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.24 友達と友達

 巨鳥は狭苦しい部屋に押し込まれ辟易していた。

 なーるほどねー! 鳥かごに押し込められる小鳥はこんな気分なのか!

 彼は産まれて初めて小鳥を憐れんだ。

 さらには、はねっかえり娘に騙され、翻弄され、ついには床に敷かれた獣の毛皮にでもなりたい気分になっていた。……ぼくも哀れだ!


 ルーシーンの部屋には机に向かう部屋のあるじと、大人しく翼と脚を畳んだ巨鳥、そして今だ目を覚まさない、さらってきた娘(・・・・・・・)


「なんてこった、なんてこった」

 ぶつぶつと呟く鳥。


「いつまでもぐちぐちうるさいわね。やったものは仕方ないでしょ!」

「ぼくはやらされただけだよ! これからどうしたらいいんだ!」

「あまり大きな声で話すと人が来るわ」

「まさか鳥が喋るとは思わないさ!」

「それもそうだけど。あたしの部屋に他に誰か居るって知られたら良くないわ」


「それは心配してないよ。誰もきみの事なんて気にしちゃいないだろ。みんな見物に忙しいさ!」

 鳥の言うことはもっともだった。

 王以外の立ち入りを禁止にされていたはずの“物見の塔”は、今や怪鳥を一目見ようと集まったやじ馬たちでごった返している。

 そちらに注目が集まり、王の事を気にするものなんてひとりも居なかった。


 百の目の監視下では巨鳥は出かけることもままならない。

 今、この部屋のテラスから飛び出せば、彼女は面倒なことになるだろう。

 巨鳥は仕事を任された以上、エススに対して負い目を作りたくはなかった。

 つまりは太陽が沈むまでは、“人間にとっては広い部屋”で息を潜めていなければならないわけだ。

 それに問題はまだある。どちらかといえばとこちらのほうがまずい。


 彼女(・・)は翼など持っていないのだから。王の寝床に横たえられた、銀髪小麦肌の少女。



 巨鳥が部屋に閉じ込められ、娘がここへ連れられることとなった経緯はこうだ。



 ルーシーンとタラニスは早朝から散歩に出かけていた。

 今日においては、国政や勉強についての堅苦しい事は打ちやって、気分転換をすると決めていた。


 秋風少なく日差しも柔らかな気持ちの良い朝。

 巨鳥も昨晩は空腹にさいなまれなかったために目覚めが良く、詩的な空気を素直に受け入れることができた。


 ふたりは国を囲む大森林を悠々と飛行していた。空から眺める森は毛の深い緑の絨毯で、街道や点在する広場や集落が独自の模様を織りなしている。


 ところが、芸術品には不相応な一点の染みが見つかった。


「なんだか、風が焦げ臭いな」

 鼻を鳴らす巨鳥。

「ねえみて、あそこ。火事でもあったのかしら?」

 娘の指す先には森に穴を開けた広場があった。

 それはおそらく村か何かだったのだろうが、ほとんどが焼け落ちて炭の残骸ばかりとなっていた。


「火はもう消えてるね」

 大鷲の目からは村の惨状がよく見て取れた。

 焼け残った煤濡れの石壁、井戸の残骸、それに縮みひん曲がった黒い住人達。彼らは村の規模には不相応な人数に見えた。

 普段なら鳥はそれを見て嗤うか、もっとよく見てやろうと降り立つところだが、彼のうら若い友人のためにはばかられた。

 その為、現場検証も高度を保ったままの旋回から行われた。


「誰も居ないのかしら」

 背中の娘が身を乗り出す。

 人間の目には“黒いもの”はどれも同じに見えるらしい。巨鳥は安堵した。


「みんな、逃げられたのかしら。すっかり焼けてしまってるわ」

「村だけ綺麗に焼けているね。森は無事だ」

 数日前に降った雨が木々に潤いを与え、防火壁の役割を果たしていたのだろう。

 それが村の周囲を少し焦がすに押し留めていた。これが乾いた冬に起こっていれば、いまだ焔は森を舐めている最中だったろう。


「……見て。誰か居るわ! 生き残りだわ!」

 声を張り上げる娘。


「見たところ元気そうだ」

 生存者は動き回っている様子だった。


「助けなきゃ」

「火事はもうおさまってるよ」

「火は消えてても、家がみんな焼けてしまってるじゃない! あの人はこれからどうやって生活するの?」

「さあね。本人の勝手だろう」

「冷たいわね。ほら、降りて。あの人を助けるわよ」


「だめだよ。きみは王者だろ。ひとりだけ贔屓するなんて良くないよ」

 巨鳥はそれらしいことを言った。単に面倒なだけだったが。


「今日はそういうの抜きって決めたでしょ。あたしはエポーナ王じゃないの。ルーシーンよ!」

 ふたりのあいだでは娘の言いぶんが勝っていたが、それでも巨鳥は渋った。


「……だめだ。あの子を連れ帰ると面倒なことになる」


「あの子? 子供? 子供なの? だったらなおさら助けなきゃ!」

 いきり立つ娘。


 巨鳥には生存者の姿かたちがはっきりと見て取れた。

 日光で煌めく短髪の癖っ毛、小麦色の肌、愛嬌はあるがどこか物憂げな表情、煤けた足はきっと裸足だろう。


「ルーシーン。きみが教えてくれた御触れの話を覚えているかい?」

 鳥はふらふら焼け跡を彷徨う娘を眺めて言った。


「砂漠の若い娘の話? あの子がそうなの? 言われてみれば頭が白く見えるわ」

「お尋ね者かもしれないぜ」

 焼けた村を彷徨うには似つかわしくない。彼女は元気そうだ。


「そうじゃないかもしれないわ。それに、あたしエススが探してる子に会ったことがあるけど、酷い悪さをするような子には見えなかった。きっと誤解なのよ。誤解は解く必要があるわ。あたしが口添えすれば、ばっちりよ」

 自信満々なルーシーン。


「ばっちりなわけないだろ。さ、見なかったことにしよう」

 鳥は旋回を止め、焼け跡を娘の視界から押しやった。娘は反論しなかった。


 しばらくふたりのあいだを翼が風を切る音だけが支配した。


「おい、気を悪くするなって。仕方ないだろう?」


 鳥は居た堪れなくなり、沈黙に割り込んだ。返事はない。


「無視することないだろう」

 せっかく、気晴らしと割り切って出かけたのに。巨鳥は村の不幸を恨んだ。


「違うの……。あたし……」

 声を震わす娘。

 全く面倒だとタラニスは思った。

 人間というのは。とりわけ女の子供は。泣けばいいと思っている!


「……ちゃう……」

 声は風に裂かれて聞き取れない。


「なんだって?」

「もれちゃう」

「は!?」

「おしっこ漏れちゃう!」

「なんだよ! 早く言えよ! どこかに降ろしてやるから、我慢しろよ!」

 巨鳥は慌てた。毎日、手間暇かけて繕っている自慢の羽を汚されるわけにはいかない。


「だめ!」

 鳥の降下に抵抗する娘。


「だめって! 降りなきゃどうしようもないだろ! どうしろってんだ!」

「さっきの村に戻って!」

「ええ!?」

「あの村に戻ってあの子を助けないと漏れちゃう!」

「こいつ!」

「あたしは本気よ! さあ、早く!」

「馬鹿言うなよ! そんな手に乗るか!」


「ああっ!」

 震える娘。

「ああっ!?」

 怯える鳥。


「まだ大丈夫だった。……あっ! 大きいほうも来た! あ~来たわ~来た来た!」

「下品な奴だな!」

 娘の急用が嘘であることは分かっていた。

 空において鳥であるタラニスと、人間であるルーシーンの力関係は絶対的なものだった。しかしそれは今、逆転していた。


「ふぬ~~~~~!」

 鼻息荒くいきむ娘。

「おい! それは漏れるとは言わないだろ!」

「助けるの? 助けないの? あとで一緒に水浴びする?」

「くそったれ! やればいいんだろ! やれば!」

「まだ、たれてないわよ」


「ええい! 口を閉じてな!」

 鳥は反転し急降下、村に向かって滑空を始めた。

 鳥の腹は絨毯すれすれを滑り、木々を揺らした。村へと詰める一瞬のあいだに狙いを定め、一発で獲物を拾いあげる。

 おしゃべりを止めていなければ娘の舌は森で行方不明になっていただろう。


「危ないわね! ほんとにちびるところだったわよ!」

「さっさと帰るよ。人をひっ捕まえてるところを見られると、矢が飛んでくる」

 鳥は娘の抗議を無視し、城のほうへと舵を取った。


「ねえ……爪で掴んだの? それ、大丈夫?」

「手加減はしてる。大丈夫……だと思う」

 巨鳥の脚は馬いじめで培った力加減よりも優しい具合で獲物を包んでいた。なので大丈夫、だろう。

 さて、助け出したは良いものの二人ぶんの荷物、それも背中と脚の両方ともなると彼にも初めての体験だった。

 上昇も滑空もままならない。力が足りないのではない。力めば下の人間を握りつぶしてしまうだろうし、そっちに気をやれば今度は背中への気遣いが疎かになる。


 ルーシーンの仕掛けた罠は未だ効力を持っていた。万が一と言うこともある。揺らし過ぎて全員そろってずぶぬれになるわけにもいくまい。

 伝説の巨鳥は、それに似合わぬつたない羽ばたきのみで物見の塔へと辿り着かなければならなかった。


 人々の活発な白昼に、城下町上空をのろのろやれば結果は明白。

 怪鳥は多くの目撃者を作ることとなった。

 そして、彼が降り立つはずの塔の頂上はそうそうに占拠され、やむなく塔からの死角になっている王の部屋の縁側へと降り立つこととなる。

 塔が「王以外立ち入り禁止」ではなく「祭司長と王以外立ち入り禁止」であればこうはならなかったのかもしれないが。



 そんなわけで、ルーシーンの部屋は前代未聞の状況となっていたのだった。



「彼女、まだ目を覚まさない?」

 問題の元凶は帰って娘を寝かすなり、机に向かったままだった。何やら手作業を行っている。

「うん。眠ってるよ」

「死んでたりしないわよね? あなたのその爪せいでお腹を潰してしまっていたり?」

「大丈夫だよ。息はしてる。腹が潰れてるなら目に見えて苦しそうになるさ。おおかた、目を回したってところだろ」

 鳥はぶっきらぼうに言い放った。彼に選択の余地はなかった。

 はねっかえり娘と自分の両方の尊厳を守るためには。村に降り立って「黒い住人」を目にしていたら、それこそルーシーンは漏らしかねなかっただろう。


「目を覚ましたら友達になってもらおうっと」

「勝手にすれば」

「なに、妬いてるの?」

 手を止め、鳥に歯を見せる娘。

「馬鹿言うなよ。それで、この子はエススの探してる娘なのかい?」


 じつはタラニスは、この娘がエススの探し人だった場合は引き渡してしまうつもりでいた。

 今度の騒ぎが露見すればエススへ負い目を作ることになる。その位なら恩を売ったほうが百倍ましというものだった。

 それが小さな友情の決裂に繋がると分かっていたとしても。


「違うわ。髪も顔も。最初に見たとき、髪が短いから男の子かと思ったわ」

「奴隷だったら、どちらでも髪は伸ばしっぱなしだと思うけど。それに、どうやったって男に見間違うもんか。きみより女性らしいものを持ってるじゃないか」

 鳥は「ケケケ」と嗤った。


「ぶつわよ」

 洗濯板は腕を振り上げた。


 ……すっかり板についたふたりのやり取りが娘の目を覚まさせた。


「起きたわ! ねえ、あなた。大丈夫?」

 娘の枕元に飛びつくルーシーン。

「頭が……。くらくらする」

「さて、ぼくはどうしたらいいかな……」

 鳥は部屋の隅っこで巨体を小さくした。


 娘は上体を起こし、夢見心地であたりを見回す。

 彼女は肌に何かがくっ付いているかのように腕をさすった。


「あなたは、だあれ?」

 覗き込むサファイアの瞳に尋ねる。


「あたしはルーシーン。ルーシーン・エポーナ! この国の王様よ!」

 金髪の彼女は胸に手を当て、決め台詞を披露した。


「おうさま? お姫様じゃなくて?」

 娘の問いかけに、部屋の隅の置物が笑いを漏す。


「おっきな鳥……?」

 娘の視線は笑い声のぬしに向けられた。ルーシーンは彼女の口をふさぐため身構えた。


「もうちょっと寝るね……」

 再び横になる娘。


「ちょっと! これは夢じゃないのよ!」

 娘の肩を揺らすルーシーン。


「夢だよ。お姫様と大きな鳥だなんて……。だって私はコニアと……」


 娘は唐突に起き上がった。癖っ毛がルーシーンの鼻をかすめる。


「そうだ、コニア! コニアはどこ!?」

 ルーシーンに掴みかかる娘。

「コニア? あなた、あの子の知り合いなの?」

「私はコニアのお友達よ。あなたもコニアの知り合いなの?」


「あ、あたしもコニアの友達よ!」

 ……なり損ねていたが。


「ねえ、私、どうしてここに? コニアはどこ? あの子を独りにしておけないよ」

 まくしたてる娘。


「きみの他には人影はなかったけどな。彼女も一緒だったのかい?」

 鳥が訊ねる。


「一緒だった。ちょっと休むって言って……おっきな鳥!」

「今更だな!」

 銀髪の娘は寝床から出ると、話しかけていたことも忘れて鳥に近づいて行った。

 巨大な猛禽類は危険な捕食者であるはずなのだが。


「またか。ぼくって威厳無いのかな……」

 馬の巨体を弄び、財宝を守る怪鳥として伝説に君臨した彼。どうやら娘たちにとってはただの「大きな鳥さん」だったようだ。


「落ち込まないの」

 鳥を励ますルーシーン。


「ねえ、あなたが私をここまで運んで来たの?」

 プニャーナの黒い瞳が鳥の顔をまっすぐ見据えた。


「ボクハアノヒトニ、メイレイサレタダケデス」

 タラニスは叱られた犬のように顔を床に伏せた。


「ちょっと! ずるいわよ! あたしはあの村の生き残りだと思って! 助けようと思って!」

 村。焼け落ちた村。プニャーナの表情が翳る。


「ね、ねえ。あなた。何て名前なの?」

 ルーシーンが訊ねる。


「あ、私? 私はプニャーナよ」

「ね、プニャーナ。あなたコニアの友達なんでしょう? 私とも友達にならない?」


「いいよ」

 彼女にとってはなんてことも無い要望だろう。


「でも、私帰らなきゃ。きっとコニアが探してる」

 ルーシーンとタラニスは顔を見合わせた。



 ふたりはプニャーナに二つの謝罪をした。

 ひとつは間違って連れ去ったことを、もうひとつは彼女をコニアの元に送り届けるどころか、ここから出ることすら難しい状況であることを。

 「日が沈んでからならなんとかなるか」と巨鳥は渋い顔をしたが、プニャーナは何かを思い出したのか、「大丈夫」と言い張った。


「私が飛び上がったあと、コニアがこっちを見た気がするの。あの子はきっと、私を探してここに来るわ」


 これにはルーシーンが面食らった。

 コニアはお尋ね者なのだ。慌ててそれもプニャーナに伝えた。それを聞き、困り果てる新しい友人。

 ルーシーンは巨鳥のほうを見たが、彼はそっぽを向いてしまった。


 ともかく、日が高いうちは手の打ちようがなかった。

 できることと言えば、ルーシーンの部屋にこれ以上面倒ごとが舞い込まないように祈るくらいだ。


 置かれた状況としては、声をあげておしゃべりというわけにもいかないはずだが、若い娘を二人揃えてしまえばそれも無理な相談というもの。

 ふたりはお互いの事を訊ねあった。ルーシーンは砂漠の民の生活を。プニャーナはお城での素敵な暮らしを。


 ふたりの関心はまずは食べることに集中した。

 ルーシーンは自分で獲ったものをそのまま食べる野性的な狩猟生活に憧れ、プニャーナは祭りで出されるというごちそうの話に涎を垂らした。


 話題は食事だけに尽きず、お互いの役割や仕事にも及んだ。

 そのうちに、「お互いに自分の望む仕事が果たせていない」という共通点に気付く。これによって娘たちは意気投合した。

 ところでタラニスはというと、娘たちが姦しくなるたびに外に聞こえやしないかと肝を冷やしたり、自分だけとっさに置物に戻る練習を繰り返したりしていた。

 本当は彼女たちには静かにしてもらいたかったのだが、若い娘の本来あるべき姿はこれなのだろうと観念せざるをえなかった。


 話すことが無くなるとルーシーンは再び机に戻り、タラニスは置物を務め、プニャーナは置物の毛づくろいを始めた。

 各々の仕事に着いてはいたものの、娘の声の途絶えた部屋の中の空気は鉛のようだ。

 彼女たちの抱えているものは仕事だけではない。それぞれに果たすべき使命と心配がある。


 それとは別にタラニスは焦れていた。

 感覚の鋭い鳥には、机に向かいこまごまとした手仕事をしているルーシーンが気になって仕方が無いようだった。


「ルーシーン、きみはさっきから何をしているんだい」

 鳥の何度目かの問いかけ。

「だから、秘密よ。黙っててよ。今集中してるんだから」


「なんだよ。その言い草。客人を放って置いてまでやることなのかよ」

 鳥は悪態をついたが返事はなかった。



 プニャーナは、ルーシーンに部屋を見て回っても良いかと尋ねた。

 許可を得た彼女は、本棚の本をぱらぱらめくって首を傾げたり、王の衣装に感嘆の声をあげたりした。

 ルーシーンはときおり彼女に説明をしてやったが、ほとんどは机の上の手仕事に没頭していた。


 プニャーナはテラスに出ようとしたが、それは鳥に止められてしまった。

 仕方なく、小さい窓から外を眺める。外には街並みがあった。

 娘の頭の中で線が繋がった。ここは確かに大楢の国のお城で、あの街はかつて私が住んでいた街なのだと。


 疲労と眠気と暴力に耐えた日々。プニャーナは老婆の家で使われていたときの事を思い起こしていた。

 一日中働きっぱなしで、ぶたれっぱなしの日々。

 良い事と言えば、故郷よりはましな食べ物。それと今も身に付けている服。これの作りかたを覚えたことくらいだ。


 故郷の暮らしから役立たずの烙印を押され続けてきた彼女が、生まれて初めて褒められた思い出。

 実際のところ、褒められたのは初めてではなかったかもしれないが、彼女の栄光は奪われるか、自らの手によって否定され続けてきたのだ。


 唯一それがなされなかった、大切な宝物。


 先程まで楽しいおしゃべりに興じていたプニャーナではあったが、やはり胸の中にはコニアの事が置きっぱなしになっていた。

 友人に会いに行きたい。そして、ここに来させてはならない。


 考えれば考える程に太陽の傾きはゆっくりになった。早く。早く。斜陽は街と共に娘の心も染めていく。


 部屋が暗くなるにつれて、ルーシーンの手仕事もしくじりが増え始めた。

 さっさと明かりを灯せばよいだけの話なのだが、没頭からの惰性、失敗への意地がそれを妨げていた。


「もうっ!」

 幾度目かのしくじり。机を叩くルーシーン。彼女はとうとう根負けし、ロウソクに火を灯した。

「まだやってるのかよ」

 鳥にもいらつきが伝染した。


「うるさいわね。もう少しなのよ」

「なにをやっているの?」

 プニャーナはルーシーンの手元を覗き込んだ。


「内緒」

 机の上に覆いかぶさり隠す。


「終わったら見せてね」

「ええ、いいわよ」

「なんだよ。やけに扱いが違うじゃないか」

「みっともないわよ」


「何がだよ。大体、誰のせいだと思ってるんだ」

 巨鳥は我慢の限界だった。屋上ですら羽を伸ばすことぐらいは自由にできていた。筋肉のむず痒さは態度と言葉に変換してやり過ごすしかなかった。


「あたしだって悪気があったわけじゃないわ。あんただって協力したくせに」

「ほとんど脅しだったじゃないか!」

「あんたが素直に従わないのが悪いのよ」

「なんだよそれ! そんなこと言うなら、今後一切手助けは無しだからな!」

 鳥は顔を上げて喚いた。壁が震える。


「いいわよ! あんたなんか居なくったって、何も変わりはしないわ。この国も、あたしも、エススだってね!」

 そういうとルーシーンは立ち上がり、早足で扉へと向かった。扉に手を掛け振り返る。


「机の上、覗いちゃだめだからね。部屋からも出ない事。破ったら絶交だから」

 鳥の眉間を指さす。

「破ったら絶交? 結構! 今すぐでも構わないぜ!」

「だったらこの部屋から出ていくことね! 国中の人間に追い回されると良いわ!」

「ぼくはよそへ逃げればいいだけの話さ。きみのほうこそ、このままだと自分の国の人間に追われて殺されることになるだろうさ!」


「や、やめなよ……」

 おろおろとふたりのあいだを彷徨うプニャーナ。


「殺されたっても構わないわ。あんたみたいな“くそ鳥”には、あたしの事はわからないのよ」

「どっちがくそだよ。その言葉づかいこそくそじゃないか」

「あーら、ごめんあそばせ! 馬を縊り殺すような野蛮ないなかものに合わせて差し上げただけのことよ!」


「合わせてやってたのはこっちのほうだろ! ほんの気まぐれさ! 人間なんて! “友達ごっこ”はおしまいだ! なんなら、今からおまえを馬のようにしてやっても構わないんだぜ!」

 巨鳥は嘴を開き、足を持ち上げ鋭い爪を光らせた。かつて自分の宝を狙ってきた愚かな人間にしたように。

 爪はルーシーンから離れたところにあったが、別の凶器は確実に彼女の胸を抉った。

 娘は奥歯に力を込めるとひと震えし、部屋を勢いよく飛び出して行ってしまった。


 プニャーナは何も言わず、開けっ放しの扉を閉めた。鳥は出て行こうとはせず、再び顔を伏せた。



 城や街は闇で覆われた。あちらこちらで火が灯され始める。ルーシーンはまだ戻って来ない。


「ああいうの、良くないよ……」

 呟くプニャーナ。鳥は返事をせず、顔を伏せたままだった。その大きな身体は規則正しく上下している。静かだった。

 プニャーナはそっとテラスまで向かった。


「……行くのかい?」


「起きてたのね。私、行くわ。コニアに会わなきゃ」

「きみにとって、よほど大切な人なんだね」

「うん」


「御触れの手配はコニアひとりに掛けられているものじゃない。

 似た背格好のものはみんな捕まえられてしまう。きみもだろう。

 それでなくとも、きみのような姿の人間はこのあたりではみんな奴隷だ。

 夜に移動しているのを見られれば、逃亡奴隷だと思われる」


「うん」


「かといって、ひとりで夜の森を突破するのは無理だろう。きみの友人がどこをどう通ってこっちに来るかも分からない。はっきり言って、きみたちが会える可能性は無いと思う」


「うん」


「さらった手前、こういうのもなんだけど、きみは優しい良い子だ。

 ぼくもむざむざ死なせるような真似はしたくないんだけど……。

 ぼくはぼくで事情があって、ここから出ることはできない。

 そしてぼくは、きみの友人には会わないほうが良いとも思う。だから、手を貸してやることもできない」


「うん」


「それでもきみは、行くんだね」


「うん。ありがとう、鳥さん」


「鳥さん、じゃないよ。タラニスだ」


「ありがとう、タラニス」

 プニャーナは鳥の首を抱き、礼を言って外へと出た。


 タラニスは自分の中の変化に驚いていた。少し前までは、人間を毛嫌いし、肩入れすることなどは決してなかった。

 それが今はどうだ、ひとりの小娘と対等に言い合いをし、別の娘の身を案じている。

 だがその一方で、その娘たちの友人をエススに差し出す計らいを練ることもできた。

 彼にはそこまでしてエススから手に入れなければならないものがある。この如何ともしがたいせめぎ合いは、鳥を酷く苦しめた。


 日の沈んだ今ならば、出て行ってしまう事も簡単だった。

 だが狭い部屋で置物の真似をするという行為は、彼の心に刺さった苦痛に耐えるのにはかえって都合が良かった。

 別に喧嘩別れしたままの友人が気になっていたわけではない。……「ルーシーンが出てってから随分と時間が経つな」と思うだけだ。



「あのう……」

 プニャーナがテラスから戻って来た。ここは三階だった。



 けっきょく、タラニスは周りに誰も居ないことを確認して、プニャーナを下へと降ろしてやった。


「それじゃあ、ぼくはここでお別れだ。できればきみがちゃんと森を抜けられるか、見届けてやりたいんだけど」


「ううん。良いの、タラニス。あなたはルーシーンの部屋で待っていてあげて。あの子、あなたが居なくなったらきっと、寂しがるわ」

「ふん、あんな奴」

 鼻を鳴らす巨鳥を見て娘は溜め息を吐いた。


「良くないよ、そういうの」

 繰り返す娘。


 プニャーナは少し悩むそぶりを見せたのち、鳥に「秘密」を教えた。


「さっき机を覗いたときに見えちゃったんだけど、たぶんあの子、あなたに何か作ってたのよ」

「あいつが……?」


「だから、仲直りして」

 巨鳥はルーシーンが机の上でがちゃがちゃやっていたことは知っていたが、彼女が何をしていたのかは分からなかった。

 今となってはいらつきの切っ掛けだったそのことをすっかり忘れていた。


「ねえ、これ、貰っていい?」

 プニャーナは足元に落ちていた大きな羽根を拾い上げた。


「それは……ぼくの羽根だね。降りたときにすっぽ抜けちゃったかな。ここにあると勘繰られるかもしれないし、持ってってくれたほうが都合が良いよ」


「ありがと。これはお友達の証として、貰っておくね」

 プニャーナは羽根を懐に入れた。


「それじゃあ、お別れだ」

「うん、じゃあね!」

 プニャーナは鳥に向かって片目を閉じて歯を見せ、手を振った。


 娘が森のいっそう深い闇に消えるのを見届けてから、巨鳥は部屋へと戻った。


 タラニスは部屋に戻ったが、ルーシーンはまだ戻っていなかった。

 彼はプニャーナの言ったことを思い出して、机をそっと覗き込んだ。

 机の上には昨日にルーシーンがねぐらで見つけた「めのうの原石」が置いてあった。

 それの横には娘がつけるには不釣り合いな長い紐。硬いはずの石には穴を開けようとした跡がある。


 鳥は溜め息を吐いた。今晩はずっとここで置物でいなければならないらしい。たとえ彼女が戻らないとしても。


 扉の外で何かが動く気配がした。鳥はそっと定位置に戻ると、耳を澄ませた。

 廊下で何者かが、息を潜めている。タラニスと同じく、耳を澄ませて様子を伺っているのだ。


「ルーシーン、入ってきなよ」

 観察者が自分から入ってくるまで待っても良かった。

 でもここで呼び止めておかないと、どこかへ消えてしまうような。

 或いは初めからそこには誰も居なくて……。鳥はそれを否定したいがために声をかけた。


 扉が僅かに音を立てた。きっとくっつけていた耳を離したせいだ。

 だが、扉はそのあとに続くべき音を立てない。


 タラニスははっとした。ひょっとしてルーシーンではなくて、別の誰かで、つまり自分は大きな失敗を犯してしまったのではないか。


 焦りの不安は緊張の不安へと色を変える。机の蝋燭の火が揺らめき、部屋にあった影全てが身をくねらせた。


「ルーシーン?」

 一度声を出してしまえば、二度目も同じことだ。違った場合の事なんて、どうでもいいだろう?


 ようやく扉は正しい音を鳴らした。娘が入ってくる。

 腕には食事の配膳に使われる盆が抱えられている。それには不相応な量の食べ物が乗っていた。

 彼女の細腕には荷が勝ちすぎるのか、それは小刻みに震えて音を鳴らしていた。娘は足で扉を押して閉じた。


「……あの子は、行ってしまったのね」

「……ああ」


 また沈黙。照らされたルーシーンは絵のように動かない。



 ふたりは思った。自分たちの間にはいくつもの沈黙があったが、いつも違った色や音をしていたと。



「なあ」「ねえ」ふたり同時に呼び合う。



「ごめんよ。言い過ぎた、悪かったよ」「あたしも。ごめんなさい」



 またの短い沈黙の後、ルーシーンは鳥の前まで行くと、盆を床に置いて座り込んだ。


「足りないのは分かってるんだけど、食べ物を持って来たわ」

 盆の上にはふたりぶんのパンと少ない量のシチューと野菜の盛り合わせが二つに分けて器に入れられていた。

 それと、娘が食べるには多すぎる量の干し肉と少しのくず肉。


「料理長を脅したんだけどね。これだけしかもらえなかった。ケチね。浮気をばらしてやるしかないわね」

 娘は軽口を利き、鳥は笑った。いつものやり取りなのに、ふたりは寝起きの身体のようにぎこちなかった。


「プニャーナのぶんも用意したんだけどな」

「彼女にはすべきことがあったんだ。仕方ないよ」

「そうね。上手くやってくれるといいわ。できればまた会いたい……」

「大丈夫。上手くやってるさ」


 ふたりはようやく目を合わせた。



 ……。



 ところで森へと入り込んだプニャーナだが、すっかり迷ってしまっていた。

 暗い森の中を右往左往。道は無いし、草は邪魔をするし、風の音や生き物の気配はおっかないしでほとんど泣き出しそうだった。

 かつて“根の穴”から走り出したときは、新しい仲間も居た上に、失うものなどいのちのほかに無かったものだから、から元気と勢いで何とかなっていたのであった。


 森は当時と同じく、冷たい空気で彼女を歓迎していた。変わったのは彼女のほうだった。

 森を進むも、深くは分け入ることはできず、人の生活の伺える距離を移動していた。


 それでも凍てつく恐怖に根負けして、夜の更ける頃には火のあるほうへと向かって行ってしまった。


 月でも出ていれば慰みにもなったろうが、星の母はあいにくのお留守だ。

 火が近づくにつれて、建物が大きくなり、草の生えない道が現れ、人が忘れたゴミやなんかが現れ始めた。


 それにつれて彼女の心にも楽天的な考えが蘇って来た。

 なあに、日が沈んで暗いのだから、私の顔なんて分かりはしない。髪だって、肌の色だって、みんな同じに見えるさ。だいじょーぶ、だいじょーぶ。


 さて、深夜であるものの、まぬけ以外には想像に難くない事だが、さっそく彼女は人目に付くこととなった。


 しかも娘は人恋しさに負けて、わざと近くを通ろうとしたのだ。

 一回だけ、一回だけすれ違おう。そうして、孤独の渇きを騙したら、さっさと街を駆け抜けてしまおう。などと。


 この時期、この時間に出歩く者と言えば、プニャーナと同じく忍ばなければならない泥棒か、真面目な警邏の兵士か(今のこの国にはありえないことだが)、さもなくば情事の為の逢引きといった所なのだが、予想外の事態が重なるというのは良くあることである。


「なあ、シズ。誰か歩いてくるよ?」

 身なりの良い夫婦だった。先導する太った男は松明を掲げている。

「若い娘? ちょっとあなた、照らしてちょうだいな」

 小声で夫人が指示をする。


 男性は、すれ違おうとする娘を照らすように腕をちょっと動かしてやった。

 暗闇の中、彼女の銀の髪と、小麦の肌が浮かび上がる。


「お前は……!」

 男性が大声を上げる。プニャーナの足は意思と反して固まってしまった。


「ええと、あの子の名前はなんて言ったっけ……?」

 男性が夫人に訊ねる。


「あなたは馬鹿ですか? 祭司会のかたから教えてもらったでしょう。コニアですよ、コニア」

 夫人はプニャーナにずいと顔を近づける。野菜に傷や虫食いが無いか調べるような、真剣な目つき。


「……もう、違うじゃないの。あなた、あの子をえらく気に入っていた癖に。顔も名前も憶えていないんだから」

「だってあの子、口も利かなかったし……私の顔だってろくに見てくれんかったし……。異国の子はみんな同じに見えるんだもの……」

 しょげる男性。

「はぁ……。あんなことをしようとすれば当然です。だいたい、髪はこんな癖っ毛でないし、顔立ちだってもっと険がありました。この娘の顔はお馬鹿そのものでしょう?」

「それもそうだ。それにこの子は、あの子に比べて随分と胸も大きいし」

 男性は言い終える前に自分で自分の口をふさいだが、あとの祭りだった。


 プニャーナの眼前で、暴力が振るわれた。

 世の習わしとは違う、女から男への一撃。彼女はそういったものを初めて見た。


 娘の知ってる世界では、暴力はつねに立場が強いものから弱い者へと振るわれるものだった。

 まあ、良くて立場が対等な者同士のものだったが、彼女の知るそれは小さな子供同士の事である。


 男性に呼び止められたときは、温められた心が再び凍り付いてしまったが、この女性の平手打ちが娘の氷を打ち砕いていた。


「ごめんなさいね、お嬢さん。うちのが大変失礼しました」

 夫人が手を払いながら言う。


「い、いえ。格好良かったです」


「ははは、私のもなかなか立派だろう……」

 腫れあがった両の頬を擦るご主人。再び、夫人に睨まれるが、彼は首を必死に横に振った。


「さ、行きますよ。早く戻らないと、また盗人がうちの“残り少ない財産”を狙って忍び込んできますからね」

「え、この子は放って置くのかい? 御触れ通りなら金貨十枚だろう?」


「あなた、聞いておりませんの? 偽者を仕立て上げたまぬけの話を。

 彼らはみんな火炙りになるそうですわ。それに、コニアでないならわたくしも無闇にそういう事はしたくありません。

 こんな時間に街をうろついているなんて、事情があるに決まっています」


「逃亡奴隷を突き出してもお金が貰えるんじゃなかったかな……」

「だとしたらなんですか! こんな娘が逃げ出すようなところ、ろくでもないところに決まっていますよ。あなたみたいなのが主人に決まってます!」

「そんな、酷いよシズぅ……」

 泣き言を言う旦那を置いて歩き始める夫人。

 プニャーナの前を通り過ぎるその顔は凛として、いつか見た砂漠の花へ抱いた憧れのようなものを思い出させた。


 ふと頭に手をやる。友人が髪に差してくれた赤い花が無くなっていることに気付く。


 コニアの器用で率先した行動力も彼女の憧れだった。

 彼女は自分を認めてくれる。そんな彼女と一緒に居ると、自分を支配する無能感が薄らいでいく気すらしたのだった。



「コニア……」



 結果として、プニャーナは城の牢獄で夜を明かすこととなる。

 友人を憂う、愛情に満ちた呟きを見逃さなかったのはご主人のほうだった。

 夫人も無闇に他人の事情に立ち入る主義ではなかったが、己の家に泥を塗った犯人を見つける手掛かりとなるのなら話は全く別だった。


 しかも、その娘はケチないたずら娘などではない。

 “神樹”を枯らしたとされる大罪人である。そんな大層な人物を我が家から輩出したという事実は夫人の心に汚物を塗りたくっていた。


 夫人は汚名を雪ぐために燃え上がり、あっという間にプニャーナを捕らえ、縛り上げ、家の心配など捨て置いて、城へと娘を引きずって行った。

 受付の夜勤の兵士は適当にあしらうつもりだったが、夫人の熱気の凄まじさに丸焦げにされ、言われるがまま娘を牢へと放り込んだ。


 そして夫人は「あの娘が手掛かりを握っていることを必ず祭司長に伝えるように」と念押しをしてから立ち去った。

 あまりの勢いに、真偽の精査も金貨の用意も何もなされなかった。


 そういうわけでプニャーナは正真正銘、捕らわれの身となったのであった。


***

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