.13 ふたりの娘
コニアを引っ張る女は、町や城の方角へは向かわず、真っ直ぐに森へと駆けて行った。
いったい、どこへ向かおうというのだろうか。彼女の足取りの迷いの無さからは、確かな目的が感じられた。
ふたりは夜の森の中を駆けた。そして程なくして少し拓けた広場へ出た。
そこには、何か意味ありげに置かれた石の台座がぽつんと置かれていた。
女はコニアの手を放すと、息を切らせながら石の台座にもたれ掛かった。ここが目的地なのだろうか。
広場は人為的に作られたもののように見えた。コニアはそこは祭司たちが儀式に使う神聖な場所だと聞いたことがあった。
森を切り拓き、半分人の領域に染まった場所。半人半森のその場は神との交信に使われている場所である。
生贄を捧げることもあるというその広場。
女はコニアをそこへ連れて来たのだ。
「どこ、ここ……」
息を整え終えた女が呟いた。
「知らないよ……」
呆れた。この人は、自分がどこへ向かっているかもわからないまま走り続けていたんだ……。
コニアは改めて目の前の女の姿を観察した。腰まで伸びた髪はばらばらに乱れており、木の枝やら葉っぱやら、何かわからない気色の悪いものやら、じつに様々なものが絡みついている。
顔は汚れはしていたものの、元々の作りは悪くないようで、人懐こいような、自分とそう変わらぬ若い娘であることが分かった。
服もコニアと同様、ずたぼろで、血と泥に塗れて酷い有様だ。
「ねえ、とにかく逃げなきゃ。夜のあいだに。私、あの町から抜け出したいの。お願いっ」
ざんばら髪の娘は、両手でコニアの手を取り、哀願した。得体の知れない娘ではあったが、悪人ではないようだ。
それに、「逃げる」という言葉がコニアの心に響いた。
……どこかで誰かに、命じられた気がするような、いつか自分がそれを望んだような。
「分かったわ。一緒に行くわ」
「本当!? 嬉しい! よおし、じゃあ、急いで森を抜けよう!」
娘はコニアの承諾に全身で喜びを表現した。飛び跳ねるたびに、ぼさぼさの髪が茂みのような音を立てた。
「私はコニア。あなたは?」
人嫌いの娘の、自発的な名乗り。自分から名乗ったのは産まれて初めてかもしれなかった。
「そういえば、名前を言ってなかった。私はプニャーナよ。気軽にプニャと呼んで!」
プニャーナと名乗る娘は、コニアの目を見つめると、片目を閉じて歯を見せた。
ふたりは、広場から伸びる道を辿って、森を抜けることにした。
月明かりだけを頼りに道のない夜の森を抜けることは、人間には、それも小娘にはとうてい不可能な仕事である。
だが森には街道があった。そこならば比較的に歩きやすい。
街道を辿れば、ひょっとしたら誰かに出くわすかもしれなかったが、暗闇の中で獣に出くわしたり、木々や茂みの相手をするより危険は少ないと思われた。
じっさい、最初の広場に辿りつけたのは全くの幸運で、先頭を行っていたプニャーナは、枝に身体を引っかけ過ぎて、身体を擦り傷だらけにしていた。
あとに続いていたコニアも、森の闇でうごめく何かの気配や、獣のものと思われる唸り声を耳にしていた。
森は娘たちを飲み込もうとし、森の住人は闖入者を真っ向から拒絶していた。
コニアは、根の穴の底で目覚めたときから、なんだか破れかぶれのような、神樹を登ったときとは別種の気力と勇気に溢れていた。
それは自分が一度死んだと思った為か、故郷を出てからずっと何かに巻き込まれ続けてきた為に宿った、胆力なのかは分からなかった。
誰かに出くわすかもしれぬという危険などどこ吹く風、彼女は道の真ん中を堂々と進んで行った。
いっぽう、プニャーナは、初めの勢いはどこへやら、コニアの手を掴んだまま、彼女の背中に隠れながら、あとをついて行った。
大楢の国は、四方を森に囲まれた草原にある国だ。そんな国が他国と交易をしようと考えれば当然、森を切り拓き道を整備しなければならない。
この道は大楢の国にとって、大動脈とも言える重要な道の一つであった。
とはいえ夜中に好んで森を抜ける者は皆無で、彼女たちは誰かと会うこともなくすんなりと森を抜けることができた。
森を抜けると、そこは背の低い草の敷き詰められた草原だった。
草原は遠くのほうで禿げ上がっており、その向こうは砂丘になっているように見える。
それが砂漠であるならば、逃亡先として相応しいとは言えないだろう。
だが、先頭を行くコニアの足は、かつての故郷を求めたのか、自然とそちらのほうへ向いたのであった。
ふたりはすっかり疲労しており、最初こそ明るく名乗りあったものの、それからほとんど言葉を交わすことは無かった。
森を抜けて逃亡が半分成功した今となっても静かだ。
それもそのはず、穴を出たときは真上にあった月はどこかへ去り、向かうさきの方角から空が明るくなり始めていたのだ。
彼女たちは、一晩中歩き通しだった。
ふたりは砂丘に踏み入り、砂の山を登った。コニアにとって足の裏を刺激する砂の感触は懐かしいものに思える。
砂山を登りきると、ふたりの眼前が眩しく光り輝いた。
昇り始めた太陽。一面に広がる水。
視界の端から端、その「水溜まり」は顔を右に振っても左に振っても、終わりが見えない。
不思議なことに岸では水が一斉に押し寄せたり、引いたりしている。
水と空の境界から伸びるいくつもの雲が、生まれたばかりの太陽の光により、はっきりとした陰影を作り出し、水面はその光を何倍にも増して世界を照らしていた。
「海……」
好奇心旺盛な娘が、いつかどこかで聞いたおとぎ話の景色。水溜まりよりも、川よりも、湖よりも大きな、大きな、海。
まったくコニアの旅は、現実離れをしていた。彼女はひとときのあいだ、痛みと疲れを忘れた。
あとから追いついたプニャーナも、絶景に感嘆の息を漏らした。
ふたりはどちらからともなく、手を繋いだ。互いに言葉を交わすことは無く、景色の感想や、逃走の成功を祝うように、握る力を強め合う。
太陽に照らされたふたりの娘は、砂丘の上で長い影となって、赤い空に浮かび上がっていた。
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