に屋外に追い出されたものを残らず溶かしきった。
人々は家からでて、冬の間にいのちを繋いでくれたすべてのものと、太陽に感謝する。
感謝の表現。彼らの蓄えは底を突いていたが、かつてのやりかたを思い出し、しめやかながらも祭りを行う。
祭りは冬のあいだに決まった幾つかの祝いとも併せて催された。
そして国と人々に春が来た。
夕焼けの砂浜。太陽を背に海を眺める影がよっつ。そのうちみっつは同じ位の大きさで、ひとつは大きなものだった。
「ここに来るのも久しぶりね。ねえ、ここ、本当に貰っちゃっていいのかしら?」
娘が問いかける。
「良いわよ。いちおうはうちの領土だったし。ずっと誰も使ってないんでしょ?」
砂浜には小屋があった。冬のあいだまったく手入れがされず、自然の厳しさに晒されたそれはすっかり朽ちていた。
「直すの大変そう」
「そうね。でも面白そうじゃない? “これ”だって直せたんだし」
波打ち際には舟。修復されたそれには新しい帆が取り付けられていた。
「これを直すのも大変だったよ……」
「良いじゃないの。大変なほうが」
「そうかなあ……」
「あなたも頑張ったものね。片手だと難儀したわ」
右手を振る娘。
「右手、やっぱりだめなの?」
「そうね……。でも、慣れて来たわ。ようやく自分の事は全部ひとりでできるようになったわ」
「最初は“あーん”してもらわなきゃだめだったもんね」
「いいわね、わたしもして貰いたいわ」
「もう嫌よ、こっぱずかしい」
「私は好きだったなあ。“あーん”してあげるの。手が治ってもしてあげるよ?」
「別に手なんて使わなくても食べ物くらい食べられるわ」
「でも、スープとかは無理じゃない? あなたの好きな野菜のスープが食べられないわ」
「器を下において、こう……」
地面に這いつくばる娘。
「下品よ」
それを見て笑う娘。他の影も揺れる。
「下品。きみが言うかな」
「ケケケ」と嗤う大きな影。
「なによ。……野菜のスープといえば、この前の祭りで食べたのはおいしかったわ」
「あの料理人、もうすぐお店を開くらしいよ」
「あら、いいわね。たまに食べに行こうかしら」
「きみは色気より食い気だな」
「どうしてそんなことずけずけ言えるのかしら! わたしだって人並みに色恋に興味あるわよ!」
ちいさな影が大きな影をひっぱたいた。
「お祭りでみたお嫁さんは綺麗だったねえ。私もお嫁さんになりたいなあ」
「私は男の人と結婚するのは遠慮したいわ……」
「わたしは絶対、王子様が良いわね。白い馬に乗った、容姿端麗で優しくて、頭が良くて……」
「馬!? 王子はともかく、馬に乗ってる奴なんて絶対認めないぞ!」
「なんであんたの許可が居るのよ」
「ふん、どうせ貰い手なんて無いね」
「あら、わたし、もう求婚されてるのよね……」
「ええ!?」
驚く一同。
「ほら、あのおじさん……。前々から結構しつこかったのよ。冬のあいだは殆ど顔を見せなかったけど、これからが思いやられるわ……」
「どうするの? 彼っていちおう、王様みたいなものでしょ? 馬にも乗ってなかったわね?」
「いやよ! あんなおっさん! お父さんがいいとこよ。わたしはしばらくは国の事で手一杯。自分の事といえば、たまにこうして釣りに出かけたり、狩りに出かけるのが限界だわ」
「やっぱり食い気じゃないか」
「でも、結婚は憧れるなあ。花婿さんも格好良かったわ」
「まさかあの人が結婚するなんてね!」
「そうね。女性を追いかけるのは得意なのね」
「私たちは捕まらなかったけど!」
笑う娘たち。
「……そろそろ舟を出しましょうか」
ひとりがぽつりと言った。
「じゃ、ぼくはここで留守番しているよ。帰ったら起こしてくれ。……ふわあ。……暖かくなったら、眠くってしょうがない。魚のお土産期待してるよ」
「あなたずっと寝てるじゃない……」
「あ、見て! 一番星!」
娘のひとりが空を指さす。彼女に従い、他の影も空を見上げた。
夜空は次々に星を起こし、太陽は眠りの挨拶をした。大きな影の胸にある“めのう”がきらりと返事をする。
娘たちは力を合わせ、舟を押し出し、乗り込んだ。
暖かな日差しを忘れた海は、まだ冷たい風を吹かせている。
――大丈夫。風はやがて暖かくなるだろう。
冷たい風は実を甘くし、鳥を呼び寄せた。
鳥は種を運び、また新たな命を芽吹かせる。
――いのちは続く、いくつもの季節を越えて、互いに助け合いながら。
***
――おしまい。
***