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.22 森の明かり

 コニアとプニャーナは、森へと逃げ込んでいた。


 “外”との境界を越えることも、人を飲み込む木の群れも、明確な殺意を以って行われた追撃から生還した彼女たちにとっては優しいものに見えたのだ。


 娘たちは木々に紛れ、右に折れ左に折れ彷徨った。

兵士のほうはともかく、毛むくじゃらの獣に関しては、どんなに逃げても姿の見えない影となり追いすがった。

 まるで茂みや物陰そのものが足の健を噛み千切るかのように。


「少し休みましょう」

 休憩を提案するコニア。彼女はあまりにもでたらめに森を歩き回ったせいで、自分たちの位置が分からなくなってしまっていた。


「もう、追いかけて、来ないのかな」

 連れの体力も底を突いていた。

 コニアはプニャーナを木の陰に座らせると彼女の服をまくり上げ、腹の具合を見てやった。槍に打たれた部分は赤黒く、青黒くなっていた。


「酷い傷……」

 親友に付けられた痕。利害の擦り合わせの結果とはいえ、かつて彼女へ親切にしてくれた男の仕打ちは、コニアの心にも痣を遺した。


「大丈夫だよ。触らなかったら、もう痛くないから」

 プニャーナの額には大粒の汗がいくつも浮かんでいる。コニアはそれが負傷によるものなのか、疲れによるものなのか判断しかねた。


 コニアは友人の隣に腰を下ろし、あたりを見渡した。

 水気を含んだ冷たい空気が漂い、枝葉の隙間から差し込む光が空気に薄いもやを作り出している。

 地面は平坦でなく、所々で盛り上がっている。苔や短い草がそれを覆い、豊かな膨らみの原因が土なのか、木の根なのか分からなくしていた。


 空間いっぱいに敷き詰められた、木や草。

 静かに佇む彼らも、空や地中のそこかしこで領地争いを繰り広げている。

 中庭とも、木々に挟まれた森の街道とも違う光景だ。

 この植物の紛争地帯の悪路は、進む距離に見合わない要求をした。

 息こそは上がっていなかったものの、コニアも足の裏がすっかり痛くなっていた。


「ねえ、さっきの兵士の人って、コニアの知り合い?」

 友人が訪ねる。


「ええ。お城で私の面倒を見てくれていた人よ」

 娘の口調は親切を説明するものではなかった。


「ふうん。きっと、何か事情があったんだよ」

 腹を打たれた娘が言う。


「あなた正気? 殺されかけたのよ? それに、事情なら私たちにだってあるわ」

 吐き捨てるコニア。

「ごめんね……」

 プニャーナは脇腹をさすった。「私が怪我をしたばっかりに」と言わんばかりだ。


「あなたは優し過ぎるわ……。謝るのは私のほうよ。こんなもののせいで」

 手首に埋まった白い卵。ヤンキスはこれを“種”と呼んでいた。植えればあの中庭の木のようなものが生えてくるのだろうか?


「大事なものなんでしょ? それをエスス祭司長って人に渡したら、大変なことになっちゃうんでしょ?」

「分からないわ……」

 この“種”には確かになんらかの力がある。

 “神樹の精”が宿っているのも本当だろう。祭司長がこれを取り戻したがっているのも。

 だが、祭司長は本当にこれを悪用するつもりなのだろうか。


(まだそんなことを考えているのですか?)

 頭蓋を震わす声。

(あなたの言った通りになったわ)

(当然です。私は嘘を言いませんよ。言えないと言ったほうが良いでしょう。あなたといのちを共有しているのですから)

(危うく死にかけるところだったわ。笑ってないで助言でもしてくれれば良かった)

(槍で刺された程度で死にはしませんよ。たとえ心臓を穿たれたとしても。首と胴が離れでもしない限り、元通りになりますよ)

(そんなの、人間じゃないわ)


(そうです。あなたはもう、人間ではないのです。この力は神に等しいものなのです)


(神……。じゃあ、エスス祭司長は神になろうとしているの?)

(そうかもしれません。もっとも、国にとっての彼は、すでに神や王のようなものでしょうけど)


「ねえ、コニア。大丈夫?」

 プニャーナがコニアの肩を揺すった。

「大丈夫よ。ちょっと疲れただけ」

「さっきから、変な音が聞こえるよ」

「変な音?」

 不安げな訴えを受け、耳を澄ませてみる。まさか頭の声がプニャにも?

 ……遠くのほうで、木を小刻みに叩くような音が聞こえた。

「誰か居るのかも」


「大丈夫よ。あれはキツツキよ」

「キツツキ?」

「そう、鳥よ。くちばしで木に穴を開けて、虫を獲ったりするのよ」

 モルティヌス辞典からの引用だ。


「ふうん……。私もお腹空いたなあ」

「お昼ちゃんと食べたでしょう?」

「そうだけど……」

「じゃあ、何か食べるものを探しましょう」

 友人を窘めたものの、コニアも同じく空腹感を感じていた。

 それに、日が暮れる前に食料を調達しておかなければ、身動きが取れなくなってしまうだろう。


「いたた……」

 立ち上がろうとして脇腹を押さえる娘。

「本当に大丈夫?」

 手を差し出すコニア。

「うん、大丈夫。ぶたれるのも、痛いのも慣れてるから」

「だめよ、そんなの。慣れてしまうなんて。平気な人なんて居ないわ、居てはいけないの」

「お婆さんにぶたれたのは、痛くなかったよ」

「そういうこと言わないで。約束よ」

 コニアは友人の手を引き、立たせてやった。


「……分かった。約束する」

 プニャーナは友人の手を握り返した。

「じゃあ、コニアも約束して。悪い奴には絶対に負けないって」

 笑いかけるプニャーナ。

「約束するわ」

 コニアは再び握り返した。



 森での食料調達は容易だった。


 そこかしこに食べられる草や木の実があった。しかし、それを娘たちが見分けるのは難しいことに思われた。

 だが、今まで命令するだけだったコニアの頭の声が、有害性の有無を助言してくれたのである。

 キノコについては“神樹の精”にも分からないことが多いらしく、手を出すのは避けた。彼女が言うには、それは自分の仲間ではないらしい。

 次々に見分けていくと、プニャーナはいちいち称賛の声をあげたが、自分の手柄ではないために騙しているような気がしてコニアはどうもむず痒かった。


 探索の最中、中庭で見かけた花と同じ花を見かけた。

 季節外れのハナイチゲ。赤と白が一輪づつ。秋を彩り始めた森には場違いな明るさを誇っていた。

 “神樹の精”は「それは食べられない」と警告したが、コニアは構わずそれをむしると、赤いのを友人の髪に、白いのを自分の髪に挿した。


 難儀したのは、日が暮れ始めてからだった。

 火を着ける道具は持っていたが、森にある木材の多くは湿り気を帯びており、薄暗い中で乾いた葉や木っ端を見つけ出さなければならなかった。

 ふたりが森の恵みをいただいた頃にはすっかり日は沈み、森は闇の中に溶け込んでいた。

 たき火の炎の届く範囲だけが、彼女たちの領域だ。


 光はみつあみの娘に安心と不安の両方を与えた。火は獣を寄せ付けさせなかったが、獣では無いものに居場所を教えるしるべとなる。

 コニアはそれに気が付いていたが、友人の眠たげな顔を見ると、不安を自分だけのものにした。


 短い癖毛の娘のほうは、故郷では砂地を駆ける習慣を持たなかった。これがふたりの体力に大きな水をあける原因だった。

 コニアは火を見つめ考えた。これからどうすればいいのか。

 仮に追っ手が居なくなっていたとしても、ずっと森の中で生活をしてゆくのは難しいだろう。なんとか落ち着ける場所を探さなければ。


 たとえ身体が神や獣であったとしても、心は人のままだ。

 追われる身でありながらも、どこか人の匂いのする場所を欲しがっていた。

 人嫌いであっても、結局は人なのだ。それに関して、あの浜辺の小屋は本当にうってつけだった。


 コニアが頭の中で不安を転がしていると、遠くの茂みで音がした。

 耳を澄ますと、続けて人の話し声が聞こえた。急いで火を消し、泥のように眠る娘を揺り動かした。


「プニャ。起きて。誰か来る」

 囁きかけるコニア。

「ううん……。もう食べられないよ……」

 彼女を捕らえる泥は随分と幸せなもののようである。


「プニャ。ちょっと! 起きてってば」

「え……。カニさん?」

「もう、寝ぼけてないで!」

 プニャーナはむにゃむにゃ言うと再び泥の中に身を沈めて行った。


「おい、何か声がしなかったか?」

 男の声。

「ほら、やっぱり。火の匂いがするって言っただろ」

 それに応じるも男の声。


「あれは、村の煙で鼻が馬鹿になっただけだと思ったんだ」

「生き残りだと面倒だ。探すぞ」


 男たちは声の主を探して、無遠慮にやぶを薙いでいるようだ。

 その音からして、武器か何かを手にしているに違いない。彼らは次第に近付いてきているようだ。

 コニアは息を潜め考えた。プニャーナはちょっとやそっとでは目を覚まさないだろう。よしんば目覚めたとしても、起き抜けの彼女を連れて男二人から逃げ切きるのは難しい。


(この娘の事は放っておきなさい)

 “神樹の精”が口を挟んだ。

(あなたひとりで逃げるのです。あなたは自身の重要さをまだ分かっていません。この娘ひとりの為に、危険を冒す必要はないのです)

(プニャをここに残して置けって言うの?)

(そうです。彼らの正体が分からない以上はそれが一番です)


「良い考えね」

 コニアは立ち上がり、口元を引きつらせると、揺れる光のほうへ目掛けて駆け出す。

 頭の中での抗議、さらに眠りを妨げられた草や低木も抗議し、彼女の服や足を引っ掻いて傷つけた。


「居たぞ!」

 男の片方が叫ぶ。


 コニアは一旦、男たちが視界に入るまでそばに寄ると、少し方向を変えて逃げ始めた。……男たちは剣と松明を携えていた。


「若い女だ!」

「逃がすな!」

 こっち、こっちよ。娘は走る。なるべく目立つように、なるべく彼らを遠くへ。


 彼女は足の速さには自信があった。


 だがそれは、障害物の少ない砂上での経験からくるものだ。

 草木の生い茂る森では、枝や低木、木の瘤、鋭い草が彼女の行く手を遮る。


 いっぽう、男たちは剣で草を薙ぎ、枝を折って進む。

 いくらコニアが若き駿馬の脚を持とうとも、男たちは戦士であり、悍馬の荒さで森を突き進むことができた。

 男の手がコニアの襟首に伸びる。


「捕まえたぞ!」

 だがその手は空を掴む。


 娘の行く手には低く伸びた太い枝。彼女は軽く頭を下げそれを避ける。

 男たちは枝に頭を打ち付ける。距離が開く。走る娘。振り返ると、負けじと追いすがる男たち。

 顔を前方へ戻すと木の根の盛り上がりがあった。

 根っこに強く腰を打ち付け、咳き込む娘。根っこをよじ登り走り続ける。男たちは根っこを飛び越える。


 森の闇の中の追跡劇、追いつ追われつ、詰んで開いて。

 娘は目論み通り男たちを眠る友人から引き離すことに成功していた。

 しかし妙だった。ここのしばらく、走りやすい地形が続いている。

 だが男たちは、一定の距離を保ったまま走っていた。ときおり、おざなりに「待てー」だとか「捕まえろー」だとか叫んではいたが。


 確か、昔にこんなことがあった。


 砂漠に毛を持った獣が迷い込んだ。それは肉付きも良く立派なもので、発見したコニアや青年の胃袋を刺激した。

 ふたりは必死になって追いかけたものの、それは身体をしなやかに跳ねさせ逃げ続けた。

 だが最後には捕まえることができた。どうしてか。それは獣が追われるうちに、彼女たちの仲間の……。


 思い出と共に走る娘の行く先が明るくなる。松明の火や、たき火の大きさではない。大きな、大きな光。



 茂みを抜けると、コニアの足が固まった。森はそこで拓けており、村があった。



 村の建物は炎でできていた。赤い、赤い村。凄まじい熱気。叫び声。それらが村を覆う外壁となっていた。

 劫火に包まれる村では、獄卒による刑が執行されていた。


 逃げまどう男。追いかけ、男の背から胸へ槍を通す鬼。

 赤子を胸に抱き隠す母。その髪を引き、地面に血の道を描く鬼。

 切り取られた何者かの腕で老婆を打つ鬼。

 槍の穂先に罪人たちの首を飾り並べる鬼。


 獄卒たちはみんな、笑っていた。


 人さらいの事務的な殺害とも、おとぎ話の冥界とも違う、血と炎の赤、叫びと笑いの赤によって創られた惨劇。

 それを彼らは、祝福の宴席のような立ち振る舞いをもって行っていたのだ。

 コニアはそのすべてを目と鼻と耳で受け取った。


「いらっしゃい。お嬢ちゃん。おかえり、かな?」

「君は足が速いねえ。おじさんたち追い付けなかったよ」


 娘を追っていた男たちがうしろからやってくる。彼らはすでに歩を緩めていた。彼らはにこにこしていた。


「あっ、お嬢ちゃん! 大変だ!」

 そう言って男が指をさす。

 男の指すほうに目をやると、コニアの歳の半分程の男の子が、よろめきながら近づいてくる。

 それから、彼女の目の前まで来て地に伏した。彼の服には火がつけられていた。


「大変だ、お嬢ちゃん! 男の子が燃えちゃう! 火を消してあげないと!」


 男の囃し立てに応じてか、娘は水を探し始めた。気が触れたか。

 いや違った。きっと、男に言われなくとも水を探しただろう。

 人嫌いになった彼女の中にも、まだ正義が生きていた。故郷で親愛なる兄と育んだ。青い正義。砂漠にあった青い海。

 あるいは、親友の持っていた優しさを分けてもらったのかもしれない。


 ひびの入った大きな壺を見つけた。

 そこにはまだ水がたっぷりと入っていた。これだ、これを使えばあの男の子の火を消してやれる。


(馬鹿なことはやめるのです)

 頭の中の声。

(あの男の子を、助けなきゃ)

(おまえは自分の置かれている状況が理解できないのですか? 逃げるのです。ここに居たら、おまえも同じようにされてしまいますよ!)

 反響する声色はいつもよりも威厳に満ち、断罪的なものであった。


(いやよ。私はあの子を助けるの。誰にも命令させない!)

 壺のふちを両手でひっつかみ、彼女の体重と力の全てを掛けて引っ張った。重い。


(とんだ大馬鹿者ですね!)

 頭の声が一層強く響き、罵倒した。


 すると、コニアの右手が勝手に壺から離れ、手首の卵から現れた蔓が地面を突き刺した。

 蔓は地面に深く食い込み、その細さからは想像もできない力で娘を引っ張った。娘はつんのめり、壺の中に上半身を突っ込んだ。


(おまえは犬死にをするつもりですか。こんな子供一人助けてなんになるというのです。言ったでしょう? おまえは国の命運を担っていると。おまえは私と一心同体だと!)


 娘は壺の中でもがく。身体の中に水が入り込む。むせて咳き込み、肺は空気を求めるが、それがかえって水を招き入れる。

(私に逆らうとどうなるか、わからせてやりましょう)

(いやよ。絶対に)

 娘は気を張ったが、声への返答はぼやけ始めていた。

(ならば死ぬまでそこに居ると良いでしょう。水の中なら、熱い炎からおまえを守ってくれるでしょうから!)

(……私は死なない。あなたには殺せはしないわ。私が死ねば、あなたも死ぬもの!)

 地面を掴んでいた蔓が離れた。

 ヘビは卵の中へと帰っていた。自由になった彼女のめいっぱいの力は暴れ、壺のふちに負荷を与える。壺は割れて、水はすべて流れ出てしまう。


「あーあ。お嬢ちゃん。壺が割れちゃったよ? 何やってるんだい」

「こいつ、自分で壺に顔を突っ込んでなかったか? 気でも狂ったのか?」

 咳き込む娘に呆れ声が投げられる。


 熱気を帯びた空気が肺を焼くのも構わず、深呼吸を続ける娘。吸い込んだ熱は彼女に再び火を灯し、頭上の男たちを睨みつけさせた。


「おーおー。怖いねえ」

 笑う男。

「おい、よく見て見ろよ。こいつ、砂漠の民だぞ」

 別の男が言う。

 相方の指摘を受け、男は笑いを止めた。


「なんだ。同志じゃないか」「同志だ」


 彼らの顔を支配していた嘲りと快楽は去り、その代わりに娘の持つ「正義」に似たものが宿っていた。


「てっきり、逃げた村人かと思ったぜ」

「“お前達”も、今度の戦争には参加するんだろう? そのためにここに?」

「追い回して悪かったよ」


 娘は男の態度の変化に動揺し、硬直した。それとは別に、右手が動かないことに気が付いた。


「もしかして、知らないのか? じゃあ、ここの村に居た奴隷か? だったら説明してやるよ。

 俺たちはムン族だ。もともとは別の部族だったがな。大楢の国の奴隷制に虐げられた名もない民族のひとつだ。

 ムン族族長ルゴス様は、俺たちのような弱小民族をまとめ上げて、大楢の国に戦争を仕掛けるおつもりだ。

 ここは大楢の国と懇意にしている村だからな。まあ、その前哨戦といったところだよ。お前も酷い目に遭わされたんだろう?」


 男の声は誇りと正義に満ち、それから同志を心配するものだった。


 だが、コニアは返事をしなかった。大義名分は理解ができた。だが、この行いは彼女の正義には到底適わない。


「んだよ。しけた顔してんなア。一緒に楽しいことしようぜ?

 ……怖い顔するなよ。いやなに、お前を裸にひん剥こうってわけじゃないぜ!

 これは復讐だよ。高慢な大楢の国へ下す、正義の鉄槌だ!」


 身振りを交え熱弁する男。



 ……復讐。死ねばいいのに。殺してやる。



 ――違う!



 身を引くんだ。きっと彼らなら見逃してくれる。これはあまりにも現実離れしすぎているわ。コニア、あなたの手には負えない。

 力不足の正義が招くのは何かって、あなたは知っているはずよ。今のあなたにはプニャが居るのよ。彼女のところに戻ることだけを考えて。

 コニアは自分に言い聞かすと。目を閉じ、何も見えない、聞こえないふりをして、踵を返した。


「おおい!? 行っちまうのかよ! あとでやっとけば良かったってなっても、知らないからなー」

 男の声を背に、赤く輝く村から離れるコニア。迎える森の闇は酷く寂しく、だがどこか優しさを感じさせるものだった。



 右手がぴくりと動いた。



 ヘビの卵が孵化し、常緑のヘビが見る見るうちに成長を始めた。無数のヘビに引っ張られ、振り返らせられる娘。


 ヘビの毒牙が男の片割れを穿った。

 男の首が赤いしぶきをあげる。牙はそれを刺し貫き、別の男の口へと飛び込む。

 飲み込んだ男は身体を震わすと手に持った剣を落とした。


 ヘビには「触覚」があった。皮膚が、神経が。娘のそれと共有するそれが。

 暖かな震えが伝わる。私のうでが触れたような。

 毒蛇は新たな獲物を探す。動く者。動くもの。動くモノ全てを喰らいつくしていく。

 地獄の鬼も、罪人も、のべつ幕なく区別なく。


 娘の正義が。思い出が。かれらのくらしがいのちが。復讐者にも兄が居た。父が居て母が居た。

 母の腕に抱かれやいばと炎から逃れた赤子はヘビに喰われた。忌嫌われる獣のひとつであるはずのヘビは炎を臆さず。飢えの外は何も知らない。

 空気は相変わらず焼けるようだ。だが、ヘビが触れてかんじるそれが、アタタカにおもえた。


 あたまの中で。ナニかが笑う。たのしそうに。笑う声がする。


 顔のないヘビ。かおを奪われた人。劫火の断罪者もしゅうじんと共に逃げ惑う。

 誰が罪を犯して、誰につみがないのか。だれが裁くべきで、誰がさばかれるべきなのか。

 右腕は暴れる蔓に任せ、毒蛇の一部であるかのように振舞う。


 これは私で、やっているのはこの“タネ”。わたしじゃない。


 数多の感情と感覚が、娘の快感を感じうるすべての器官を震わせた。痛い。怖い。悲しい。憎い。愉しい。



 ――キモチイイ。



 村の中を動くものは炎を残し、他の何もかもがなくなった。

 やがて娘は気を失い、倒れ伏す。


***

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