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.20 逃亡者と追跡者

 コニアは手首の“種”の話に続き、プニャーナに“神樹の精”の話をした。

 話の流れを整理するのを兼ねて、彼女が“外”へ出ることとなった経緯も添えて。


 泣き虫の親友は、彼女の人さらいのくだりではしっかりと本領を発揮したものの、神樹の生える中庭については楽しそうに聞き入った。

 プニャーナが老婆の家へ来た頃には、まだ神樹の一般公開がされていたので、自分も行ってみれば良かったと零した。

 プニャーナはするりと話を飲み込んだ。

 種か卵か分からぬこの物体が埋まるまでの話はともかく、“神樹の精”の言う荒唐無稽な力についても特に疑問を投げなかった。


 問題を共有できたところで、浜辺を離れるべきかどうかの議論を交わした。


 あれこれ考えてみたものの、結局のところ、現状維持という結論に収まった。

 実際に追っ手の姿を見てから、逃げればよいとの事だった。

 楽観視しすぎとも言えたが、彼女たちにとっての問題は、追われることや、“神樹の力”が誰に渡るかよりも、心身共に安定した今の生活基盤を奪われることのほうにあった。


 もう既に彼女たちは、外的な力が命運にくちばしを挟もうとすることを、良しとしないだけの胆力を身に付けていた。

 自分で自分がどうするか決めることのできる、“おとな”へと足を踏み入れていたのだ。

 万が一に逃げるべきときが来た場合には、ふたりそのまま駆け出してしまえるように、最低限の用意は常に怠らないことは取り決められた。



 ふたりが充分に備えた頃、浜辺の小屋へと来客があった。



 これまで海岸では、様々な生き物が見られたが、人間の姿は彼女たちの他には一切なかった。

 珍しいものといえば精々、巨大な鳥の姿を空の彼方に目撃したことくらいである。


「あんた達は、ここで何をしているんだ?」

 その客は浜辺で遊ぶ娘たちに声をかけた。


 冷や水を浴びせられたように、固まるふたり。

 男は、身体が大きく、髭面で、あまり立派とは言えない服装に空のカゴを背負っている……という出で立ちであった。


 コニアからしてみれば、街や城で見かけた人間に比べて、粗暴で汚れた印象を持った彼は、人さらいを思い起させた。

 彼女は「逃げる用意を」とプニャーナに目配せをしたかったが、友人は彼女と男のあいだに立っており、こちらを向いていないために合図の送りようがない。


「なあ、あんた達。食べ物持ってねえか? 俺、ここ数日なんも食ってなくてさ。お嬢ちゃん達は、この辺に住んでるのか? あんた達、ふたりだけか?」

 男はのんびりとした口調で、だが矢継ぎ早に聞いた。


「そうよ。おじさん。お腹が空いているの? 食べ物なら余っているわ。分けてあげる。ね、良いでしょ、コニア」

「え、ええ」

 コニアは小屋へと案内するプニャーナに続く。


 コニアは男の一挙一動を見逃さまいと、目を光らせていた。

 男はちらとこちらのほうを見やったが、すぐに視線を外した。

 なにやらほくそ笑む男。その横顔はやはり、人さらいに類するものに思えた。


 小屋の前まで来ると、プニャーナは中から何かの干物のようなものを持ってきた。

 それは、あまりの気色の悪さに食べずにほったらかした、足の多い軟体生物。つまるところ、イカかタコが干からびたものだった。


「おじさんに、これをあげる!」

 だがそれは、試しに焼いたときには唾液腺を刺激したものの、嫌悪感を煽る元の姿がどうしてもちらついて、どちらもが手を付けられなかった代物であった。

「なんだそれ? 食えるのか?」


「おいしいよ!」

 コニアの親友はすまし顔で言った。食べたこともない癖に。


 男は干物を受け取ると、逞しい腕に血管を浮かせながら、足の一本を引き千切った。においを嗅ぐと、口の中へ放り込んだ。


「硬いな。でも、噛めば噛むほど……旨い!」

 男は顎を動かし、干物から味を引っ張り出すことに執心だ。コニアはプニャーナの腰を指で突っついた。


「なに? くすぐったいよ」

「あなた、何考えてるの」

 微笑の抗議に小声で返すコニア。


「なにって。お腹空かせてるんだよ。あれ、おいしかったんだ。失敗したなあ」

「だめよ。あんな得体の知らない男に。私たちの小屋の事を教えちゃ」

「ごめんなさい……」

 叱られたプニャーナはしょげかえる。


「追い払うわよ」

 コニアはプニャーナにそう伝えると、急にお腹を押さえて、悲鳴を上げた。


「ああーっ! 痛い! お腹が痛い!」

「どうしたのコニア!? また変なものでも食べたの!?」


「またって……」

 コニアは少しばかり抗議をしたくなったが、演技に集中した。

「食べ物じゃないわ……。誰か、お医者さんかお薬……」

 身体に力を込めて痙攣を演出する。


「なんだあ。そんな急に腹が痛くなるもんか?」

 迫真の演技を疑う男。顎はしっかりと味をひねり出すのに余念がない。

「どうせあれだろ、月のものだろ? んんっ?」

 男は下品に笑った。干物を噛んだ口の隙間から、汁と涎が混じったものを垂らした。


「この……い、痛いーー。すごく胃がむかつくーーー! ぎょええええ!」

 コニアは思いつく限りの汚い言葉で罵倒してやりたい気持ちを震えに変えて、危うい演技を続ける。


「ねえ、おじさん。このままじゃ、私のお友達が死んじゃうわ! お医者さんを呼んできてちょうだい!」

 こちらの演技はなかなかのもので、死んじゃうと言う頃には既に涙声だった。

 これには男も少々たじろぎ、「わかった、一飯の恩だ。医者か薬師を探してくる」と言って砂丘へと駆けて行った。


「コニア、あの人行っちゃったよ。どうするの?」

 プニャーナは男が砂丘の陰に消えたことを確認して、いまだ腹を押さえる友人に囁く。


「どうしよう……。これじゃ、そのうち戻ってきちゃうわ」

 自分でも男が去ったのを確認して演技を止める。


「逃げる? 足いっぱいのやつで騙したのはちょっとごめんなさいって思うけど、あのおじさん、途中からなんだか嫌な感じがしてたよね。コニアの事、すっごい見てた。コニアが言ってた追っ手って、あの人かな?」


「どうかしら……」

 違うだろう。多分。あの目は“ご主人”と同質のものだ。


「どっちにしろ、逃げるわよ」

 コニアがプニャーナを促したとき、砂丘の上に一瞬、男の頭が覗き込むのが見えた。それを見たふたりは、どちらからともなく駆け出した。



 ……。



 もちろん、男は初めからコニアの演技を見抜いていた。

 明らかな大根。贔屓目に見ても芋だったし、面白いことを始めたぞと思い、付き合ってやっただけのことだ。

 彼は腹さえ減っていなければ、娘の両方を「食ってしまう」つもりだったが、くせっ毛の短い髪のほうの寄越した干物と演技が思いのほか気に入ったので、見逃してやったのだった。

 男は娘たちが去ってしまうと、「当初の予定」のひとつである仕事をこなしに小屋へと忍び込んだ。

 そして、自分のカゴの中を食べ物でいっぱいに満たすと、干物の足を歯で上下させながら、意気揚々と砂浜をあとにしたのであった。


 ――ご安心召され。一流の仕事人は同じ場所で二度仕事をすることは無い。元気でな! 干物と大根のお嬢ちゃん達!



 ……。



 娘はしばらくの距離を走った。

 男が追って来ていないことを確認したコニアは、ようやくプニャーナの無言の要求を受け入れて立ち止まった。


「ご、ごめんなさい。私が、小屋を、教えたせいで」

 すっかり息が上がっている。髪を切り身体が軽くなろうとも、体力がついたわけではない。

「仕方ないわ。放って置いても勝手に見つけたかもしれないし。私たちが寝ているときにあの人が来ていたら、どうなっていたことか……」

 いくら彼女たちが、生活する能力に長けているとしても、小娘がたった二人だけで身を守ることは不可能である。

 人間の、とりわけ大人の男の悪意からは。ふたりは今度の事でそれを思い知らされた。


「道具はいくつか持って来てるけど、食べ物を全部失うのは痛いわね」

 彼女たちは腹を満たしたあとだったので、残りの食料は小屋に残したままだった。


「うん、お腹空いたよお」

 満たしたあとなのだが。


「また暮らせる場所を探すのは、骨が折れそうね」

「そうだね。でも、私たちふたりなら、なんとかなるよ」

 コニアにはプニャーナの楽観的な発言が有難かった。

 あの男を招き込んだのがプニャーナだとしても、追っ手についての厄介ごとがコニアのほうに付随することであるのは変わらない。


 そこから暫く時間が経過したが、娘たちは小屋から離れたところで燻り続けていた。

 居心地の良い小屋に食事を取りに戻る危険と、新たな“外”の危険を天秤に掛け、どちらに傾くかまだ見守っている最中だった。


 天秤の揺れに焦れていると、小屋のほうから娘の片方を呼ぶ声とともに、ひとりの若い男が走って来た。

 それは正真正銘、追跡者の声であった。

 だが、その切迫しながらも他者への思いやりでできた声色は、かつて娘の慕った青年の声と重なり、彼女に逃亡者であることを一瞬、放棄させた。

 しかし、男の携えた槍の穂先が、彼女に正気を取り戻させた。


「コニア、無事か!」

 兵士ヤンキスが叫ぶ。


「あなたは……」

 見知った顔に再び気を許しそうになる娘。腰のあたりで服を引っ張られた。


「生きてたんだな。良かったよ……」

 兵士は娘をまっすぐ見つめていたが、距離をそれ以上詰めようとしなかった。


「私を追ってきたのね」

 コニアは心に残ったかすかな信愛と共に言い捨てた。

 彼女の関わった男たちは皆、祭司長絡みか、食い物にしようと考える輩かのどちらかだった。つい今しがたも危険に晒されたばかりだ。


「コニア、俺はお前が生きていたことは黙って置いてやる。捕まえたりもしない。ただ、“種”を返して欲しいんだ」

 兵士はその場で手を差し出した。


「……それはできないわ」

 娘が握った右手を庇う。腰を掴む力も強くなった。


「それが無いと、俺も、国の皆も死んでしまうんだ」


「それは“私も同じ”よ。あなたが悪い人じゃないって、なんとなくわかる……。でも、できない」


 兵士の交渉に対して、娘は初めから天秤を持ち出す気はなかった。

 いっぽう、兵士のほうも彼女の「私も同じ」を覚悟と捉え、己の皿に最後の金貨を乗せた。


 兵士ヤンキスは、このまま彼女の味方をして、一緒に逃げてしまっても良いのではと、ほんの一瞬だが、頭をよぎったこともあった。

 娘の覚悟が、きっと砂の国の命運も含めての事だと誤解したときには、それはちょっとした思考になった。


 しかし、彼が最後に乗せる金貨は何よりも重い。

 金貨はヤンキスがコニアに優しくしてきた理由のひとつでもあり、彼がまだ次の世に魂を移す気にならない理由でもあった。



「俺、このしごとが終わったら、結婚するんだ……」



 ヤンキスには婚約者が居た。それは目の前の娘と大して歳の違わない娘。彼の幸せを約束する娘。幾度となく逢引きを交わした娘。

 ヤンキスはコニアの右手に握られている“ちっぽけなもの”を取り返すため、しごとに取り掛からねばならない。



 コニアの頭の片隅で、誰かの笑い声が聞こえた。



 兵士は踏み込み、槍を逃亡者の胸へ目掛けて突き入れる。

 髪の短い同伴者が的を強く引き、穂先は宙を穿った。娘はよろけ、みつあみが踊る。

 兵士は身体を捻り、再び狙い清ます。砂の地面が靴底を滑らせ、逃亡者たちに身を引かす隙を与えた。

 今度は槍を長く持ち替え、獲物を大きく振って逃亡者たちを薙いだ。

 槍の太刀打ちが髪の短い娘の脇腹を歪ませる。逃亡者は砂を掴むと、兵士の顔目掛けて叩きつけた。

 片目を押さえ怯む兵士。

 娘は、腹を押さえる仲間を引っ張って、追跡者の手から逃れようとする。

 走る娘が兵士を一瞥する。彼女の片目を押さえる男への視線は敵意に満ち溢れていた。


 兵士は槍を振りかぶり、二匹の兎へと力いっぱい投げ込む。槍は柔らかい肉たちを大きく外れ、砂の海へと飲み込まれた。

 髪の短い娘が回復し、ふたりは砂を踏みしめ走り出す。


「いけ! ケムギ!」

 犬をけしかける兵士。


 四足の獣は歯茎をむき出しにし、喉から怒号を迸らせ、逃亡者のしなやかな足目掛けて牙を立てる。

 獣の牙は服の裾を僅かに破り、娘を一瞬つんのめらせたが、血を流させるには至らない。

 どころか、犬の声は彼女たちがいっそう素早く逃げる為の鞭入れになった。

 兵士は武器よりも距離を選び、娘たちへ男の脚で追いすがった。


 しかし、砂上の走法においては、砂地産まれの娘たちに大きく軍配が上がった。

 犬も短い脚が災いし、砂の柔らかな部分で身を沈める。



 裸足の娘たちは砂上に足裏の摩擦熱だけを残し、あっという間に追跡者の前から姿を消した。



 任務に失敗した兵士は、砂の上に身を放り投げ、大声で叫んだ。それは一息で長く続いた。

 けっきゃ、娘たちを追えたのは叫びと犬の遠吠えだけである。


 兵士ヤンキスは、ただ無性に露天の肉串が食べたくなった。


***

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