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.12 根の穴

 小鳥を引き取りに兵士がやって来たのは、すっかり日が沈んでからであった。

 今朝がた、あれだけ騒然としていた城内もようやく平静を取り戻し、ルーシーンも来るのが遅れた兵士に夕食抜きの罰を与えようと考える程には気力を取り戻していた。


 ルーシーンは兵士を待つあいだ、中庭で神樹の世話係をしていたという娘の事を思い出していた。

 彼女はどうしているだろう。友達になり損ねた、あの異国の娘。


 呼びつけて現れた兵士は、さいわいにもあの娘の世話係もしていた兵士ヤンキスだった。彼は部屋に入ってくるなり、鼻をつまんでいた。


「ちょっと、あんた。失礼ね。この部屋が臭うって言うの?」

 ルーシーンは彼の“王への失礼”には慣れていたが、さすがに“女子への失礼”には苦言を呈した。


「いへ、ちょっと今朝から鼻血が止まらなくっへ。綺麗なお部屋に、鼻血を垂らすわけにはいかないんへ」

 鼻声で返事をする兵士。ルーシーンは馬鹿にされている気がした。

 だが、要件を済ませることが先決だ。小鳥はすっかり固くなってしまっている。


「ふうん? まあいいわ。小鳥が死んじゃったの。お城の裏の“根の穴”に入れて来てあげて頂戴」

 “根の穴”と聞いて、兵士ヤンキスは嫌そうな顔を隠せなかった。ルーシーンはそれを目敏く見つけ、彼を威圧した。


「命令よ。さっさと行って来ないと、晩御飯抜きよ」

 返事をしないヤンキス。


「ちょっと! 聞いてるの?」


「もう晩飯はすませまひたよ」


「口答えしないの! 行くの? 行かないの!?」

 ヤンキスは鼻をつまんでないほうの手を黙って突き出した。ルーシーンから鳥かごを受け取ると、さっさと部屋から出て行った。


 ルーシーンは兵士の背中を訝し気に眺めると、扉を閉めた。

 彼の態度はもともと良くは無かったが、今日はとりわけ様子が変に思えたのだ。

 まあ、朝にあんな騒ぎがあったのだから、そう感じるだけなのかもしれない。

 そう思いなおすとルーシーンは、眠りに就くために衣装を着替え始めた。

 ところで、着替えている途中に、ヤンキスに例の娘の事を尋ねるのを忘れたのに気が付いた。

 仕方がないので、彼の明日の朝食を抜きにするように料理長に伝言しておくことに決めた。



 兵士ヤンキスは生きた心地がしなかった。

 コニアの遺体を“根の穴”に葬ったあと、騒ぐ人々の群れに戻り、知らぬ顔を決め込むつもりだった。

 しかし、その途中で、エスス祭司長にばったり出くわしたのだった。

 祭司長はヤンキスが二階の連中とは違って、騒ぎに参加してない事を喜んでいた。そして彼の今朝の行動に気付くことは無かった。

 だがヤンキスは、いつ尋ねられるかと、首に刃物を突き付けられたような心地であった。

 彼女は祭司長のお気に入りだったし、勝手に遺体を処理したことがばれたら、怒られるだけでは済まないだろう。


 ふたりで二階の広間に行くと、モルティヌス教育長が、騒ぐ連中に向かって説教を垂れている。

 彼は仕事があって城から出ていたが、エスス祭司長よりも先に戻っていたのであった。

 彼は彼なりに騒ぎを鎮めようと孤軍奮闘していたが、努力空しく騒ぎは収まらず、連中の抗議の矢面に立たされる羽目になっていた。


「エスス祭司長!」

 モルティヌスはエスス祭司長に気が付くと、情けなくも大きな声で彼の事を呼んだ。

 抗議をしていた連中は、一斉に教育長の視線の先に注目した。

 エスス祭司長。自分たちが先ほどまで責任転嫁し、好き勝手に陰口を叩いていた、彼らの長。


 祭司長の姿を認めた連中は、すっかりしょげ返り、朝からずっと続いていた文句はぱたりと止んだ。

 部屋に入る前に祭司長の耳にも、しっかりと罵詈雑言が耳に届いていたのだが、まあ彼は何も言わなかった。


 二階に集まっていた人々は解散し、各々の仕事に戻って行った。

 一時の気の迷いというべきか、誰かの文句に水を得た魚になっていたというべきか、彼らも結局は、エスス祭司長無しではやっていかれなかったのだ。


 換気を始めていたとはいえ、廊下にはまだ霧がうっすらと残っていたが、それを恐れたり避けたりするものは一人も居なかった。

 霧は祭司長の言った通り、それからしばらくして、すっかり消えてなくなった。


 ヤンキスは騒ぎが収まると、祭司長に命じられ、王の部屋へ行くこととなった。

 最後にあの部屋へ行ったのは、ルーシーンがコニアをこっそり呼び出した時のことだ。

 あのふたりには面識があった。これもやはり、彼の気を揉ませた。やはり彼女の事を訊ねられはしないかと。もしも訊ねられればとぼけるしかなかった。


 逃げたことにしようと考えていたが、まだそれを誰にも言っていない。

 さきに王へそれを知らせたら、さきほど祭司長と一緒に居たときに伝えなかったことが問題になりかねない。

 普段なら、あのはねっかえり娘相手にとぼけることは容易かったが、今日はどうも苦心して、途中からはもう黙っている他になかった次第だった。


 彼はすっかり疲れていた。その上に、もう一度あの“根の穴”に足を運ばなければならないとは。

 全く自分はついていないと嘆く。鳥かごの中身を眺めながら、他の誰かに“根の穴”に近づかれるよりはマシかもしれないと自分を慰めるしかなかった。



 夜の墓場。昼間はにおいだけ死の穴であったが、やはり墓場は墓場だ。

 大の大人だろうと兵士だろうと、人の子であれば背筋を舐められるような怖気を覚えてしまうも無理はない。

 つい最近まで生きていた見知った娘が眠る場所という神聖な事実も、彼の恐怖を取り払うのにはなんの役にも立たなかった。


 本来ならば、埋葬事は日中に行うのが普通だし、夜ならば明かりの一つも持つべきなのだが、ヤンキスは両手が埋まっていたので、無精して暗い道を進むほかなかった。

 穴の付近はあまり地面が平らではない。ときおり鼻血が逆流して喉を伝うのを感じた。だが、月明かりが煌々と道の凹凸を浮かび上がらせていたので転ばずに済んだ。


 ヤンキスは足早に穴の近くまで来ると、小鳥をかごごと穴へと投げ込み、香草を撒くことも焚くこともせず、いそいそと、城を照らす松明の明かりのほうへと引き返して行った。

 背後から、誰かに呼ばれるような気がしたが、疲れのせいと割り切って、振り返ることはしなかった。



 城の裏の洞穴は、縦に深く、その底は昼間でも薄暗く、そこから緩やかな傾斜の横穴があり、放り込まれたものは、さらに奥へと転がり込むようになっていた。

 木で編まれた鳥かごは、あちらこちらにぶつかりながら転げ落ち、ばらばらになった。飛び出した鳥の死骸が、今朝に仲間入りしたばかりの娘の顔にぶつかった。


「う……」


 娘は声をあげた。神樹の枝から落ちて死んだ、祭司コニアだ。

 彼女はどういうわけか、生きていた。


 兵士ヤンキスが何度も確認をしたが、彼女はあのときすっかり冷たくなって、小さな胸は鼓動をやめていたはずだった。

 小鳥が当たった衝撃では、彼女の目を覚ますには至らなかったが、生き返った娘は暗い闇の中、目覚めようともがいていた。


(目覚めなさい……目覚めるのです……。あなたはまだ死んではなりません)


 娘の頭の中で声が響く。聞いたことのない、女性の声。


(起きるのですコニア……。起きてここから逃げ出すのです……)


 声に反応し、無意識に身体を動かすコニア。右の手首に激痛が走る。彼女はその焼けるような痛みに身体を震わせ、目覚めた。


 ――ここはどこ? 私は一体どうしたの?


 彼女が最後に憶えているのは、神樹の枝から足を滑らせたあの瞬間。

 そのあと、自分がどうなったかは憶えていない。あの高さから落ちたのだ。生きているはずがない。


 痛みを堪えて身を起こしてみる。穴の天井は低く、立ち上がろうとすると、頭をぶつけてしまった。地面には何か気持ちの悪い、ぬるぬるしたものや、尖った硬いものが散乱していた。

 いちど深呼吸をしようと、肺いっぱいに空気を吸い込むと、いきなり胃がひっくり返り、中にあったものをすべて吐き出してしまった。


 ふたたび息を整えようと、もう一度空気を吸うと、またもや胃が跳ねる。

 胃液まですっかり搾り取られる頃には、ようやく嗅覚が麻痺してくれた。


 口に残った酸っぱい唾液を吐き捨てる。唾液にはいつぞやのどんぐりの味が混じっていた。


 見回せば真っ暗な闇。死んだ筈の自分がいる場所は、いつかどこかで聞いたおとぎ話の暗い側面だ。


 これは冥府か地獄か。そして、自分のあたりに散らばっているものの正体。

 これは触ってみて分かった。生き物の、それも多くは人の骨と腐肉だ。

 やはりここは「あの世」とやらの、それも来たものが救われないほうのようだ。コニアの口から思いがけなく笑いが漏れた。


「コニア、ここはあなたの知りたがったおとぎ話の一つなのよ」

 ひとりごちる。


 彼女は暫くその場にとどまっていたが、自分の居る場所が斜面になっていることに気が付いた。何気なく斜面の上を見ると、心なしか明るくなっている気がする。

 どんな状況でも、自然と光を求めるのは人の性分だろうか。

 彼女は自分が死んだと認識していたはずなのに、痛む身体を引きずり、光のほうへ這いつくばって行った。


 進むにつれて、自分の身体がどういう状態なのか分かってきた。

 どうやら、あちらこちらに打撲や擦り傷はあるようだが、骨折や切断といった重傷はないらしかった。

 右の手首だけは酷く痛み、烈火のごとく熱を持っていたが、それでも指先は動かすことができた。


「現実めいた痛みね。本当にここが冥府や地獄なら、私に対して罰を命ずる何かが居てもいいはず」

 無意味と思いながらも、思考を口に出してみる。その声は闇の中で少し響いた。


 声が響く。その物理的な現象が、ここはあの世ではなく、現世で、彼女はまだ死人ではないということを教えていた。


「私まだ、死んでないのかな?」

 声を絞り出すほうが、痛みに抗うのに都合が良かった。


 少しづつ、少しづつ光の射すほうへ。


 コニアは光の射す場所まで這って行った。痛みと疲労の為、一歩一歩にかかる時間は恐ろしく長いものに感じる。

 やっとのことで縦穴に這い出る。空気の質が少し良くなったようだった。

 そして明るい。縦穴の底を照らしていたのは、空に浮かぶ満月であった。


 娘は立ち上がり、身体を伸ばしてみた。痛みが身体のあちらこちらを強く刺激する。彼女は何が可笑しいのか、痛みを感じるたびにひとり、笑い声をあげた。

 笑うたびにまたどこかが痛んで、それがまた可笑しかった。

 ひとしきり笑うと、娘は深い穴から見上げた。天。星空が見える。


「よし。登るのは得意なのよ」


 コニアは縦穴の壁に手を引っかけ、いつか木を登った時のように、上を目指し始めた。

 穴の側面は、しっかりと固まっており、窪みや出っ張りに体重を預ければ、彼女にとって、登るのはそう難しくなかった。

 先ほどまでの身体の痛みもどういうわけか、手首のぶんだけ残して嘘のように消えている。


 ようやく穴の始まりへ手を掛け、最後のひと踏ん張りと身体を引っ張り上げる。

 体重の半分を受け持った右手首が灼熱に包まれたが、その己の重みを伝える痛みにはかえって、励まされる気がした。



 腰のあたりまで身体を引き上げたとき、何者かが足首を掴んだ。



 肺が風のような音をたてる。足首にかかった重みに引きずられ、穴の中へ連れ戻されそうになる。

 コニアは必死に穴のふちにしがみ付いた。落ちてたまるか。彼女の足を引っ張るのは、やはり冥府からの使者か。


「おりゃあ! くそったれ!」


 娘の口から汚らしい言葉が飛び出す。

 力任せに身体を引き上げようとすると、顔のあちらこちらが熱くなるのが分かった。

 足にぶら下がった何者かも一緒に引き連れて、穴から全身を引きずり出す。


「どうだ、こんちくしょう! 私はあんなやつらとは違うんだ!」


 コニアは仰向けになると、肩で息をしながら、いまだ足を掴んだままの何かを睨みつけた。

 それは、白いざんばら髪の、人間のように見えた。


 そいつは足から手を放すと勢いよく立ち上がり、コニアの手を引っ張って無理やりに立たせた。


 人間の女だ。汚い肌をした、白く長い、乱れ髪の。やはり冥府の使いではないかと思われた。



 ……しかし。



「ありがとう! あなたのお陰で出ることができた! よおし、早くここから逃げよう!」

 その女は、冥府の使いにしてはやたらと明るく、しかもコニアに感謝を示した。

 女は言い終わるか否や、走り出した。あまりのことに虚を突かれたコニアはそのまま彼女に引っ張られて行った。


 彼女は一体、娘をどこへ連れて行こうというのか。


***

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