.3 大楢の国
人が歴史らしい歴史を生む以前より、自然崇拝というものがある。
日照や雨、地震や噴火などの現象は不可思議で、ときに恐ろしく、ときにありがたい。
次第に、人々は自然そのものに「意志」を感じ、現象や自然物の中に神や精霊を見出し、名付けて信仰することへと繋がっていった。
人間の理解の範疇を超えるもの。それに「格」を与えることにより、交信を試みようとしたのである。
人々の暮らしの基盤たる農耕や狩猟において、天候というものは絶対の影響力を持つ。
日照りになれば、精霊へ雨乞いの踊りと供物を捧げ、河が溢れれば人身御供により神の怒りを鎮めようとした。
人の力の及ばない範疇。その領域に通じるものは、「祈り」だと信じられた。
やがて人々は、神へと通じるのを得手をする代理人を立て、自分たちの考えや行いすらも、伺いを立てるようになっていった。
あるところに木々や森を信仰の対象とする人々が居た。
とりあえず樹木であれば信仰の対象とされたが、特に楢の木を神聖視していた。
多くの小国や村落があり、めいめい小さな信仰の解釈の違いはあれど、どこも一様に自然を大切にしていた。
その中でも特に大きな集まりがあった。
彼らは家を築き、文化を作っていた。国である。
その国には特別に大きな楢の木が生えていた。それは小山程の大きさもあり、国の象徴になっていた。
その立派な大樹を守る為に壁が築かれ、その周りに多くの人々が住み、生活を営んでいた。
大楢のある国には“王”がある。それと信仰の長、“祭司長”があった。
人々はその二人と大楢の木に従い暮らしていた。王はよき政治を行い、祭司長は王をよく助け、よく働いた。
大楢も緑豊かに茂り、国の繁栄を示し、助けた。国民たちは幸せだった。
そんな大楢の国も、ひとつの問題を抱えていた。王に跡取りがなかったのだ。
国の者たちは、王夫妻の為に精のつく食事や薬を献上したが、一向に子が生まれる気配は無かった。
そのうちに王は王妃に原因があると考え、次々と王妃を変えていった。
そして、ある若い王妃の時に、ようやく子宝に恵まれた。だが、若い王妃は赤ん坊を産み落とすと同時に死んでしまう。
そのうえ、生まれてきた赤ん坊は女児だった。王は焦る。
この国では跡取りが女ではいけないという決まりはなかったが、そこは彼も男。
跡取りには自分を映すにふさわしい立派な男児が欲しかったのだ。
しかし、この時点ですでに彼は高齢に達しており、新たに子を成すのは難しくなっていた。
王は延命や若返りの手段を探した。祭司たちに珍しい薬を調合させたり、生贄の儀式を行ってみたり、ともかく手の限りを尽くした。
そのうちに怪我人や病人へ回るはずの薬の材料が不足し、生贄に使える罪人が足りなくなり、罪人以外からも生贄を出させ始めた。
当然、国民たちのあいだから不満が出始める。
木々の信仰者の多くは、「生まれ変わり」を信じていたので、現世の血肉にこだわった王の行動は、なおさら理解されなかった。
それまでは、彼も賢王と称えられるほど良い政治を行った男だったので、死んだとて「いつかまた王として生まれ変わるものだ」と疑うものは居なかったのだ。
祭司長も王のやりかたには反対だった。生まれた女児を跡取りにすればよい、国民あっての国だと説得した。だが王は、彼の諌言を聞き入れなかった。
このままでは、国民が反乱を起こし、国が揺るぐ事態になりかねない。王もそれは重々承知だった。
そこで一計を案じた。
奴隷の輸入を始めたのだ。それまで大楢の国では、国内の労働力だけで万事丸く収まっていたから、べつだん奴隷を必要としていなかった。
どころか、豊かなであった大楢の国は、その時代としては珍しく、人道を唱えるに至っていた。
だが国家存亡の危機である。他人の、まして他国の人間に対する気づかいなど、所詮は余裕のある人間の戯言に過ぎないのだろう。
非道なれや、よその国から人をさらう商いが流行り始めた。
国外から連れてこられた奴隷は、身体の弱い者は生贄に使われ、元気のある者は労働力として使役された。
生贄にされなかった者も、時には暴力や性欲のはけ口とされた。奴隷を得た国民は、余暇を得、不満を発散することができた。
奴隷は産業になり、新しい娯楽となった。
その代わり、奴隷となった人々の自由と尊厳はもちろん、国民の品性と勤勉さがほこりに塗れることとなったのだが。
ともかく、この計によって一時的に王への不満を逸らすことができた。
もちろん、それが跡取りの問題を解決させるわけではなかった。しかし、この国の凋落は別の形で幕引きとなった。
王、その人の死である。
最後は全く無様なものであった。
王は異国から来た錬金術師とやらの薦めるままに、歴史の皇帝よろしく、銀の水を飲んで狂い死んでしまったのだ。
あとに残されたのは、まだ幼い娘と奴隷制であった。
王の死後すぐに、娘が新たな王となった。
彼女は、物心つくかつかぬかの歳であったので、実質的な政治の権限は祭司長に委ねられた。
奴隷制も本来なら撤回すべきだったのだろうが、祭司長ひとりでの国政は生易しいものではなく、以前との落差からの不満が予想された。
その対策として、奴隷制は多少の規制をしつつも残されることとなったのだ。人数の制限を行い、売買には国の許可が必要になった。
これはかなり厳しく行われ、取引に使われる代金も高騰していった。
新たな奴隷は財産であり宝石となった。
多くの奴隷が解放されたために、裕福ではない雇い主たちはやむなく元の労働へと帰った。そうして国は、何とか持ち直し始める。
そして、王の死から十年の歳月が流れ、大楢の国に、ひとりの奴隷が連れられてきた。
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