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.21 嘘と忘却

 ルーシーン・エポーナは焦っていた。


 エポーナ王の擁する大楢の国は、彼女の予測通りの悪化の途を辿り始めていたからだ。


 神樹は死を迎え、国中のあちこちで貧困者が増加。納税や年貢の滞りは国務に携わるものにも貧しさを波及させ、貧困は犯罪率を跳ね上げた。

 徒党を組み、義賊を名乗り、税金未払いの金持ちの家を襲撃するものたちも現れ始める。

 建前こそは立派だが、要するに食うに困っての犯行だ。未払いについても証拠もなく、言いがかりばかりだ。それに、金持ちだってすべて悪ではない。


 それと同じで義賊もすべてが一流ではなかった。

 中にはたったひとりの夫人によって撃退された哀れな男も居た。

 彼は枯れ木のような手足をしており、ぼこぼこにされたあと、「税はちゃんと払ってる」と言い返され、野菜のスープを恵んでもらい、それから追い出されたという。

 正義も悪も、富も貧乏も、腹減りの前では大した意味を為さないのだった。国はかつて無いほどの暗黒期を迎えていた。


 祭司や兵士においても、空腹や不調を理由に職務を放棄するものが僅かに現れ始めた。

 多忙は混乱を呼び、混乱が多忙を呼び、多忙が多忙を呼んだ。


 とうとうエスス祭司長は人前においても人柄が変わってしまう。彼は話し合いよりも強制執行を好むようになっていた。

 長期治療の必要な老人や重病人は見捨て、裁判においても罪の重さよりも、執行の手間を取り刑罰を決めた。はい、助かりません! はい、死刑!


 当然、国民はたまげた。しかしそれでも彼無しではやっていかれなかったから、諦観するほかなかった。


 ルーシーンはそんな彼や国を助けるべく、許可も無しに国政への参加を画策した。

 しかし、実際に打てる手は何も持ち合わせていなかった。

 国内において彼女の権力は無効に等しかったし、国外への協力は先王の失策により取り付く島もない状況だ。

 鳥に案内させ、遠くの国に王として援助の直談判を考えたが、彼女の友人である巨鳥は「誰が君を王様だって信じるんだい?」と言って一蹴した。


 八方塞がりの中、ルーシーンは「ある噂」を聞いた。


 今朝がた、国の状況に対して関係の無さそうな御触れが出されたのだ。


『銀髪の砂漠の民の娘はすべて祭司会へ出頭せよ。逃走は火炙り。逃走者を逮捕した者には金貨十枚を進ずる』


 国内に該当する人物など居なかった。

 砂漠の民自体は多少の人数が居たが、どれも十年来の奴隷で、娘と呼べる者は残っていなかったのだ。


 それでも国民は金貨十枚に釣られて躍起になり、他人の奴隷を指を舐め舐め吟味した。

 中には自分の奴隷に若作りさせ、金で雇った兵士に逮捕させた者も居たが、これは当然ばれてしまい、御触れの出たその日のうちに、三人まとめて火炙りの刑が決定された。


 祭司会、エスス祭司長が探していたのは“砂漠の民”ではなく特定の娘に限定されたものである。

 この事件でそれが外部へと漏れた。御触れは噂によりあっという間に上書きされることとなる。噂が噂を呼び、尾ひれがつき、瞬く間に更新が繰り返される。


「あの祭司長が血眼になって探すほどの大罪人だ」

「それだけの重罪はつまり、国を揺るがす程のものだ」

「神樹が枯れたことに関係しているに違いない」

「その娘は“神樹殺し”だ」

「祭司長が変わったのはそのせいだ!」

「俺たちが貧しいのはそいつのせいだ!」

 人間、苦しいときは何かにすがるか、あるいは何かのせいにできれば随分と気が楽になるものだ。

 国民の日々の鬱憤は姿の見えない小娘に向けられた。


 ルーシーンはこの一連の騒動から、ひとつの処置を閃いた。


 神樹の再生である。神樹の死は大地の死であった。国土を走る根が腐ってからというもの、土質は悪化し、農業に打撃を与えている。

 これについて祭司のなん人かに尋ねて回ったが、皆一様に首を横に振るばかりであった。

 エスス祭司長に関しては捕まえることもできず、モルティヌス教育長の知識の間欠泉からも嘆きしか引き出すことはできなかった。


 ルーシーンは嘘の伝説と一蹴していた書物を片っ端から漁った。

 とりわけ、生命の再生についてや、秘薬についてである。

 だが調べていくうちに、自分がかつての父と同じ道を辿ろうとしていることに気付き、棚に向かって書物をぶん投げた。

 本棚は揺れ、ほとんどの歯が抜け落ちホコリを巻き上げる。彼女は散らかった本をでたらめに棚に押し込んだ。



 ルーシーンは髪に着いた埃を払うと、友人に知恵を借りるために物見の塔へと登った。



 塔の屋上では、巨大な鳥が居眠りをしていた。彼は寝不足だった。エススによってここへ呼び出されてからというもの、生活が随分と制約されていた。

 彼だって眠くもなれば、腹も減る。多少食べなくとも死にはしないが、彼にそういう習慣は無い。

 普段の食事は「狩り」から得ていた。この巨体を維持するためには、獲物も大きくなければならない。

 ルーシーンが「おやつ」と称して持って来てくれる食べ物だけでは全く足りなかった。

 日中は、はねっかえり娘の面倒を見なければならない。彼女の前で馬や牛をとっ捕まえて食いちぎるわけにもいくまい。


 とはいえ、あまり日の出てるうちに往復すれば目立ってしまう。

 夜間に抜け出すしか手はなかった。いくら彼が目の良い猛禽のたぐいだとしても、動物の引っ込む夜の狩りは成果が落ちる。


 そういうわけで彼は、腹を空かせているか、昼まで眠ってるかだった。


「タラニス! 起きてちょうだい!」

 はねっかえり娘の声。


「なんだい……出かけるにはいつもより早いだろう?」

 顔を上げ、眠たげに答える巨鳥。


「出かけるのはあとよ。ちょっとあなたに聞きたいことがあって」

「なんだい? 時間を取ったぶんだけ昼寝を伸ばすからね」

「神樹を生き返らせたいの。あなた、エススとも仲が良いし、そんななりをしてるし、長生きなんでしょう? 何かいい手はないかしら」

「ないよ」巨鳥は上げた顔を下ろした。

「何よそんなあっさり。眠いからって適当なこと言わないでちょうだい」

「生き返らせるも何も、もともとあれは生きてなんかいなかったんだよ。本当ならとっくの昔に枯れてるただの木だ」

「どういうこと?」


「そいつは言えないね」

 ぷいと顔を背けるタラニス。


「なんでよ!」

「めんどくさいなあ。口止めされてるんだよ。余計なことは知らないほうが、きみの身の為だ」

「余計なことじゃないわ。国の為よ。国が持ち直せばエススにとっても良いじゃない」

「ぼくは最近、あいつが何を企んでるのか分かってきたのさ」

「企むってどういうこと?」

 娘が鳥にかじり付く。


「ぼくは関与したくないなあ」

 顔を翼に埋める巨鳥。


「そこまで言っておいて何も教えてくれないなんていじわるよ。あなた、あたしに隠し事多すぎるわよ!」

「教育上宜しくない事なのさ」


「え、何なに? すけべなこと?」

 娘がにやりと笑う。


「なんでそこで食いつきかたを変えるんだい……」

「……冗談よ。ねえ、教えてったら。あたし達、何でも見せあった仲じゃない」

「ぼくが何を見たって言うんだよ……」

「あら、あたしを湖に連れて行ってくれた時、水浴びをしたわ。見たでしょ? あたしの、は・だ・か」

「人間の裸に興味なんてあるか! それにきみのちんちくりんの裸じゃ、人間の男だって興味が沸くかどうか……」

 巨鳥は嗤った。


「酷いわ。気にしているのに。じゃあ、あたし、“屋上の仕事”やめちゃおうかしら」

 屋上の仕事。巨鳥が嗤いを止めた。


 じつはルーシーンは、タラニスの弱みを握っていた。


 タラニスは「鳥」である。身体がいかに巨大であろうと、鳥は鳥。飛行において邪魔になる体内の「余分な物」を排出しなければならない。

 身体の構造上、人間でいうところの「我慢ができない」という事だ。

 これを知ったルーシーンはいつものお返しとばかりに、彼の事を嗤ったのだった。モルティヌス教育長と同じあだ名を与えた。

 これは彼にとって相当の屈辱となった。とはいえ、屋上は現在、王以外の立ち入りが禁止されており、掃除ができるのも彼女だけである。

 「くそ鳥」と悪態をつきながらも、王であるはずの彼女は屋上の掃除をしっかりとこなしていたのだ。


「……分かったよ。今日は特別に昔話をしてやるよ。もっとも、エススの事についてはぼくの都合もあるから、教えてやれないけど」

「えー。それが一番聞きたいところなのに」

「そういうのは、本人の口から聞くべきだろう?」

「それもそうね……」


「出かけよう。ここではあまり長話をしたくないからね」

 鳥は翼を伸ばした。


「ちょっと待って、準備してくるわ」


 巨鳥は娘を乗せ、空高く飛びあがった。ここに来るまでに、タラニスはちょっと(・・・・)だけ待たされた。

 ルーシーンが髪を整えるために部屋に戻ったからだ。彼女はどうにも本棚で被った埃が取り切れてない気がして身支度に時間を掛けねばならなかった。


「全く。そんな事の為に待たされるなんて」

「そんな事って何よ。髪は女の命よ。女の子の身支度が長引くのは常識よ。常識」

「あのなあ。どうせ飛んだらぐちゃぐちゃになっちゃうだろう」

「ほんと、それよねえ。飛ぶのは気持ち良いのに。あとあれ、あれが嫌いだわ。高く上がると、耳がおかしくなっちゃうのよ」

「それなら治す方法があるよ」

「本当? なによ! 知ってるなら早く教えなさいよ」

「聞かれなかったし……。鼻をつまんで。塞いだまま鼻から息を吐こうとすれば良い」

「何よそれ。騙してるんじゃないでしょうね」

 ルーシーンは鼻をつまむと、巨鳥に聞いた方法を試してみた。


「ははは。変な顔」


「ちょっと!」

 顔を紅潮させる娘。


「冗談だって。背中に乗せてて、顔が見えるわけないだろ」

「まったく……! あら、本当に耳が治ったわ」

「これからは身支度も手短に頼むよ」

 勝ち誇ったように言うタラニス。

「いやよ。あなただって、毛づくろいするでしょう。どうせ風でめちゃめちゃになる癖に」

「分かった。降参。そろそろ出発するよ。いつもよりも激しくなるよ。しっかり掴まって」


 背中の娘に注意を促すと巨鳥は急降下を行った。

 彼は遠出をする計画だった。距離を稼ぐために、普段よりも高い位置からの落下だ。

 それに、滑空のほうが腹が減らないで済んだ。初めのうちは急降下を驚き怖がっていた娘も、その身の縮まる寒慄を楽しむまでになっていた。


 ふたりは、見晴らしの良い岩山へと来た。岩壁は段々に切り立ち、手足では登ることのできない場所。

 そんな高所でも僅かながら植物が侵食を行い、白い岩肌に彩りを与えている。

 岩棚からは広い草原と森、湖や川が一望できる。人里の見当たらない陸の孤島。巨鳥は迷いなく岩山の中腹へと降り立った。


「良い眺めね。九十点」

 ルーシーンが鳥の背から降りながら言う。


「案内するたびに採点するのやめてくれよ。初めに砂漠に連れて行ったの、根に持ってるんだろ」

「持ってないわよ。九十点なんだから喜びなさいよ」

「まったく……。まあ、良い景色ってのは認めるけどね。ここはね、ぼくのねぐらなのさ。うしろを見てみなよ」

 ルーシーンが振り返ると、そこには大きな洞穴がある。

 岩肌にぽっかりと空いた暗い穴。穴は深く、日中だというのに光は奥まで届いていないようだ。


「ここに、ひとりで?」

 冷たい闇を眺め、身震いするルーシーン。


「今はお城の天辺だけどね。案外、居心地が良いんだぜ。雨風だって凌げるし」

「そういえば、屋上は雨ざらしね……。ごめんなさいねタラニス。お部屋に入れてあげられれば良いんだけど、さすがに狭すぎるし……」

「我慢も今だけの事さ」


「今だけって、やっぱりいつかは帰っちゃうの?」

 娘は鳥を見つめた。

「まあ……お城に住むのは難しいだろうね。居心地が悪いよ。人目を気にしなきゃならないのが特にね。見つかると絶対に大騒ぎするぜ。ぼくは人間が嫌いなんだ」

「あたしの事も、嫌い?」

「またそういうこと言うだろ。嫌いじゃないよ。知ってる人間の中では、一番マシさ」


「ふうん」

 娘はにやついた。

 巨鳥は慌てて「人間の知人はきみくらいしかいないけどね」と付け加えておいた。心の中で。


「ねえ、あなたはここで何して暮らしてたの?」

「別になにも。ただ狩りをして、食べて、寝てただけさ」

 タラニスは遠くの草原に馬の群れを見つけた。口の中が水っぽくなる。


「退屈じゃないの? 趣味とかは?」

「趣味。趣味かあ。昔はあったよ」

「なになに? 聞きたいわ?」


「本当に聞きたい?」

 巨鳥はルーシーンの顔を見て目を細めた。


「ええ」

 首を傾げながら肯定する娘。


「馬殺しさ」

「馬殺し。とって食べちゃうってこと? それ、趣味じゃないじゃない」

「もちろん、ぼくは馬の肉が大好物だよ。新鮮な奴だけだけどね。でも、腹が空いてなくてもやるのさ。

 空から連中の背中に飛び掛かって、この鉤爪でひっ捕まえるのさ。それで高い所に置き去りにしてやったり、落っことしてやるのさ」


「どうしてそんな酷いことするのよ!」


「だから趣味さ。人間だってそういうことをして喜ぶ奴がいるだろう?

 一番面白いのは、人間の連れている馬をかっ攫ってやることだね。

 やつらの困った顔と言ったら、……面白いったらないね! 一部ではぼくは“馬盗り”だなんて呼ばれて、恐れられたものさ」


「悪趣味! 人でなし!」

 娘は巨鳥をひっぱたいた。


「人でなしで結構。ぼくは鳥だからね。きみ達みたいに器用な手先を使って、いろんなことができるわけじゃないんだ。なまじ頭が良いだけ退屈しちゃうんだよ。もしきみが、手を使わないで暇を潰せって言われたら、何ができる?」

「……歩き回る位しかできないわね」

 不満そうに答える娘。

「だろう?」

「それにしたって、もう少しマシな考えがあると思うわ」

「例えば?」

「そうねえ……。物をつかむことはできるんだから、何かを集めればいいのよ! そう、綺麗な宝石とか、良い香りのするお花とか!」

「ちょっと違うけど、どっちもやったね」

「何よ。だったらそっちの話をしてよ」


「小さな花はさすがに摘めないけど、良い匂いのする木を集めたことはあったな。ヒノキの薫りなんか大好きだ。折りたての水気のあるのが特にね。でもあるとき、急にくしゃみが止まらなくなって……。それでやめちゃったのさ」

 タラニスはくちばしをもごもごさせた。


「ふうん。あたしの部屋にも何か置こうかしら」

「今度おすすめを教えてやるよ」

「それで、宝石は? 宝石も集めてたんでしょう?」

「やっぱり、そこに喰いつくんだね」

「興味あるじゃない。まだあるの?」

 ルーシーンは洞穴を覗き込んだ。

「いや、全部まえのねぐらに置いて来ちゃったよ。今頃、誰かが持ってってしまってるだろうね」

「どうして? もったいない!」


「宝石に、金や銀だろう、立派な剣や盾なんかも集めたもんさ。でもそういったものはね、人間を引き寄せるのさ。

 お宝のにおいを嗅ぎつけて、けち臭いこそ泥や、武装した集団がわらわらとね。もちろん、全部追っ払ってやったけど」


「ちょっと待って。その宝物は、どこから持ってきたの?」

「そりゃあもちろん、人間から奪ってやったのさ! やつらの困った顔と言ったら、……面白いったらないね!」


「どっちが泥棒よ!」

 ルーシーンの突っ込みに鳥は「ケケケ」と笑った。


「人間だって、どいつもこいつも泥棒じゃないか。自然にあるものをかすめ取ってるか、人間からかすめ取ってるかの違いさ。きみ達は自然を崇拝してるんだろう? 崇拝の対象から奪うよりはマシじゃないかねえ?」


「何よ。ちゃんと感謝……」

 娘は言葉を押し込めた。

「してないのかい?」


「……してないわね。あたし、そういうのあんまり分からないのよ。自然は盗られたって何も言わないわ。

 太陽はいつも規則正しいし、雨だってあたし達の都合で降ってはくれない。

 供物や生贄だって無意味だわ。植物は生き物だけど、切り取られたって文句ひとつも言わないから」


「そうだね。植物だって、半分彼らの都合で進んで食われてやってるからね。

 でも、きみの国で宗教は重要な位置を占めてるんだろう? 王であるきみがそんなでいいのかい?」


「案外てきとうなのよ、みんな。よその国ほど真面目に信じちゃいないわ。

 エススはそうじゃないみたいだけど、それでもよその国とやりかたが違うみたい。教育長だって他国の出身で、そこでは違うものを信じていたらしいし」


「ふうん」

 聞いたくせにこの返事。


「ばかばかしいのよね。魔法とか、占いとか、呪いとかって」

「そうだね。そんなものはありはしないからね」


「タラニス、あなたが言うなら、やっぱりそうなんでしょうね。

 皆、馬鹿よ。そんなものや、ただの木をありがたがっちゃって。その上、エススに頼りっきり。

 国民はもっと自分でどうにかすることを考えなくちゃいけないわ。

 もっとも、あたしもひとの事、言えたもんじゃないけど。

 何もしてない癖に、お世話されて、他人の時間や食べ物をかすめ取って。やっぱり泥棒と変わりないわ」


 巨鳥はルーシーンのいだくむず痒さを愛おしく思った。

 彼女が望むのは、あいまいな希望や予測ではなく、確固たる行動や事実の認識なのだ。

 世間知らずの娘が抱くべき夢想とは真逆のそれ。同じわがまま娘でも、別のお姫様ならそれらを全て当然のことと片づけただろう。魔法にだって憧れたはずだ。


 タラニスはかつて「魔法」だった。本来、現生するはずのない巨大な鳥。

 その姿を見た人々の多くは彼を恐れ、或いはただの鳥とは一線を期した姿を敬い、絵や文字を使い伝説にした。

 伝説には尾ひれがつき、ときには彼の身体の一部が獅子のものと挿げ替えられたりもした。

 それは彼の知らないところで独り歩きし、さも実在するかのように振舞った。そうやって魔法は確固たるものへと昇華していった。

 確固たる魔法とは「嘘」である。人々はその確固たる魔法によって歴史を作り、国を作り、心の平穏を保った。

 巨鳥はそれを誇らしく思ったこともある。しかし、神格化したはずの彼に向けられるやいばと矢じりが、誇りを長年の侮蔑と嫌悪に変えた。

 だが、この正直な娘の前ではその魔法は解け始めていた。


「あたしね、反抗期って言ってたでしょう?」

 初めて逢った日に「仲良くなったら教えてあげる」と焦らしたそれ。

「それはね、お父様たちへの反抗なのよ。お父様は賢王と言われるほど良い政治を行ったらしいわ。

 エススもその右腕だった。でもお父様は、最後は狂ってしまったの。

 国の中や外、多くの人たちに迷惑をかけた。それを恨みに持つ人だって、まだたくさん居るわ。

 それは今、娘であるあたしに向けられてるってことも知ってる。そんな中で代わりをやれだなんて、えらい迷惑よね。

 全部ほっぽり出して先に死んじゃうんだからね。エススだってあたしには大して構ってくれないし……」


 タラニスは娘の言葉に静かに耳を傾けた。彼女のときおり見せる本音。

 それは現実的な帝王学や王の椅子を語る娘ではなく、砂漠のあとに彼女を連れて行ってやった時ののどかな自然に感動する娘だった。


「だからあたしは、あの人たちの作った国をぶっ壊してやりたいんだわ。

 神樹の崇拝だって、奴隷制だって、祭司会だって。

 その為には自分で自分の面倒を見られるようになるべきなのよ。

 あたしも国民もね。森やエススに守られっぱなしじゃだめ。

 軍事力は持つべきだし、それと同時に他国とよく話し合うべきなのよ。

 だから、あたしはよく考えてる王様なんかじゃなくって、ただのわがまま娘なのよ」


 かつてルーシーンの提唱した理知に満ちた現実主義。

 それは彼女を王の器に足る人物と見せかけるためのものだった。

 自身の渇望や劣勢感を覆い隠し、意味づけし、確固たるものにするための魔法。


「笑っちゃうでしょ。見損なったでしょ」

 巨鳥に問いかける娘は、そちらのほうは見ず、草を食む馬たちを眺めている。

 日はまだ傾き始めたばかりだというのに、馬たちは寒げだった。秋口の風は彼女の肌も刺すだろう。


「ぼくは……」


「タラニスには、お父さんやお母さんは居ないの?」

 巨鳥の返答を待たず、娘が質問をした。


「ぼくのかい? ……憶えてないんだ。なんせ長生きなもんでね。昔の事はあいまいになっていってしまうんだよ」

 巨鳥の声は風に揉まれてかすれていた。

「じゃあ、生まれ故郷の事も?」

「それは辛うじて。前に、ずっと上と遠くの国って言っただろう?」

「古郷が二つもあるのは変じゃない? ずっと上ってのは置いとくとして、遠くの国ってどこの国なの?」

「分からないね。探してみたこともあるけど、どこもぴんと来なかった。すっかり忘れてしまったのか、もう無くなってしまったのか。“ずっと上”のほうも、この翼をもってしても戻ることはできないしね」

「寂しいわね」

「どうかな、そういうの、良く分からないな」

「寂しいわ。寂しいことよ」



 ふたりの会話が途切れる。強い風が洞穴に流れ込み、口笛を鳴らしていた。



「……お腹が空いたわ」「ぼくも腹ぺこだ」

 ふたりの沈黙を破ったのは空腹だった。

「そういえば、あなたがものを食べているところ、ほとんど見ないわね。あたしが持ってくるおやつだけじゃ、足りないでしょう?」

「まあね」

「気を遣わなくていいわよ。あたし、ここで自分のお弁当食べて待ってるから」


「それじゃあ、お言葉に甘えて食事にでかけるかな。ちょうど良い獲物も居るみたいだし」

 お許しを貰った巨鳥は翼をぐんと伸ばした。


「食べるだけよ。意地悪しちゃだめだからね」

「分かってるよ」

 巨鳥が飛び立つと、娘は座り込み弁当を取り出した。

 納税が減り、いまやパンひとつと少しの惣菜だけとなった弁当は、すぐに娘の腹へと収まってしまった。

 食事を終えると、大きな体温の塊が去ってしまった為か、娘は肩を抱いて縮こまった。


 ――タラニスに無理をさせている。


 馬の話を聞いたときになってようやく気付いた。初めの頃からずっと気を遣わせ続けていた。

 会ったばかりの人間の小娘への配慮。人間嫌いの彼がそうする理由はいまだ伺い知れない。だが、今日のやり取りで一歩前進したのだろう。

 ルーシーンはこれが「仲良くなる」というものなのだと納得し、立ち上がった。


「動かないと寒いわね」

 娘は鳥が戻るまでの退屈しのぎに移ることにした。


 おてんば娘は本人不在の隙を狙ってねぐらの探索を始めた。

 洞穴の入り口は広く、巨鳥が翼を広げたままでも入り込める程ある。地面は平坦で、大きく上や下には行かず、真っ直ぐ奥へと続いていた。


 光の途切れる位置まで進むと、期待していた鳥のにおいはせず、ただ埃っぽい土のにおいが鼻を突いた。

 娘は暗闇の中、壁と好奇心を頼りに進む。巨鳥は財宝はよそへ置いてきたと言った。

 それでも娘は何かを見つけたかった。この穴に財宝は無くとも、彼を知る為に役立つ生活の名残りがあるかもしれない。娘はそれを一番望んだ。


 だが、娘の期待に反して、洞窟はすぐに終わりを迎えた。手足を使い、何かないかと探ってみたものの、岩の感触以外の何も得られなかった。

 いや、乾いた何かに触れ、それが粉になったが、物見の塔の屋上に溜まるものと同じ物体だったので無かったことにした。


 穴から出て、服や髪に着いた埃を払うと娘は既視感を覚えた。あとで本をきちんと直さないと。


 タラニスはまだ戻っていなかった。

 ルーシーンは溜め息を吐いた。結局、昔話をニ、三聴けただけで国の立て直しの手掛かりは得られなかった。

 思い返すと、彼の言っていた「昔の事を忘れてしまう」ということが引っかかる。

 しかし引っかかりの正体のつかめないまま、それは流れて行ってしまった。自分が忘れられてしまうのではないかという濁りを残して。


 馬の群れは居なくなっていたが、鳥の姿はなかった。

 気を遣って目に入らない場所で食事をしているのは分かっていたが、娘にはかえってそれが不安となった。


 娘はそのあたりの石ころを蹴飛ばしてまわった。

 手を使わない遊び。石ころは勢いよく飛び、崖から下へと落ちて行った。断崖絶壁。足を踏み外せば、いのちは無いだろう。

 最初に飛んだときのやり取りを、ふと思い出す。

 ここから飛び降りれば、地面に着くよりも早く拾い上げてくれるだろうか。彼は戻って来てくれるだろうか。

 ルーシーンは馬鹿な考えを崖から突き落として、少し大きめの石を蹴っ飛ばした。


 石は地面にはまり込んでいたらしく、彼女の蹴りに大いに抵抗した。


「いったいわね!」

 ルーシーンのつま先は敗れ去った。


 腹が立ったので石ころの脳天にかかとを落とした。

 次鋒は石に勝利し、敗北者の頭を吹き飛ばした。

 残った石の断面は、赤や黄色、茶色や白の層を持つ、木の年輪の様な模様をしていた。


「あら、素敵な模様」

 石を覗き込むルーシーン。

 そのあたりから尖った石を拾い、埋まった石を掘り出そうとしたが、地面が硬すぎて上手くいかなかった。

 仕方なく、蹴飛ばされた破片を探す。

 見つけた破片はこぶし大で、埋まったものほど綺麗に模様が残っていなかったが、ルーシーンはそれが気に入った。

 ルーシーンがお土産を決めると、食事を終えた巨鳥が帰って来た。巨鳥の羽は少し濡れて、てかっていた。


「お待たせ、何をしてたんだい?」

「見て、変な模様の石があったの」

 埋まった石を指さすルーシーン。

「それは“めのう”だね。宝石として取り扱われることもある」

「めのうなら知ってるわ。でも、こんなだったかしら」

 手にした破片を眺める娘。


「きみ達が目にする宝石は、大抵磨かれたものだからね。原石ならそんなもんさ」

 「そんなもん」と言いながら、巨鳥の視線は石に吸い寄せられたままだった。


「大きいのが欲しいの? 掘り出そうとしたけど、だめだったわ」

「そういうわけじゃないよ。ただ、こんな模様をした星があったなって」


「星? 星なんてどれも同じじゃない」

 首を傾げる娘。


「あれは遠いからそう見えるだけだ。星は近くで見れば、じつに様々な姿をしているのさ。ひとつひとつが巨大な宝石みたいなものさ」

「本当!? 連れて行って欲しいわ!」

「残念だけど、ぼくもそこまで行けやしないよ。単に知識として知ってるだけさ」

「ふうん。見たことも無いのに威張った言いかたをしたのね」

「良いだろ、別に。知らないより知ってるほうが偉いのさ」

「でも、一度見てみたいわ。夜の星は、地上から見てもあんなに綺麗なんだもの。近くで見れたらどんなに素敵なのかしらね……」

 うっとりするルーシーン。タラニスは彼女が想像の旅から帰ってくるまで待ってやった。娘はまた鳥に迷惑をかけたことに気付くと、小声で謝罪した。


「さあ、今日はもう帰ろう。遠いところまで来たからね。城に着くころには日が暮れてしまうよ」

「そうね。また明日ね。今度は近くでゆっくりしたいわ」

 ルーシーンは友人との時間に豊かな幸せを感じていた。

 彼女に圧し掛かる国や将来についての事さえなければ尚よかっただろう。友人と共にあるのなら、その重荷を一時くらい忘れてしまうのも悪くないと思った。


 また明日。


***

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