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.16 秘密の生き物

 “神樹”の毒霧の騒ぎ以降、城内は随分と静かになっていた。

 エスス祭司長や王に対する不義を疑われた者たちは、自分がその罪によって職を失うのではないかと気が気ではなかった。

 皮肉にも彼らは目を付けられぬようにとかえって真剣に働いたので、国内の仕事の進捗はいつもと違い芳しかった。


 とはいえ、それでも祭司長を水車から解放するまでには至らない。


 彼は相変わらず、病人のような顔のままあくせく回り続けた。

 多忙に加え、彼が目を掛けていた娘も姿をくらませてしまったので、心労如何程にといったところである。

 往々にして悪いことは重なるものだ。せめてもの慰めと“愛する神樹”との交信を試みたエススであったが、“愛する神樹”は毒霧の件以降、彼に神託をもたらさなくなっていたのだ。

 そんなわけで彼は、いよいよ風で葉の散る冬の木となってしまった。


 いっぽう、国王であるルーシーン・エポーナも、いやに(・・・)静かに勉学や公務の予習に打ち込んでいた。

 彼女の勤勉ぶりは、あのモルティヌス教育長に連綿たる情熱の教鞭をとり落させる程であった。

 モルティヌスは彼女の品行方正な態度を訝しむが、ルーシーンは「女の子は秘密の多い生き物なのよ」とはぐらかすばかりであった。

 いやもう、それははぐらかすどころか、不安の燻りに風を送るようなもので、彼女に煮え湯を飲まされ続けているモルティヌスは頭を痛くした。

 その話はそのうちにエスス祭司長の耳にも入り、彼は心労の収穫と種まきを、同時に行わなければならなくなったのである。


 ある朝、ルーシーンはエスス祭司長に「大切な話」があると呼び出された。

 彼女はいよいよ公務に携われるのかと期待に胸を膨らませたが、祭司長はそれに関してはやはり肯んじず「まだ勉学が云々」と繰り返した。

 ルーシーンは胸の空気を頬に移すと、久しぶりに暴れる算段を始めることにした。

 それをよそに祭司長は彼女を部屋から連れ出し、城の一番高い場所、「物見の塔」へと案内し始めた。


「塔へ? いったい何をするの?」

 祭司長のあとに続くルーシーン。塔の階段は壁も手すりも無く吹き晒しだ。足を滑らせると大けがでは済まないだろう。

「ルーシーン。憶えておいでですか、いつか私が約束した“秘密の生き物”の話を」

「言ってたわね。あれはてっきり、あたしを煙に巻く為に吐いた嘘だと思ってたわ」

「嘘ではありません。ですが、仰る通り。あなたを煙に巻く為のものです。最近、妙に大人しいようですが、どうせまた我々の仕事を増やそうと企んでおるのでしょう? あなたには本当に大人しくしてもらわねば困るのです」


 ルーシーンの“企み”は見透かされていた。

 しかし“企み”の本当のところは、彼女の自己満足の為だけではなく、国や嫌味を言う彼の事をも想っての計画である。

 祭司長の発言のほうは無事、嫌味本来の意図を成した。


「酷いわ。だったら、あたしをどうするっていうの? “秘密の生き物”とやらで釣って、塔から突き落とすつもり?」

「そんなつまらぬことは致しません。最近、我ら祭司の職務は多忙を極めております。モルティヌス教育長も、本来の教職をこなすだけの時間も割けぬ有様。彼の負担を減らすため、王の教育係の任も解くことにいたしました」

「それは良い話ね。あたしの耳もちょうど、負担を減らしたかったところよ。それで、それと“秘密の生き物”はなんの関係があるのかしら? あたし、言ったわよね。仔猫や小鳥はもう要らないって」

「犬猫などではありませんぞ。ましてや小鳥などでは。これは、あなたの気を逸らすのに充分なものだと確信しております」

「はっきり言うわね」

「長い付き合いですからな」


 ふたりは塔の階段を登り終えた。屋上には部屋ひとつくらいの広い空間が設けてあり、夜警用の鉄の篝籠がふたつ置かれている。

 “神樹”の天辺よりも高い屋上には、風が縦横無尽に駆け巡っている。気を付けなければ、娘の身体くらいはさらわれてしまうだろう。


「なによ、何も居ないじゃない」

 服の裾を押さえながら、余った手で髪を撫でつけるルーシーン。

 呼び出しを受けたとき、彼女は期待をしていた。それゆえ身支度にはたっぷりと時間を割いた。

 だが、柔らかい金色の髪は、早くも台無しとなっていた。風が吹こうが吹かまいが。


 エスス祭司長はかがりかごのあいだに立ち背を向けている。

 そういえばルーシーンは部屋を出てから一度も彼の顔を見ていなかった。


「ねえ!」

 声を張り上げるルーシーン。

 厳しい祭司長であったが、長くともに暮らした彼へは信を置いていた。だがそれはほんの短いあいだに不安の色に塗り替えられてしまっていた。


「やっぱり、あたしを突き落とすつもりなんじゃ……」

 すがるような声は祭司長へと届く前に、風に遮られた。



「――来ましたぞ」



 呟くエスス祭司長。いつもの落ち着いた声であったが、それは確実にルーシーンの耳に届けられた。風は止んでいた。


 刹那、大きな布をはためかしたような音と共に、屋上を大きな黒い影が覆った。

 影の主は、屋上を二度、三度、黒く染めてからゆっくりと降り立った。


「これが“秘密の生き物”です」

 ルーシーンの前へ姿を現した“秘密の生き物”。


 それは朽ち葉色の羽毛に覆われ、神樹の樹皮を思わせる分厚い翼を持った鳥だった。

 獲物を容易く掴み殺せるであろう湾曲した爪と嘴は、黄金の剣を思わせる。

 瞳は宝玉のようで鋭い猛禽の光を持つ、美しい鳥だった。

 そしてそれは、翼を畳んだ今でさえ、横に立つ祭司長よりも大きな体躯を有していた。


「まあ!」

 ルーシーンは感嘆の声を上げた。

 彼女にそうさせたのは、巨鳥の様相だけが原因ではなかった。

 なぜならば、ルーシーンは「反幻想主義」であったのだ。

 多くの書物に囲まれ、多くの物語に触れてきた彼女であったが、それが絵空事で、著者や君主の威厳付けに利用された嘘であることを見抜いて、全部そうだと決めつけていた。

 祭司の行う呪いや、儀式、占いにも懐疑的で、それらが書物と同じくして信仰による不可思議や不安への対抗策のための方便であると考えていた。


 魔法なんて存在しない。


 だから、書物に描かれている生物についても、すべて空想の産物だと決めつけていた。だが、その主張への「いいえ」が、彼女の瞳の中に飛び込んできたのだ。


「すごいわ。すごいわ。でっかいわ!」

 娘は巨鳥に近づくと、羽毛の手触りを確かめたり、翼のあいだに勝手に潜り込んだり、爪の鋭さに驚いたりした。

 巨鳥は不躾な娘の態度に、脚の位置を何度も変え身体を揺らした。


「今日からこの者があなたの教育係です。では頼んだぞ、“タラニス”よ」

 エスス祭司長はそれだけ言い残すと、再び風の吹き始めた階段を降りて行った。

 巨鳥はちょっと羽を広げて、祭司長のほうへ身を傾け、嘴を開けたが、自身の身体を弄る好奇心のかたまりによって邪魔されたようだ。


「ねえ、あなた。すごくでっかいわね。何を食べたらこんなに大きくなれるのかしら?」

 娘は背伸びして手をめいっぱい伸ばすも、その指先は巨鳥の頭に届かない。


「この爪で獲物を捕まえるのね。翼もすごく立派だわ。綺麗な色。羽根を一つ貰えないかしら」

 娘は鳥の顔を下から覗き込んだ。さすがのお転婆とはいえ、勝手に羽根を引っこ抜く真似は控えた。


「って、喋るわけないわよね。いくらでっかくても、鳥は鳥だものね」

 声に反応してか、それまで好き放題されていた巨鳥が娘に向き直った。


「失礼な。ぼくは喋れるぞ。“すごい”と“でっかい”しか言えない君よりも、ずっと上手にね」

「なに? その言い草。あたしを馬鹿にしてるわけ?」

 返事をするルーシーン。


 しかし、その相手が鳥であることに気付くと、満月をふたつくっつけた顔は、塔の上の新鮮な空気をめいっぱい吸い込んだ。



「しゃべったあああああああ! 鳥が喋ったわ!」



「おわ! 人間の娘は五月蠅いな! 喋るよ。喋るとも。喋らないで教育係なんてできるもんか。まったくエススの奴。久しぶりにぼくを呼び出したかと思えば、こんな小娘の教育係? 面倒くさい仕事を押し付けてくれたもんだよ」

 巨鳥は目を細め、嘴の鼻腔から長く息を吐いた。


「すごいわ! 素敵だわ! 鳥が喋るなんて!」

 娘は興奮しながらも、頭の中に蓄えた書物を捲った。


 ――どこかに居なかったかしら。喋る鳥は? ……いたわ。オウム。でも、声真似をする鳥は居ても、人の言葉を理解する鳥なんて、居たかしら!?


「さっきから、鳥、鳥って失礼だな。ぼくには“タラニス”って立派な名前があるんだぞ」

「あら、ごめんなさいタラニス。だったら、あたしも小娘じゃないわ。あたしは、ルーシーン。ルーシーン・エポーナよ。この国の王様なの!」

 腰に手を当て、胸を突き出すルーシーン。

「ははあ。エススがぼくを呼んだのも分からなくはないな。こんな馬鹿っぽいのが王だなんて」

 巨鳥は喉を鳴らした。嘴の中で「ケケッ」という音が聞こえる。


「なによ、鳥の癖に! あたしもちょっと気にしてるのよ!」


「そうかい、それは失礼!」

 小馬鹿にしたように娘を嗤う。


「ねえ、タラニス。あなた、あたしと友達になってくれない?」

 娘は不満げな顔をくるりとさせると鳥に飛びついた。

「どうかな。ぼくはきみの“教育係”らしいからね。“友達”じゃ変だろう?」

「いいじゃない。兼業よ、兼業。どうせ、あなたも友達居ないでしょう? あなたみたいな鳥、他に見たことないもの!」

「それを言われると、否定しようがないな。如何にも。ぼくは書物に記されるような“魔物”に類するものだからね。伝説とか、神話に出てくるような! こんな立派で美しい鳥が、何羽も居るはずないのさ!」

 そういうとタラニスは両の翼を大きく広げて見せた。

 ルーシーンは、どこかの国の王様が作らせた神話の像を思い出す。それもやはり書物で見たものだったが。


「否定しようがないってことは、あたしの友達ってことで、いいわね?」


「……うん? まあ、いいさ。減るもんじゃないしね」


「やった! 嬉しい!」

 娘は豊かな羽毛に飛びついた。

「いきなり馴れ馴れしいな! 友達なったばっかりだよ」

 巨鳥は顔を埋める娘に抗議をする。

「あら、なる前からよ?」

「それもそうだった……」

「ねえ、ちょっと聞きたいんだけど、タラニスって、エススの家来なの?」

「家来ぃ? ……まさか! あいつの家来なんかじゃないよ。決してね。ぼくとあいつは、対等さ」

「じゃあ、友達? 友達なの?」

「そうとも思えないな。……まあ、腐れ縁って奴だよ。古い、古い知り合いさ」


 巨鳥は少し視線を泳がせた。


「ふうん。ね、タラニス。あなた、どこから来たの?」

「質問が多いな」

「教育係は教えるのは仕事でしょ?」

「はいはい。ぼくは……“上”から来たかな」

 巨鳥は空を見上げる。


「上? 空ってこと?」

 娘は上を指して首を傾げたが、すぐに巨鳥に噛みついた。

「……そういう事じゃないわ! どこに住んでるのってこと!」


「だから、上さ。あるいは、あっちのほうのずっと遠くの土地だね」

 タラニスは猛禽の瞳で遥か彼方を見た。


「どういうことかしら?」

 馬鹿にするには雑過ぎる。ルーシーンは首を傾げた。


「困ったことに、ぼくもどっちが本当なのか分からないのさ」

 巨鳥は本当に困った様子で言った。


「良く分からないわ……。もし上だとしたら、それはどこなの? 雲の上? 太陽? それとも月?」


「もっと遠くさ。ずっとずっとね」


「空の先? 星のある海? どのあたりなの? 夜になったら教えて」

「馬鹿にするわけじゃないけど、今の君達に言っても解らないんじゃないかな」

「あら、占星術なら結構詳しいほうよ? ……でも、きっとそうね。あなたみたいな生き物がいるなんて知らなかったもの。もっと知らない事や分からないことがあっても、不思議じゃないわ!」

 知らない、分からない。否定的な言葉を口にするたびにルーシーンの瞳が輝いた。


「物分かりが良くて助かるよ。やっぱりぼくもどう説明したらいいのか、分からないし」

「ふうん? ね、タラニス。あなた、もちろん、空は飛べるわよね」

「聞くまでもないだろう? だいたい、きみの前に出てきた時だって、空から降りて来ただろ」

「そうよね。じゃあ、あたしぐらい重たいものを持っても、飛べたりする?」


 ルーシーンは新しい友人に、早速厄介になろうという気らしい。

 友人は友人で、彼女の思惑を見透かしつつ得意げに鼻を鳴らした。


「当然。きみは軽そうだからね。ニ、三人まとめてでもへっちゃらさ」

「本当!? すごいわ!」

 娘は跳ねると顔の前で両手を握り合わせた。彼女はすでに空の旅に出ているかのようだ。

 目を閉じ妄想にふけったかと思うと、巨鳥の足元へ視線を移した。


「……でも、その足の尖った爪で掴まれたら、あたし死んじゃうかも。そうでなくとも、服がぼろぼろになっちゃいそう」

「獲物じゃないんだから。心配いらないよ。ちゃんと背中に乗せてやるさ」

「よかった。でも、あたしを乗せたら、ゆっくりしか飛べなかったり? 身体をどこかにぶつけたりしないかしら?」

「甘く見ないで欲しいね。ぼくは岩より頑丈だし、稲妻のように空を駆けるんだぜ」

「本当? 馬よりも速いのかしら?」

 彼女の中で、速いものと言ったら馬だった。


「馬だって!? ふん! 馬なんかと比べないで欲しいね!」

 巨鳥は嘴を大きく開いて威嚇をした。どうやら本当に気に障ったらしい。

 ルーシーンも流石に半歩下がってちょっとだけ背中をそった。


「乗るの? 乗らないの? なんだかんだ言って、きみは、飛ぶのが怖いんだろう?」

 挑発する鳥。


「そうね。ちょっと怖いかもしれないわ。人は空を飛ぶようには、できてないのよ」


「そ、そうだね……」

 巨鳥は不意を突かれた。


 この娘なら、虚勢を張ってでも反論するかと思ったのだ。

 じつを言うと、それでまたちょっとしたやりとりを楽しむつもりだった。

 タラニスは、自分は賢いつもりだった。人間の小娘ひとりを見抜くことなど容易いと考えていたのだ。


「やめとくかい?」

 鳥が娘に尋ねる口調からは、険も高慢さも無くなっていた。


「ううん。乗せて。あたし、外の事何にも知らないの。本で読んだだけ。知らなきゃいけないのよ」

 娘の楽しげだった顔には真剣さが滑り込んでいる。


「……ふうん。それじゃ、お姫様。ぼくの背に乗ると良いよ」

 タラニスは前かがみに背を下げて、小さな人間の娘がよじ登りやすいようにしてやった。

「あたしね、お姫様じゃないのよ。さっきも言ったけど、王様なの」

 鳥の身体によじ登りながらルーシーンが言う。

「言ってたね。どうしてなんだい?」

「お父様、死んじゃったのよ。お母様もあたしを産んだときにね。で、あたしだけ。だから、王様」

「それは悪いことを聞いた」

「ううん。ほとんど憶えてないから、あんまり」

 ルーシーンは気にしてない風だったが、タラニスは少しばつが悪くなった。まさか人間相手に、こんな気を遣う羽目になるなんて。


「でもそれなら、王じゃなくて女王になるんじゃ?」


「お父様は男の世継ぎが欲しかったのよ。あたしじゃ、だめだったみたい。“王”の次は、頑として“王”なのよ。

 けっきょく、男の子は産まれなくて、あたしがやる羽目になっちゃったんだけど。

 もし弟が産まれてたら、王の役目なんてしなくてよかったし、お姫様だったから、楽しかったんだろうけどなあ」


 ルーシーンは空想の弟との生活を何度も思い描いていた。

 そこでは常に自分は、優しく賢い姉であった。そしてそれを慕う可愛らしい弟。王者に似つかわしくない華奢な手足と、髪を撫でつければ娘と紛う程の顔立ち。

「ねえさま!」

 ……鼻で笑われるかもしれないが、彼女も生い立ちが変われば、そうならなかったとは言い切れまい。


「そういうわけで、あたしはたくさん勉強しなきゃならないのよ。

 屋根の下で学べることは、もうみんな憶えちゃったわ。やっぱり外よ、外。

 いつもなら、お城の人に捕まっちゃうのよね。エススだってうるさいし。でも空からなら、誰も捕まえられやしないわ!」


「ちょっと待てよ。それなら、きみを連れ出したら、ぼくが叱られるんじゃないのかい?」


「こんな大きな鳥、おっかなくて叱れやしないわよ」


 巨鳥は過去の人間の自分に対する反応を思い出す。

 どいつもこいつも、震え声を上げながら逃げ惑ってたっけ。

 良くしても、いや、悪くすると、弓や槍を持って追いかけられるところだったっけな。

 それにしたって、この小娘はなかなかの胆力だ。ぼくを見たって、叫び声をあげるどころか、近寄ってべたべたと触って来たのだから。


「……いやいや、そういう事じゃないよ。エススに文句を言われるだろう」

「まさか。彼がこうなることを予測できないとは思えないわ。折り込み済みよ。それどころか、あたしが仕事の邪魔をしないように、城から追っ払うを望んでるくらいだわ」


「ふーん。そうかい。きみの言う通りかもな。もっとも、エススに文句を言われたって、ぼくは気にしないけどね」


 彼はエスス祭司長によって、事前説明も無しに呼び出されていた。

 旧知の仲とはいえ、彼の容姿では人前に姿を現すことは好ましくない。

 それを承知で呼び出すのならば、それ相応の要件だろうと思って応じたのである。

 初めから要件を聞いていれば、きっとここには来なかっただろう。


 巨鳥は矮小で愚かな人間たちがあまり好きではなかった。特にこういった、うるさいばかりの小娘は。

 だが彼は、このやり取りに悪い気はしていなかった。一見がさつで、無知蒙昧と思える娘が見せた一瞬の翳りに、興味を持ったのである。


 それは、ほんのちょっとの気まぐれで、何となくの暇つぶしだった。

 娘に“友人”として様々な風景を見せ、学ばせるのも悪くないかもしれない。彼はそう思った。


「しっかり掴まってなよ。毛を握るとすっぽ抜けちゃうから、ぎゅっと抱き着くようにね」

「あら、なんだかいやらしいわね」

「なんでだよ。落ちても知らないぞ。落ちたら死んじゃうぜ」

「いいわよ。それならそれで」

 小石を投げるように言う娘。

「なんてこと言うんだよ。……まあいいさ。たとえ落ちたって、地面に着くよりも早く捕まえられるさ」


「頼もしいわね。さあ、空の旅へ出発よ!」

 ルーシーンが拳を放して突き上げた。


 巨鳥は翼を広げると、あたりの空気を抱き込んで身体を浮上させ始める。


「すごい……浮いてる! 本当に飛んでるわ!」

「もっと高く上がるよ」

 巨鳥は翼を力強くはためかせ、高く高く空へ登ってゆく。塔を、神樹を、城を、街を下へと置き去りにして。


「雲に届きそうだわ。でも太陽には、まだまだ届かないみたい」

「今日はあまり出てないけど、このあたりも雲が居るときもあるね」


「ちょっと寒いわ」

 羽毛に身を沈める娘。


「どこに行きたい?」

 巨鳥が訪ねる。

「どこへでも。あなたに任せるわ」


「了解。それじゃあ、しっかり掴まってなよ。王様!」



 そういうとタラニスは羽ばたくのを止め、両の翼をまっすぐ伸ばした。



「えっ?」

 翼は冷たい空気を切り裂きはじめ巨体を滑らせ始めた。

 背に掴まる娘の耳は、嵐の雷鳴の中に放り込まれたようになった。

 娘は思いっきり悲鳴を上げたが、轟音にかき消され、巨鳥の耳には届かない。


 タラニスは少しばかりご機嫌だった。対等に話せ、かつ己の力量を示せる相手を見つけられたことに。


 ……この奇妙な関係がのちに、とんでもない苦労をもたらすとも知らず。


***

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