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「参りました」
「やあ、シノール。ありがとうアカネキ」
「いいえ。それより殿下、ローズフェリア様は?」
「ああ、落ち着いたね、ローズフェリア?」
「…はい」
虚ろに、望まれた答えが口から漏れる。ふとシノールの顔に目をやると、その顔には表情がない。
「騒ぎが大きくなるといけない、アカネキと私はここに残ろう。シノール、ローズフェリアを頼む。後宮には連絡が行っている。侍医が待機しているだろう」
「わかりました」
シノールに手を取られ、立ち上がる。不思議とローズフェリアは自分の足で歩けた。全てが無意識に自動的で、世界が膜がかかった夢のように見える。
口がアカネキに挨拶をし、部屋を出る。
後はただ、無言でシノールと歩いた。
後宮を囲む庭園の半ばでローズフェリアの足が止まった。その気配に気づき、先を歩くシノールも立ち止まるが、振り返りはしなかった。その振り返らない背中が、ローズフェリアの中で別の背中とだぶって揺れる。
「…どうして」
言葉が唇からこぼれ落ちる。意識しない言葉が空気を伝わって鼓膜を震わせ、ローズフェリアを震わせた。
どうして。
どうして自分だったのか。
どうして自分は選ばれないのか。
どうして兄弟なのか。
どうしてアカネキなのか。
どうして必要だったのか。
どうして騙したのか。
どうして教えてくれなかったのか。
どうして終わらせたのか。
どうして愛したのか。
どうして人形なのか。
どうして人間なのか。
どうして生きているのか。
どうして
体中を矛盾した、誰に対するのかも定まらない、出口もわからない問いが吹き荒れる。
「どうしてっ!」
それしか声に出来なくて、代わりのように涙が溢れた。庭園はローズフェリアの感情を吐き出す唯一の場所だった。
その場に泣き崩れて、答えを探すように空を見上げる。
本当は探したところで意味は無い。全ては虚構だったのだから。
それでも微かな都合のいい、すがりつくような願いで問わずには壊れそうだった。
彷徨うローズフェリアの瞳に、空を覆う緑の隙間から何よりも高い塔が垣間見えた。
「…どうして、何のためにあの塔は建てられたのですか」
リヨウキがわかるといっていたその理由。それだけは今もわからず、声が出る。
シノールが振り返る。しばしの沈黙の後、口を開いた。
「…だれにも見られることのない様にでしょう」
座り込んだまま見上げたその顔は逆光で見えなかったが、言葉はまっすぐにローズフェリアを貫いていた。
嵐のように乱れる思考から逃れようとした問いへの答えが、皮肉にもローズフェリアから全ての逃げ道を閉ざしたのだ。
リヨウキは、兄は最初から全てを知っていた。最初から全て嘘で、愛はひとかけらも無く、自分は人形だった。
嵐が晴れ、残ったのはそれだけだ。
ローズフェリアの瞳から光が消えた。
「ローズフェリア様」
気づいたシノールが足早に近づきその前に膝を着くと、涙も枯れ空洞と化した瞳と出会う。
シノールはそれをじっと覗き、やはり表情を変えず、待った。
そして、
「あなたは私と同じ」
永遠に続きそうな一瞬の無言の後、ローズフェリアの唇だけが動いた。
「表情も乏しくって、お兄様の言いなり。まるで人形」
ローズフェリアの唇が歪み、笑みを含んだようにも見えた。
「私と同じ眼…シノール様は私のことが好きなのですね」
シノールの目がわずかに見開かれる。
「同病相哀れむ、それとも傷の舐めあいですか?」
「違います」
何が違うのかには答えず即答されて、ローズフェリアの表情が消える。
「…それなら」
どうして
「私は王子には逆らえません」
ローズフェリアの疑問が何を指すのかも聞かず、シノールは答えた。
その言葉に何かが入り込む余地はない。
ローズフェリアの唇が言葉をつむごうと開かれ、何も発することなく閉じられる。そして再び開く。
その声は苦いものを吐き出そうとするような、濁った声で。
「人形と呼ばれる人間もどきが他人から嫌悪されるのが何故だかわかりました」
ふらりと立ち上がる。
「本物の人形の方がましということですわ」
後宮へと歩きだしたローズフェリアを追うことはせず、シノールもゆっくりと立ち上がり、後は動かずその背中に声をかけた。
「ローズフェリア様、人は人にしかなれません。人間でしかありえないのです。そして、人が人を愛したり、憎むのには理由があります。必ず」
「理由?」
―――美しいものが好きなんだ。バラの根元に落ちていた
理由を問い、戻ってきた答えが甦る。
理由を問うべき愛など、始めから無かったのだ。
これ以上問うべきことがローズフェリアには考えられなかった。
「知りたい事なんてありません」
それ以上に、何も知りたくなかった。
ローズフェリアは何も見ずに後宮へと歩き続けた。
結局この娘は、人形であるのが嫌で必死で抗い選んで、自分を最も人形として扱う男を愛した。
お前と同じ、人形だ。
愛を知り、愛に破れた人形だ。
そこまで話し終えて、バグは少女の髪を玩んでいた手を開いた。サラサラとこぼれ落ちて、白いドレスが包む少女の胸を飾るように白が戻る。
少女を後ろから抱きしめるように位置していたバグが、肩越しに少女の細い首に指を絡れば、その感触にか、人形が息を吹き返すように、話の間中ずっと身じろぎもせず閉じられていた少女の瞼がパチリと開いた。
「さあ人形、同じ人形として何を感じる。愛とは何か答えは出たか?少し教えてみろ」
耳元で囁やかれた声は低く、睦言のようだった。黒く長い指がゆっくりと顎先までを滑りあがる。
その指から逃れるように上を向いた少女の顎を捕らえて頭ごと胸に引き寄せると、見上げる少女の紅い瞳と見下ろすバグの漆黒の瞳が逆向きに重なった。
少女の表情に変化は無い。
「一人の記憶ではない」
少女が何かを読み上げるように声を発する。その瞳は燃えるような赤い色に反して熱を含まず、揺れもしていない。感情を探すように覗き込んでいたバグの目が、おかしそうに少女の言葉を聴いて細まった。
「一番の感想がそれか?しかしそれは大切なことかもしれん。ああ、この話は複数の人間の記憶でできている」
「それだけ人を食べた。ローズフェリア、シノール、リヨウキ…アカネキ?」
「そうだ。王に王女、名前の出ていない奴まですべて。さあ、他の感想は?」
少女の感想に満足なのか、不満足なのかを測らせないニヤニヤ笑いを浮かべてバグが促す。
少女はすぐには答えず、顎を捉えるバグの手に指を絡めて動かし自由になると、身体の向きを変えた。正面からバグと向き合い、まっすぐにその目を見つめる。視線をはずさないまま、影のようなバグの胸に白い両手を付き、背を伸ばして顔を寄せる。
そして、息が触れるような距離で口を開く。
「私も、食べられたい」
バグの顔から表情が消えた。少女にはもとより表情が無かった。
感情を映さない色の違う瞳が合わせ鏡のように向き合う。
呼吸さえ感じられない静寂の中、部屋を灯す明かりが一瞬だけ火の勢いを増し、ゆらりと大きく震えた。
息を呑んだような短い沈黙の後、じわりとバグの口が弧を描き、赤く細い月をかたどった。獲物を前にした猛獣のように目が、爛々と光りだす。
「…お前は本当に面白い。こんなにゾクゾクするのは久しぶりだ」
獣の顔が近づくのを少女は瞬きもせず見つめた。
ゆっくりと唇が重なって、バグの舌がその目の強さとは対称的な静けさで少女の唇を端から端へとつたう。最後に軽くついばんで離れる。それは口付けというようなものでは決してなく、何かを与えも奪いもしない触れ合いで、しかしその温もりに少女が震える。
離れて距離が開き、視線が合ったところで少女が聞いた。
「食べるの?」
「ああ、喰う。だがまだだ」
静かな口調。だが漆黒のはずの瞳は光を放っている。
「まだ途中」
「そう、話はまだ終わっていない。まだ早い」
話が済めば殺すと言われている。
それでも無表情の少女はバグの胸にゆるりと頬を寄せ、再び瞳を閉じた。
「聞かせて」
その声は夢見るように甘い声。
捨てられた人形はどうなったのか?
気になるだろう。人形の行く末が。
愛を知っていても人形としてしか存在を認められないなら、さあ、それはなんと呼ばれるものか。
バグさんは「ほぼ人間と同じ形」ですが、人間とは明らかに違うものです。
明るい中で観察したら違いがわかるのですが、暗かったり、感情の無い少女と2人っきりなせいで、一応三人称ではあるのですが書き切らないようにしているというか。
あとバグさんも化物ですから感情や動きを人間的表現では書きたくないな、とか、もだもだ考えて書いてますが…成果はいかがなもんでしょう。




