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.17 知恵と翼

 タラニスが急降下を済ませ、背中ですすり泣く娘を落ち着かせるには、たっぷり神経をすり減らさなければならなかった。

 どうすれば泣き止むやら。馬鹿な人間を追っ払ったり殺したりするのならば、なんて事もないのに。

 その上、普段なら気にしなくてもいい風を読み、横風で揺れるのを避けなければならなかったし、高さを稼ぐための帆翔にも注意を払わなければならなかった。

 そうでなければ再び背中が涙で濡れてしまう。


「酷いわ。いきなりこんなことするなんて。先に教えてくれても良かったのに」

 ようやく泣き止んだ娘が抗議した。ようやく多少の揺れに慣れてきたようだった。


「いやあ、ごめんよ。遠くへ飛ぶ時はこうするのが一番なんだ」

 巨鳥は謝罪した。じつは彼は娘の驚く様子が見たくて、必要以上に高く上がり、いつもよりも鋭く滑空したのだった。

 流石にこんなにも驚くとは思ってはいなかったが。


「まったく。放り出されたと思ったわ。少しちびりそうになったわよ」


「えっ」

 首を曲げて確認しようとする巨鳥。


「大丈夫よ。ちびりそうになっただけだから」

「女の子があんまり、“ちびる”って言うもんじゃないと思うけど。それに“でっかい”とかも、もうちょっと品のある喋りかたをしたほうが良いと思うよ」

 巨鳥がため息をつく。

「あら、ごめんあそばせ。エススや教育長にも、よく言われるわ。口が悪いって」

「早くもぼくは教育係らしくなってきたってとこかな」

「そうね。それで、どこに向かっているのかしら?」


「もうそろそろ見えてくる頃だよ。ゆっくり飛ぶから、顔を上げて見てごらんよ」

 娘はずっと鳥の首根っこに抱き着き、ろくに顔もあげられないでいた。

 翼がやさしく風を受け、ふたりの速度を緩やかなものにする。

 眼前に広がるのは、城や塔からの風景とは全く違うものであった。

 一面の伽羅色。本来なら、草木によって緑に彩られている筈の大地は、砂とごつごつした岩々ばかり。

 川を思わせる筋には水の一滴も見当たらない。その先には、割れた皿をくっつけ直したようなすり鉢状の土地が見える。


「なにこれ……。水も森も動物も見当たらないわ」

「荒れ地さ」

「荒れ地? ……酷いわ」

 ルーシーンは口に手を当て、さも恐ろしい現場を見たかのような振る舞いをした。

「これも自然の大きな流れのひとつさ。風の流れが植物を殺すことだってあるし、人や草食動物が草木を根絶やしにしてしまう事だってある。そうすれば、それを利用する動物が次々と居なくなる」

 自然の使いたる鳥は語る。


「いやいや。そうじゃないわ。女の子を初めて案内する場所がこんなところだなんて、あんまりだってことよ!」

 背中からの抗議。


「ええ……。こういう場所のほうがきみの勉強には良いかと思ったんだけどな」

「もっとこう、綺麗な滝のあるところとか、可愛い動物がたくさん住んでるところとか、おいしい実の成る木のあるところとかのほうが、為になると思うわ」

「なんだか不純な目的を感じるよ」

「そんなことないわよ! ……まあいいわ。それで、ここなら何が学べるってわけ? 何もないように見えるけど」


「その通り。何もないのさ」


「あんた馬鹿にしてるの!?」

 背中で娘が騒ぐ。

「歴史を読み取るんだよ。さっきも言ったけど、ここは元々荒れ地だったわけじゃないんだ」

「こっちって、お城から見て西?」

 娘が訪ねる。

「うん。大体そうだね」

「それなら、ここがどこか分かる。この先は砂漠。このあたりには、ずっと昔に大きな国があったのよ。あたしの国ができるよりも前にね」

「正解。博識だね」


「モルティヌス……えっと、あたしに勉強を教えてくれてた教育係の人。

 その人から習ったわ。大楢の国のずっと西には荒れ果てた土地と砂漠が広がってて、

 そこにはあたし達の国にも負けないほど立派な国があったって。そこにも神樹があったそうよ」


 荒野には、所々に人工的な石壁の跡が見て取れた。遥か昔に繁栄した、歴史の残滓。


「でも、滅びちゃったのよね。草木を大切にしないで、刈り取り続けたせいで。最後はその国の神樹も死んじゃったってわけ。だからあたしたちの国は、木々を信仰して大切にしてるのよね」

「ふーん。きみ達の国では、そういう風に伝えられているんだね」

「何? 違うの?」

「さてね。エススに聞いてみたらどうだい?」

「エススも同じこと言ってたわよ?」

「そうかい。なら、そうなんだろうね」

 ルーシーンはタラニスの物言いをすっきりと飲み下せなかった。この話にも書物のように嘘や脚色が? もしそうだったら、誰が? 何のために?


「ルーシーン。見てみなよ。人間が居るよ」

 タラニスが顔を向けているほうに目を凝らす。何人かの人の集まりがある。

「本当ね。あれは“砂漠の民”?」

「だろうね。砂漠そのものはもう少し向こうだけど」

「ここは住みづらそうね……」

「好き好んで住んでいるとは限らないさ。周りの人間が彼らを拒んでいるのかもしれない」

「あたしなら拒まないのに。もしあたしが、ちゃんと王様の仕事ができるようになったら、あの人達とも交流してみせるわ」

「どうしてだい? きみ達に利益はない気がするけど」

「あたし達の国はね。“砂漠の民”を人として見てないのよ。あたし達だけじゃないわ。近隣のほとんどの国がそうなのよ」

「……奴隷か」

「そう、奴隷よ。あたし、そういうのはいけ好かないわ」

 吐き捨てるように言うルーシーン。

「同情かい? 人を使役する王らしからぬ発言だね」


「個人的にってだけじゃないわ。王としてもよ。奴隷の存在は国民の労働意欲に対して不健全なのよ。ちょっと前のあたし達の国がそうだったから」


 かつて大楢の国で行われていた奴隷の濫用は、国民に深刻な労働意欲の低下を招いた。

 奴隷法の改正により、それは徐々に回復に向かいつつあるがいまだに本来の水準に戻るには至っていない。

 エスス祭司長を筆頭に、その歪みをもろに受けて馬車馬の日々を送っている者も多い。まじめ者が損を被っているというわけである。


「なるほど。でも奴隷は労働力だけじゃないだろう? 兵力にもなる。他所の国がやめずに集め続ければ、きみの国が脅かされることになるかもしれないよ」

「よそが今もしてるか(・・・・)より、あたしたちがしてた(・・・)のほうが大きな問題なの。すでに目を付けられているわ。一番酷いときなんて、そばの森に住む部族の人だって捕まえていたらしいから」


「そりゃあ、嫌われるね。それなら今更やめたって無意味だろう」

 巨鳥は嗤った。


「そうかもしれないわ。でも今は、国そのものが危ないのよ。

 あたし達の大楢の国はね、王と祭司会と神樹の三本柱でやってきてるのよ。

 王が外交と国政を担って、祭司会が宗教と司法、医学、教育よ。神樹は信仰で人々の精神の安定を図る役目。

 あたしはこのざまでしょう? 神樹も最近、毒を出したりして、様子がおかしいみたいなのよ。

 祭司会とエススに全部の負担が集まってしまっているわ。誰かに攻め込まれなくっても、このままじゃ自滅してしまう」


 以前の大楢の国は、彼女の言う三本柱が成立しており、相互に力を保っていた。

 王が祭司会と国民を支配し、国民が王と祭司会へ税を納める。一般的な王家や首領の支配体制を分業する形を執っていた。

 祭司会よりも王のほうが政治上の立場が強いが、王家では神樹への尊敬と服従を幼少より教え、祭事において神樹にかしずかせ、国民の前でそれを示した。

 祭司会は神樹を信仰すると共に神託を受け、植物への実質の支配となる世話や伐採、植林を行い、神樹への優位性を保つ。

 そしてそれらは国民の労働力と税により稼働していた。


「宗教を利用するのは人間らしい賢いやりかただね。ところで、これはぼくの個人的な意見だけど、その考えかたが最善かどうかは置いといても、どうもきみは王者として不足しているわけじゃないようだね」

「回りくどい言いかたね」

「もっと無能な首長は沢山いるぜって話さ」

「けっきょく、馬鹿にされてるのかしら。それでも、エススから見たらまだ不足してるのよ」


 巨鳥は少し黙った。

 そうだろうか。エススには別の考えがあるように思えた。彼女はその若さを抜きにしたって、よく考えているほうだ。

 じゃあ、なんだ? 彼女を国政に就かせない理由は、単にこの不安定さが問題ではないか? つまり性格が悪い……その考えに至ってタラニスは口元が緩んだ。


「話は戻るけど、あたし達の国も元から奴隷が居たわけじゃないのよ。ほんの数十年前は禁止だったのよ。

 そして戦争も無かった。それはね、あたし達の国が、深い森に囲まれているからなの。

 人間にとって、森を越えることは容易じゃないわ。いくつか切り拓いて街道を通してるけど、限られた道なら守るのも容易いのよ」


「ふーん。考えてるんだねえ。ぼくなら森の上を飛べるから、そんなの関係ないけどね」

「褒めてるのか茶化してるのか、どっちなのよ」

「褒めてるさ。きみは随分勉強してきたみたいだね」

「勉強だけじゃないわ。沢山ものを考えたわ。あたし、考える時間だけはたっぷりあったから」


「それで、きみは王者として国をどうしたいんだい。どんな国を望むんだい?」

 巨鳥は純粋にルーシーンの考えに興味を持っていた。

 破天荒な性格に反して、根っこの部分ではしっかりと考えている。この木の芽がどのように枝葉を伸ばし、どんな花実を咲かせるのか。


「あたしはね……」

 ルーシーンが語り始める。


 ルーシーン・エポーナ王は奴隷制の完全な撤廃と労働負荷の均等分配を望んでいた。

 奴隷の解放は労働意欲を回復へと向かわせた。しかし、奴隷の影響を大きく受けていた層は富裕層や中間上層が多く、つまりは高額納税者が主体だった。

 彼らの中にはかつての労働負荷に戻ることへの不満を漏らして、納税を渋るものが現れたのだ。

 それが昔から苦しみながら税を工面してきた貧困層や、奴隷を取り上げられたものの、何とか適応してきた中間下層から不満を買ってしまっていた。

 それは時折、小さな暴動や事件に繋がっていた。これの鎮圧仲裁に乗り出すのが、警備職や祭司の上級の立場である裁判官であった。


 元より奴隷に任せられないこれらの職に関しては、奴隷の労働力に関して局外者である。

 警備職は元より余暇を持て余すのが任務であり、本来の職務において大して熟達できてない上に関心薄の有様で、

 裁判官においては祭司の上位職ということで絶対数も少なく、他の職務、例えば医者や徴税吏などの多忙時に人手を吸い取られることも多い。

 兼業だったのだ。その上、人手を増やそうにもそれを育て上げるのも同じ祭司である彼らの仕事だったから、彼らへの負荷は限界へと達していたのである。


 彼女は再三述べるが、諸悪の根源は奴隷制だ。規制後にも問題が残った。奴隷の価格が高騰。それは一獲千金を望む日陰者や無頼者を国に招き入れたのだった。

 奴隷制が国内に負の螺旋を生み出し、蜜壺を破壊し、漏れた先から糖蜜は腐って行く。

 穴は塞げど、甘い匂いに誘われた害虫を呼び寄る。そして虫は隣の壺にも害をもたらす。


 国内は再び、倫理においても危うくなっていた。


 さらには“外”だ。大楢の国は奴隷に関する禁忌を破ったせいで、国外の、特に奴隷として虐げられた弱小部族からの恨みを買っていた。

 その上、大楢の国の三本柱は本来の自然崇拝におけるやりかたとは多少異なっていたことも重なった。


 自然信仰そのものは大楢の国に限らず、多くの国や部族で古来より親しまれたやりかただ。

 本来、“神樹”のような明確な信仰対象を持つのであれば、王も国民も教えに絶対服従。

 神託を受ける祭司の長や祈祷師や呪術師のたぐいの権力が大きくなる。

 多くの国や部族は祭司の力のほうが強く、大抵はそれが実質的な支配を行っている。

 その信仰や体制の僅かな違いから、かねてより目を付けられていたのである。


 つまるところ、形の上だけでも祭司よりも王が偉いというのが気に入らないらしい。


 一旦目を付ければ、大楢の国がひとりの祭司長の働きによって保たれてる実情を知ろうとも最早関係ない。

 いくつかの勢力は、大楢の国の富や神樹を狙い、手ぐすねを引いて好機を伺っていた。それらしい理由さえあればいいというわけだ。


 そしてさらに弱い部族がそれを嗅ぎつけ、「この恨み、晴らさでおくべきか」と両者へ呪いを行ったのだ。

 呪いの効果如何はさておき、儀式は部族内の呪術師の地位を堅牢にした。

 結局は各々の利益と権力への欲望の為に争いを利用しているわけだ。


 ルーシーンは聞かされていた近隣の実情と小競り合いの話だけでそれを見抜くのに至っていた。


 この現状を打開するには、奴隷制を排除するだけでなく、さらに国内外の武力的問題と、労働負荷の不公平に対しての泉門となっている、兵士職への手入れが火急であると考えていた。

 多くの国や小競り合いの多い小部族において、戦士や兵士というのは重要な職であり、誉れである。

 彼らは祭司に次ぐか、それと同等の扱いを受けている。魂の生まれ変わりを信じる信仰。

 それは彼らに命を捨てる戦いをさせ、心身ともに死を遠ざける。

 その効力は信仰の度合いと直結する。祭司任せでやってる大楢の兵士とは戦闘力が違った。


 現状、大楢の国は、地の利と単純な人口による戦力差でなんとか守られているものの、実際に正面衝突した場合の結果は目に見えていた。


「みんな、平和ぼけしてるのよ。目先の安定だけじゃ先は短いわ」

「とどのつまり、きみは戦争の準備がしたいのかい? 女の子と言えど、やっぱり王座に就く者のさがかな? やっぱり人間は誰しも、そうなのかねえ?」

 巨鳥はずっと神妙な面持ちで聞いていたが、ルーシーンが軍事力の強化を結論に出すと、また元の小馬鹿にしたような嗤いをあげ始めた。


「抑止力よ。国内外の均衡を保ててた昔の状態に戻したいのよ」


「へえ……。御立派なことで」

 巨鳥は無味な賛辞を述べる。

「でも、それはきみの国の考えだろう。よそが理解するとも、待ってくれるとも限らないぜ。それに、仕事を増やされる兵士たちだって嫌がるかもな」


「あたしは王よ。その時は“わからせてやる”だけよ。

 いくら理想を並べたって、身内を守れなきゃお話にならないわ。

 兵士にだって家族や友達は居る。国はあくまで国という単位で生きるのよ。

 他国の為にあるわけじゃないし、国を維持するためには多少の切り捨てが起こるのは仕方のないことよ」


 ルーシーンはきっぱり言い捨てた。

 巨鳥が再び笑う。今度は本当の賛辞を込めて。巨鳥は笑い過ぎて空中浮揚の制御を忘れそうになった。


「気に入ったよ! きみには王者の資質がある!」


「はあ……」

 せっかく褒めたというのに、背中からはため息が聞こえて来た。


「そうでもないわ。じっさい、あなたが嗤うのも無理ないわ。あたしね、反抗期なのよ。だからよ。あたしも結局、王者なんかじゃなくって、ひとりの人間なのよ」

「反抗期? その生意気なのは地の性格じゃないのかい?」

「そうね、これは地よ」

「じゃあ、どういうことだい?」


「教えてあげないわ。もっと仲良くなったら考えてあげる」

 少し楽しげだ。


「けちんぼだな」

 鳥が呟く。


「与えるだけじゃ良い外交とは言えないわね、タラニス。あなただって、あたしに秘密にしてること、沢山あるでしょう?」

 にべもなく返すルーシーン。


「……そうだね。ま、それもおいおい。仲良くなったら教えてやるさ」


「ふふっ」

 娘は楽しそうに笑った。巨鳥もつられて笑う。


「それじゃあ、こんな荒れ地じゃなくて、もうちょっと良いところに連れて行ってちょうだい」

「かしこまりました。王様」

 巨鳥は再び翼に風を抱き込み、高く昇っていく。ふたりは荒れ地を越え、黄金の海を越えて、まだ見ぬ大地へと飛び去って行った。


***

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